凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百四十一話 親愛なるあなたへ

~遥side~

 

 俺の呼びかけで、ウロコ様は影の方から姿を現した。この現場での一部始終を見届けていたのだろう。だから、「見ていたのか」などと野暮なことを聞くつもりはない。

 

「・・・ウロコ様。あなたには、この未来が見えていましたか?」

 

「ふむ、面白いことを聞きおる。・・・そうじゃな」

 

 ウロコ様はしばらく黙り込んで、バツが悪そうに頭を何度か掻いてそれから答えた。

 

「はっきり言おう。儂には見えておらんかった。なんせ、愛する人の記憶を奪っておいて、その愛が誰に向けられていたか気が付かなかった存在じゃ。分かるはずもない。・・・今回は、儂の完敗じゃな」

 

「勝ち負けの問題じゃないでしょうに・・・。まあともかく、見えてなかったことは分かりました。なら、質問を変えます。これから海は、どうなりますか?」

 

「えらく抽象的なことを聞くんじゃの」

 

「海神様のウロコなら、分かると思って聞いてますから」

 

 どこまでもまっすぐな俺の視線から逃げられないことを悟ってか、その場に腰を下ろして、ウロコ様は悠長に語り始めた。

 

「分からぬ。・・・じゃが、きっとこれまでとは大きく異なる毎日が始まるじゃろうの。お主の働きかけもあって、海神様が力を取り戻した。今しばらくはそれが揺らぐこともないじゃろう。凪もじきに終わる」

 

「それじゃ、昔みたいな海が戻ってくると」

 

「少なくとも、お主らが知っている海の、その前の頃まで遡るかもしれんの」

 

「やっぱり、そうなんですね」

 

 一番信頼が出来るところから、一番欲しかった答えが来た。嬉しさで、表情が綻ぶ。あれだけ色んなことがあったけど、俺はやっぱり・・・この海が好きなんだ。

 

「逆に儂から問うてもよいかの?」

 

「いいですよ。一方通行なのはよくないですし」

 

「遥。お主はこれからどうするつもりじゃ?」

 

「えらく抽象的なことを聞くんですね」

 

「儂にも全く見通せん存在じゃからの。今のお主は」

 

 これからどうするか。

 それは多分、陸だの海だののことを聞いているのだろう。俺の夢がどんなものか、などと可愛げなことを聞いているわけではない。

 

 ただ、前者の問いなら、答えを出すのは簡単だ。

 

「どうもしませんよ。当面は陸に残りますけど、海にも帰ってきます。これからの海はきっと過ごしやすいでしょうし、何より陸の人間との間に生まれた子供にもエナが出来ることは証明されています。海側が陸に行く人を縛ることなんて、もう意味がないんですよ」

 

「そうじゃな。・・・遥、お主は」

 

「?」

 

 ふいに、ウロコ様はこれまで見せることのなかったような笑みをこぼした。人を小ばかにするわけでもなく、面白いものを見る目でもなく、ただ普通に、人が笑うような笑みをこぼして、言葉の続きを紡いだ。

 

「随分と成長したんじゃの。小賢しく、生意気だった小僧が今ではこんなになってしまった。儂が危惧しておった危なっかしさももう残っておらん」

 

「寂しいですか」

 

「この間みたいなことを聞きおって・・・。そうじゃな、少し寂しいもんかの」

 

 などと正直な回答が帰って来るものだから、たちまち俺の調子は狂った。してやられた、と思いながら、俺も苦笑する。

 

「今のお主なら、恋煩いも上手くやるじゃろうの」

 

「自信はないですよ。・・・でも、立ち向かえる自信だけなら、あります」

 

「そうか。・・・さて、お主をずっとここに止めておくのも野暮じゃの。早く陸へ戻り、お前を待つ人のもとへ行くがよい」

 

「はい」

 

 ウロコ様に背中を押され、俺は色づき始めた海を後にする。汐生鹿はだんだんと視界の端へと消えていくが、その最後までウロコ様はそこに立っていた。

 そうして海神様の欠片に見守られながら、俺はたどり着くべき場所へたどり着く。

 

 

---

 

 

