朱き右腕   作:三途リバー

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日々―北壁―

唸りをあげて、大剣が舞う。

重苦しい空気を、ぬめりとした嫌な風を断ち切るように舞っている。

 

ごう、と一閃。

横に薙いだ勢いを殺さず、そのまま身体を捻った時には刀身が立てられ、それを担ぐ様な格好となっている。

 

「──」

 

無言のままに、されど丹田に満身の氣を込めて久焔は愛刀を振り下ろした。

 

 

風切り音というにはあまりにも鈍いものを発し、愛刀──紅皝無頼(こうこうぶらい)は確かに()を唐竹に割った。

 

 

 

 

 

久焔がこの北壁で、毎夜決まって剣を振るっているのはある種の名物として将兵らに受け入れられていた。

夜になると必ず、中庭に出て大剣を振る。

兵達は当初こそ奇特と恐怖の目で見ていたが、日を重ねる毎に慣れていき、今では当たり前のことと感じている。

久焔が脳裏の何かを斬ろうと、同じような動作を繰り返している事に気付いたのだ。

 

張郃を奇襲にて一蹴し、痛撃を与えるどころか撤退にまで追いやる武功を立てた久焔だが、彼に喜びの感情は一切無かった。

 

(仕留め損ねた)

 

目の前に、斬撃の範囲にいながら、みすみす。

あの時久焔が放った横凪の一撃は、敵将の槍に僅かに軌道を逸らされ、ちぎれ飛ぶ筈だった首よりも下、鳩尾のあたりを掠めその乗馬の命を奪うに留まった。

二の太刀を繰り出そうとした時には既に遅く、咄嗟に割って入ってきた部下を斬り伏せるうちに逃げられた。

 

それは仕方がない。己が未熟、尚且つ敵の悪運が良かったのだと受け入れるしかないのだから。

しかし、久焔が悔いているのは自身の思考だった。

 

(奥の手を晒したくないばかりに、逡巡した。だから逃げられた)

 

一刀目を外した直後、頭をよぎったのは()()()を使えば斬れる、ということだった。同時に、この程度の戦で晒すべきか、とも。

結果、二刀目の動作は遅れて張郃が後退する間を、彼の元に行かせまいと兵達が肉壁になる覚悟を決める猶予を与えてしまった。

 

逡巡の結果の体たらくに久焔は憤っている。

目の前の敵を全力で殺すことにこそ己は注力すべきと常々自戒しながら、思考を飛ばして剰温存を考えるなど愚の骨頂である。

 

故に、久焔は如何に一刀目、更には奥の手を使わず瞬時に二刀目で敵を殺せるかを繰り返し試している。

 

今宵も、久焔の瞼の裏で幻影の張郃が血煙を立てて沈んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一通りの仮想敵との打ち合いを終え、与えられた自室へ戻ろうとした時に久焔は影の中に気配を感じた。

姿は見えずとも、この息遣いは長きに渡り身体が覚えている。

 

「お疲れ、明命」

 

「とんでもないです。鍛錬のお邪魔でしたか」

 

蓮華を人質に取られ、袁術にこき使われていた頃から伝令として駆けずり回る明命とは付き合いがある。

孫家が広大な袁術領に離散させられたにもかかわらず、着々と逆襲のために力を蓄えられたのは彼女の情報伝達能力によるところが大きい。

 

「それこそとんでもない。で、義父(おやじ)?それとも兄ィ?」

 

「ひとつは蒼藦様から。思春さんからお聞きかもしれませんが、黄祖が曹魏に下ったとのこと」

 

「………聞いた。蓮華にも、粋怜様にも伝えてないが」

 

「分かりました。後ほど私がお2人のお耳に入れます。もうひとつ刹渦様です。北方には氷鷹(ひよう)さんを充てるから久焔さんは入れ替わりに建業に戻る準備をしておいてくれと」

 

「氷鷹!?氷鷹って思春はどうするんだよ!?」

 

氷鷹とは久焔と同世代の武官、凌統の真名である。

名が示すとおり、氷のように冷静で落ち着いた雰囲気を醸し出す女だが、一度決めたら梃子でも動かぬという頑固さを同時に持ち合わせている。

 

その頑固さが招いている──と言っては些か以上に氷鷹が不憫だが──頭の痛い問題が、思春との不仲である。

 

思春が江賊として活動していた頃、氷鷹の父であり凌家の当主であった凌操が戦場にて彼女に射殺されていた。

幾ら戦場でのこととは言え、実の父を目の前で殺され、同じ主君に仕えるから忘れろというのは酷ではある。周囲は理解を示しつつも何時までも仲違いさせたままということにも出来ず苦悩していた。

