朱き右腕   作:三途リバー

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Ready steady

山越が朱然に討伐されて以降、豪族達の孫呉に対する不平不満は急速に鎮まった。

豪族の叛乱、南下する曹操軍、更に山越を瞬く間に撃破した朱然の武力もさることながら、その機動力がこれに一役かっていた。

 

北の国境から南方の山越領まで、様々な場所で戦いを繰り広げた朱然隊は、いつしか遊撃隊として恐れられはじめた。

どこにでも現れるめっぽう強い軍団、という評判は人の口から凄まじい勢いで伝播し、尾鰭が付いていく。

厳白虎を下した数日後には朱然が北壁に姿を見せたとか、北壁の様子を建業に報せに帰ってその日のうちにまた北壁に舞い戻ったとか、ともかく神出鬼没の緋奔義封という偶像がひとびとの間で創り上げられていく。

孫策の注意が北に向く隙を窺っていた者達も、これには閉口した。

穏曰く『本命』であった孫策不在時に示し合わせての蜂起に二の足を踏む者が現れ、自家のみが梯子を外されるという事態を恐れたのだ。

流石に噂の類を信じた者はいないが、実際問題朱然が建業の守備に就けば叛乱を起こしてもすぐさま飛んでくると考えた者は多かった。

 

緋奔義封がその破壊力と機動力をもって、挙兵した豪族達を各個撃破していく情景は容易く想像できる。それほどまでに、朱然の幻影は大きくなっていたのである。

 

豪族達は何も建業を陥としたい訳では無い。局地戦で孫家を痛めつけ、独立を承認させたいだけなのだ。

朱然が建業を離れた隙に本拠を突く、などという大言を吐く者もいたがそれで孫家を本気にさせては本末転倒、虎の怒りに触れて滅亡一直線である。

 

緋奔義封はその存在だけで豪族達の動きを封じる錘となった。

そこまでを計算に折り込み、わざわざあちこち駆けずり回させ、神出鬼没を印象付けさせた大都督はしてやったりとの想いだろう。

 

更には飴と鞭とばかりに「度重なる叛乱に思うところがある」と称して僅かながら減税政策を採り、豪族達は待遇の改善という目の前にぶら下げられた人参に食い付いた。

独立が難しいと思い知らされ、更に懐の大きさを見せられたことで孫家に対する独立の意志は萎えた。妥協したのである。

中には呉王孫策の器量に本気で心服する者も現れ、ここに孫呉の国内の地盤固めは一応の完了を見る。

 

残す課題は曹魏とぶつかる為の国力増産、文官達の領域である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

豪族の慰撫や農政、税の取り立てなど、宮中では激論が交わされ竹簡の山を持った役人があちらこちらを走り回っていた。

 

「もうヤダ…当分文字見たくない…」

 

「ボヤく暇があったら手を動かせ、雪蓮」

 

「うぅ…最近刹渦がますます冥琳に似てきてる…」

 

当然ながら、国主たる雪蓮は大忙しである。

 

文官達を集めてその献策を吟味、選別して決定を下し指示を与える。だけでなく手持ち無沙汰な武官達が北進を声高に主張するのを宥めて治安維持任務に専念させる。そして更には豪族慰撫の為現地に赴いている穏からの報告に目を通し返答を考える。

頭脳に加えて神経を使う、およそ雪蓮が大の苦手とする作業だった。

 

「はー、やんなっちゃうほんと。もう寝てても瞼の裏に文字が浮かんで来るのよ?」

 

「そこまで行ったら後は慣れるだけだ。俺も穏も通った道だから安心しろ」

 

「何も安心できないわよー…」

 

と、2人がいつものやり取りを繰り返していたその時。

 

「失礼致します」

 

するりと滑り落ちるように、天井から影が降り立った。

言わずもがな、孫呉の諜報官明命である。

 

「動きがあったか?」

 

「はい。近々こちらに使者を送ると決定したとのこと。先の国境付近での諍いの謝罪…ではなさそうです」

 

