凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百十一話 ほんの少しの勇気で

~遥side~

 

 ちさきと別れて俺はそのまま大吾先生の診察室へと直行した。思えば、こんなに余裕の心構えでこの人の場所を訪れるのも、幾分久しぶりな気がする。

 

「よう、来たか」

 

「すみません、時間いただいちゃって」

 

「いいってことよ。んじゃまあ適当に座れや。色々話したいことがあるんだろ」

 

「・・・そうですね。どこから言えばいいか」

 

 街から帰って以降のことをこの人には話していない。まずはそこからでもいいだろう。

 

「最近、冬眠から目覚めた汐鹿生の人が増えてきているのは知ってますか?」

 

「まあ、風のうわさ程度には聞いてるな」

 

「その中の一人に水瀬がいたんです」

 

「水瀬・・・ああ、お前が度々口にしていた奴か。なんだ、結局海で眠ってたんだな」

 

 この人にはそれなりの相談をしてきている。俺が何に悩んでいたかはちゃんと知っていた。

 

「けど・・・問題はそれからで。・・・水瀬、記憶から俺のことがすっぽり消えていたんです」

 

「・・・記憶喪失か。原因は分かっているのか?」

 

「分かりません。精神的ショックから生じたものなのか、外的要因なのか」

 

「けどまあ、辛い事には変わりないよな。お前が五年間待ち続けた人間が、お前のことを忘れているなんてよ」

 

 大吾先生は同情でもなんでもなく、ただそう呟いた。

 ひねくれた性格の人間とは言いつつも、そういった優しさを兼ね揃えているのがこの人だ。

 

「ただ、この間汐鹿生に行ったときに、少しだけ記憶が戻ったんです」

 

「少しだけ、か。具体的には?」

 

「俺の存在と、五年前から面識があったこと。それくらいですね」

 

「全体の数割程度か・・・。でもそれじゃ、全て回復する見込みがあるわけじゃねえよな」

 

 現実の非情さを大吾先生は理解していた。俺も力なくそれに首を振る。

 けれど、大事なのはここから。

 

「けど、水瀬は・・・自分の中に、思い出せないままの記憶があることを認知してるんです」

 

「それはあれか? パソコンの解凍前のフォルダみたいなものか」

 

「すごい的確な例えですね・・・。それで、フォルダのパスワードが分かっていない感じです」

 

「・・・記憶治療か?」

 

 大吾先生は裏の裏まで読み取った言葉をぶつける。この人の頭の切れることときたら・・・。

 

「記憶治療が出来るならそのパスワードが分かっていないフォルダを外部からこじ開けることが出来ると思うんです」

 

「まあ、確かにそういうことができるのはある。けど、生憎俺は専門外でな。施術には関われないぞ」

 

「いえ、話が聞けるだけで良かったんで。ちなみに、この病院に記憶治療専攻してる人っているんですか?」

 

「西野だよ。あいつは脳科学専攻あがりだからな。記憶治療の術は知ってるだろうよ」

 

 そういえば、あの人とそんな話をしたことなかったなと思い返してみる。興味がなかったわけでもないけど、単に俺が周りを見る余裕がなかっただけなのだろう。

 

「全国的に見てもレアな分類なんだぜ? 記憶治療のいろは知ってるやつがいる病院ってのは」

 

「それがこんな小さい街の病院にいるってのが一番の驚きですけどね」

 

「違えねえ。けど、あいつもこの街出身みたいなもんだからな。思うところがあるんだろ」

 

 みんな、思い思いの理由があってこの場所にとどまっている。それだけの愛がこの街にはあるのだろう。

 ・・・愛、か。

 

 俺はずっと、その感情に苦しめられてきたんだよな。

 けど、今ならその酸いも甘いも、痛み、苦しみも受け入れることが出来る気がする。

 

「そういえば、あの事件以降西野先生何か言ってましたか?」

 

「ああ、そういや犯人の旧縁だったんだよな。といっても事件に加担していたわけでもないし、本人に止めようとしていた意思があったわけだから、病院内で中傷を浴びることにはなってない。まあ、口数は減ったけど仕事は淡々とこなしてくれてるよ」

 

