凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百三十五話 愛を繋ぐお仕事

~遥side~

 

 お舟引きまでは残すところあと二日となった。千夏が言うには準備はもうほとんど終わっているらしく、あとは当日を待つだけの状態らしい。

 とはいえ明日になれば直前の準備で忙しくなるだろう。街をゆっくりぶらつけるのは今日しかないと思い、俺は一人立った。同じタイミングで、三時を告げる島のチャイムが鳴る。

 

 本来なら千夏やら美海やら誰かがいたほうがいいのは分かっているが、生憎今日は何の変哲もない平日。皆出払っており、家にいるのはせいぜい、夜勤明けの夏帆さんくらいのものだ。

 

「・・・つーことで」

 

 いつも使っている座布団の横に置いてある杖を取って、俺はゆっくりと立ち上がる。それから床を傷つけないよう、小さな力でコツコツと触れながら俺は玄関を目指した。

 

 その時、後ろから声がかかる。夏帆さんだ。

 

「こんな時間からどこ行くの?」

 

「ちょっと散歩にでも。明日になるとみんな忙しくなってドタバタするでしょうし、ゆっくりできるのは今日くらいかなって」

 

「一人で? どこまで行くの?」

 

「たぶん、港くらいまで。そう遠くまで行くつもりはありませんよ。迷子になるのも嫌ですし」

 

「ふーん・・・」

 

 それから少し考え込んでいるのか、夏帆さんは言葉を止めた。やがて何か思い立ったのか俺が予想もしなかった言葉を口にする。

 

「ね、迷惑じゃないなら、私も行っていいかな。港の方行ついでに買い物しておきたいし」

 

「いいですよ。・・・というか、1人で歩くとの誰かがいるのじゃ話違うんで、正直助かります」

 

 思えば夏帆さんと二人きりで意味のある時間を過ごすのは、病院以外だと初めてなような・・・。どこか変な気持ちだ。

 

「というか、それはいいんですけどもう寝なくて大丈夫なんですか? ここ最近夜勤続いていたと思うんですけど」

 

「明日と明後日が休みだからね。ちょっとくらい体力使っても平気なの」

 

「そうですか。・・・それじゃ、行きますか?」

 

「うん」

 

 先に外に出て俺は夏帆さんの支度を待つ。今日の天気がどんなものか、俺の瞳はそれを映すことは出来ないが、少なくとも凍てつくような寒さはあまり感じなかった。

 

---

 

 港まで緩やかに下る坂道を、夏帆さんを隣にして俺は下っていく。・・・うん、やっぱりなんだか変な気持ちになりそうだ。

 体裁上、今は二人に引き取られているとはいえ、傍から見れば友達の母親と二人きりだ。なにがあればこんなことが起こるのだろうか。

 

 などとモヤモヤしていると、夏帆さんは懐かしむような声色で言葉を紡いだ。

 

「昔ね、保さんとよくこの道を歩いてたの。今じゃ、あの人の仕事柄車での移動のほうが増えちゃったけど」

 

「そうなんですね。そのころから保さんは、ああいう人だったんですか?」

 

「うん。不器用で頑固で、だけど内心は優しくて少し臆病で。その繊細さが、私は好きになったんだろうなぁって思うの」

 

「でも、当時はガチガチに規制もあったことですし・・・。陸に上がることを反対されたんじゃないですか?」

 

 少なくとも俺は仕方ない部類に入ると思うが、この人が陸に残ったのは自らの意志だ。当然、追放という立場になる。夏帆さんも流石に海の人間だ。それに対して何も思わない、なんてことはないはずだ。

 

 そんな夏帆さんは、声のトーンを下げて昔を語る。

 

「うん、反対されたよ。うちはお父さんしか残ってなかったけど、もう大反対。結局夜逃げするくらいの勢いで陸に上がってきて、そのままってことになっちゃった」

 

「それから、何の連絡もないって訳ですか」

 

「・・・というより、千夏が生まれて10年たった時くらいかな。亡くなっちゃったの。なんか酒癖が一層ひどくなったらしくて、それで」

 

 うっすらとしか覚えていないが、そんな感じで亡くなった人の話を俺は覚えている。今から9年や10年前の話だから、おそらく間違いないだろう。

 俺がちょうど、壊れ始めた時期だ。

 