「魏国の王様からのありがた〜い揚州牧叙任のお知らせだろ、どうせ。一挙手一投足が鼻につく小娘だ」

 

刹渦が揶揄したのは、帝という絶対的な玉を手にした曹操のことだ。

衰退し、形骸化したお飾りの帝の言葉を傘にきて敵対者を見下すその態度が、刹渦はどうしても気に入らない。

彼は根が俠者あがりである。

孫呉の臣として以前に、他者に舐められるというその事自体を忌避している。

曹操嫌いの傾向は、実は他の宿将よりも刹渦の方が露骨であった。

 

「こっちは手一杯だって言うのに余裕綽々ねぇ、曹操は。ま、そろそろ一撃食らわす良い機だわ」

 

それまでの疲弊ぶりが嘘のように、雪蓮が軽やかに立ち上がった。

 

「荊州より先なのは想定外だけど、問題ないわ。()()()()()。蓮華に北の防備を固めさせなさい!」

 

活き活きを通り越し、眼がギラつきはじめた主君に苦笑しつつ、明命は姿をかき消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方、山越討伐も落ち着いて手持ち無沙汰になった久焔は根を詰めて政務に励む同期の元を訪れていた。

 

「亞莎、お疲れ様。これ差し入れ」

 

「あわわ、わざわざありがとうございます…!」

 

「ちょっと久焔さん、パオには?パオへの差し入れは!?」

 

「気持ちだけ受け取ってくれ」

 

「それ受け取る側のセリフですから!!」

 

下級士官から才覚を見込まれて蓮華に抜擢された亞莎──呂蒙に、冥琳の強い推挙で招かれた包。

ここにいない氷鷹、思春を除けば久焔と歳が近しい同輩はこの2人くらいである。

自然、話す機会も多い。氷鷹と思春は論外として、包が亞莎を好敵手と目し、闘争心を燃やす以外は概ね良好な関係だった。

 

「毎日毎日政務に文句言ってばっかりって俺のとこまで聞こえてくるぞ。流石に真面目に働けよ」

 

「パオは軍師向きなんですよー!内政の大事も重々承知していますけど、それでもやっぱり性に合う合わないがあるんです!」

 

「少しは亞莎を見習え。苦手な作業に日々奮闘してるってのに」

 

「そんな、褒められたことでは…うぅ、日々雷火様をはじめお歴々にご迷惑をおかけしてばかりで…」

 

「あー久焔さん女の子いじめたーいけないんだー」

 

「しまいにゃ殴るぞこの馬鹿」

 

「ひゃわぁっ!?殴ってから言わないで下さい!」

 

ひと通り恒例行事を終えると、久焔は手ずから茶を淹れていく。

それを恐縮して受け取る亞莎と、当たり前のように飲み干しておかわりを要求する包。

 

姦しいが、落ち着く一時でもあった。

久焔は豪族の叛乱から働き通し、包も政務に山越討伐への従軍、亞莎も戦場にこそ出ていないものの国内の石高計算など途方もない作業に従事していた。

こうしてのんびりと揃って会話するのも久々である。

 

「政務が落ち着いたら囲碁打とう、亞莎。そろそろ一勝したいんだよ!」

 

「無理無理、久焔さんはどうあがいても戦略じゃ亞莎さんに勝てませんよ。もちろんこの天才軍師パオにもね!」

 

「実際包さん凄いんですよ、この間五番勝負で二つ取られちゃいました」

 

「負けてんじゃねぇか結局!」

 

「ひとつも取れない久焔さんに言えたことですかぁ?ん?んん??」

 

「殴りたいこの笑顔」

 

騒々しくも穏やかな時を謳歌する3人。しかし、皆それがまやかしであると理解している。嵐の前の静けさ、大戦の事前段階。

言葉に出さずとも、この時間が長く続かないことを全員が分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「嫌じゃ嫌じゃ!ワシは船酔いなどしとうない!!使者になど立ちとうない!!」

 

「決まったことだ、もう諦めろ」

 

