凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百三十三話 あなただけの幸せ

~千夏side~

 

 太陽は頭上をとうに越え、これから日が暮れようとしている。

 私は冷たいリノリウムの床をコツコツ音を立てながら歩いて、学校の屋上へと向かっていった。さっさと帰ればいいのに、どうもその気にならない。

 遥くんの退院が明日だからといって浮足立っているのだろうか。

 

 手すりにもたれかかって、氷で覆われた海をぼんやりと眺める。こうするのももう随分と日課になってしまった。

 

「・・・いつになったら、元通りになるのかな」

 

 誰に尋ねるわけでもなく、私はそう呟く。

 分かっている。何も「元通り」になることはないと。時間は現在進行形で一直線を歩んでいる。それを巻き戻す力は、人間にはない。

 それでも、私は昔みたいな「海」が欲しい。それが私の言う「元通り」なのだろう。

 

 遠目に見える海から少し視線を落として学校の前の道路を見る。

 するとそこに、本来ならこんなところで見るはずのない人影を見た。私は急いで会談を駆け下り、玄関から出てその人に会いに行く。

 

 向こうも私に気が付いたようで、少しだけ驚いたような瞳をして、私の名前を呼んだ。

 

「千夏ちゃん、帰ってなかったんだ」

 

「うん、なんかそんな気分じゃなくて。それより珍しいね、ちさきちゃんがこんなところに来るなんて。誰かに用でもあるの?」

 

「うん、まあね。先生いるなら声かけようかと思って。・・・ほら、お舟引きもあるし」

 

 そう答えるちさきちゃんの瞳はどこか物憂げだ。そりゃそうだ。ちさきちゃんは前のお舟引きで、陸に残された人間となってしまったのだから。

 その後悔は、私の想像の及ぶものではないだろう。

 

「でも職員室を見た感じ、今日はいなさそうだね」

 

「あー・・・、なんか街のほうの学校に研修に行くから今日は臨時の人が入ってた、そういえば」

 

「そっか。残念」

 

「ね、せっかくだし一緒に帰らない?」

 

 ここでちさきちゃんとあったのも何かの縁に違いない。それに、こうやって二人でまじまじと話すのは五年前のあの日以来だと思う。

 あの日・・・私が、遥くんに告白した日だ。

 

 私が遠い過去の記憶に胸を痛めているのをよそに、ちさきちゃんは私の提案を飲んだ。

 

「そうね。こういう時間も、なかなかなかったし」

 

「じゃ、決まりってことで」

 

 それから私が進みだすのと同時に、ちさきちゃんはそれに合わせだした。二人並んで、昔そうしたように通学路を歩く。

 

「この道を誰かと歩くのもずいぶんと懐かしいかも」

 

「ちさきちゃんからすれば、五年、だもんね・・・」

 

「あの時はもう、何を思って生きていけばいいか分からなかったし、ずっと泣いてばかりいたから。残りの学校生活も、だいぶ心苦しかったな」

 

 そう言ってはいるものの、どこか吹っ切れたような表情でちさきちゃんは語る。もう、そんな過去の痛みは乗り越えたと言わんばかりに。

 五年前なら、どんなリアクションをしてたんだろうか。そんなことを想像してみる。

 

 ・・・いや、時間の無駄か。

 

「ところで、遥はどう? 病院に行くときはちょっと顔出すようにはしてるんだけど」

 

「順調そうだよ。リハビリも終わって、明日には退院する。・・・ほんと、大した人間だよね、遥くんは」

 

「だから私も、昔遥のことが好きだったんだと思うよ。強くて、頼りたくなって、そしてそんな姿がかっこよかったから」

 

「今はもう、違うんだ?」

 

「というか、遥には一回振られてるし、ね」

 

 それも笑い話にするように、ちさきちゃんは呟く。かつて同じ人を好きだということを話した人間としては、それがどこかもどかしい。

 けど、それに満足している様子を見せられたら、これ以上追求することなんて出来ない。

 

 けれどそれから、ちさきちゃんは少しだけ声のトーンを低くして言った。

 

「・・・やっぱり、あの頃の私は焦ってたんだと思う。波中が廃校になって、環境が変わって。そんな、変わってく環境が嫌だったんだと思う。変わりたくないって、ずっとそんなことを言ってたっけ」

 

「私も同じだよ。とはいっても、そう思ったのはちさきちゃんよりは後のことだと思うけど。ずっとこのままいたいって、そんなこと願ってた」

 

