凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
ようやく待ちに待った日が訪れる。
倒れてからはや一週間と何日だろうか。俺はリハビリを終えて退院することが出来た。大吾先生からもリハビリ科の先生も尋常じゃない速度だと驚いていた。
別に、無理をしたわけじゃない。ただ素直に「頑張ろう」という心があったからこそ為せた業だろう。それが証拠に、体に特に負荷が残ってるわけでもない。
「さて、と・・・」
小手先で杖を上手に使いながら、俺は玄関から外に出る。自分の歩幅は体に刻んでいる。よほどのことが無い限り間違えることはないだろう。
それから俺は駐車場まで歩いていく。するとちょうどこちらに向かってくる車の音があった。排気音から、それが保さんのものだと確信する。
案の定車は俺の目の前で止まった。それから聞きなれた声が耳にこだまする。
「遥くん、もう歩けるのか?」
「はい。元々杖を使うのは昔のリハビリの頃から慣れていたんで。経過も夏帆さんから聞いているかもしれませんが、順調ですよ」
「そうか。・・・とんだ心配だったな」
「いえ、これからもまだまだ迷惑をかけます。そうはいっても、目が見えないんじゃ不便なことはいっぱいありますし」
「食事とか風呂は大丈夫なのか?」
「ええ、これもちゃんと慣れるようにしてましたから。ちょっと時間は掛かっちゃうかもしれないですけど、大丈夫ですよ」
手を煩わせたくないどうこう以前に、これだけは自分の力でクリアしたかった。だってほら、プライベートが過ぎるし・・・。
「それじゃとりあえず、家にでも帰るか」
保さんは特に気の入った言葉を俺に投げかけるわけでもなくそう言って俺に車に乗るように指示した。促された通り、俺は車に乗り込んで、背もたれに身を委ねる。
いつもはそうして海を見ていた。いつ何時も変わることのない光景を。
うーん・・・やっぱり目が見えないと暇だよな、やっぱり。
「目が見えないんじゃ暇だろう、やっぱり」
そんな俺の様子に気が付いたのか、保さんは車を運転しながらそんな言葉を投げかける。
「周囲を見る、ってのがどれだけ暇つぶしになってたのか、今になって分かりますね。やっぱり何の刺激もないとなると、退屈ですよ」
「なら、カーラジオの一つでもつけるか」
そう言って保さんはおもむろに車の中でゴソゴソと動き始めた。普段は何も付けずに運転するだけに、この行動が俺への配慮だということはすぐに気が付いた。
その配慮に心の中で感謝をしながら、流れ始めた聞きなれない人の声に耳を傾ける。なるほど、やっぱりラジオというのは文明の利器だな。
そうして退屈な道中は少しばかりの彩が付いた。その心地よさに身を委ねて、俺はただ揺れ動く黒鉄の物体の中で呼吸をした。
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俺を迎えに来たあと、保さんはまっすぐ仕事へ向かっていった。お舟引きが近いのもあって、漁協も大変らしい。
千夏らもまあまあ忙しいと連絡を受けている。・・・参ったな、誰の所にも遊びにいけないぞ。
なんて、本来は遊びに行くこともままならない身体だが、そんなことを思ってしまう。俺という人間は俺が思っていたよりもアグレッシブな人間だったみたいだ。
しかし、この退屈な日々にも慣れないといけない。リハビリに明け暮れていた院内生活より退屈だが、それが現実だ。
それから適当にラジオを流して、耳に音を当てながら時間を潰す。そのラジオが18時を告げたころ、家のドアが開いた。ドタドタと勢いよくこっちに向かってくる音がある。千夏だろう。
「遥くん、おかえり!」
「なんだよ忙しいな・・・。ああ、ただいま」
千夏の声色は混じりっ気のない喜びに満ちていた。その感情に充てられて、俺もどこか口の端が上がってしまう。やっぱり、自分の帰りを待ってくれている人がいるということは、たまらなく嬉しい。
一人でいる時の孤独がより一層強くなった今、この喜びはまた格別のものだろう。
「もう一人で歩けたりするの?」
「ああ、時間はかかるけど大丈夫だよ。この街に来てからもう五年経ったしな。歩幅の感覚さえ覚えていたら、道に迷うこともないだろうし」
「無理はダメだよ?」
「分かってるよ。それに、こんな状態でそんなリスクのあることばっか出来るわけじゃないし。・・・で、お舟引きの準備はどうだ?」
「うん、順調。今週末にやる予定だよ」
「つーことは、あと4日か。光の奴、俺がいなくても上手くやってるみたいだな」
それがどこか嬉しく、寂しくもある。なんだかんだ昔は一度立ち止まってこっちに振り向いてくるような奴だったからな。自立していく子供を見ている親の気分だ。