 どうやら俺が陸へ上がった一番最後の人間らしく、皆はそれぞれ、各々の大切な人と再会していた。海の連中にしろ、陸で出会った連中にしろ、それぞれのハッピーエンドが、今ここで繰り広げられていた。

 

 その時、また身体が痛みだした。ついさっき美海と千夏に支えられてようやく動けた程度だったんだ。今更ぶり返しても、不思議じゃない。

 それでも歯を食いしばって、俺は人ごみをかき分けて会いに行きたい人のもとへ歩いて行った。途中何人もの人間に声をかけられたが、右から左に音を流して、適当にあしらって進んだ。

 

 そして俺は、俺の大切な人のもとへたどり着く。

 先に名前を呼んだのは向こうだった。

 

「・・・おかえりなさい、遥くん」

 

「・・・はい。ただいま、帰りました」

 

 少し目の端を潤ませた夏帆さんが、どうにか笑みを作って「おかえり」という。あくまでいつも通りを作り出そうとしているその気概に触れた俺も、また泣きそうになった。

 

 いつまでも、そこは変わらない場所だった。

 初めて会った時から、今の今まで、ずっと俺の帰りたい場所であってくれた。

 

「千夏から話は聞いたが・・・視力、戻ったんだな?」

 

 信じられないものを見るような表情で、保さんが尋ねる。俺は短く一度首を縦に振った。

 その首肯に嘘がないことを確信して、保さんは「そうか」と短く呟いた。それから少しの間黙り込んだかと思うと、保さんはこちらに歩み寄った。

 

 それから、俺の頭に手を置いて、自分の方に抱き寄せる。

 

「・・・辛かっただろう。苦しかっただろう。・・・いろんなこと一人で背負い込んで、沢山傷ついただろう。・・・よく、頑張ったな」

 

「保、さん・・・」

 

 気が動転してしまって、今何が起こっているのか理解できなくなる。俺は咄嗟に名前を呼ぶだけで、それ以上は何も出来なかった。

 ・・・何も、したくなかった。この心地の良い空間に、一生留まっていたかった。

 

「遥君は頑張った。胸を張っていい。・・・くそっ、もっとうまく言えたらいいのに」

 

 上手に言葉が出てこない自分に苛立っているのか、保さんはそう吐き捨てた。けれどそれから、これまでより更に強く自分の方に俺の身体を引き寄せて、俺が今までで一番欲しかった言葉を放った。

 

「・・・君がいてくれて、本当によかった。・・・ありがとう」

 

「・・・っ!」

 

 その時、胸の奥のほうがじんわりと熱くなった。頭が真っ白になる感覚とともに、俺の目の端の方からとめどなく雫が溢れ始めた。

 俺の生を肯定する言葉。それを・・・こんなにも大好きな人たちに言ってもらって・・・。

 

 一度堰が壊れたら、涙はそう簡単には止まらなかった。言葉は全て嗚咽に変わり、また次の雫が零れてくる。

 あの日いなくなってから、一生俺の人生には「親」という存在はないものだと思っていた。だからずっと、一人で生きていくものだと思ってた。

 

 でも、二人がいてくれたから、俺はここまでこれた。

 二人が愛してくれたから、俺は俺でいれた。今日という日に生きることが出来る。

 

 それが嬉しくて・・・たまらなく、嬉しくて。

 

「保さんっ、俺はっ・・・!」

 

「ああ、いつか終わる関係になるとしても、遥君は俺たちの、最高の子だ」

 

 その一言だけで十分だった。

 俺は泣き続ける。こんな歳にもなって、ガキのように見境なく泣きじゃくる。本当はずっとこうやって、親の胸で涙を流したかったんだって、今になってようやく分かる。

 

 

 俺が生きていた意味は、確かにここにあった。今ようやく、心からそれに気が付く。

 それを祝福する雨は、当分止むことはなかった。




『今日の座談会コーナー』

 このシーンを書いていると、「ああ、ようやく遥を取り巻く苦しみの連鎖が終わったんだな」と思いましたね。そしてそこには両親の存在は必要不可欠だろう、ということでこのシーンを書かせていただきました。遥が真に欲していた存在として「両親」というのがありましたからね。この二人は遥かにとって、ヒロインよりもかけがえのない存在だと自分は思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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