凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
本格的にリハビリを初めて一週間も経てば、ある程度生活できるくらいには歩行を行えるようになった。といっても、今いるグラウンドが通いなれた病院だから というのもあるかもしれないけど。
あれから美海や千夏から聞いた話によると、光が主導してまたお舟引きをやるらしい。・・・まなかのことを思って行動した最善手だろう。前回よりもかなり形骸化した文化となってしまったが、何もやらないよりはマシだ。
それに、まなかが「おじょしさま」になっているなら、決して無関係ではないはずだ。その真実に光が辿り着いているのかついていないのかは知らないが、これが意味のある行動であると俺は信じている。
それを後目に、俺がやることは・・・。
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リハビリを終えて病室に戻る。この移動も最近では一人で行えるようになった。
それからベッドを探していると、「よう」と声がかかった。
「大吾先生、お疲れ様です」
「おう。どうだ、リハビリのほうは」
「順調ですよ。最近だと一人で歩けるようになりましたし。ざっと歩幅がどれくらいかってのがつかめた感じですね。杖を使うのも慣れましたし」
「なら、退院ももうすぐそこって訳だ」
「いいんですか?」
正直、俺としては一刻も早く退院したいところではある。別に焦っているわけではない。ただ、もっと身近で俺の好きな人の声を聞きたかった。
「生活能力が回復すれば、それ以上に病院が手を施すことはないからな。お前だってこんなところにいつまでもいるわけにはいかんだろ」
「そうですね」
「他のバイタルチェックで異常が出ているわけでもないしな。早くて明後日ってところだ。リハビリテーション科の先生からもそろそろって聞いてる」
「ありがとうございます」
「しかしまあ、驚いたよな。こんなことが起こるって」
声は遠く、俺じゃない方向に向けて発せられた。おそらく窓から外の方でも見ているのだろう。
というか、驚いたなんてもんじゃない。誰がこんな事態を想像したことか。
「医学的な観点でこんなことが起こるのって初めてなんですか?」
「少なくとも俺の知る所では見たことねえよ。世界単位で見ればどうか知らねえけど。まあ、お前も事情が事情だからな。全てがイレギュラーだ。今考えれば不思議じゃないよな」
確かに、こんな摩訶不思議の人生なんて何万人に一人のレベルだろう。だからこそそれに憤りもあるし、感謝もある。
平凡な人生を歩んで、俺という人間が満足しただろうか。そんなことを頭の片隅で思う。
「そうですね。・・・だからこそ、俺は生きてる価値があるんだと思いますよ」
「それは知らねえけど・・・。とにかく、怪我無くやってくれよ。それが医者の願いだ」
「分かってますよ。これからどんどん大人になって、それでも患者として大吾先生に世話になり続けるの、なんか癪ですから」
そのころには元気の溢れる人間になっていたい。・・・今の俺なら大丈夫だろう。
とその時、携帯電話が俺と大吾先生しかいない病室に響いた。チッと舌打ちがこだまして、大吾先生はディスプレイに表示されているであろう名前を呼びあげる。
「すーちゃんからかよ・・・。んだこんな時に」
「いいじゃないですか、せっかくのガールフレンドからの電話ですよ?」
「うるせ。どーせろくな話じゃねえんだ」
「その話が出来る人は世の中少ないですからねー」
「分かってるよ。つーわけで、俺は一旦戻るぞ。また今日のどこかで顔出すわ」
それからドタバタと音を立てて、先生が部屋から去っていく。・・・というか、あの人マナーモードとか電源切るとかしねえのかよ。
苦笑しながら、俺は一人になった空間で小さく息を吐く。それからまた舞い戻った静寂の中で、俺はいつものように耳を澄ました。
目が見えなくなってから、より周りの音を気にするようになった。というより、神経をそこにだけ注げばいいため、入って来る音はより鮮明になったような気がする。
それだけでなく、感性まで鋭くなったような気がする。そこで何が起こっているのか、誰がいるのか、そして、誰が何を思っているのか、そういったことがしみわたるように体の中に伝わるようになった気がする。
人間って、相当目に頼ってたんだな・・・。
なんて思いながら、半開きの窓の外の音を聞く。風はそこまで強くなく、ほんのり肌を掠める程度だ。
しかし途中から、それが歪に変化しだした。まるで、何かを運ぶように。
