凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百四十二話 新たな始まり、その前夜

~遥side~

 

 保さんの胸の中でさんざん泣いた後、体力の尽きた俺は誰かが呼んでくれたタクシーを拾って水瀬家へと先に帰っていった。

 話したりない事、分かち合いたいことはまだまだ沢山あるが、そんなものいつだって出来る。これからの未来が明るいことは、もう疑う余地もないのだから。

 

 それから一晩死んだように眠りこむ。その甲斐もあってか、目が覚めたのは朝の六時だった。祭りの次の日の寝起きじゃないだろう。

 退屈そうに廊下を歩く。しっかり目が冴えているせいで、もう二度寝が出来るような気がしなかった。

 

 すると、縁側でぼーっと海を見る人影があった。保さんだ。

 

「おはようございます」

 

「おはよう、遥君。疲れはもういいのか?」

 

「たっぷり寝ましたから、もう元気ですよ」

 

 自分は大丈夫だというアピールを両腕を横に伸ばしてしてみせる。保さんは苦笑しながら、「そうか」とだけ呟いた。

 それから俺の方を見ずに、ひとりごとを呟くように言った。

 

「夏帆が自力で立てなくなるほど泣いたのは、久しぶりだったかな」

 

「昨日のこと、ですか?」

 

「ああ。海に明かりが灯った瞬間、もう立てなくなっていたよ。あいつは汐鹿生の生まれだからな。思うところは、俺の何十倍もあるだろう」

 

 そう言えば昨日の夏帆さんは、今まで見たことがないほど目を赤く腫らしていた。それほどまでに沢山泣いたのだろう。

 

「・・・夏帆さんの、お父さんの話ですか」

 

「それもあるだろうな。あいつが最後に立てなくなるほど泣いたのは、自分の父親の訃報を聞いた時だったからな。・・・それから、長い事弔うことも出来ないでいた。・・・辛かっただろうな」

 

「ええ、僕もそう思います」

 

 でも、それが解き放たれたからこそ、夏帆さんは涙を流したのだろう。

 自分の中で整理がついていなかった、10年物の因縁にようやく決着がついたのだから。

 

 その喜びは、俺が知れたもんじゃない。

 

「ようやく、みんなで幸せになれるんだな」

 

「はい。・・・まだちょっとわだかまりは残ってるかもしれないですけど・・・。今の陸と海なら、きっと上手くできます」

 

「ああ、俺もそう思うよ」

 

 保さんは柔らかい笑みを浮かべて、そうはっきりと答えた。この人が軸を担っているんだ。陸のほうは何も問題がないだろう。俺は安心してそれを見れる気がした。

 それからしばらくの間、無言が続く。といっても、心地の悪い無言ではない。ただ風を浴びるだけで何もしないでいるこの空間は、頭を空っぽに出来て気持ちがいい。

 

 そしてそれに言葉を乗せて、保さんは話を始める。

 

「ところで、遥君はいつまでこっちにいるんだ? 休みももう長いこと続いただろう?」

 

「・・・明後日には、一旦ここを経とうかと思います」

 

 それから俺は、一つ唾を飲みこんだ。

 これからの選択をしていく上で、ちゃんと保さんに、夏帆さんに伝えておかないといけないことがある。

 今は保さん一人しかいないけれど、構わないと俺はそれを口にした。

 

「それから、なんですけど」

 

「ああ」

 

「大学を卒業するころに・・・いったん、この関係を終わりにさせてください」

 

「・・・それが、『いつか来る日』ってことでいいんだな?」

 

 保さんも夏帆さんも覚悟はしていたみたいだ。俺は「はい」と短く言葉にして続ける。

 

「二人が作ってくれたこの空間が、俺はとても大好きでした。・・・そして、今も大好きなんです。・・・でも、いつまでもここに居るわけにはいかないんです。それは俺自身の可能性を狭める事にもなりますし、なにより・・・」

 

 この場所にいたい、ということを、美海を蔑ろにする理由にしたくなかった。

 

 だからもし、俺がこの二人を親と呼ぶときは、俺がそういう答えを出したときだ。

 

「なにより・・・」

 

 しかしそこで言葉がつまる。泣きそう、という訳でもないが、言葉は掠れて音にならなかった。胸の奥の感情だけが爆ぜて、苦しいままでいる。

 それを察して、保さんが昨日のように頭を撫でた。

 

