凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
二人が目の前にいる現実に俺が真っ先に覚えたのは怒り。次いで恐怖だった。
こんな状態で会いたくなかった。こんな状態を見られたくなかった。二人のリアクションがどうであるかが怖いし、それが見れないのが、何より怖い。
顔を見れるなら、それに合わせた声をかけることはいくらでも出来る。でも今はどうだ。それすら見えないで俺は二人に話をしなければならない。どんな無神経なことを口走ってしまうのだろうか。それがとても怖く思う。
普段は軽口から始めるはずの会話も、口がパクパクと開くだけで何も出てこない。これもまた醜態。いよいよ死にたくなってくる。
その沈黙を破るように口を開くのは美海だった。
「・・・見えないの?」
「ああ。見えないんだよ。何も見えない。光も、景色も、・・・お前らの顔だって。ストレス由来だとよ。はっ、笑っちまうぜ」
違う。こんなことは言うべきじゃない。
分かっているのに、独りでに先走る心が勝手に口を開いてしまう。こんな風に自分を罵っても、何にもならないというのに・・・!
俺の意志と見えない心は、完全に逆を向いていた。
「結局こうなんだよ。・・・幸せにしてやりたかった。失う怖さも段々と克服したつもりだったんだ。これからだったんだよ。全部、これから・・・だったのに・・・」
胸が詰まって、雫になっていく。だんだんと嗚咽が混じって、しまいには言葉が出なくなる。
ただ肩を揺らしながら、後悔に似たそれに泣かされる。醜態だとか、滑稽さだとか、そんなものを気にする余裕などもう俺にはなかった。
それを切り裂いて、千夏が俺に語り掛ける。
「・・・諦めちゃうの?」
「今更・・・どうしろって言うんだよ・・・! 何も見えないんだぞ!? 今お前らがどんな表情してるか、なにを思ってるか、これまで分かってたもの全部見えなくなって・・・! ただのガラクタになった人間が、どうやって生きればいいって言うんだよ!」
「・・・」
「教えてくれよ・・・」
駄々をこねるガキのように喚き散らす。意識とは別の所で眠っていた感情が零れるたびに、自分の心が壊れていたことを再確認させられる。
もう全てが嫌になる。早く死んでしまいたかった。
身体の震えは臨界点にまで達する。しかし、放り投げられた両手に望んでもいない温かさが灯った。片方は千夏、片方は美海のだろう。
それを振りほどくだけの元気も、やめろと騒ぐ元気も今はもうない。諦めて俺は二人の言葉を待つことにした。
「・・・遥はさ、よくあたしたちのことを思って動いてたよね。誰かの幸せを心から願ってた人だってこと、私は知ってる」
「そうやって私は救われたんだよ? 多分それは、美海ちゃんもそう」
「・・・でも、もうそれは出来ない」
「うん。私たちも、願ってないよ」
「・・・え?」
思いもしなかった千夏の言葉に俺は呆気にとられる。口にした言葉の意味を理解するのには、相当の時間を要した。
それを完全に理解しきる前に、美海が口を開く。
「・・・今度は私たちの番だから。ずっと守られてる存在は、もう終わり」
「それって・・・」
「私たちだって遥くんを幸せにしたいんだよ。与えてもらった分の幸せを、私たちは返したい。・・・友愛にしても、恋愛にしても、親愛にしても、多分二人の与える量が同じになって初めて、愛って言えるんじゃないかな。私はそう思うんだよ」
それは、ついさっきの大吾先生の言葉と全く同じものだった。
あの人は、二人がどう思っているのかをちゃんと理解しているようだった。・・・いや、二人だけじゃない。二人以外にも、同じことを思ってくれている人はもっといるのだろう。
それに俺は、気が付かないで・・・。
「だからさ、もう泣かないでいてほしい。私たちは一緒に歩いて行きたいの。一緒に強くなりたい。・・・追っかける人じゃなく、隣を歩きたい」
「でも俺、もう目が見えないんだぞ? 歩けないはおろか、立つことも・・・」
「なら私が目になる。手にもなる。遥の足りないもの、全部埋める」
「そんな無茶なこと・・・」