「やっぱり、思うところがあるんですかね」

 

「だろうなぁ・・・。けど、知ったところで俺たちにどうこうできる問題じゃねーよ」

 

 大吾先生は特に顔色一つ変えることなく、淡々と正しいことを述べ続ける。感情論だけじゃうまくいかないことがこの世には腐るほどとあるという事をまるで教えているようで。

 

「というわけで、この話終わり! んで、他に何か聞いておきたいことは?」

 

「あれから鈴夏さんとはどうですか?」

 

「ああ。・・・ってオイ、勢いで何喋らせようとしてるんだ」

 

「勢いも何も、この話もしたかったんですよ。先生の恋愛事情」

 

「自分が恋愛トラウマ抱えてるくせによく言うよお前」

 

「それは禁句です」

 

 先ほどまでの緊迫した空気はほどけて、またいつものののしり合いが始まる。

 

「どうもこうもねえよ。ただ、事件が終わってすぐ、ちゃんとあいつは連絡くれたよ。それから何度か遊びに行ったり、飲みに行ったり。ま、おかげさまで充実してるよ、誰かさんのおかげでな」

 

「それなら何よりです」

 

「しっかしまああいつ、何も変わってないのな。歳喰っても馬鹿は馬鹿のままか」

 

「よく言いますね・・・」

 

「はっ、言われたよ。どの口が言うんだって。・・・でも人間、年取っても変わらないものは絶対にあるんだろうなって、そう思う」

 

 大吾先生はいつになく優しく、そして憂いを帯びた目をしていた。この人の中で止まっていた時間が動き出したことが、それに起因しているのだろうか。

 

「それよりお前は大丈夫なのか?」

 

「何がっすか?」

 

「あるだろ、色恋沙汰がさ。特にお前の場合五年前からだろ」

 

「・・・まあ、ある、とは思います。といっても、あまり俺自身が向き合えてないですが」

 

 失う悲しみには、少し慣れた気がする。

 けれど、もし好きな人がいたとして、その人がまたすぐにいなくなるとしたら。

 

 その怖さには、未だに消えない。例え、受け入れることが出来たとしても。

 

 だから、答えを出すのは・・・もうちょっとだけ先になる。

 

「答えを出すのは・・・もうちょっとかかりますよ。何より、五年前に俺に好きと言ってくれた人の記憶がまだ帰ってないので」

 

「・・・少しは前向けるようになったじゃねえか」

 

「そうですね。五年前の俺なら、多分そのまま逃げていたので」

 

 答えを出そうと思えるようになっただけ、俺は少し成長したのかもしれない。

 演じない、本心からの俺の声で、その答えを見定めたい。

 

「失うことは怖いだろうよ。けど、幸せになろうとすることに罪はない。お前は呪われてるわけでもないし、忌子でもないからな。一人の人間として、幸せを掴めるはずだ」

 

 今なら、この人の言う事を信じられる気がした。

 俺は、どこまでも卑屈になっていたのかもしれない。だから、誰かの言う事を信じられなくて、自分を信じられなくて、自分が嫌いになって。

 

 俺は、幸せになっていい。そう認められることが、今はどこか嬉しかった。

 

「ともかく、最初の話に戻るが記憶治療の件はちゃんと一回家に持ち帰れ。さっきはああいったけど、それなりにリスクはある。よく考えてからまた来い」

 

「分かりました」

 

「あと、西野にはちゃんとお前の口から言え。俺、あんまりそういうのは得意じゃないからな」

 

「でしょうね」

 

「しばくぞ」

 

「とりあえず、了解しました。今日はありがとうございました」

 

「ああ、また来い」

 

 この人といる時間は、どこまでも自分の弱さを曝け出せる気がした。

 ・・・これを、もっと周りに打ち明けられるようになったら、いつか演じることもやめられるのだろうか。それはまだ分からない。

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

この作品では恒例の大吾先生トークですね。今作はかなり力を入れてるつもりですよ。
やっぱり、三年前の前作を見ながらそれなりに書いてるわけですけど、結構文章力も変化したんだろうなと筆者は思ったりしております。
日々精進あるのみ。私の好きな言葉です。

と言ったところで、今作はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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