正使2人が去った後、謁見の間は爆笑に包まれていた。
もっとも、笑っているのはただ1人だけであったが。
「くっくくくくくく、だよなぁ、そう来るよなぁ、そうだろうなぁ!!」
笑いが収まらぬと言ったふうに、傍らの雪蓮の肩をばしばしと叩いている。周りの者達は先の無礼者に怒り心頭であったが、そのあまりの笑いっぷりに毒気を抜かれていた。
「何を呑気に笑うておる!」
ひとり、雷火だけが不機嫌そうに鼻を鳴らした。
先程のやり取りで、曹操との対立どころか全面戦争が決まったも同然なのだ、当然であろう。
「ひー、腹痛ぇ……いやいや婆さん、何が呑気なもんか。こちとら大慌てだぜ、戦争だよ戦争。ほらお前らなにぼさっと突っ立ってんだ、国境の諸砦に早馬を送れ!奴さん袁紹を簡単にぶっ殺したから余裕がある!出兵は早いぞ!あと何処ぞで昼間っから酒かっくらってる
「は、ははっ!」
突然の指令に、控えていた兵達が我先にと飛び出していく。
ますます呆気に取られる一座を見渡し、刹渦は尚も叫んだ。
「これァ向こうの
真っ先に膝を突き、礼を執ったのは久焔であった。
祭。蒼藦。
「ここまで俺達を思い通りにコケにした奴の顔を引き攣らせる!手前の盤面で俺達を推し量り、思う様孫呉を踏みにじった怨敵の首級を挙げる!」
穏に、雷火。
「大都督呂子嬰の名のもとに布告する!陣触れだ!!」
「「「「応ッッ!!!!!!!」」」」
「そこ普通私が檄飛ばすとこじゃない…?」
釈然としない主をよそに、熱風が吹き荒れた。
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「曹操が来る…粋玲、手筈通り狼煙をあげよ!住民を避難させ、道という道に罠を仕掛けるのだ!多少雑でも馬足を鈍らせればそれで良い!」
「御意!」
曹操が建業へ使者を送るという報を受けた時から、北壁では本格的な戦闘に向けて支度が整えられていた。
これまでは長江の河口に最も近く、接収すれば軍事拠点に出来るという北壁を攻撃してきた曹操だが此度は話が違う。
一点突破ではなく、州境から
そうなった場合どうしても末端の小規模な砦から陥落し、北壁は周囲との連絡が途絶して孤立無援となるだろう。そうなればいずれ落城は必須、今のうちに各砦との通信網を確保し、互いを支援できる状況におかねばならない。
「氷鷹!」
「は。敵軍の突出を狙う、ですね?」
「然り。敵の先鋒は恐らく揚州から追い出された豪族か袁紹の元配下。我ら孫呉への恨みを焚きつけられることを考えれば十中八九王朗が来る筈!存分に罵倒して引き込め!」
「伏兵は如何致しますか」
「そちらは思春に任せる。譜代のそなたが釣り役には適任」
「承知致しました。
「あぁ、あれも奮起するだろう」
最悪の想定をして幾重にも予防線を張り、さりとて臆病にはならず自ら戦闘を仕掛けにいく。
迅速果断、まるで亡母が乗り移ったかのように的確に指示を飛ばす王妹の姿に、明命は目を見張る思いだった。
(敵の侵攻を前にこの落ち着かれよう…それにいつの間にか思春殿と氷鷹殿の間も取り持ってる…蓮華様…)
「明命、どうした?」
「い、いえ!堂々たる大将ぶり、ご立派になられたなぁと…」
「やめてくれ、守将の真の価値は戦が始まってこそ分かる。あまり煽てるな」
気負いもなく、この窮地を前に冗談すら言ってのける度胸もついている。まさに理想の将ではないか。
武よりも文を好み、姉や母の勇を羨望の眼差しで見ていたか弱い少女がいつの間に、と思わざるを得ない。
「働き通しですまんな…しかし、そなたにももう一働きしてもらうぞ。曹操退治に付き合え、明命」
(炎蓮様、雪蓮様、ご覧になられていますか!)
あなたの娘は、妹は。北の守り手孫仲謀は。
「ご一緒でき、幸せです…!」
紛うことなき、虎の魂を継ぐ者也。
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一方、楼鸞と燈が戻った許昌は当然ながら爆発的な憤怒に満ち満ちていた。
「揚州の、田舎者が………華琳様を、討ち取るですってぇ……!!」
「……姉者ではありませんが、この侮辱、万死に値するかと。孫家の者共、いえ、その家臣も含め三族皆殺しが妥当です」
普段から偏愛を示す桂花は当然のこと、いつもならばそんな行き過ぎた彼女を諌める夏侯淵妙才までもが怒気を抑えられずにいる。
無言で控える爽葉も、不快そうな顔を隠さない。
「ふふふ、あっはっはっは!!そう目くじらを立てるものではないわ、桂花、秋蘭!やはり孫策、彼の小覇王こそ我が好敵手たり得る唯一無二の傑物よ!」
しかし、激昂する臣下をよそに華琳だけは心底楽しそうに笑っていた。
年相応の、花が咲くような笑みである。
「楼鸞の…いえ、私の宣戦布告を分かりきった上で、これ以上なく完璧な返答を寄越す。これを傑物と言わずなんと言おうか。それに、
「いやほんとだよ!自分でも驚いてる。こりゃ就職先を間違えたかなぁ」
「お前のそんな顔、初めて見たぞ」
軍議の席上、いつも死んだ魚のような目でボソボソと言葉を発していた楼鸞が爛々と目を輝かせ、居ても立ってもいられぬとばかりに忙しなく体をゆする。
長年の朋友をして初めてと言わしめるそんな様子に、華琳は益々気を良くした。
「あら、それは違うわよ。この私に仕えることで孫策を超える機会が得られた。あなたは最善の選択をしたわ、楼鸞」
「あぁ、そうかもしれないね。ありがとう華琳ちゃん、君に付いてきて良かったよ」
「一生聞くと思わなかった台詞を、孫策がこんなに簡単に引き出すなんて…少し妬けるわ」
冗談交じりに言う華琳だが、半ば本心でもあった。
華琳ではなく、敵として対峙した孫呉が楼鸞にこんな顔をさせている。我が下ではなく、
己こそ司馬仲達という最高の楽器を奏でられると信じてやまない華琳にとっては、屈辱以外の何物でもない。
「北壁の程普、孫権は守りを固めているわ。あそこを孤立させ、完全包囲すれば援軍に必ず孫策本人がやってくる!虎穴に入らずんば虎子を得ず……いえ、この場合は虎妹かしらね」
だが今は己の矮小な妬心に囚われている時ではない。
目の前に悠然と立ち塞がる英雄、孫策打倒がまず覇道への第一歩。
憤る臣下達を後目に、華琳は檄を飛ばす。
「孫策を一蹴し、北壁を陥として長江への足がかりとする!その暁には建業へ雪崩込み孫呉と雌雄を決する!皆、抜かりなく準備なさい!」
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