凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
大吾先生のもとを去って、俺は一度家へと戻る。
本当ならゆっくりと海を散策でもしたいところだが、教授と約束した論文が手つかずなままでは向こうに帰ることも許されないだろう。
幸いにも、俺なりの答えは出ている。「愛」と「恋」、その感情についてと在り方と。
千夏の一件やその他の一件が忙しかったなかで、色々な文献を必死に漁っては読んでいたのを思い出す。それと自分の意見を照らし合わせて、一つの答えを出すことにした。
「愛」と「恋」の感情は、全く別物であると。
全て人間には「愛」の感情が備わっている。それを俺はこの数か月で痛いほど思い知らされた。
その愛というのは何も「恋愛」だけではない。親が子を、子が親を思う感情、大切な友人を守りたいという感情、それらもまた確かな「愛」であることを俺は知った。
保さんや夏帆さんが千夏を、俺を思ってくれている気持ちも、西野先生が罪を犯した旧友のために仕事を新しく始めたのも愛である。今はそれを信じて疑わない。
好きという言葉の多様性は、全て愛に通じている。
その愛の中で、契りを交わして結び合うものを「恋」という。
どれほどの「愛」の感情を抱いていようとも、それを口にし、思いを伝え、結ぼうとしない限り「恋」とはならない。だから今俺はこうして、千夏とも美海とも契りを結ぼうとしないでいる。
そして、分かり切った話ではあるが、この「愛」というものは必ずどこかで失ってしまうものだ。それが寿命によるものか、はたまた不運な事故によるものか。
それはとても悲しい事である。かつてそれを理解できなかった俺は、人生を歪めることとなった。
その「愛」を失うことの痛みをさらに増長する行為が、「恋」へと結びつけることである。より親密な関係になるからこそ、失った時のダメージもまた大きい。それを同一視して、俺は「愛」から遠ざけてきた。
だからこそ、「恋」へと結びつけることは、勇気の証。生きることにおいて、何よりも強い行為である。
これが、俺の導き出した結論だ。
そしてこれから俺がどうするべきかも、今はもう分かっている。
「・・・なんとまあ、ずいぶんと恥ずかしい文章になったな」
出来上がった論文を修正していると、家にインターホンの音が響いた。一体誰だろうと玄関の方に向かうと、ドアの向こうに美海が立っていた。
二人を隔てるドアを開いて、俺は美海に声をかける。
「なんだ美海か。千夏と一緒じゃないのか?」
「うん。千夏ちゃん、お舟引きの役員会の後始末で大変そうだったから。それに先に帰っててって言われたし」
「なんだ、あいつそんなことしてたのか。・・・といっても、五年前も率先して動いてたからな。あいつならやるか」
陸に残っている人間で、かつ中学生で、二度目のお舟引きをしたのは千夏だけだ。ノウハウとか厄介事とかを知る人間が役員に就くのは当然の話だろう。
「それで美海は、なんでこんなところに?」
「遥にね、一つお願いが会ってきたの」
「俺にか。聞くよ、なんだ?」
「一緒に、汐鹿生に来てほしいの」
美海の口から、予想もしなかった「お願い」が告げられる。それを処理するのに俺の脳はそれなりの時間を要した。
確かにこの時間なら何の問題もなく行けるだろうけど・・・。
「今から汐鹿生に行って、何をするつもりだ?」
「・・・ママのお墓を立ててあげたいの。・・・ずっと思ってたんだ。もし海が私たちを迎え入れてくれるようになったら、そうしてあげたいって」
「なるほど。といっても、昨日の今日で海の大人連中が変わるもんなのか?」
「分からない。・・・だから、それも確かめに行きたいの」
美海は強い決意でそう語る。・・・海の判断を待った方がいい、なんて思っていた俺よりもよっぽど固い意志を持ってるみたいだな。
その決意を認め、俺はうんと頷く。
「分かった。どのみち俺も、向こうに帰る前にどこかで海に一度戻っておきたいって思ってたんだ。ちょうどいいし、今から一緒に行くか」
「うん」
少し嬉しそうに美海は返事をして、海の方を向いた。俺は一旦部屋に戻り、最低限の準備だけをする。
それから美海と合流し、二人隣歩きながら海を目指した。
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身体を一面蒼の水面に投げる。
昨日よりもさらに海の温度は上がっており、もはや五年前よりも高いといっても過言ではなかった。
「海ってこんなに温かかったんだ」
「ああ、俺も驚いてるよ・・・。少なくとも五年前とは比にならねえぞ」
それはやっぱり嬉しくて、自然と口の端が上がってしまう。これが俺たちがみんなで掴んだ奇跡の結晶なのだと思うと、尚更。
美海もそれが分かっているようで、同じように少しだけ微笑んだ。
