朱き右腕   作:三途リバー

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混乱

妙な胸騒ぎを感じた。

臓腑を衝くような、チクリとした痛みにも似たその焦燥が蓮華を歩かせている。

 

「………」

 

何に焦っているのか、蓮華自身にも分からない。

だが此度のような突然の胸騒ぎは初めてでもない。

 

(──母様が亡くなられたときと、同じ…)

 

虫の報せと言うのだろうか。何かとてつもなく不穏な事が起きる気がしてならない。

慮外の危機に直面した時にのみ感じられるこのひりつく様な感覚は、冥琳曰く孫家特有の()らしい。

 

『それを第六感として昇華し、一種の能力の如く扱われたのが先代炎蓮様。雪蓮も無意識ながらもそれに準ずるものを有しています』

 

母や姉とは比ぶべくもないが、自分も一応は孫…武の血を引いているということだろうか。

 

「…こんなことを考えていたら、また久焔に怒られてしまうわね」

 

 

 

───俺は蓮華が一番好きだ

 

 

 

母よりも。

姉に比べて。

そんな言葉が口を衝いて出る度、ぶっきらぼうに隣で言い続けてくれたのは久焔だった。

 

勇武英略突出し、覇王たる器を備えていた母に、それを余すことなく受け継いだ姉。

優秀すぎる家族を持ったが故の重圧は、幼い蓮華の心を少しずつ蝕んでいた。

 

母に追いつきたい。

姉に置いていかれたくない。

 

口を開けばそんなことばかりの子供時代だった気がする。

周囲の人間は謙虚だ、孫家に暗君なしと囃し立てたが、そんな高尚なものではない。

ただの卑屈だったのだ。

 

そんな自分を真正面から、1人の人間として受け止めてくれたのは久焔だけだった。

八つ当たりに近い暴言にも励ましの怒鳴り声を返し、後ろ向きな弱音を笑い飛ばしてくれた。

 

腐りかけていた蓮華が真っ当にここまで来れたのは、間違いなく久焔のおかげだ。

 

「蓮華?どうした、こんなところまで?大将御自ら見回りか?」

 

だから、こんな胸騒ぎがする時には久焔に傍にいてほしい。

 

 

「その…探してたの、久焔。話相手になってくれない?」

 

「なんだ、もう建業が恋しいのか?昔みたいに寝付くまで手握っててやろうか」

 

「いつの話よ、もう!」

 

久焔の焚火のような温かさに甘え、ともすれば依存に近しいものだという自覚はある。

それでも今は、心の芯が嫌に冷えてしまう今だけは、その温かさに浸っていたい。

 

半ば無意識の内に久焔の裾を摘みながら、蓮華は身体を彼に近づけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

蓮華が胸騒ぎを覚えるのと時を同じくして、建業の雪蓮は主だった重臣達へ招集をかけていた。

議題は無論、先代孫堅の仇である黄祖の曹魏への臣従についてである。

 

「挑発でしょうな」

 

そう断じる雷火だが、冷静沈着を常とする彼女をしても苦虫を噛み潰したような顔を隠さない。

 

「そんなことは承知している!臆されたかご老人!!曹操が恐ろしくて先代炎蓮様の仇討が出来ましょうや!」

 

「凌統の言、我が意を得たり!黄祖めが曹魏へ逃げ込むならば、その逃げた先まで焼き尽くしかの女狐を炙り出すまで!黄祖討つべし!」

 

「黙れ、童!黄祖憎しのあまり大殿が遺された大志を忘れるとはなんたる不忠!」

 

「これは宿将黄蓋殿のお言葉とも思えませぬ!最早江東、江南を治めていれば御家安泰などとそのような生温い事は言っておられぬのです!」

 

「然り!曹操めが中華統一の為南下してくる事は先の戦でもよくよくお分かりになった筈。炎蓮様の御遺命たる孫呉の安泰、それは少なくとも一度彼奴を叩かねば叶わぬのです!ならば今黄祖を討ち、その勢いのまま覇王気取りの小娘に痛撃を喰らわすべし!」

 

「ちょ、武官の皆さんは景気のいいこと言いますけどウチの何処にそんな余裕あるんですか!人足、兵糧、国内情勢、全部見てから物言ってください!」

 

「包さんの仰る通りかと!豪族の叛乱が曹操扇動の下にあるということは二の手、三の手が回っていることは明白、豪族の動きに目を光らせ今は耐えるべきと存じましゅ!か、噛んじゃった…」

 

「揃いも揃って文官どもは臆病なものよ!」

 

「ムッッカーーー!!言いましたね、言っちゃいましたね陳武さん!それを言ったら戦争ですよこの野郎!!」

 

 

張昭、黄蓋、凌統、魯粛、諸葛瑾、陳武。

侃々諤々、老いも若きも武官も文官も、遠慮なく思いの丈をぶちまけていく。

活気に溢れる、と言えば多少は聞こえが良かろうが、ぶっちゃけ収拾がつかないだけだ。

 

それも当然と言えよう。

孫堅の死とその後に続く孫家の没落を招いた仇敵、黄祖が曹操の下へ走ったのだ。

 

袁術からの独立の暁には仇討を、というのは孫家の悲願。

それを果たす前に散っていった同士達も、先代の墓前に必ず黄祖の首をと言い残して逝った。

 

袁術を倒し、豪族の反発も抑えてようやく黄祖を血祭りに、と思った矢先にこれだ。

黄祖討伐はそのまま、曹魏の臣下殺害という孫呉侵略の大義名分になる。

先日の国境襲撃は張郃の独断であり、曹操本人に侵略の意思はない。だが孫呉が曹魏の臣たる黄祖を討ったとあらば、その弔いのため出兵もやむなし…。

 

傲慢極まりない。圧倒的国力の差をかさにきて、孫呉を完全に見下している。

 

怒りのあまり雪蓮は殺気すら滲ませて黙りこくっているが、普段は虎のように恐れられる雪蓮の()にも武官はおろか文官も全く怯まずに怒鳴りあっているあたり相当深刻であろう。

 

(分かっていた。纏まるわけが無い。曹操の軍師の思惑通り、内部対立まで始まりかける始末さ。もがけばもがくほど絡みつく、随分上等な鎖だ。流石に曹魏は怖い)

 

 

 

だからと言って……敵が強大だからと言って勝負を投げるほど、刹渦は分別のついた都督ではなかった。

今までも、そしてこれからも刹渦は雪蓮の敵を薙ぎ倒し続けるだけである。

 

 

「発言よろしいか、刹渦」

 

 

 

来た、と内心ほくそ笑む。

自分と蒼藦、陸遜、それに雪蓮が智慧を振り絞って考えに考え抜いた起死回生の一手……というには些か単純にすぎるが。

兎にも角にも、今この瞬間、厳かに立ち上がった蒼藦の一言から孫呉の反撃が始まる。

いつまでも後手にまわり、歯噛みをするだけが能ではない。

どんな罠だろうが策がだろうが、喰いちぎって野に飛び出すのが我ら孫呉。

 

(吠え面かかせてやる、曹操)

 

おそらくは北方で思春に情勢を聞き、全てを察して怒り狂っているだろう久焔に後々1発どころか10発くらいは殴られる覚悟を決めながら刹渦は最古参へ掌を向ける。

 

「お聞かせください、蒼藦さん」

 

後に孫呉史上最大の綱渡りとされ、一歩間違えば呂範は国賊となったと書き遺されることとなる一世一代の大博打。

あまりにも分が悪い勝負が始まった。

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