「あの時はすごく苦しかったな・・・。お父さん死んじゃったことはもちろん悲しかったけど、けどこれで私を縛るものがなくなったって思った瞬間、気持ちが軽くなったのも事実だったの。これで、私が海に帰らないことを悲しまない人がいなくなるって。・・・あはは、嫌な人間だよね、ホント」

 

「・・・」

 

 それは、俺の知らない世界。

 一人になることに喜びを覚えたことなど一度もない、俺の知らない世界だ。

 だけど、夏帆さんの気持ちは、痛いほど理解できる。

 

 

「それで、今はこうやって陸で生きてるの。陸の生まれの好きな人と、陸で子供を生んで、陸で母親になってる。海に私の帰る場所はないって、諦めれるようになった。でも・・・」

 

 そこでいったん夏帆さんの言葉と足が止まる。だんだんと震える声は、泣いているのかと思うほど寂しいものだった。

 

「お父さんのこと・・・まだちゃんと弔ってあげられてないのが・・・嫌なの」

 

「夏帆さん・・・」

 

「喧嘩別れしちゃったけど・・・それでも私の大切な家族だったの。それなのに、10年近く何も出来ないで・・・」

 

「帰ろうとしたことは?」

 

「当時は五年前なんかよりももっと厳しかったから、足を踏み入れるのも許されなかったよ。・・・帰れずじまいで、弔うことも出来ずに。だから私は、そんな悲しいことなら忘れようと躍起になって生きてきたの。・・・なのに、なんでだろうね。お舟引きが近づくたびに、この感情を思い出すの」

 

 改めて夏帆さんが「海と離別し、陸で生きる覚悟を決めた人間」であることを思い知る。今以上の規制の中、この決断をしたのはとても苦しかったことだろう。

 あかりさんにしても、みをりさんにしても、多分、同じような感情を抱いている。

 

 幸せを掴むために行う決断にしては、やはり対価が大きすぎる。

 

 ・・・そうだ。だからこそ俺は、陸と海を繋ぎたかったんだ。

 因習も血の価値も関係なく、隔たりのない二つの大地を繋ぎたくて、俺はあの時陸に残ることを選んだはずだ。

 

 目が見えなくなって、生きることに焦らないようにと、全力を出さないようにと意識はしてきたけれど、これだけは譲れない。

 それに、お舟引きの答えは五年前のあの日、ちゃんと見つけたはずだ。

 

 だから俺は今一度海へ行く必要がある。例え何が見えなくても、思いを伝えるために。

 

「・・・絶対近いうちに、海と陸を繋いで見せますよ。そしたら夏帆さんは御父さんの弔いが出来るはずです」

 

「確証はあるの?」

 

「ないですよ。・・・ただ、これまでもずっと漠然とした予感を信じてここまで来ました。・・・それに、1人じゃないんですよ。海と陸を繋ぎたいと思っているのは。だから・・・大丈夫です」

 

 この言葉のどれだけが夏帆さんの励ましになっているかは分からない。

 けれど、それに満足したのか、夏帆さんの声色は上側に傾いた。

 

「・・・そうね。千夏だってそうだもの。なら親として、私たちはそれを信じなきゃいけないよね」

 

 俺はその言葉が聞けて良かったと、一度満足そうにうなずく。

 起こしたい未来を信じる。それがきっと、人にとって大切な力なんだと今ならそう思える。

 

 それから肩の力を抜くように夏帆さんは息をふっと吐いて、呟いた。

 

「遥くんも」

 

「?」

 

「幸せになること、諦めちゃだめだよ?」

 

「・・・大丈夫ですよ。迷うことはあっても、諦めはしませんから」

 

 それだけはないと誓う。ここまで支えてくれた全ての人に。これからも傍にいてくれる人のために。

 

 

 頭上を吹き抜ける風は、どこか春色に似ているような温かさを帯びている。いつかこれが海に吹き抜けることを願って、俺は坂道を下り終えた。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 幾十話ぶりかの夏帆さんメイン回です。思えばここまで細かな描写って書いたことがあったかどうか・・・。しかし、水瀬夏帆という人物が海の出身である以上、この話は避けては通れないように思ってました。そう考えると前作があまりにも漠然的過ぎましたね。こういった要素をつけ足すだけでもこのリメイクを始めたことに意味があったと言うもの。

と言ったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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