真剣で私に恋しなさい!-きみとぼくとの約束- 作:chemi
小説などである『雷が落ちたような衝撃が我が身を襲う』――そんなもの現実にあるはずがないと思っていた。
そう。あの瞬間が訪れるまでは――。
最初に言っておくが、俺は選ばれた人間である。生まれは武蔵の家柄には劣るものの、それに次ぐほどであり、そのための努力も惜しみなく続けてきた。その結果もあり、Sクラス在籍、入試試験も学年2位である。
今まで学年、クラスの観察も行ってきたが、自分と争える人間は武蔵小杉くらいであろう。あとは剣聖の娘ぐらいであろうか――彼女はぜひSクラスに入るべき人間だと思うが、本人にその気がないなら仕方がない。その他クラスには主だった人物もいないので、特に気にしたこともない。
しかし、今ではその上に九鬼紋白が現れ、その地位も3番手となってしまっている。あの怖い執事――ヒューム・ヘルシングもいるが、あれこそ気にしていても意味がないし、最近ではかなりSクラスに馴染んでいるので、さすが九鬼の執事というかなんというか、色んな意味で恐ろしい存在だと再認識した。
話が戻るが、正直、武蔵小杉ならば、自分でも追い抜くことは可能だと思っているのだが、あの九鬼紋白は別物だ。突然のSクラス転入から、全ての勝負において勝利を収め、あっという間にSクラスを掌握、その勢いのままに1学年を制圧してしまった。
その手腕は見事としか言い様がない。
かく言う自分も得意とするもので勝負を挑んだが、圧倒され――いっそ清々しいほどだった。武蔵小杉は未だにトップの座を虎視眈々と狙っているようだが、将来はそのまま九鬼紋白の下につくのではないかと密かに思っている。
加えて、カリスマとはああいうものなのかと肌で実感した。今のSクラスは九鬼紋白を中心として成り立っており、その団結も中々のものだ。1学年で俺達のクラスを脅かせるものなどいない。
これが一つ上の学年になると、闇鍋のようなカオス広がるFクラスの存在があり、あれが自分たちと同学年でなくてよかったと心底思う。というよりも、学年全体がエキセントリックすぎる。何か騒ぎが起こったとすれば、大半がこの学年が火元である。
しかし、この学年のおかげで、刺激の多い学園生活が送れているので悪くはない。
3年に至ってはあまり接点がないので、記憶に残る人物といえば川神百代、松永燕、そして――。
葉桜清楚さん――俺を恋の病へと陥らせたその人である。
話が色々と脱線してしまったが、ようやく冒頭の本題へと入ろう。
葉桜清楚さん、初めてその姿を見たとき、美しい、可憐だと思ったが、それがそのまま恋につながったわけではない。
とある喧嘩が、俺を一目惚れさせる切っ掛けになったのである。
あれは1週間程前のこと、俺が帰宅途中に、偶然2人組に絡まれている中学生を見かけたことが発端となる。その2人組は、なぜこの世に存在しているのか甚だ疑問に思えるほどの屑を具現化したような人間だった。クローン組が転入してきてから、川神の治安は良くなってきているが、どうもこういう類の屑はどこからともなく湧いてくるらしい。
だから、俺はその中学生を助けるついでに、そいつらに声をかけ、思いつく限りの語彙を駆使して、その存在を分からせやろうと思った。今思えば、なぜそのような行動をとってしまったのか。
しかし、これがなければ俺の恋は始まらなかったのだから、きっと運命の女神が俺と清楚さんを巡り合わせるために、仕組まれたことなのだろうと納得している。
ともかく、徹底的に教えてやった。すると、そいつらは俺に激怒し、ついには暴力をふるってきたのだ。ちなみに、俺には川神百代やその彼である夏目凛のような武力はおろか、武蔵小杉にも秒殺されるほどの男である。しかし、決して誤解してほしくはないが、運動神経が悪いわけではない――まぁ、良くもないのだが。