その急激な変化を起こせるのは、装置か神くらいなものだろう。とすると・・・。
俺は大博打をかます。
「何の用ですか、ウロコ様」
「・・・お主、目が見えとらんというのに儂のことが分かるのか?」
「やっぱりいましたか。なーんか、風向きが急におかしくなったんですよね。普通じゃありえないくらいに」
「・・・なかなかやりおる。目を閉じてより感性に磨きがかかったようじゃな」
感心したような声音でウロコ様は俺を褒める。それから窓をスライドさせる音が聞こえたかと思うと、今度はそこに腰を下ろす音が聞こえた。どうやら話は長くなるらしい。
「そこに座るのいいですけど、先生がいつ帰って来るか分からないですよ?」
「そのころには勝手に消えとるから安心せい。・・・して遥よ。お主はこの現実に直面して、何を見た?」
「何をって・・・。難しい事聞くんですね」
「少なくとも、儂はあの日からお主のことを一日も見ておらん。どうも見ておられんでの。今日初めて会いに来たわけじゃが」
「思ってたより俺がぴんぴんしていてびっくりしている、と。そりゃそうですよね。前回会った時相当心がすり減ってましたから」
心が壊れていると言ったのはこの人だ。その事実を知っているから、今驚いているのだろう。
その疑問に対して、俺は答えを投げつける。
「・・・ウロコ様の言う通り、心は壊れてたみたいです。視力がなくなったのもそれ由来。予言は見事に当たったってわけです」
「ほう、それで?」
「最初は死のうとしましたけど・・・色々気づかされたんですよ。まあ、口にするも照れるようなことばかりなんで端折りますけど。ただ、俺は一人じゃなかった。その本当の意味を知ることができました。だから今こうして生きているんです」
「それがお主の見たもの、というわけじゃな」
「ええ。俺が見たのは、自分が行ってきたことへの対価の塊だったんです。それが愛によるものかそうでないかの分別は出来てないですけど。けど、間違いなくそれは俺が生きてきた証で、俺がこれから生きる理由です」
ウロコ様から吐息が漏れる。それはどこか甘く、憂慮に満ちたもの。憂慮、という点では最後に会った時と同じ感情ではあるが、そこに絶望の色はなかった。
「ようやく自分が誰かを生かし、誰かに生かされる人間であるということを理解したわけじゃな?」
「ええ。だから、もう大丈夫です」
この人の前で声にして宣言する。俺はもう大丈夫だと。もう何も迷うことはないと。
その先生を確かめるように、ウロコ様は一つ息をついて俺に問いかけた。
「なら、あの日と同じ質問をするぞ。・・・お主は先島の娘と陸の娘、どちらを選ぶ?」
二人のどちらを選ぶか。あの日答えられなかった質問。
それについては答えは今も出ていない。選ぶという言葉が、今の俺の頭の中にはない。
・・・ただ、それが答えだ。
「分かりません。きっとそれはこれから過ごす多くの時間で幾度となく変わることだと思います。でも、多分、それでいい。焦る必要はないと教えてくれたのは二人ですし、覚悟が決まっているという想いを伝えてくれたのも二人でしたから」
「ほう」
「ただ・・・必ず決断はしますよ。それが二人の想いへの報いですから」
だから俺は、どちらかを傷つける選択をする。それはとても悲しくて、残酷なことだけど、それでいいと思っているであろう二人の覚悟から逃げることはしない。
「・・・生き急いでおったお主は、もういないのじゃな」
「寂しいですか?」
「少し、の。裏を返せば、お主は光よりよほど危なっかしくて、見ごたえのあるやつじゃったからな」
「魅力、なくなりましたか?」
「はん、ぬかしおる。・・・無論、あれだけがお主の魅力ではない。これからも見届けさせてもらうぞ。海の人間としての」
ウロコ様は不敵に笑っているのだろう。ひしひしと空気が伝わってくる。
それに俺もニッと笑い返した。「まあ見ておけ」と。
海のこれからも、俺の人生も、今なら何か変えられそうだ。そんな根拠のない自信だけが、どんどん胸の奥で溢れているような気がした。
『今日の座談会コーナー』
ということで、また本筋に戻ります。まあ、この作品は本編で描かれていることは極力触れない方針でいるので(そこをわざわざ語り直す必要もないし、あくまでこれは島波遥の物語ですので)、本編に沿ったことを長々と書くつもりはないですが。
なんか、前作よりも大きく話が変わったような、そうでないような気がして止まないです。ただ、こっちの方が好き、かも?
と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)