 

久焔と思春のように、怒鳴り合う喧嘩のような不仲ならまだ間に入って仲裁もできよう。しかし、氷鷹はそうではない。徹底して思春を無視するのだ。宮中ですれ違っても、そこに存在しないかのように振る舞い視線のひとつすら向けない。蓮華の前に出ても、仇である筈の側近に一切言及しない。

 

思春も弔意くらいは示さねばと考えていたようだが、向こうがあの態度ではもうどうすることも出来ない。殺し殺されは戦場の常、それに加えて謝罪すら受けようとしないとは狭量が過ぎると吐き捨てる始末。

 

見かねた久焔が孫呉の為に形式上だとしても謝罪くらいは受け入れてはどうかと氷鷹にふったところ、

 

『あのような賊を蓮華様のお傍に控えさせるなど、血迷ったか朱然』

 

と預けた筈の真名を呼ばれなくなってしまった。

それほどに2人の確執は根が深い。

 

「こんな狭い砦に詰めてれば嫌でも顔合わせるぞ。粋怜様が居るとはいえ、険悪な雰囲気は兵達にも伝わる。なんでわざわざ氷鷹を…」

 

「荒治療…なんですかね?吊り橋効果的な」

 

「…まぁ、戦況と蓮華に何も無ければ良い。2人も緊急時ということは理解してるだろうし」

 

そこで蓮華様の名を出すあたりこの人も重症だなーと呑気に考えながら、明命はふと湧いた疑問を口に出してしまった。

 

「その、蓮華様が困るような事態になった場合は…」

 

「戻って2人とも叩き殺す」

 

大真面目に大剣を担ぐ目の前の男なら本当にやりかねない。

引き攣った笑いを顔に浮かべ、明命はそうならない事を本気で願った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1週間後、砦に入城した氷鷹と入れ替わりに久焔は建業へ立つこととなった。

引き継ぎの際も相変わらず真名を呼ばれず、粋怜が大仰に溜息を吐いていたが後は彼女に頼むしかない。年の功でなんとか取り持ってくれ、と言ったら数年ぶりの拳骨をくらったが。

 

「では失礼致します、蓮華様。ご武運を」

 

「……」

 

城門まで見送りに来てくれた蓮華に頭を下げたが、なにやら不機嫌そうに頬を膨らませるばかりで何も言葉が帰ってこない。

 

(まさか)

 

いや待て、周りをよく見ろと視線で訴えかけるが完全に無視。

眼前の主は、ふんすと鼻を鳴らして()()()()をねだってきていた。

 

周りには思春に氷鷹、粋怜、更には久焔の護衛として建業へ戻る30騎。

確かに長期的な別れになるときはどちらともなくやってきた恒例行事だが、流石に人の目がある場でアレはきつい。

 

「その、それでは……」

 

「久焔。何か忘れていない?」

 

「ヒェッ……」

 

段々目が据わってきた蓮華に逆らえず、失礼致します、と震え声で断りをいれてから久焔は右手を彼女の後頭部に添えた。

 

「きさ──」

 

ま、と思春が言い終わるときには、久焔と蓮華の額が合わせられている。互いに目を瞑り、小声で一言。

 

「い、行ってきます……」

 

「ん、行ってらっしゃい」

 

二人の間で暗黙の了解となっている、別れの挨拶であった。

 

額を離した久焔が、蓮華の肩越しを恐る恐る覗くとそこはもう大惨事である。

思春はもう殺気を隠す気もなく抜刀しているし、粋怜は面白いものを見たといった顔でニマニマしている。氷鷹に至っては耳まで真っ赤にして口をパクパクさせていた。

それと対照的にどこか満足気な蓮華の笑顔が随分輝いて見えたが、そんなものを気にする余裕などある筈がない。

 

思春が氷鷹の前に自分と刃傷沙汰に及ばぬうちに出立(逃亡)すべく、全力で馬に飛び乗った。

 

「開門!!!!!」

 

ヤケクソ気味に叫び散らした朱然様の顔は、その場の誰よりも赤かった………と城門警備の兵が語ったとか語らなかったとか。

 

 

 




甘寧との因縁を合肥まで引きずったらしい凌統さんの登場です。そりゃまぁ親の仇がいきなり同じ陣営に来たら複雑ですよね。でも宴の最中に剣舞でぶっ殺そうとかそれなんて項羽と劉邦???周りも頭が痛かったんじゃないでしょうか。

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