「もういい。・・・分かってるんだ、俺たちも」

 

「すみません・・・」

 

「ただ、これだけは約束してくれ。・・・その、いつか来る日までは、俺たちの子であってくれ。・・・千夏と結ばれてくれ、なんて傲慢なことは言わない。けれどそれまでは、俺たちが純粋に愛したもう一人の子供でいて欲しい。・・・この願いも、傲慢か?」

 

「いえ。・・・その関係で、いさせてください」

 

 保さんは、ちゃんと全てを理解してくれていた。

 親というものはすごいもんだ。子供が何を言わずとも、その感情を芯の部分から理解できる。目に見えないもので、心が繋がっているのだと知る。

 

 約束の日が来るまでは、俺は二人の子供だ。

 

「・・・長かったな、これまで」

 

 終わりかけた話を遮るように、保さんは上を向いて呟く。

 

「やっと終わったんですね。・・・最初から狂い続けて来た歯車が」

 

「ああ。海と陸の対立も、凍っていく海も、全部が終わったんだ。だからこそ・・・なんだろうな、ぽっかり胸に穴が開いた気分だ」

 

「保さん・・・」

 

 俺も抱いている感情を、保さんは言葉を持って具現化する。

 全てがハッピーエンドで終わった。それに対する不満など一つもないが、これまで生きがいとなっていた困難が次々と崩れていったのもあって、俺自身がどうやら困惑しているみたいだった。

 

「でも、遥君にはまだこれから叶えたい夢があるんだろう?」

 

「夢・・・」

 

「そのために心理学を学んでるんじゃなかったのか?」

 

 確かに、心理学を学んで、誰かの役に立ちたいと思っていたのは俺の夢だった。

 けれどその夢の由来は、両親が死んだこと。父親が母親を刺し殺したこと。

 

 あの時の感情を知りたくて、俺は心理学の沼につかりこむことを選んだ。今からすれば、それなりに不純な動機だ。

 それを本当に、夢と呼んでいいのだろうか。

 

「・・・確かに心理学を学ぶことは、俺のやりたいことの一つでした。でも今、本当にそれを『夢』と呼んでいいのか、分からなくて」

 

「幸せな悩みだな」

 

「そう思います」

 

 余裕が生まれたからこそ生まれた悩みの種だ。ゆっくり時間をかけて悩みぬけばいい。

 それに、たとえ動機が不純であろうとも、誠意をもって取り組んでいるのならそれは白だ。何も遠慮などする必要はないのだろう。

 

 だから今は、俺が本気で叶えたい夢を探そう。

 

「とりあえず今は、本当に俺がやりたいことを探しますよ。・・・そのために、また何かを失って、後悔するかもしれませんけど」

 

「後悔するな、とは言わん。後悔しない道なんてないんだからな。だから・・・何を選んでもいい。選んだ道をまっすぐ生きて欲しい」

 

 

「はい」

 

 俺はこれまでいつも、どうしたら後悔しないかを探して進んできた。けれどそれが心を傷つけて、自分を擦り減らすことになるのをもう知っている。

 だからこそ今は、地に足をつけて、俺は歩いて行く。沢山後悔しながら。

 

「二人とも、ご飯出来ましたよー」

 

 その時、美味しそうな匂いと共に部屋の方から夏帆さんの声が響いた。話すことにすっかり熱心になって時計を確認していなかったが、どうやら朝食の時間になったみたいだ。

 

「行くか」

 

「ですね」

 

 重苦しい話はここで終わり。俺と保さんはゆっくりとした足取りで部屋の方へと戻っていった。

 これからも変わり続ける日々だけど、変わらない時間がある。俺はそれを喜びながら、抱きしめながら行くのだろう。

 

 

 また今日も、素敵な一日の始まりだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 ここから先は、新章にして最終章、島波遥という人間の「恋物語」の終着点へと向かう物語となっています。本編とはもうほとんど関係ないと言っても過言じゃないですね。前作ではα、βと分け、それぞれ二話ほどで展開しましたが、これだけ思い入れのある作品です。そんなすぐには終わらないと思うので、どうか最後までお付き合いいただけたらと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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