「え? 旦那様が僕にすぐ来いって?」
御手洗幸人は猛烈に嫌な予感を覚えながらおうむ返しに答えた。
いつものように警備の仕事をしていると、屋敷の使用人が慌ててやって来たと思えば、そんなことを伝えてきたのだ。
なにせこの屋敷の旦那は中々に評判が悪い。
金には汚い、女癖は悪い、使用人には滅茶苦茶な命令をだして右往左往する様を見て楽しむ悪趣味持ち。
それでいて町一番の地主で金持ちの上、権力もあるから誰も逆らえず始末に負えない。
そんな旦那に名指しで呼び出されたとあっては嫌な予感しかしないのは無理もないと誰もが思うわけだ。
「やべぇな……まさかこの前、不審者を追いかけて行った振りしてサボってたのを誰かにチクられたか……?」
まあ当の本人にも呼び出されるに難くない正当な理由もあるにはあるのだが。
幸人は旦那の居る部屋に向かいながら心当たりを思い出し、それに対する言い訳を考えていた。
表面上は真面目に警備の仕事に取り組んでいるように見せかけ、手の抜けるところはキッチリ手を抜く。
そんな業務態度に難ありだが、旦那にはバレないよう立ち回っていた自信のある幸人は正直気が気でなかった。
「失礼します! 御手洗幸人、只今参りました!」
そう言って旦那の居る部屋へと入室する。
この時、急いで来たように見せかけるため呼吸をやや荒くする演技は忘れない。
「遅いっ! わしが読んだら十秒以内にすぐ来んかっ!」
「申し訳ございません!」
幸人はすぐさま平謝りを決め込む。
周りの使用人からは、「また旦那様が無茶苦茶言ってるよ」見たいな感じで同情の目を向けられるが、実際言い訳考えながらのろのろ来たから遅いと言えば遅いので幸人としては別に文句はないのだ。
「まあいい! それより貴様、直ぐに外れの小山へ迎え」
「はい……? と仰られますと……?」
聞くと、旦那が大事に飼っていた犬が屋敷から脱走したらしく、手当たり次第に探させているとのこと。
外れの小山とは町の外れから行ける小さい山で、そっちまで幸人に探しに行けと言う話だった。
「だ、旦那様! お言葉ですが流石にそこまで行くとは思えませぬ! それにあの山には人喰い鬼が出没するという噂もあります故、この時間に行くのは危険かと……」
見かねた様子の使用人の一人が幸人の身を案じたか、旦那に意見した。
しかしもちろんそれに頷くような旦那ではない。
「馬鹿がっ! そんなこと分からんだろうがっ! 大体鬼が出る噂があるのなら尚更探しに行くべきだろう! わしの太郎丸に何かあったらどう責任を取る!」
「そ、それは……」
使用人の言葉に旦那は随分とご立腹だ。
よほど犬の太郎丸が可愛いらしい。
まあ気持ちは分からんでもないと思う幸人である。
「それにだからこそ、野盗十人を一人で追い払った逸話のある幸人を向かわせるのだ! それともなんだ? 貴様が代わりに行くか!?」
「うぅ……」
確かに幸人には旦那の言う通りの実績があった。
それをネタに警備の仕事を貰ったぐらいだ。
「まままままま、旦那様。この御手洗幸人、命に懸けでも太郎丸を捜索してくる気概でございます故、ここは平に……」
「ぬぅ……ならば早く行けっ!」
そう叱責され、幸人は最後に礼をして部屋を後にした。
出るとき旦那に意見していた使用人が心配そうに見つめてきたので幸人はサムズアップで無言に大丈夫と返事しておいた。
屋敷を出た幸人は、外れの小山に向かっていた。
時刻は夕方ごろで、辺りは段々と薄暗くなってきている。
「いやー、今日は楽勝だナ」
実のところ、幸人はこの旦那の命令は吝かではないというのが本音である。
使用人も言ってたが、いくらなんでも飼い犬が遠くの街の外れまで行くわけなく、どうせ近所からその内見つかるだろうと言う読みが幸人にはあった。
ならば、適当に探すふりをして見つからなかったと明日の朝にでも旦那に報告すればいい。
要するに堂々と警備の仕事をサボれる大義名分を手に入れたに等しいという訳だ。
警備の仕事は夜間が一番大事。
しかしその夜間は犬を捜索してることにして帰宅する算段だ。
まあしかし、万が一それが誰かにバレて旦那の耳に入ると一大事だ。
まず間違いなく免職は免れない。
だから念のため形だけでも外れの小山に向かっておく必要がある。
それでわざわざ道中すれ違った人や店の人にわざと大袈裟に挨拶しておいた。
目撃者作りの為に……!
そうこう小細工を労しながら歩いている内に、幸人は外れの小山への道の入り口に到着した。
「ふう、ここまで来ればもういいだろ。あとは人目につかないようにお家に帰るだけ……」
そう幸人が到着したのも束の間、踵を返そうとしたその時。
「……わん!」
「…………ん?」
幸人の目の前に一匹の子犬が現れた。
見ると首輪を着けていて、見た目はさっき適当に聞き流した太郎丸の特徴にそっくりで……。
………………。
「わん!」
「いるじゃねえか太郎丸ぅぅぅぅぅぅぅ!!」
なんという願ってもない幸運の到来。
棚からぼた餅とはまさにこのこと。
瞬間、幸人は捕まえようと太郎丸に頭から突っ込むが……駄目……!
犬の俊敏さ相手では分が悪く、するりと逃げられる。
「くっ、しまったぁ……!」
「キャンキャンキャンキャンキャンキャン!」
そう吠えながら太郎丸は山の方へ全速力で走って行った。
見事捕まえれば旦那への恩になる。
金一封がでる可能性も考えれば追うべきなのだが、幸人は即決は出来ず。
というのは、流石にもう日が沈み真っ暗になる頃合いだし、探すふりの予定だったため今は手ぶらなのだ。
灯りの一つもなく山中を探すのは厳しいか……?
しかし明日の朝まで太郎丸がこの山にいる保証もない。
もしかしたら屋敷に自力で帰るか、他の人が見つけてしまうかもしれない。
「……ちっ、仕方ない」
幸人はこの好機、棒に振るのは惜しいと判断する。
まあ、まだギリギリ夕日の光が差していることだし、完全に夜になる前に捕まえればいい話だ。
ちなみにここまでの思考に使った時間、わずか二秒……!
という訳で、幸人は予定変更。
山の中へと足を踏み込むのだった。
この後起こる日常を瓦解させる出来事、その発端が待ち受けていることも知らずに。