凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百三十七話 世界、開く時

~遥side~

 

 時は過ぎ、お舟引きは始まった。揺れ動く船の上に立ち、先端から熱を放つ棒を渡される。さしあたり松明だろう。

 俺は光が乗る先頭の船から一つ右後ろの船に乗っていた。曰く、一番先頭の船が五年前のダメージが一番ひどかったらしい。そんなものにこの状態で乗れるわけがないということだ。

 

 俺は大人しく従い、前の船で光がバサバサと振る旗の音に耳を澄ませた。それからさらに目を閉じて、光景を想像してみる。

 目が見えないのが幸か不幸か、俺の心の瞳に映るお舟引きの光景は、海が凍てつく前のものだった。だからこそ今この空間がどこか嬉しく思う。

 

 そして船が止まる。先頭の船にあったおじょしさまが海へと降ろされて・・・。

 

 その時だった。

 

 ドン、と一つ大きな音が鳴ったと思うと、船の動きが急に不安定になりだした。流石に海で生きてきた人間だから見なくても分かる。これは・・・渦だ。しかも複数の。

 明らかに異常なことが起きている。それに気が付いた俺はすぐに同じ船に乗っていた千夏に声をかけた。

 

「千夏! 五年前もこんなことが起こったってのか!?」

 

「いや、五年前よりも今回の方が・・・って、キャッ!?」

 

 話途中にも関わらず、一際大きな揺れが船を襲う。船体がギリギリ転覆するかしないかくらいの波だ。

 

 本来ならば、これくらいならバランスをとってすぐに動ける。・・・はずなのに。

 視力を失くした俺に対処など不可能で、体は放り投げられるように海へと落ちていった。

 

「遥くん!」

 

 千夏は手を伸ばしているのだろうか。けれどその手がどこにあるのか、今の俺には分からない。

 そして体に冷たさが走ったかと思うと、俺の身体は水底へと引っ張られていった。

 

 ・・・。

 

 ・・・・・・。

 

 何も見えない。身体が沈んでいることだけは分かる。本来ならすいすいと泳いでいるはずの海なのに、今はどこに向かい、何をすればいいか分からない。ただ呼吸だけをして、俺は沈んでいく体に身を任せる。

 

 音もなくなった。

 だから今俺はどこにいるのか分からない。きっとただもがいて上を目指せば陸にいるだれかが見つけてくれるだろう。だから、怖くはない。

 

 ・・・怖く、ないわけないだろ。

 

 心のなかで自分を怒鳴りつける。

 怖くない? よくもまあそんなふざけたことが言えたもんだ!

 そこはかとなく怖い。今この瞬間ほど、孤独に苛まれたことがあっただろうか?

 

 何も見えないで、誰の声も聞こえないで。

 俺が上を目指さないのは、怯えて体が竦んでいるからだ。それを知っていて、怖くないなんて無理は言えないだろ・・・!

 

 熱くなった心は、今にも暴走寸前となる。呼吸は歪になり、いよいよ体は言うことを聞かずに沈んでいく。

 

 その時、頭の中を一つの言葉がよぎった。「誰か、助けて欲しい」と。

 

 俺は今まで、それを願ったことがあっただろうか。心の奥底では思っていても、それを言葉にしたことはなかったのではないだろうか。

 そんなことを思うと、少しだけ頭から血の気が引いていく。

 

 そしてその瞬間、俺を呼ぶ音が聞こえたような気がした。

 

 

『・・・初めまして』

 

「誰だ・・・?」

 

 少なくとも、その声は聞いたことはない。・・・いや、一回、二回、少しだけあったような気がする。ただ、その正体が何なのか、それを俺は知らない。

 

『私は・・・ただの、海の藻屑です。今はもう、実体もない』

 

「・・・そうか、あんたは」

 

 これは・・・おじょしさまの思念だ。それも、「原初のおじょしさま」の。

 海神様の思念が海を支配するように、おじょしさまの思念もまた、海を彷徨っているみたいだった。

 

『お気づきになられましたか』

 

「なら一つ確認させてくれ・・・。千夏を海に引きずり込んだのは、あんたか?」

 

『・・・その千夏、という人間が誰かは存じ上げません。ですが、「ずっとこのままだったらいいのに」という想いに報いようとした、そんな過去はあります』

 

 全てのつじつまがあう。五年前の千夏失踪の元凶は、やはりこの人で間違いないようだった。

 怒りたくもなる。けれどそれは結局後の祭りで、今更そんな感情を抱いたところで時間は戻らない。

 

「そうか」

 