曹魏の首都、許昌。

今日も今日とて楼鸞は親友相手に泣き言を繰り返し、床に這いつくばって駄々を捏ねていた。しかし今日はその駄々にも一段と熱が入っている。

 

「必要なお役目ならまぁ納得もするけどさ!!!華琳ちゃんの自己満足のためになんで僕が揚州まで行かなきゃならないんだよォ!!自分で行け貧乳金髪覇道大好き女ァ!!!!」

 

「言葉が過ぎる、とにかく落ち着け」

 

「落ち着けるわけないでしょ、だってこれ蹴られるの目に見えてんじゃん!事実上宣戦布告じゃん!!叛乱扇動したの僕って孫呉(向こう)にバレてるよ多分!?!?そんな針の筵なところに行くのいーーーやーーーーーだーーーーーーー!!!!」

 

恐ろしいことに素面である。

長い付き合いの爽葉でさえ手を焼くほどの駄々っぷりに、同じく孫呉への使者に任ぜられた陳珪──燈も顔を引き攣らせている。

 

揚州統一を果たした孫策に慶賀の意を表し、更に漢帝国の為と称して揚州牧に叙任する……そんなことを伝える為の使者に、楼鸞と燈は選ばれた。お互い、孫呉とは関係浅からぬと言っても過言ではない。敵地に乗り込むようなものである。

 

しかもこの揚州牧叙任、華琳が奉ずる少帝の敕を受けてのものではない。魏王曹操が個人的に叙任を命じるという、傲慢極まりない無法だ。

事実上の宣戦布告、と楼鸞が言ったのはそのためである。誇り高く、勇武を誇る孫呉がこんな馬鹿げた話を受ける筈がない。宣戦布告を通り越して挑発とも取れる行動だった。

 

無論楼鸞は断固として反対を唱えたが最終的に物事を決めるのは王様である。押し切られて剰使者の大役を仰せつかった。

 

「楼鸞さん、決まったことはしょうがないじゃありませんの。お役目を全うしないことには…」

 

「そのお役目に意味があるなら良いって言ってんですよぼかぁ!今まで散々叛乱扇動して、挙句の果てに山越に直接支援をして!宣戦布告どころかもうこっちから殴りかかってんですよ!?それを今更孫策に一言申し入れてから揚州攻めとか!何?自分の美学に酔ってんの?袁紹にぼろ勝ち余裕こいてんの??」

 

「言わんとする事は分らなくはない。が、燈さんが言ったように決まったことだ。我らは役目をこなし、少しでも華琳様の天下が近付くよう尽くすのみ」

 

「うぅ……理不尽だ…これが雇われた者の辛さ…絶対的な上下関係……だから働きたくなかったんだ…………」

 

オンオンと泣き叫ぶ楼鸞に、2人は視線を見合わせて同時に溜息を吐いた。

彼らとて、此度の決定に思うところがないわけではないのだ。

楼鸞の言う通り、この期に及んでの宣戦布告は無用である。

爽葉に至っては、ここまで悪辣に策謀を働かせたのなら奸雄という評判を気にせず、電撃戦で揚州に侵攻しても良いとすら考えていた。

目の前で醜態を晒す男が練兵等の軍事面にも明るいという意外な一面を有していたため、不安の種であった兵の質の悪さもかなり改善されている。

電撃作戦に耐えうるだけの練度、士気は保たれているのだ。

 

だが華琳はそれを許さない。

そこに不満や不安を抱いた者はかなりの数にのぼる。

だがその矜恃──楼鸞に言わせれば自己満足の一言で終わりだが──に、完璧主義者たる曹孟徳の一抹の人間味が感じとり、心酔を深める者がいることもまた事実。

 

とまれ、事が決まった以上は後は動くしかないのだ。

 

「うぅ……えっぐ……ぼくもうおうちかえる……」

 

まずは、遂には幼児退行を始めた使者役に現実を認識させるところからである。

 

爽葉と燈の溜息が、再び重なった。




三国志勉強し始めて1番思ったのは、恋姫って時系列思ったより滅茶苦茶だったんだなーってことです
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