まぁ簡単に言えば、とりあえず屑1のパンチを思い切り頬に受け、吹っ飛ばされた。そのあと、屑2の蹴りが腹部にめり込み、呼吸困難。助けを呼ぼうにも叫び声はあげられないし、まさに絶対絶命。
そこに現れたのが葉桜清楚さん、いや正確に言えば、項羽の混じった状態の西楚さんだった。
俺の瞼には、その光景が未だに焼き付いており、目を閉じれば、そのときの光景がありありと浮かんでくる。
颯爽と登場した清楚さんは、目を焼かられるほどの赤い夕日を背に、屑12に近づくと右腕を一振りして、俺の窮地を救ってくれたのだ。まさに瞬殺。
普段の清楚さんは大和撫子といって良い。その姿には目を惹かれるものがあったが、俺はそれだけでは何か物足りないでいた――いや、もしかすると、俺は清楚さんの中に隠されていたそのもう一つの顔があることを予感していたのかもしれない。そして、待ち焦がれていた。
その姿は戦乙女――そう思った瞬間だった。俺の体中を電気が走り抜けたような感覚があった。彼女から目を離すことができなくなり、鼓動も早く、かと言って彼女の目を真正面から見つめ返すこともできなくなってしまったのだ。
そのあとのことはよく覚えていない。重要なのは、俺は恋してしまったということだ。
しかも、そのお相手は2つ年上の先輩で、最近の騒動のリーダーであり、多くのファンがついている麗しき女性、見る者全てを惹きつけてやまない魅力を携えた方である。クローンだろうが、仮に二重人格だったとしても、俺は一向に構わない。
今では、あのおしとやかな清楚さんを見ても、ドキドキが止らない。遠くから見つめることしかできない俺、なんと意気地のないことだろうか。
しかし、接点が――そう接点がないのだ。俺は、生まれてこの方後悔したことがないが、このときばかりは、なぜ最初から接点をもっておかなかったのかと後悔した。
もし、タイムマシンなる物があるならば、とにかくその事だけでも過去の自分に伝えたい。
多くのライバルがいる中から抜きんでて、愛しの清楚さんのハートを射抜かねばならない。しかし、自分は今まで女性にアプローチをしたことがない。ただでさえ、出遅れているのだ、このままでは誰か他の人物に掻っ攫われてしまう可能性もある。
一刻の猶予もない。震える心に鞭をうち、勇気を振り絞るのだ。
だが、この時期はチャンスでもある。先の騒動で清楚さんを恐れている奴らも多い。ここを逃してはならない。恋に年の差など関係ないのである。この学園のビッグカップルとして有名な川神百代、夏目凛も1歳差なのだから。俺としてはどうでもいいことだったが、今となっては彼らに賛辞を送りたい。彼らの存在が大いに俺の励みになっているからだ。
次は、俺と清楚さんが付き合いだしたという情報を学園に振り撒いてやる。皆、特に男どもは血の涙を流すことになるだろうが、これは戦いである。勝者がいれば敗者がいる――厳しいものなのだ。悔やむなら、己の不甲斐なさを悔め。
しかしこの戦い、忘れてはならない強力なライバルがいる。そのライバルがいるがため、大半の男どもは戦う前から、戦意喪失状態となっている。嘆かわしいことである。
そのライバルの名は京極彦一。正直この男がどういう心境にいるのかよくわからない、にも関わらず、清楚さんに一番近い距離にいるという俺からしたら、貴様その場所を譲れと声を大にして言いたい存在だ。
この1週間、色々と調査してみたが、付き合ってはいないらしい。ただし、あまり予断の許さない状況ではないかと俺は見ている。何が切っ掛けで2人の関係が変わるかわからない。恋愛とはそういうものなのだ。
さらに草の報告によると、最近も仲良く肩を並べて帰っていたらしく、非常にうらやま――いや危険な香りがプンプンしている。しかし、草の存在も清楚さんにかかれば赤子のような存在らしく、一度警告を含ませた威圧が飛んできたらしい。さすが清楚さんである。
