「相変わらずおっきい家ね……」
霊羽が見上げているここは稗田邸前、正門と塀を見るだけで幻想郷にあるどの家と比べても規格外と言えるほどの大きさを誇っており、広い敷地の向こう側に見える家は遠近感を狂いそうになるくらい大きい。
住んでいる者は薄命で転生を繰り返している人物である。彼女の転生は閻魔によって認められた物であり、つまりは生と死、現世と常世を司る法のもとに定められたとてつもない物なのである。
その権威はそこんじょそこらの神など遥かに超越した物であり、この様に巨大な屋敷を構えれるのは当然である(そもそも権威以前に、稗田の転生者としての役割に広い敷地が必要になって来るのもある)のだ。
「ここの使用人達堅っ苦しくて苦手なのよね……」
そう言いながら霊羽が戸を叩いて自分が来たことを伝えると、中から出てきた使用人は霊羽の思った以上に堅く堅く堅いのである。ただ家に入れるだけで何故このような重い雰囲気を出せるのか、そして出す意味がわからない。自分のとこ見たくお賽銭をくれたら上客、それ以外はなんかいる奴くらいに思ってくれりゃいいのに。そう思いながら廊下を歩いていると、他よりも豪華な襖の前へと案内された。
「こちらへ」
「は、はい」
使用人の声かけの後、開かれた扉の先のこじんまりとした部屋に入ると書物に何かを書き記している美麗な乙女がいた。艶のある美しい髪に雪原のような肌、煌びやかな着物に身を包んだ少女の名は稗田阿典である。
彼女はこちらに気がつくと、薄く笑った。
「ごきげんよう、霊羽。こちらへ」
声や喋り方もまさに貴婦人といったような物で、ただ喋っているだけなのに色気を感じてしまう。
言われた通りに阿典が執筆作業をしている机の対面側に座る。そして阿典は使用人に「下がりなさい」と一言告ると、深々と頭を下げた使用人は襖を閉め、足音が遠ざかっていった。
使用人が去り、しばらく沈黙が続く。完全に去ったのを確認すると、阿典の気品あふれる表情は一気に崩れて美麗な乙女は可憐な少女へと変わっていた。
「はぁ、うちの人達って本当に堅苦しいわよね」
「ほんとよほんと!一々あんなんしないと接客できないのかしら?めんどくさいわよー!」
「まぁ、彼らなりに私と私の血筋を大事に思ってるのよ」
そういうと彼女は何やら裾の中をガサガサと漁る。そこから取り出したのはキセル、つまりは煙草である。
「……阿典ちゃんって何歳だっけ?」
「年齢?16よ。
……あぁ、コレ?」
そういうと阿典はキセルをペン回しのようにクルクルと回転させる。灰は一切溢れておらず、数百年間転生し歴史を記してきた指捌きだ。
「どんだけ健康に生きても30で死ぬのよ?気になんてしてもしょうがない」
「そ、そう言うもんなのね」
「そう言うもんなのよ」
阿典がキセルを咥えると火皿の中が紅くなる。ふぅっと息を吹き出すと、それを沿うように煙が呼吸の形を象る。自分に煙が当たらない様に横を向いてくれているが、整った顔立ちと鮮やかな着物、彼女を包み込む煙がまるで花魁のようだ。
(なんか……妙に色っぽい……)
「……ん、どうかした?」
「え?いや、何でもないけど」
「そう?まぁいいけど。
……で、貴女を読んだ
「うん、私もたまに本を借りたりしてるわ」
「それなら話が早いわね。あそこの看板娘の
「相談?」
「あそこはたまに何かしらの魔力を纏った本が入荷されたり生まれたりするんだけど、ある程度なら普通においてるのは知ってるわね?