「やるんだよ。遥だってずっと無茶なことばっかしてたくせに」
俺という人間は無茶ばかりしてはそれを押し付けていた、という事実を美海に突きつけられる。心にナイフを突き立てられたような気分だ。
・・・それは今までとはどこか違うような優しさだった。視界を奪われたはずの俺が、二人と同じものを見ているような気がした。
これまで俺は二人と同じ位置で、同じものを見ることが出来ていただろうか。・・・いや、こんなことになってるんだ。出来ていたはずなんてない。
もっとそれに気が付くのが早ければ、などと思う自分がいる。
「・・・それで、いいのか?」
「いいも悪いもないの。・・・はっきり言うね。遥くんが助けられるのは当たり前なの。当然のこと。そこに後ろめたさとかいらないの」
「でも・・・」
「遥のことだから、多分ママの事引きずってるんだと思う。私もそうだった。ママがいなくなって、愛を向けられるのが怖くなった。自分が愛そうと決めても、受け取るのが嫌だった。・・・そこから救ってくれたのは遥だよ?」
それは、失う恐怖への抵抗。
美海は俺よりとっくに先にそれをやってのけて見せていた。
「今すぐには無理だから。ちょっとずつ、私たちの、みんなの愛を受け取って欲しい。その分失った時の痛みは大きくなっちゃうけど、その悲しみも一緒に背負うから」
俺が愛したかった二人にここまで言われて、もう歯向かう言葉は出なかった。
心から思う。俺は、愛されていいのだと。
これは祝福だ。絶望の淵にいる俺に向けられた光なんだ。
神が仕向けた罠でもない。こうあって欲しかったという幻影でもない。
いつからか、愛することに、守ることに囚われていた俺を解き放つ呪文を、二人は目の前で唱えてくれた。おかげで身体はこれまでにないほど軽い。
・・・光がいつか言ってたっけか。「開き直ってる」って。
それはきっと、自分が誰かを思うことの対価を得る事は当たり前だということを感覚として覚えていたのだろう。
今すぐ開き直ることは・・・まあ、無理だろう。それでも、俺は与えられる愛をもう拒んだりはしない。戸惑いもしない。
それに、選ぶことは拒むことではないのだろう。二人は多分、とっくにそれに納得しているはずだ。勝手に杞憂して、勝手に潰れた俺のミスだ。
・・・こんなに簡単な事だったんだな。
「・・・失ったのが、視力でよかったよ」
「遥?」
「どういうことなの?」
「・・・死んでたら、こんな当たり前のことにすら気が付けなかったからな」
この2日間、なんども死にたいと思った。こうなってしまったことへの後悔は後を絶たず、虚無は体を取り巻いていた。
けれど、そんな状態になっても与えられる愛は変わらない。こちらが与える事が出来なくても、だ。
でも、それでいいと望んでいる。それを信じないでいてどうするんだ。
「・・・すぐにそっち戻るからな、しばらく待っててくれ」
俺の声色が変わったことで、二人を取り巻く雰囲気も変わったみたいだった。目が見えなくなった分もあって、周りの空気感がより肌を通して伝わってくるようになったようだ。
「うん、待ってる」
「だから、急がないでいいよ」
あくまで、俺は俺のペースでいい。それは二人に、大吾先生に言われていることだ。それを理解して、俺は頷く。
それから、満足したのか二人は帰り支度を始めた。無理言ってここに来たのだろう。それはもう後でフロントでとっちめられることだろう。
ただ・・・その前に一つ言わないとな。
「美海、千夏」
「?」
「どしたの?」
「・・・ありがとな」
心の目に、また明かりが灯る。
『今日の座談会コーナー』
この回は、タイトル通りの内容となっています。この作品における愛のコタエとは「等価交換」。与えることと、与えられること、その量が均等であることが答えであると自分は考えます。それを知るには遅すぎた島波遥という人間ですが、人間生きていればいいことがあるとはよく言ったもので、-から+になるのは生きていることが前提なんですよね。だからこその「失ったのが視力でよかった」というセリフです。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)