「お舟引きなんだけど、遥くん、来るの?」
尋ねてくる千夏に対して、俺は「ああ」と短く返す。
「船の上に乗れるかどうかはまだ分からないけど、絶対に行く。俺だって、五年前のお舟引き楽しみにしてたんだぞ?」
「あー・・・なんか、ごめん」
五年前のお舟引きに行くことが出来なかった直接的な原因とも言える千夏は、急にトーンダウンしてそう呟く。地雷を踏みかけた俺は必死にそれをカバーした。
「謝ることじゃねえだろ。あれは事故。そして俺の意志。・・・それにな、みんながいなかった五年間、いろんな思いがあったけど、楽しかったこともあるしそんな後悔はしてねえよ。それに今は、こうしてみんな戻りつつあるんだしな」
一足先に大きくなって、一足先に違う世界を見ることになった。その絶望と好奇心を、俺はいまだに覚えている。
そんな俺の発言を聞いて、千夏はクスリと笑った。
「ちさきちゃんも昨日、そんなこと言ってたっけ。悪い事ばかりじゃなかったって」
「ちさきが?」
「うん。昨日たまたま学校に来てたちさきちゃんと一緒に帰ってね。その時に色々話したの。あと、紡君に告白されたって」
「・・・マジか」
ゆくゆくはそうなるだろうとは思っていたけど、紡がしっかりそれを言葉にするとは思わなかった。ましてや相手は「変わらないこと」に固執し続けたちさきだ。
・・・いや、あいつの少し抜けた性格だから、その行動に出たんだろうな。
「で、ちさきはなんて?」
「戸惑ってるって。同じ気持ちはあるんだけど・・・って、言ってた」
「あいつのことだからな。自分だけが、なんて思ってるんだろ、全く・・・。俺らももう、誰かの想いに関わらず、自分の幸せ考えてもいい歳だってのに」
大人になるってことは、そういった一面もあるということだ。俺たちはいつまでも過去に生き続けるわけにはいかない。
・・・なら、俺の幸せは。
それはまだ分からない。けど今は、誰かが近くにいてくれるこの空間が幸せに思える。少なくとも今は、それでいいのだろう。
「ねえ遥くん、奇跡って起きるのかな?」
考えこんでいると、唐突にそんなことを千夏が口にした。
「今度のお舟引きで、何かが起きて、それで私が昔憧れた海に戻るって、そんな奇跡、起こらないかな?」
「贅沢な奇跡だな・・・」
お舟引きで何かが起きる、それは五年前に立証済みの話だ。
あの時は悪いほうに傾いたけれど、いい事だって起こるかもしれない。千夏はそう言いたいのだろう。
その思いを否定したくない。俺は俺なりの答えを出す。
「願いが伝われば、奇跡だって起こるはずだ。それに・・・」
俺には、海神様に投げかけたい言葉がある。それを伝えれば、また何かが起こるかもしれない。
けれどそれは、内緒の話。俺は上手い言葉で誤魔化した。
「信じないと、始まらないからな」
「そうだね。・・・遥くんも、同じことを願ってるってこと?」
「もちろん。五年間、ずっとそんなことを思ってたしな」
凍てついた感情がほどけて、皆が温もる毎日。俺はずっと、それを願っている。
だから海神様・・・答えてくれよ。
暗い世界でそれを願う俺をよそに、千夏はパンパンと手を鳴らした。
「・・・さて、ダラダラと話し続けるのもなんだし、私ご飯作るね。今日の当番、私だし」
ご飯・・・あっ。
「そういえば目が見えなくなったってことは料理作れないってことじゃん」
「まあ・・・難しいだろうね。家のこと全部把握してるって言っても」
マジか・・・。何か大事なことを忘れてると思ったら。
なんだかんだ料理は好きだった。美味いものを食べれば、自分も周りも幸せになれる気がしてたし、今でもそう信じているから。
だから腕を奮えないというのは、なかなかにもどかしい・・・。
「まあまあ、そんなに落ち込まないで。なんだったら、手伝うしさ。出来ることから、一緒にやろ?」
「・・・ああ、そうだな」
千夏に励まされて、俺はうんと頷く。
確かに、自分一人の力じゃどうにもならないだろう。
けれど、傍に立ってくれる誰かがいるなら、俺はなんでも出来る気がする。歩くことから、料理をすること、それ以上の何かだって。
だから・・・今は何も怖いものなんてない。
例えこれから、どんなことが起ころうとも。
『今日の座談会コーナー』
なんかこんな日常会を書くのもずいぶんとまあ久しぶりな感じがします。やっぱりいいよね、数話に一回くらいはこれくらいの雰囲気の話を挟みたい(多すぎると尺稼ぎになっちゃうから難しいところではあるけど)。
さて、話も大詰め。ここから一気に書き上げていきたいところですが、その分スピードと比例してクオリティが落ちる可能性があるから、そこだけは丁寧に。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)