凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百二十六話 優しさの価値

~遥side~

 

 先ほどから、ドアが開いては閉まる音と、俺の知らない誰かが入り乱れる声だけが耳に入って来る。その様子が何一つ見えないというのは、やはり心の底から恐ろしく思う。

 

 何を失っても平気で入れる強さを得ていた、そんな気がした。

 けれどいざ光を失って、何も見ることができなくなって、俺の心はまた折れかけている。何も見えないのでは、前を向く事すらも出来ないだろう。

 

 自分の中で揺るがないと思っていた生まれた意味がだんだんと弱くなっていく。

 ・・・それより、俺の心はなんでこうも壊れてしまったのだろうか。そんなことを思ってみる。

 

 失うことばかりを数えた過去があったからだろうか。

 ・・・確かにそれは間違いないだろう。両親のことも、みをりさんのことも、俺の足と視力のことも、千夏の記憶のことも、全部俺を苦しめる過去に相違ない。

 でも、ちゃんと分かって乗り越えたはずだ。今更あの過去に何をどう振り回されるというのだろうか。

 

 なら、今抱えている問題だろうか。

 まなかのこと、俺を思ってくれる二人のこと。それで心を悩ませることはある。特に二人のどちらかを選ぶということは、必ずどちらを傷つけてしまうことになる。それが嫌で心的ストレスにでもなっているというのだろうか。

 

 そんな、贅沢な悩みで・・・。

 

 

「はっ、分かんねえよ・・・」

 

 

 目は見えないのに、涙だけはいっちょ前に流れてくる。両手で覆っても止めきることはできないほどに。

 こんな状態で二人に顔向けなんて出来ない。俺はその旨を大吾先生に伝えて、それから塞ぎこむように布団の中に隠れた。

 

 今何時だろうか。時計すら見れないのは不便だ。

 

 ・・・

 

 ・・・・・・。

 

 どうやら本当に眠っていたみたいだ。見えない目の奥から光が入り込んでくる当たり、夜を超えてしまったのだろう。見えなくても、それくらいは分かるみたいだ。

 

「起きたか、島波」

 

「大吾先生、いたんですね」

 

「まあな。一応定期健診ってことでここにいる。用が無くなったら今日は引くよ」

 

「・・・ちゃんと、二人には面会拒否を伝えてくれましたか?」

 

「ああ、伝えたよ」

 

 手短に大吾先生はそう返す。その事実にひとまず安堵して、俺は胸をなでおろした。今の二人にあって、俺が平気でいられるはずがない。ひどく醜態を晒して、それはもう惨めな姿を見せることになるだろう。それがどれだけ、恐ろしい事か。

 

 それから大吾先生は検診を始める。手を動かす音。近づいたり離れたりする音、耳を澄ませて脳で光景を変換し、俺は今どうなっているのかを予測した。

 その途中で、大吾先生は口を開く。

 

「なあ、島波」

 

「なんです?」

 

「・・・休んで、いいんだぞ?」

 

「何ですか、急に」

 

「五年前からずっと思ってたんだがよ、お前は頑張り過ぎなんだよ。自分の身を粉にして、誰かを助けるためならって、全部全力でやって来た。その姿勢は否定しないし、尊敬もする」

 

「・・・」

 

「でもよ、お前だって分かってるだろ? 自分が傷つくことで悲しむ人がいることくらい。お前はもう、沢山の人に『思われている』んだよ」

 

 分かっている。この身はたくさんの人の想いと、抱え込みすぎたタスクで出来ていることを。それが今己の身を滅ぼしている一端になっていることも。

 でも、歩んできた道を否定することにもなる。今更この生き方をどうやって変えろというのだろうか。

 

「分かってますよ。でも、今更それをどうやって変えろっていうんですか。俺の見えるところで苦しんでいる人を放っておくなんてできないですよ」

 

「ああ。ただな、こうも思えないか? 見守ることも優しさだって」

 

「放任主義とも取れませんか?」

 

「取れるな。でも結局、最後に問題を解決するのは自分自身なんだよ。その人が自分自身でどうにかすることを信じることが出来ないで人を助けるなんて、そりゃ傲慢だ」

 

「なりゆきに任せろって?」

 

 でも、何も出来ないから失った過去がある。それをこの場で払拭するのは難しいだろう。

 簡単に生き方を否定することはできない。それでいてこれまでの生き方が間違っているというのなら、もうどうしようもない・・・。

 