これ以降は草も放つことをやめた。もし、万が一俺の仕業だとばれれば、その瞬間、俺の初恋は最悪の形で終わってしまうからだ。
あとは自身の力で、清楚さんを振り向かせたいと思う。
できることなら、1ヶ月後に控えた文化祭を彼女と一緒に回りたいと思うのだが、これはさすがに高望みをしすぎだろうか。想像するだけで胸が高鳴るのだが。
なんだろう、髪型が少しおかしい気がする。前髪の流れ具合か。もうちょっと左か、いやここは流しすぎるとだめだ。
「髪型……良し! 服装良し! 笑顔良し!」
鏡の前での最終確認も無事終えた。
とにかく、千里の道も一歩から。朝の挨拶をするために、今日も俺は学園の門の前に立つ。できることなら、麻呂が担当していませんように。
◇
凛を含めた風間ファミリーが、ちょうど門を潜りぬけたとき、「おはようございます、清楚先輩!」と、背後から一際元気な声が聞こえてきた。
その声に、思わず全員が振り返る。そこには、ここ1週間名物になっている光景が広がっていた。
それを見ていた一子が呟く。
「あれって……」
「例の1年生か。噂には聞いてたけど、頑張ってるなぁ」
凛は、項羽が自転車を引いていく姿についていく1年生を見ながら微笑んだ。懸命に話しかけるその姿は、どこから見ても好意が駄々漏れである。それに気付いていないのは、声をかけられている本人ぐらいで、せいぜい可愛い配下ができたというぐらいの認識であろう。
大げさに首をふりながら、岳人が声をあげる。
「あれじゃダメだ。必死すぎて逆にひかれちまうぜ。男たるもの余裕が大事だよな」
岳人も退院して数日経っており、未だ激しい運動は禁止されているものの、日常生活を送る上での支障はなさそうであった。驚くべき回復力である。
岳人の発言に反応して、京が一言漏らす。
「見事なブーメラン」
その呟きが聞こえた凛は、苦笑いを浮かべた。
――――意外な所からチャレンジャーが現れたけど、これが一体どう影響するのか……。
凛は自身が百代と付き合い始める前に、このようなライバルがいたとしたらと考えると、さすがに焦りを覚えずにはいられないと思った。
――――でも、京極先輩って焦ったりするところが想像できないんだよな。というか、俺も先輩が本当に清楚先輩のことが好きなのか、よくわからないし。かといって、これ以上は本人同士の問題だし、あまり周りが騒ぎたてるのもよくないよな。
凛の隣にいた百代が口を開く。
「でも可愛らしいもんじゃないか、自分を知ってもらおうと懸命になるなんて。あの姿を見ていると、到底Sクラスの人間とは思えないな」
「実際、あの行動を取り始めてから、人が変わったようだって噂になってるよ。武蔵小杉なんか、笑顔で挨拶されて悲鳴あげたらしいし」
大和が自身の知っていることを皆に伝えた。
「あいつのおかげで、他の奴らの清楚ちゃんへの恐怖心も薄れてるのも事実だし……このままいけば、すぐ皆に受け入れられそうだな」
百代は嬉しそうに頷いた。その後ろからは、納豆行商の声が響いている。
□
「おはよう、みんな」
Sクラスの教室に入る前に、項羽は清楚と入れ替わっていた。その理由は、これから退屈な授業が始まるからである。
名前が書ければそれで十分であり、肉体労働は自分に任せて、その代わり、頭脳労働は清楚に任すというのが、項羽の言い分であった。
勉強あるいは運動のどちらかが苦手な人は、項羽と似たようなこと考えたことがあるのではないだろうか。たとえば、自分に分身があれば、授業を受けてもらって――などというもの。