けど、あまりにも強い怨念や呪いが纏わりついてて危険な物は店の奥に封印してるらしいんだけど……最近、それが盗まれちゃったみたいなのよね」
「それはまた」
「危険なものって言ってるだけあって中には複数人の人を簡単に殺す様な物がたくさん……今の幻想郷の情勢の中、こんな物を盗んだ愚者がやる事なんて考えるだけでも気が滅入るわ」
「もし、それが賢者たちの“耳に入ったら”………」
「察しが良くて助かるわ。彼女達は当然この状況を把握しているし、みんなそれを知っている。しかし、賢者の面々に表向きに、正式にそれを把握したという状況になった時は彼女達も動かなければならなくなる。彼女らが目立つ事をしたくない今」
「……だから弥鈴さんの友人である阿典ちゃんの依頼として私を呼んだのね」
「その通りよ」
神や妖怪は面子で生きていると言っても良い。神は畏れを、妖怪は恐れを糧に存在しているのだ。
「……そういや賢者たちが目立ちたくない理由って……その、博麗霊夢と関係があるの?」
阿典は一瞬驚いた様な表情を浮かべた。しかし、すぐに笑みに変わる。くつくつと笑いながら手で口元を隠す姿も……
「そうね、なんと言おうかしら」
「やっぱり知ってるのね」
「えぇ、もちろん。私は本来この時期は閻魔の下で働いてるのよ?その閻魔も辞め、私の働く期間もかなり削られて転生、そして記録を残す立場に改めて就く。
結構渦中の人物かもしれないわね私」
「あの、それならその事について詳しく教え「ダメ」てって言おうとしたのにさぁ!」
「私にはその詳細知る義務はあっても話す義務はないわ
……まぁでも、
この依頼を解決してくれたなら少しだけ話を聞いてあげてもいいわよ」
「ほんと!?」
「約束するわ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
霊羽が去り、1人になった部屋には自分の吐いた煙が立ち込めていた。
自分の数少ない娯楽、膨大な見聞した物を書き記すという役割の合間に一人で楽しめる趣味なんて数えるほどにしか無い。
「ふふっ……バレたらまた怒られちゃうなぁ……」
数十年前の情景が甦る。紅白の装束に身を包んだ少女や白黒金髪の魔法使い。
脳ではなく魂に刻まれた記憶にノスタルジックと近い感情を抱き、賢者たちの計画を思い出す。自分自身に課せられた
ふと、とある違和感に気付いた。自分の執筆部屋は集中力を上げるために少し小さめに作っていて、キセルを使えば少々煙が立ち込めてしまう。
しかし、さっきまで漂っていた煙が薄くなっているのだ。天井にある煙を逃すための孔はまだ開けておらず、別の場所に煙が逃げているのは確かである。
「やぁ、稗田阿典」
後ろから語りかけてくる声は幾度か聞いたことがある……というよりも“知っている”転生する前、それも阿礼の時代でも聞いたことがあった。
「お久しぶり……で良いのですかね?」
「好きにするといいさ。
そんな事より今回の件はよくやってくれたよ、さすが御阿礼の子だ……実に冷静、実に聡賢、そして実に哀れだな。まるで運命の道化」
するりと白い腕が阿典の首元に滑り込んできてその先の白い手が口を軽く塞ぐように頬を掴む。
「やるべき事をやるだけで良いのだよ。家畜は自らの運命を知らない、知る由もないから種の保存という繁栄ができたのでは無いか?」
「知る由がない家畜には選択することができません。種の保存以外を選べない者たちに客観でしかない幸せを押し付けるのはエゴという物ではないですか?」
「ははは、何をいう。
本来、私にとって家畜の幸せなど本来どうでも良い事。我々の繁栄、幻想郷の繁栄に必要な家畜にせめてもの優しさとして繁栄をくれてやっているのだ。
処刑される罪人に最後の晩餐と称して恵んでやるのと一緒だ、絶対的に上位である我々からのな。それを含めて選択肢がないのだよ」
「家畜からの供給を得ないと存在できない妖怪や神が上位と?」
「父や母がかならず上というわけでもないだろう。ウラヌスはクロノスに斬られ、クロノスはゼウスに討たれた
……とにかく、余計な事をする必要はないのだよ」
するりと手が離れてゆき、チラリと背後を見てもそこには何も無かった。
はぁ、と浅いため息をついた阿典は博麗の巫女の事を思い出していた。
「霊羽……」
微かな声で呟いたその名は、幼き頃からの友人の名前である。
友人に待ち受ける運命に、阿典は涙を流すことしかできなかった。