凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~美海side~
千夏ちゃんが帰ってきたのに、まなかさんの目が覚めたって言うのに、どこか不穏な空気だけがずっとあたしを取り巻いている。
根拠なんてない。確証なんてない。この感覚がただの気のせいだって笑えればいいのに、そうすることも出来ないような気持ち悪さが胸の中に残る。
何かが起こってるかもしれないと思ったのは、まなかさんが目覚めたその日の事。
どこか苦虫を嚙み潰したような遥の顔。少し憂いているような千夏ちゃんの顔。
私には何が起こっているのか見当はつかないけれど、二人がこの顔をする時は大体何かがあることを私は知っている。
だから、どうしても聞きたくなった。
決心した私は、遥がうちに遊びに来た次の日に電話をかける。遥には迷惑かもしれないけど、私だって部外者のままは嫌だから。
コールが4回ほど。受話器の向こうで音がするが、声の主は遥ではなかった。
「もしもし・・・?」
「あっ、千夏ちゃん? 私、美海」
「美海ちゃん。どうしたの?」
「その・・・ちょっと遥に聞きたいことがあって」
そう言った私に対して、千夏ちゃんは困ったようにうーんと唸った。
「どしたの?」
「遥くんさ、今熱出してて寝込んでるの。ほら、昨日遊びに行ったでしょ? その後」
「そう・・・。うちにいた時からしんどそうにしてたっけ?」
「いや、本人は帰り道中からおかしくなったって言ってたよ。まあ、遥くんのことだから無理してるだけかもしれないけど・・・」
遥は誰かを傷つけまいとする時は全力で嘘を吐く。・・・でも、嘘をついても何の意味もない場面なんだけどな。
「それで? 電話してくるってことは、何かあったの?」
「・・・ううん、特別用事はないんだけど。ちょっと遥と話したかったの」
『美海か?』
私が名前を呼ぶと、電話のさらに奥の方から声がした。それを千夏ちゃんが止める声までばっちりと電話越しに聞こえてくる。
『・・・今は少し動けるからな。電話位出れる』
その声が聞こえたかと思うと、電話に触れる音が耳に届いた。声の主もそれに伴って変わる。
「で、どうしたんだ? 美海」
「あ、うん。ちょっと聞きたいことがあって。それより熱のほうは?」
「今は大丈夫。・・・つっても、体の節々が痛いからな。あんましよくはない」
「分かった。じゃあちょっとだけ付き合って」
本来は私の方から電話を切らないといけないのは知ってる。けれど、少しくらい我儘を言わせてほしい。だってそうでもしないと、遥が少しずつ私のもとからはなれていってしまうような気がしたから。
「最近、何か変なことが起こってない?」
「・・・それは、なんでそう思ったんだ?」
「勘だよ。だから何にもないならそれに越したことはないの。・・・でもさ、何かあるんだよね? だって遥、本当に何もない時ならそんな聞き方しないから」
「・・・千夏といい、美海といい、なんかそこら辺の直感長けているよな、ホント」
遥はバツの悪そうにそう呟いて、ため息交じりに答えた。
「・・・まなかに異変が起きてる」
「まなかさんに?」
「ああ。・・・簡単に言うとな、『愛』の感情を失ってる状態なんだ」
唐突に告げられる、残酷な答え。けれど私はどうにか動揺を抑えて、思い当たる節を言葉にして遥かに返してみた。
「それは、おじょしさまの代わりになってるから?」
「理解が早くて助かる。おそらくそうだと俺は思ってるんだ。別に生活するのには支障はないんだ。ただ・・・」
「光、だよね」
光がまなかさんのことをずっと思っているのは同じ屋根の下で生きている私が理解している。『愛』の感情を失ったと聞いて、光が黙ってるはずなんかない。
「ああ。ただ、この事実は光には言ってやらないでくれ。誰かに言われて光が気づくのと、自分自身で気づくのじゃ、あいつの心の持ちようが違う。・・・多分、五年前の俺だったらなりふり構わずその事実を光に告げてたんだろうけどな」
「うん、私もそう思う」
「はっきりと言ってくれるな・・・」
五年前の遥のどこか冷めたような人間性は、今でも身に染みている。当時はその姿にどこか憧れもあったし、畏怖もあったから。
「とりあえず、まなかさんのことは分かった。・・・ごめんね、無理やり話に付き合わせて」
「いや、いいんだよ。・・・なんかさ、俺の方も急に声聞きたくなってたんだ」
「私の?」
「他に誰がいるんだよ」
会ってから昨日の今日だというのに、そう思ってくれるのはどこか嬉しい。まだ自分が、遥の近くにいるように思えた。