 そう短く返して、俺は黙り込んだ。

 それから意識も少しずつ沈んでいく中で、おじょしさまは俺に問いかける。

 

『少年、あなたは・・・』

 

「なんだよ」

 

『目が・・・見えないのですか?』

 

「・・・ああ。だから今こうして、あんたと出会ったんだと思う」

 

 多分、見えていれば俺は誰かと一緒にいただろうし、今この展開を迎えることはなかったのだろう。ある意味これは、運命のようにも思える。

 

『・・・そうですか、なら』

 

 その言葉が聞こえた瞬間、俺のおでこに何か温かいものが触れたような気がした。温度は時間が経つにつれ、全体を包んでいく。気が付けば、身体は沈むのをやめていた。

 

 ・・・そして、長い事開ける事はなかった瞼がだんだんと開いていった。

 

 そこには、酷く寂しい、モノクロの暗い海が映っていた。

 

「これはっ・・・!?」

 

『私には、自分のものを誰かに共有する力が残っているみたいです。残っていたものは、目と、心と、声。・・・誰に与えられた力かは、分かりませんが』

 

「・・・なら、千夏を引きずり込んだのも、あんたの意志の共有、って訳か?」

 

『おそらく。・・・だからこれは、その過去の贖いでもあります』

 

 つまり、俺のこの今の視界は、おじょしさまの視界が共有されたもの。モノクロであるのはきっと、この人にとって今の世界がそれくらいにしか思えていないからなのだろう。

 共有されているだけであって、いつこの視力がまた奪われるか分からない。それでも俺は、久しぶりに瞳が光を映したことに喜びを感じずにはいられなかった。

 

「なんにせよ、助けてくれたことには感謝する。・・・ありがとう」

 

『いえ。・・・いつか誰かに、最後の寄与を行う必要があったので』

 

「最後・・・?」

 

『私は本来存在してはいけない者。例え塵芥の一つとしても、思念すら持ってはいけない者。だからこの想いを誰かに託し、消える必要があります』

 

「それがたまたま俺だったって訳か。・・・けど、あんたそれでいいのか?」

 

 ウロコ様は昔、海神様は自身にまつわる記憶をおじょしさまから消したと言った。

 目の前の光放つ塵芥は、困惑を示すように舞った。やはり、覚えていないのだろうか。

 

「あんたは、愛した海神様への想いを頼りに、この海に来たんじゃないのか?」

 

『海神様・・・? ・・・あ、あああ・・・』

 

 何かを思い出したように、残留思念は声を挙げる。そこには深い悲しみと、嘆きが滲んでいるように思えた。海にいるから、というのもあるだろう。かつて奪われた記憶を、残留思念は取り戻しつつあった。

 

『私は・・・あの人を』

 

「伝承で聞いた。二人が不幸せな最後を迎えたこと。・・・でも、お互いの気持ちがすれ違っていたわけじゃなかった。ただ、それが届かなかっただけで」

 

『・・・それを、消えかけている今に言われても』

 

「だろうな。・・・でも俺はそれを伝えることができる。あんたに託された瞳で、あの人を見つけることができる。・・・だから、全部、俺に託してくれ」

 

 今なら、全てを変えられる気がする。そう思えるのは、視力を失ったこの三週間で、俺自身がより前に進めたから。

 だから、その願いを託して欲しい。一緒に叶えたい。俺は近くの岩場に止まっていたウミウシを手に乗っけて、おじょしさまの方に差し出した。

 

「想いを・・・込めて欲しい」

 

『・・・』

 

 覚悟を決めたように、おじょしさまの思念から言葉が溢れる。やがてウミウシが吐き出した石の色は、紛れもない白色だった。それを手に握り、俺は前を向く。

 

「・・・確かに預かった。絶対、届けて見せる」

 

『私が思いを託した最後の人間が、あなたでよかった。・・・そう思わせてください』

 

「ああ。任せてくれ」

 

 それから光る塵芥はバラバラになっていく。最後に光を失って、もう二度と声が聞こえることはなかった。

 けれど、託されたものが俺の中で生きている。色のないこの瞳と、思いの籠った石と。

 それだけを握って、俺は前を向く。

 

 

 次に耳に入ってきた音は、いつかと同じ、サラサラと砂が流れる音だった。

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ということで、前作には全く登場する気配のなかった「原初のおじょしさま」という存在を持ち出してみました。うんまあ、こうでもしないと視力取り戻せないし・・・。しかしこれはこれで、前作よりも最後のシーンの深堀とこれまでの伏線を回収できたのでよしだと思っています。
 残すところあと何話でしょうか。もうそう長くない物語ですがぜひ最後までお付き合い宜しくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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