 光のような、全てを否定する力が俺にはないのだと改めて痛感する。それを持っているあいつがどれだけ羨ましい事だろう。

 

「ああ、そんなところだ。・・・それにな、今度はお前が助けられる番なんだよ」

 

「俺が?」

 

 別にこれまでの人生も誰かの助けを拒んできたわけじゃない。灯さんにもお世話になったし、千夏に忘れられて自棄を起こして死にかけた時も美海に助けられた。

 ・・・それに、ここに来るまで保さんに、夏帆さんに育てれた。感謝してもしきれないだけの助けを俺は今までに受けている。

 それはもう、自分が惨めに思えてしまうほどに誰かの助けを抱えている。

 

 それだけじゃ、足りないというのだろうか。

 

「お前は昔両親を失ったって言ったな。それと、他に大事な人も失ったって言った。その過去があるから、真に人との距離を詰めることができなくなった。距離が近づく分だけ、そいつを失ってしまった時のダメージがでかいからな。だから、相手に遠慮して、自分の全てを預けることも出来なくなった。違うか?」

 

「・・・自覚はないですよ」

 

「傍から見てる分には、そう見えてもおかしくはないんだよ。・・・助けてもらうことを、後ろめたく思っていないか?」

 

 それは、俺の核心を突く一言に相違なかった。思い当たる節と自覚がありすぎる。

 一人でいることが当たり前になったから、誰の助けも借りないで生きようと努力していた幼少期。おそらくそのころの生き方はこんな歳になっても拭えていないのかもしれない。

 

 心のどこかで、誰かに何かをしてもらうことに「申し訳ない」と思っていたのではないだろうか、そんなことを思う。

 

 そんな状態で、中途半端に誰かを愛そうとした。その結果がこの世界というなら、俺は頷けてしまう。

 誰かを愛するには、俺は多分、未熟すぎた。

 

「いいか? お前が誰かを思って助けを与えるように、お前のことを思って、お前に助けを与えようとするやつがいる。それは等価交換、受け取り拒否は不可能なんだよ。・・・与えることを十分にやりすぎたお前だ。受け取るべきプレゼントがまだまだ残ってるぞ。だから今は十分休め」

 

「・・・よくわかんないですよ」

 

「ああ。俺がお前の立場でもすぐには理解できねえだろうな。でも、それでいいんだよ。お前はいつも答えを焦るタイプだからな。早くどうにかしなきゃと息巻いて、それでまた傷つく。・・・ここにいる間はお前の時間は無限だからな。ゆっくり考えろ」

 

「・・・」

 

「んじゃ、診察は終わり。・・・ああ、そうだ、島波。一つだけお前に謝っておかないといけないことがある」

 

 そう口にする大吾先生の声音は、これまで経験したこともないくらいの申し訳なさを帯びていた。普段若干上からの物言いをするタイプの人だ。こういうだけの何かがあるのだろう。

 

「なんですか?」

 

「この先、俺はお前との約束を一つだけ破ってしまうかもしれない。だから、謝っておく」

 

「えっ、なんのことですか?」

 

「まあ、じきに分かると思う。じゃあな」

 

 俺の追及を物ともせず、大吾先生は病室から逃げていく。静けさの残る病室に、窓の外からちゅんちゅんと鳴く雀の音だけが入ってきた。

 俺の目が見えないのをいいことにさっさと逃げてくのは流石に卑怯だろ・・・。

 

 だが過ぎたことはどうしようもない。俺はまた布団を深くかぶり、自分の世界に籠ろうとする。

 

 しかし、それを遮るように扉は開く。

 風に紛れて鼻腔にやってくる香りは、間違えようもない大切な人の匂い。すぐさま大吾先生が何の約束を破ったのかを悟った。

 

 それでも、盲目の俺は逃げることは出来ない。

 俺は唾を一つ飲み込んで、震える口先でその名を呼ぶ。

 

 

 

「・・・なんで来たんだよ。千夏、美海」




『今日の座談会コーナー』

この回のテーマはいよいよ、「変革」、島波遥という存在の生き方を否定し、また新しい自分を探すスタートとなる回というのをイメージして書きました。まあ言えば0話に近いですが。よく言う「giver」と「taker」、遥はまさしく「giver」を思い書いています。「giver」に巡り廻って幸福(この回の単語で言えば「助け」でしょうか)が訪れるというであれば、これからだと思うわけです。しかし、その「giver」が幸福、助を受け取ることを拒否するのであれば幸せにはなれない。そういうことです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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