凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
時は流れ、お舟引きの当日を迎えた。昨日も昨日で準備の現場に向かったが、やれ暇さえあればいろんな奴から声をかけられたような気がする。紡にしろちさきにしろ、光にしろ漁協のおっさん連中にしろ、それはもうたくさんだ。
その賑やかな位の愛が、とても愛おしく思えた。改めて、これが自分の生きてきた証なのだと思い知る。目を失っても、自分が築いてきたものははっきりと見えていた。
ああ、そうだ。なんか要が吹っ切れていたな。
言えば、「僕も、ようやく踏み出せそうかも」だなんて。美海から後で耳打ちで教えてもらったけど、どうやらさゆからの盛大なラブアタックを喰らったらしい。
確かに、あいつに一番必要なのは「一番にあいつを思ってくれる人」だったからな。それに要は巡り合えたって訳だ。二人の性格だ。ちょっと色々頓挫するかもしれないけれど、きっとなんとかなるだろう。
・・・あとは、あの暴れん坊将軍の恋物語だな。
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一昨日は夏帆さんと下った坂を、今日は少し急ぎ気味で千夏と下る。こいつには母親譲りのしなやかさはないのか、全く・・・。
「そんなに急がなくても間に合うだろ・・・」
「いーや、遥くんの準備に時間かかるんだから、その分早く行っとかないと! ・・・乗るんでしょ? 舟」
「ああ」
「着るんでしょ? 服」
「もちろん」
「だったら時間かかるでしょ。あの服、初見で着るの結構時間かかってたんだから。五年前そうだったし」
なんて口実を並べてはみるものの、千夏はただ心が逸っているだけのように見えた。・・・というより。
「千夏、その・・・」
「何?」
「怖くないのか?」
「んー・・・。そうだね、怖いよ。遥くんにとっては五年前だけど、私にとっては今年同然の感覚だもん。嫌なくらい、焼き付いてるよ」
そうは言いつつも、その声音は底抜けに明るいものだった。怖い、とは言うものの、怖気づいているようには思えない。そんな声色だ。
それを説明するかのように、千夏は続けた。
「でもね、普通に楽しみなの。それってやっぱり、みんなでやるからなんだろうね。・・・遥くんに、海の皆に逢うまで、私はいつも円の外にいてばかりだったからさ。だから今、こうして同じ輪の中にいれるのが嬉しい」
「そっか」
「もちろん、その行き過ぎた願いが、あの日私を海に引っ張ったんだってことも分かってる。だから、いつまでも一緒が続かなくていい。今あるこの一緒を、ずっと噛みしめて生きていたいの」
それは自分に暗示をかけるように。はたまたいつかの声に答えるかのように。
千夏のその言葉は、俺の心と、ここにいない誰かの心にきっと届いているだろう。俺はそう信じる。
「・・・さて、話してたら足が止まったが?」
「あっ! ほら、急ぐよ!」
「忙しいなほんと・・・」
こうやって何度も千夏には振り回された。いいことも悪いことも、いっぱい経験をしてきた。
・・・いつか終わりが来るとしても、俺はこんな日々をずっと望んでしまうだろう。それほどまでに、今の千夏と一緒にいるのは心地のいいものに思えた。
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漁協についてからは、千夏の言うように忙しい準備が待っていた。
お舟引きの陸側の衣装・・・写真でしか見たことが無いが、実際着ようとしてみるとそれはもう時間がかかるのなんの。
紡に仕立てられ、光にからかわれ、要にすらもクスリと笑われて。
それは背丈がどれだけ大きくなろうと変わらない距離。五年前にずっと描かれていた光景。ずっとこうやって歩んでいくはずだった光景。
一緒に歩んでいく、ということこそ叶わなかったけれど、失うこともなかった。人と人の距離に、時間など意味をなさないと今は信じる事が出来た。
そして支度が終わるなり、俺は外の空気を吸いに建物から一度離れた。開始まであと40分くらい。その間に気持ちの整理でもしておけとのことだろう。
あれだけ閑散としていた街も、この日はやっぱり賑わうもので、俺の耳に入ってくる音は聞き取れない言葉の数々と雑踏ばかりだった。聴覚が敏感になった分、音は倍になったかのように聞こえる。
その中で一つ、聞きなれた靴の音がこちらに向かってきた。・・・この五年間も一緒にいた。色々変わろうとも、空気だけで誰がいるのかはすぐに理解できる。
「こんなところに来て、どうしたんだ? 美海」
「ただの暇つぶし。こんなに暇なら、集合時間もっと遅くしてもよかったでしょ」
「はっ、全くだよ」
忙しくなるから、なんて言われて急いで来てこのザマだ。やっぱり逸ってただけじゃねーか。
お互い苦笑いを浮かべて、それが終わって、美海は俺に今一度問いかけてくる。