少し嬉しそうにしている私をよそに、遥は小さく咳き込んだ。それから申し訳なさそうに声を挙げる。
「・・・悪い、そろそろ切っていいか? 薬、切れたかもしれない」
「うん、分かった。ありがとね、話付き合ってくれて。治ったらまたうちに来てよ。そこで今度、ちゃんと話がしたいから」
「ああ。約束するよ」
そう言って遥は電話を切る。
ツーツーとなっている電話をすぐには置かずに、私は少しの間感傷に浸った。あの頃からだいぶ前向きになった自分に、少しずつ自信が湧いてくる。
でも、焦らない。
多分今はその時じゃないし、遥の負荷にはなりたくないから。
もっと長く生きて、一緒の時間を過ごして、それからまたちゃんと好きになりたい。最近はずっとそんなことを思ってる。
・・・千夏ちゃんが、どう思ってるかは私には分からないけど。
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~千夏side~
電話を切った遥くんは、だいぶ苦しそうにその場に座り込む。呼吸もさっきより荒く、肩で息をしてるのがはっきりと目に映る。
「大丈夫?」
「ああ。ちょっと休めばこんくらい・・・」
「嘘、でしょ?」
その言葉が嘘だということはもう分かっている。私が知ってる五年前の遥くんはもっと上手に嘘を吐く人間だったから。
・・・ダメだったら、ダメだってちゃんと言ってくれればいいのに。
そういう頑固さは、五年前からそんなに変わってないみたいだ。
「・・・肩、貸してくれ。そしたら部屋までは帰れる」
「分かった。・・・んしょと」
今度はちゃんと願いを口にした遥くんの要望を聞き届けて、私は少し引きずりながら遥くんを部屋まで運ぶ。昨日からろくに何も食べれてないのか、少しだけ体が軽いような気がした。
・・・本当に、大丈夫なのかな。
部屋まで戻ると、私はすぐに遥くんを横にさせた。それからまた昨日と同じように色々と道具を持って来る。
「悪いな、色々と」
「ううん。好きな事してるだけだからいいの。お母さんがいつもこうやってくれてたから、勝手も分かるつもりだし」
「そうか。・・・千夏、少し雑談でもしないか?」
「いいよ。付き合う」
「千夏はさ・・・将来どうしたいんだ?」
「将来、かぁ・・・」
そう言えば、ろくに考えた事はなかったかもしれない。この間まで遥くんという存在を忘れてたわけだし、思い出してからは、・・・遥くんのことしか意識してなかったし。
でも、確かにこれも向き合うべき問題だ。人間、勝手に大人にはなってくれない。それに遥くんたちは、寂しさに包まれた中で各々の夢を選んだ。今、恵まれてる私たちはそれ相応の覚悟をもって同じように夢を語らないといけないだろう。
私は私で、遥くんがいてもいなくても変わらない夢を持つ必要がある。
「・・・私はね、海で生きたい。あの場所は、私がずっと憧れてた世界だから。綺麗で、美しくて、澄んでて、澱みなくて。・・・この間の私が見た海はそうは言えなかったけど、本当の海がもっと綺麗な場所だって、私は知ってるから。・・・遥くんと出会っても出会わなくても、これだけは私の確かな思いだったと思うよ」
「そうか。・・・それは、立派な夢だな」
表情を緩めて、遥くんは笑う。
「・・・来るといいな、そんな未来が」
「うん。それに私は、そんな未来を・・・みんなと一緒に作りたい」
遥くんと、と言いかけてすんでのところで口は止まる。
おそらくこれは、私と遥くんだけの夢じゃないから。みんなの願いを、二人だけのものになんてできない。
「ああ。そうだな」
遥くんは無邪気なままで反応して、それから目を瞑る。
「・・・寝ていいか?」
「うん。・・・明日にはよくなってるといいね」
そう言い残して、私は遥くんの部屋を後にする。ドアを閉めた後に訪れる底知れない静寂が、今はどこか気持ち悪かった。
・・・何か、これからよくないことが起こるんじゃないかって、そんなことを思ってしまいそうだった。
それが現実になって欲しくないと願いながら、私はゆっくりと自分の部屋へと戻った。
『今日の座談会コーナー』
夢。思えば前作で美海も千夏も夢を語ってなかったような気がします。ただの色恋物なら別にそれでいいんですけど、主役級全員に重きを当てるべきだと私は思っているので、そこらへんの深堀もしっかりとして生きたいですよね。
さて、今後どうやって話を展開していくか。決まってるようで決まってない、このふわふわした時間が何気に一番好きだったりします。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)