 それに導かれるように、私は海に飲み込まれていったんだっけ。

 

「でも今は、これでよかったって思う時もあるよ。変わったから楽しいこともあった。それを否定することは、したくないしね」

 

 ちさきちゃんは前を向いたままそう言い放つ。潮風に吹かれた後ろ髪が少し横になびいた。同時に、二人の間から少しの間言葉が消える。

 それから風が凪いだ時、私が知らない事実をちさきちゃんは口にした。

 

「紡にね、告白されたの」

 

「紡君が?」

 

 五年前のイメージが強すぎる私にとって、それは意外過ぎる行動だった。いや、長い事幼馴染やってたけど、誰かに告白する以前に恋心なんてまったく抱いてないように見えた人だったし。

 

 けど、えぇ・・・?

 

「この五年間、ずっと助けてもらったし、一緒に歩んできた自覚もあるの。だから、その気持ちは分かるし、私も多分、同じ気持ちを持ってるんだろうけど・・・」

 

 少し後ろめたそうに、ちさきちゃんは呟く。その背景にある感情を、私はすぐに読み取ることが出来た。

 

「その告白に答えていいか、分からないって?」

 

 ちさきちゃんは、自分の決断によって誰かを傷つけることを嫌っている。自分だけが幸せになることにためらいを覚えている。

 もとよりちさきちゃんはそういう人だ。

 

 それは正解だったようで、小さく首を縦に振った。

 

「私だけが幸せになっちゃったら、他のみんなに合わせる顔がなくなっちゃう。それこそ光なんて、今まなかの感情がおかしなことになってて大変なのに・・・」

 

「・・・あのね、ちさきちゃん」

 

 後ろ向きなその感情には、そろそろバイバイしなければならないんだよ。

 

 後悔や責任、それに縛られて自分を苦しめることは、きっと誰も望んじゃいない。遥くんは少なくともあの時私の罪を赦してくれた。だから今、こうして前を向いている。

 

 そんな私の罪に比べたら、ちさきちゃんの抱える罪なんて微々たるもの。何も気にする必要なんてない。

 

 それに、誰かを好きになって、それで結ばれるなら、私はちゃんとそれを祝福したい。だから、恋を諦めるなんてことを、してほしくない。

 

 そんな長ったらしい感情を、一言でまとめる。

 

「私は、ちさきちゃんに幸せになってほしいよ」

 

「え?」

 

「羨ましい、とか、ずるい、とか思わないわけじゃないよ。けど、幸せになろうとしてるなら、私は真正面からそれを応援したいの。好きな人と思い合えるってのは、それだけ素晴らしいことだから」

 

「千夏ちゃん・・・」

 

「私もちょっと前まで、自分の恋を諦めようとしてた。そりゃそうだよ、遥くんをあんな目に合わせたうえに、記憶まで失ってそれで遥くんを傷つけたんだから。・・・でも、許してくれた。だからもう一度、今は頑張りたいって思ってるの。多分この感情にゲームオーバーはないんだよ、きっと」

 

 等身大の言葉でちさきちゃんを励ます。この言葉の一つ一つがどれほど響いているのか、私は分からないけれど。

 けど、ちさきちゃんは迷った表情をしながらも、何度かうんうんと頷いた。

 

「私、幸せになっていいのかな?」

 

「いいんだよ。それを望んでる人は多分、いっぱいいる」

 

「・・・そっか」

 

 それからちさきちゃんは立ち止まり、何か覚悟を決めたような表情で空を仰いだ。さっきよりも芯のある声音で、誓いを口にする。

 

「なら、次のお舟引きを見届けて、私は紡に答えを出そうと思う。受け入れるにしても、今はちょっと中途半端だしね」

 

「うん。それでいいんじゃないかな」

 

 前に進む覚悟を決めただけで大きな一歩。積み重ねれば人はどこまでも歩いて行ける。

 

 

 だから私も、もっと前に進まなきゃ。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 前回と今回で、美海と千夏、それぞれにもっとも近い本編のキャラクターとの絡みを書いてみましたがいかがだったでしょうか。それこそ、本作の光、ちさきに関してはアニメ本編よりもあっさりしているのでそこまで感情的にはなっていませんが(それでも性格の根底は歪めてないつもりです)
 というかいかに前作の後半がガバガバだったか・・・。今作を書くたびにそんなことを思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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