「・・・やるの?」
「ああ。流石に『大丈夫』って胸張っては言えないけどな。流石に目が見えないんじゃ不測の事態になるとお荷物だ。頑張って耳と空気感でやってくけど、無理はしない」
「その言葉が聞けたからいいよ。・・・なんかさ、不思議だよね」
「何が?」
「遥は五年経ってるのにお舟引きのこと知らなくて、みんなお舟引きやってるのに五年前と変わらない姿の人がいて、って。改めて考えると、やっぱりおかしい」
「そりゃ、色々とあべこべになっちまったからなぁ・・・」
こんな世界じゃ、常識を疑った方が早いまである。
そんなことを思っていると、「でも」、と小さく呟いて、美海は続けた。
「でも、みんな変わってないよね。・・・光が起きてから、少しずつ起きてくる人が増えた。そしてだんだんと昔揃ってた『みんな』が戻ってきて、それで思わされたの。どれだけ大きくなっても、変わってないって。・・・遥から見て、私はどう?」
「・・・難しい質問だな。・・・けど」
美海が何を思って「変わっていない」と言いたいのか、その言葉の意味はちゃんと理解している。
そして、美海がどうありたいのかも、分かる気がする。
「変わってないよ。そりゃ、こんなに成長した。賢くもなったし、強くもなった。けど、すぐに拗ねるし、負けん気も強いし、それでいて優しいし・・・、そこら辺は、何一つ変わってない。んでもって、俺はそれでいいと思ってる」
「・・・ん」
少しくすぐったそうな声だけ出して、それから美海は黙り込んだ。そうやって照れるところも、多分変わってないんだよ。
かくいう俺も、きっと変わってない。・・・まあでも、悪いところが変わってないから目が見えなくなったわけだし、そこは善処。
さて、あと30分くらいかな・・・。
ぼんやりとそんなことを思っていると、ふと美海に尋ねたくなった。それは視力を失う直前の日に千夏に聞いたことと一緒。
いつまでも、人間関係に囚われただけの生き方は出来ないから、俺はちゃんと、美海の「夢」について聞きたかった。
「なあ、美海」
「どしたの?」
「千夏にはこの間聞いたんだけどさ。美海にはまだ聞いたことなかったことがあるんだよ。美海はさ、将来何をしたいんだ?」
「将来の夢、ってこと?」
「そう」
それからしばらく考えこんでいるのか美海は黙り込んで、それから答えを提示するより先に質問を質問で返した。
「千夏ちゃんは、なんて答えたの?」
「千夏か? ・・・あいつは、夢ははっきり決まってないけど、もし叶うなら海で生きたいって言ってた。それがあいつの、子供の頃からの夢だって」
「そっか、らしいや。千夏ちゃん、ずっとそう言ってたからね。海の中で生きることが夢だって。・・・そっか、ずっと変わらないんだね」
遠く昔を懐かしむように美海は呟く。それは俺が千夏や美海を知る前からの記憶だ。古びた思い出な分、さぞ奥深くまで染み込んでいることだろう。
「それで、美海はどうなんだ?」
尋ねた言葉に対して、今度こそ美海は答えを出した。
「私は・・・逆かも。どこで生きたいか、じゃなくて、何をしたいか。それだけは一つ、決まってることがあるよ」
「それはなんなんだ?」
「私は、人を助けることをしたい。働いてたら巡り巡って誰かを助ける、なんてみんな言うけど、そんな曖昧なものじゃなくて、私の手で、言葉で、多くの人の助けになりたい。昔、遥にそうしてもらったように。・・・私が遥に、そう思ってるように」
「そうか。・・・難しい道だぞ?」
「難しいことは私なりに理解してるつもりだよ。ただ『優しさ』を振りまくだけじゃいけない。そこには言葉の意味の重さと向き合う覚悟がいるってこと。全部、全部遥が教えてくれたから」
見なくても分かる。きっと美海はいつも通りのまっすぐな目をしてるだろう。
だから、何も心配はいらない。美海はちゃんと、人を助けることの難しさと、正しさを知っている。これ以上俺がとやかく言う必要もないし、心配する必要もないだろう。
「なら、大丈夫だな」
「うん。後はどうやって、それを仕事に出来るか探していくつもり」
美海は自身を持ってそう答えた。その答えに満足して、俺は天を仰ぐ。
もうすっかり日も落ちたことだろう。海から上に登っていったひんやりとした空気が空にとどまっている。
そこに星が出ていることを願いながら、俺はまた一つ、口から息を吐いた。
『今日の座談会コーナー』
復帰してからここまで、おっそろしいほど早かったようなそうでなかったような・・・。もうお舟引き直前ですか、と少し驚いています。
前作ではほとんど触れることなかった二人の夢、今作ではちゃんと言葉になりました。そして、まだちゃんと夢を語っていない人間が一人いますね・・・。その言葉はいつになったら合われるのか、ぜひ楽しみにしていただければ。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)