凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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この回はどの作品でも好き。


第百九話 remember

~遥side~

 

 美海を送り届けて、二人に説明を終えて、俺が家路についたのは夜の7時過ぎだった。今日一日での出来事を考えると、俺まで疲れてしまう。

 

 家に帰り、食事にありつく。しかし、その食卓に千夏はいなかった。

 

「千夏は・・・やっぱりまだ寝てるんですか?」

 

 箸を止めて、夏帆さんに問いかける。

 夏帆さんは普段のおっとりとした口調で答えた。

 

「ううん。起きたよ。けど、まだ体がだるいからって部屋で休んでる。お粥を作って持っていったから部屋で食べてるんじゃないかな」

 

「起きたならよかったです。そうは言っても、心配だったので」

 

「それより、遥くん。海を見てきて、どう思った?」

 

 間から保さんが会話に加わる。俺は思っていることをただ実直にぶつけた。

 

「まだ街は眠ったままですね。子供たちが目覚めただけであって、冬眠自体が終わったわけじゃないです。それに、冬眠が終わったとて、海が元通りになる保証もないですし」

 

「現実は厳しいか」

 

「そうですね」

 

 冷たい海が続くなら、最初から冬眠だって意味ないだろうに。そう思ってしまうのは、野暮だろうか。

 それよりも今は、この温かい食卓を大切にしたい。抗うことも大事だが、受け入れて切り替えることだって人間にしかできないものだ。

 

---

 

 それから俺は部屋にこもって、今日見て感じた全てをまとめることにした。

 久方ぶりに入った海、手に入れた情報はあまりにも多いものだった。それを無下にするようでは学生失格だろう。

 

「つっても、学術的なことは何一つ分からないしな・・・。俺は俺の、主観のことをまとめたほうがいいか」

 

 どうせ学術的なところは紡たちが何とかしてくれるだろう。

 

 ・・・主観的なこと、か。

 

 汐鹿生で呼吸をしたのも、もう五年ぶりだ。海の浅いところと、少し深いところにある汐鹿生ではまた呼吸の感触も変わってくる。

 ・・・随分と懐かしい感覚だった。どれだけ変り果てて、凍てついた海だとしても、俺はあの場所を嫌いにはなれない。

 

 でも。

 もし、海が近々目覚めたとして、そこに俺の居場所はあるんだろうか。

 生まれ、育った町だ。嫌いになることなんてできはしない。けれど同じくらいに、俺はこの場所を、陸を好きになってしまっている。

 

 あれだけひどい別れ方をして海から出てきた訳だし、そうやすやすと受け入れてくれるとも思えない。海の大人連中はしょせん、頑固者だらけなのだから。

 

 ・・・今なら、陸と歩む人生を決めた人たちの気持ちが分かる気がする。みをりさんも、夏帆さんも、そしてあかりさんも、きっと同じような気持ちなのだろう。・・・そして、俺の両親も。

 

 ならば、俺もそろそろ覚悟を決めないといけないのかもな。

 

「・・・いけね、全然手が進んでねえや」

 

 両手で頬を叩いて、やる気を回復させる。

 それからさあ取り組もうと思ったその時、俺の部屋をノックする音が響いた。それから声がやって来る。

 

「入っていい?」

 

 ドアの向こうにいたのは千夏だった。どうやら体調もずいぶんと回復したらしい。

 ただ・・・どこか、懐かしい雰囲気を感じた。ここ最近の千夏からは感じなかった何かを。

 

「いいよ」

 

 俺がそう言うと、千夏は遠慮することなく部屋に入ってきた。これまでとは明らかに違う態度に戸惑ってると、千夏はことの核心に触れる言葉を口にした。

 

「・・・ねえ、話があるの。『島波君』」

 

「ああ。・・・え?」

 

 今、確かに、千夏は俺のことを島波君と呼んだ。それは少なくとも、五年前のあの頃と同じで。だからこそ、俺は返す言葉に戸惑った。

 

「・・・千夏、お前、記憶が・・・?」

 

「うん。ほんの少し、ううん。まだまだ全然取り戻せてないけれど、私があなたのことを島波君と呼んでたこと、昔から知っていたこと、それだけは思い出した」

 

 胸がおかしくなりそうだった。

 諦めかけていた。千夏が記憶を取り戻すこと。無理に記憶を取り戻そうとしないことが、千夏のためになるならばと遠慮していた。

 でも今、この現実を目の当たりにして言葉を失わざるを得ない。諦めかけた感情が、今になって昂ってくるのだから。

 

 ああ・・・なんて言えばいい?

