凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
大吾先生と別れて、俺は西野先生を探すことにした。
保さんと夏帆さんの前に話題を提示する前に、専門家の意見をちゃんと聞いておきたかった。
とはいえ、診察中などに押し掛けるのもまずい。今は病院にそれなりに人が来ている。
時間を潰すために、と俺は屋上に向かった。
けれど、西野先生はそこにいた。
「あれ、西野先生。こんなところに」
「やあ。また藤枝のところ?」
「と、今日は西野先生に話があって来ました」
「・・・俺に、か」
西野先生は手すりにもたれかかっていた姿勢をやめ、近くのベンチに座った。聞くぞという姿勢を見せて、俺に視線を送る。
「聞くよ。俺に何の用?」
「単刀直入に言うと、記憶治療のことです。大吾先生から、あなたがその手のスペシャリストだと聞いて」
「記憶治療・・・というか、まあ脳科学だな。で、それがどうした?」
「その施術方法やリスク、そういった類のことを聞きたいんです。・・・俺の大切な人が、記憶喪失になってて」
「なるほど、それで俺のもとを訪ねてきたわけだ」
西野先生は顎に手を当てて、少し考え込むように黙り込んだ。それからぽつりぽつりと言葉を紡ぎ始める。
「施術方法・・・は、人によっては異なるけど、大概が脳に刺激を与えることになるな。君の言う人の状態は、どんな感じなんだ?」
「記憶を失った自覚はあるけれど、なんの記憶を失ったか分からないという状態です」
「なら、さっき言った通りだな。本人が記憶が自分の中に内在していることを自覚しているんだったら話も早い。施術のリスクも下がる」
「そうなんですね」
「ただ、そうは言っても、俺自身があまりあの施術をしたくない。一つでも間違ってしまえば、脳を傷つけてしまうからな。失敗した時のリスクは、死よりも辛い生を与えることになる」
「・・・そう、ですか」
一筋縄ではいかないことは分かっていた。これを聞いて、みんなはどう判断するのだろう。少なくとも俺一人で決めれることではない。
そんな俺をよそに、西野先生は同じ調子で続けた。
「という訳だ。・・・失敗したことがあるわけじゃないけど、世間一般的に成功率は平均70%と言われている。というのが、今伝えられる情報だな」
「ありがとうございます。それだけでだいぶ変わってくるので」
「そうか。・・・」
西野先生は説明が終わると、先ほどのような暗い顔で少しだけ俯いた。そこにどのような感情が眠っているというのだろうか。
俺は思わず、無神経に尋ねてしまう。
「どうしたんですか?」
「・・・君はあの事件の全貌を知ってるから、話しておこうか。俺、そろそろこの病院やめようと思うんだ」
「え?」
「そんなすぐな話じゃない。君の大切な人が記憶治療を受けようとするなら、少なくともそれには付き合うさ」
「でも、どうして?」
大吾先生は、この人への中傷などはないと言った。この環境が一斉に西野先生に襲い掛かってきているわけではないというはずだろうに。
「・・・君を病院に送った日、話したろ。あいつが俺の旧縁だって。そして、君は俺に言った。あいつの受け皿になれって」
「それは・・・」
確かに言った。受け皿になれとダイレクトにそう言ったわけではないが、似たようなニュアンスのことを。
「ああ、別にそれについて責めるつもりはないんだ。むしろ逆。あの話から、俺に何が出来るかをずっと考えてたんだ。・・・そして、決めたんだ」
「ここをやめることをですか。・・・それから、何をするんですか?」
「街で新しい事業を始めようと思うんだ。その上で、あいつにサポートを手伝ってもらう。まあ、犯罪者を雇っているとなったら、評価は下がってしまうだろうけどね」
たはは、と西野先生は笑う。笑い事じゃないだろうに。
「この街のことは好きさ。愛着もある。流浪するようにこの街に来て、ようやく居場所を作ることが出来たんだから」
「じゃあ西野先生は、もともとは鷲大師の人じゃなかったんですね」
「そう。まあ、話すと長くなるからあれだけど、俺、高校生の時に家出したんだ。実家にいるのが嫌でな」
その背景に何があるのだろう。虐待だろうか、育児放棄だろうか、それとも親の不仲だろうか。
いずれにせよ、違いはあるものの、俺と似た境遇を辿ってきた人だ。それなりの過去があるのだろう。
「できるだけ遠くに離れたかった。そしたらこの街のことを知った。昔、親父が寄った勢いで親戚がこの街にいる話をしてたからね。必死こいて会いにいったよ」
「それから、この街の人間になったと」
「そういうこと。それからはこの街に育てられたよ。本当に、この街に来てよかったって思ってる」
「それでも、去るんですね」
再三の問いかけに対しても、西野先生は首を縦に振った。
「迷いはないよ。怖いとは思うけど。でも、刑務所に入ることになるあいつが社会に帰ってきたところで行く当てはないはずだから。今のうちに事業始めて、基盤作って置こうと思うんだ」
「強いですね」
「強い、か・・・。本当に強いなら、もっと早くからあいつのこと止められてたと思うけど?」
怒られるわけでもない、しかし妙に威圧的な西野先生の言葉に、俺は少し萎縮してしまった。
確かに、軽率な発言だ。・・・同じようなことを、五年前にやったことを思い出す。あの時は確か千夏に怒られたっけか。
「まあ、なんにせよだ。近いうちに俺はこの病院をやめて、街に行くことにする」
「そうなんですね」
「けどまあ、何度かは戻ってくるようにするよ。別に、街に行ったからって全て終わるわけじゃないからさ」
その言葉を受けて、はっとする。
そうだ。別に終わりじゃない。俺は何を勘違いしていたのだろう。
もといた場所を離れることが今生の別れじゃない。それはやがて訪れる未来の俺に向けても言えること。
海に戻ること、水瀬家という居場所を選ぶこと、新しい道を選ぶこと。
そのどれかをとっても、残りを失うわけじゃない。
・・・失ってばかりいた人生で、いつのまにか別れは失う事とでも思っていたのだろうか。
だとしたら、やっぱり卑屈になり過ぎていたのかもしれない。
「それじゃ、俺はそろそろ行くよ。記憶治療の件、本気で考えてるならこっちも準備を進めないといけないからね」
「そうですね。俺も戻って、全てを話したうえで提案したいと思います」
「うん、それがいいだろうね。・・・それじゃ、俺は行くよ。そろそろ仕事だ」
そうして先にエレベーターに乗る西野先生を見送った後、俺は少し屋上にとどまった。この場所では鷲大師の中心部ほど風を感じることはない。
しかし微かに吹いてくる小さな風に吹かれて、俺はこの先の未来を案じた。
『今日の座談会コーナー』
正直、当初の予定よりもだいぶ西野先生がレギュラー化したなぁと思ってます。実際の所、扱ってて楽しい人間だと思いますよ。大吾先生とはまた立場が違いますし。
是非エピローグだったりとか、その他サイドストーリーとかでもっと深堀したいですね。もっとレギュラーにしても申し分ない。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)