それから美海は、ずいぶんと懐かしい思い出話を始める。
「ねえ遥、覚えてる? 私が家から逃げ出して、遥が迎えに来てくれたあの日」
「ああ、覚えてるよ。・・・あの頃はお互い酷かったよな。お前は『好きなんていらない』って言うし、俺も心では全然信じきれてなかったし」
「さんざん迷惑かけたよね、みんなに」
「ああ。・・・けど、そんな俺たちの話ももう、五年前なんだな」
あの日のことは鮮明に覚えている。それこそ、あの日が「変わろう」と思ったきっかけの日だったのだから。
そんな俺たちも、今じゃ中二と大一だ。過ぎ去った時間の重さを改めて知らされる。
「私、今日までのこと、後悔してないからね。・・・いっぱい迷惑をかけたことも、全部、よかったと思ってる」
「後悔、か・・・。一時前の俺なら、まだ後悔を引きずってたんだろうな。事の発端だった、両親の失踪のこと」
それでも今は、もう前に進むことしか考えていない。後悔はとうに無縁のものとなっていた。
「・・・っと、着いたぞ」
そうこう話しているうちに、懐かしの汐鹿生に辿り着く。そこには人の息吹が宿っていて、明かりが灯っている。五年間、ずっと夢に思っていた光景を前にして、俺の頬を雫が伝う。
「遥?」
「くそっ・・・泣くつもりなんてなかったんだけどな。やっぱり、嬉しくて」
五年間、ずっと望んでいた景色だ。それも、五年前よりもさらに色づいて。
それが嬉しくないはずなんてない。・・・だってここは、俺の生まれ故郷なのだから。
すぐに涙を拭い去って、俺は美海を街へ案内する。
誰かに何かを言われることは百も承知だ。だけど美海は絶対に守り抜くと心に誓って、俺は街を歩いた。
早速誰かに声をかけられる。・・・というかこの人は。
「ん、あんたは島波さんとこの・・・。この間はすまんかったなぁ」
「はあ、どうも・・・」
五年前の会議の現場にいた。お互いそれを覚えているため、少しだけ微妙な距離だった。
それからその人は後ろの美海に気が付いて、怪訝そうな声を挙げる。
「んー? 見ねえ顔だな。誰だ?」
「灯さんのお孫さんです。・・・といっても、直接血は繋がってないですけど」
「宮司さんのお孫さん? 陸の人なのか?」
「けどエナはあります。じゃないと、ここに来れませんから」
俺が説明を受けて、おっさんは神妙な顔つきをした。それから何かを思い出しながら、途切れ途切れで話す。
「そういや今朝集会があってよ・・・なにやら宮司さんが『方針を変えるつもりだ』なんて言って・・・。なんか、陸に上がった奴の子にもエナが生まれるみたいだから、もう人の流出を止める必要がないとかなんとか・・・」
「現にこの子は、母親が海村出身ですから」
「そういうことか。・・・まあ、なんでもいいか! 嬢ちゃん、せっかく来てくれたんだ、楽しんでいきなよ」
「え、あ、はい」
そう言っておっさんはどこかへと去っていった。呆気にとられたままの美海が口を開く。
「なんか・・・なんとかなりそうだね」
「こりゃ汐鹿生にも当分混乱が残りそうだけどな・・・。けど灯さんの孫って言うだけでなんとかなるのは助かるな」
流石は宮司。影響力が違うな。
一度コツを掴めば後は早く、どうにか一つ一つの会話を丁寧にいなしながら俺と美海は街の外れのほうに辿り着いた。
「ここからなら、汐鹿生の全体が見渡せるね」
「ああ。・・・ここでどうだ?」
「うん。ここがいい」
そう言って美海は、簡単な墓をそこに立てる。骨も何も入っていないけれど、思いさえそこにあるのならそれは立派な墓だ。
出来上がった墓の墓前で、俺はしゃがみ込んで手を合わせて目をつむる。それから今はなきみをりさんのことを思った。
・・・思えば、あの人がいなければ、きっと俺がこの未来に辿り着くことはなかったんだよな。
失った傷もまた大きかったけれど、みをりさんはそれ以上の愛をくれた。俺の生きる糧を作ってくれたんだ。
だから今は純粋な気持ちで、この人の死を弔うことができる。
・・・みをりさん、汐鹿生はこんなに変わりましたよ。
俺も、美海も、こんなに大きくなりました。
だから・・・ずっとこれからも見守っててくださいね。
目を伏せて、かの日を思う。
あの日以上の幸せをつかみ取ることを俺は誓って、また目を開いた。
『今日の座談会コーナー』
数話前で触れた、夏帆さんの父親の弔いそのものに遥自身はさほど関係ないですが、みをりさんの死に関しては遥も大きく関与するところがありますからね。このシーンはどうしても必要だと思った次第です。
さて、第二章も残りわずかとなりました(なんか最近毎回これ書いてない?)。第三章が果たして何年後の世界になるのか、それをどうかお楽しみに。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)