 けど、おかえりを言うのはもっと後の話だ。目の前の千夏は、まだあの頃の千夏じゃない。

 けど、記憶を失っていることを認識してくれた。それだけで事態は大きく前進しているのだから。

 

「記憶が戻ったのは・・・そこまでなのか?」

 

「うん。昔島波君との間に何があったのか何も覚えてないけど、私にとってはこの前、島波君にとっては五年前に私たちが出会ってること、それだけは思い出した。・・・だから」

 

 そう言うと、千夏はポケットから俺が渡したペンダントを取り出した。

 

「このペンダント。くれたのは多分、島波君何だと思う」

 

「・・・ああ、そうだよ。俺が五年前、お前に手渡したんだ」

 

「そっか。だから私は、本当の私がいることを思い出せたんだね」

 

 千夏は大事そうにそのペンダントを胸に当てた。その行為が、俺の感情を狂わせる。

 どうすればいい・・・? それなりに保ってきた距離は、もう崩壊寸前だ。それに付き合わせるのもずいぶんと酷な話だろう。

 だから・・・どうすればいいかなんてのは俺が決める話じゃない。

 

「千夏は、どうしたい?」

 

「どうって・・・記憶のこと?」

 

「今の時代、自分一人の力じゃなくても記憶を取り戻すことは出来るはずなんだ。それこそ、そういう治療とかもある。けど・・・それが千夏を苦しめる可能性もある」

 

「・・・確かに、そうだね」

 

 けれど、千夏は迷っている風には見えなかった。

 それが証拠に、次の返事はすぐに帰ってきた。

 

「でも私は、私の記憶を取り戻したいよ。今だって胸がつっかえてる。ペンダントを拾った時からずっと。多分これって、私の中で眠ってる記憶なんだ。だからこれを・・・呼び覚ましたい」

 

 千夏は、yesを口にした。

 けど・・・全ての記憶を取り戻したら、あの雨の日のことも思い出すことになる。それでも千夏はいいのだろうか。

 ・・・いや、本人が望んだんだ。俺が口出しするのはやめよう。

 

「本当にそう望むなら、俺も受け入れるよ。ただ、ちゃんとこの話は夏帆さんと保さんにも通そう。二人がどう思うか、俺も知りたいし」

 

「うん、そうだね」

 

 今はまだ、これ以上のことは言わないでおこう。

 何よりそれを口にするだけの覚悟が出来ていないから。

 

 でも、わずかに見えた希望。歯車は動き出している。

 ・・・ハッピーエンドを望んでしまうのは、贅沢なのだろうか。

 

---

 

~千夏side~

 

 目覚めた時、心に何かずしりと重たいものを感じた。

 冬眠から目覚めてこれまでなかった感覚。なら、手に入れたのは今日だ。

 

 ポケットの中に手を入れてみる。冷たい金属が指先に触れて、私は今日拾ったペンダントのことを思い出した。

 

「そっか・・・。そういうことだったんだ」

 

 私は記憶を失くしていて、きっとこのペンダントが全ての鍵になってる。

 このペンダントを誰から貰ったのか予想はつく。けど、何があってこのペンダントをもらうことになったのかを思い出せない。つまり、そういうことだ。

 

「私が思い出したのは、島波君の存在だけ、ってことか・・・」

 

 島波君との思い出は何一つない。消え去ってる。でも、ずっと昔から彼を知っていたことだけを覚えている。

 

 ・・・それならそれで、ひどい事しちゃったな・・・。知らない人みたいに扱っちゃったこと。

 記憶がなかったとはいえ、言い訳は出来ない。もっと何か出来たはずだけど。

 

「・・・いや、気にしても仕方ないか」

 

 それよりも今はもっとやるべきことがある。

 

 私はちゃんと、今の私を島波君に伝えよう。

 それから、本当の私を取り戻そう。それが多分お父さん、お母さんの、私の、そして島波君のためになるはずだから。

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

今回は明確に「記憶のトリガー」を作りました。はい、やりやすいです。抽象的なことを書くよりははるかに。
それこそ前作、ペンダントの存在価値あんまりなかったのでもったいないなと思った節がありますからね・・・。
さて、ここからですね。楽しいのは(書いてて)

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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