方々から返って来る挨拶に、また挨拶を返しながら、清楚は自身の席へと向かった。そして、静かに席に腰を下ろすと、お気に入りの一冊を取り出して、HRまでの時間をつぶす。自身の正体がわかった上、学園での不安も取り除かれた今、彼女はなんの不安を抱くこともなく、大好きな読書にのめり込むことができる。その際、間違っても後ろへと重心を傾け、椅子でギコギコと音を立てるような真似はしない。
ただ不安ではないが、周りが落ち着いてきたことで少し気になることがあった――というよりもできたというべきだろうか。それは隣の席の人物についてである。
清楚は本を読む傍ら、ちらりと隣の席へと目を向ける。
『京極はまだ来てないのか?』
それに合わせるかのように、項羽が心の中で声をあげる。
『みたいだね……もしかして、何か用でもあるの?』
『別にない。ただ、清楚が気にしているようだったから、声をかけただけだ』
『私はただ、もうすぐHRの時間だから大丈夫かなと思って……それに、気にしているといえば、項羽のほうじゃない? 昨日の帰りだって――』
『そ、そんなことはない!』
清楚は表向き、静かに本を読んでいる風であったが、心の中ではそんな些細なことで項羽と言い争っていた。当然、本の内容などこれっぽっちも頭に入って来ていない。
そんなことが内面で起こっているとは露知らず、清楚を見守っている男子生徒たちは、深いため息を吐きながら、彼らの心のオアシスを堪能していた。
「おはよう、葉桜君」
そこへ現れた彦一。清楚も慌てて、項羽との会話を打ち切り、挨拶を返す。
「それとこれを先に渡しておく。前に、葉桜君が気に入っていた杏仁豆腐だ」
彦一はそう言って、白い小さな箱を清楚へと手渡し、さらに言葉を続ける。
「実は、君が大層気に入っていたという話を、お礼の電話を入れた時に話したら、先方がそれを店の方に伝えたらしくてね。喜んだ店主が、君へ贈りたいと仰って、私の方から渡してほしいと頼まれたんだ。だから、葉桜君が迷惑でなければ、受け取ってもらえると嬉しいんだが」
「ほうほう……それはぜひ受け取っておこう。前にこれの話をしたら、義経や弁慶も食べたいと言っていたからな。あいつらにも分けてやりたいんだが、いいか?」
そこにいたのは、箱の中身を検分する項羽。どうやら、テンションがあがって彼女が飛び出してきたらしい。
そして、全ての言葉を吐き出したところで、それに気づいた項羽はすぐに引っ込み、代わりに、少し頬を赤くした清楚が照れながら喋り出す。
「ご、ごめんね。あのときの杏仁豆腐、本当においしかったから……つい項羽が出てきちゃって」
「なに、気にすることはない。そこまで喜んでくれたのなら、私も持ってきた甲斐があったというものだ。あとは葉桜君の好きにするといい」
「ありがとう……そう言えば、昨日帰り道で京極君のお母様に会ったよ。お買い物の帰りみたいだったけど、お茶を御馳走になっちゃって。また会ったときにお礼を言うつもりなんだけど、いつ会えるかわからないから、京極君からもお礼の言葉を伝えておいてくれないかな?」
その言葉の中に含まれた単語に、教室内がざわついたが、当の2人は特に気にした様子はない。
「そうか。この前、初めて会ったばかりだと言うのに、苦労をかけてしまったみたいだな。その件は確かに私から伝えておこう。あと、呼び止められても、葉桜君がそこまで付き合うことはない。これも私の方から強く言っておく」
清楚は本を閉じると、手を胸元でブンブンとふって否定する。
「あっ……全然迷惑とかじゃないよ! お母様とお話するのは私も楽しかったし――」
彦一の母は、彼とはどちらかというと正反対で、感情豊かな人であった。清楚の記憶にも、よく笑っていた印象が強く残っている。
『京極はどちらかというと、父親似だな』
項羽がポツリと漏らした言葉にも、清楚も同意であった。
結局、HRが始まるまで、清楚と彦一の話が途切れることはなかった。
1年生の独白を書くのが楽しすぎた。