凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百四十六話 幼すぎる「愛」

~遥side~

 

 みをりさんを弔って、俺は顔を上げる。美海も心から吹っ切れたような顔をして俺を見つめている。長い間溜め続けていた凝りが取れたのだろう。

 

「・・・さて、と」

 

「これからどうするの?」

 

「家に帰ろうと思う。せっかくこっちに帰ってきたんだ。たまには実家でゆっくりしたい」

 

 最後のほうは嫌な思い出しかない場所だったけれど、今となってはそれもいい思い出の一つのように思える。

 海に、あの家に帰るのにもはや何のためらいもなかった。

 

 街の外れからさらに別の外れの方へ移動する。

 そして集落から少し離れた場所に、その家はかつての形のままで存在した。少し固まった扉に手をやって、しっかりと引いて家へと帰る。

 

「ただいま」

 

 もちろん誰かがいるわけでもない。それでもここは俺の帰る場所であると思い込むために、その魔法を言葉にする。

 

「おじゃまします」

 

 続いて美海が家に入る。・・・そういえば美海がここに来るのは初めてだったな。

 にしても・・・。

 

「おかしいな・・・」

 

「どしたの?」

 

「俺が前来た時よりもずっと綺麗になってるんだよ。あの時はホントに酷い埃でさ。まあ五年間もほったらかしにしてたんだからそりゃそうなんだけど」

 

「その時掃除はしたの?」

 

「したよ。けどそれ以上に綺麗になってるって話。・・・一体誰が」

 

 怪訝な表情を浮かべながら、リビングの方まで行くと、机の上に書置きが残してあった。その宛名を見て、俺は苦笑する。

 

「・・・なるほど」

 

「何か分かった?」

 

「『これはほんの礼じゃ。気にせず受け取るがよい』だってさ。ウロコ様が」

 

 あの人がこんなお節介をするなんて知ったら他の住民は黙っちゃいないだろう。だから俺は、このことは口外しないようにする。

 にしても、あのウロコ様が、ねぇ・・・。

 

「ウロコ様と何かあったの?」

 

「そりゃあもう色々あったさ。みんなには黙ってたことこの際話すけど、俺、ちょこちょこウロコ様に会ってたんだよ。そこで多くのことを話した」

 

「なんで黙ってたの?」

 

「まあ、大体は与太話だったからな。あとは単純に、俺が伝えても意味ない、と思ってたことばっかりだったからだ。もちろん、相談した方がいいことも沢山あったから、それは後々にミスだって分かってたんだけど」

 

「なるほど、それでウロコ様が遥に肩入れするようになったと」

 

 ビンゴ。正解だ。

 あの人ははっきりと、俺に対して思い入れがあるということを告げてくれた。もちろん驚きもしたけど、思われていることは単純に嬉しかったような、そんな気もする。

 

 あの人がいつか言った、「神になるか」という問い。

 あれはおそらくそれなりの想いを持って言ったのだろう。自惚れでなく、俺はそう思っている。

 だからこそ、俺はその問いを真正面から否定する。

 

 俺は神になんてならない。人として、愛に生きたい。それに向き合いたい今、逃げる道はもう必要ないから。

 

「ウロコ様にも感謝しないとな。あの人が定期的に俺にちょっかい出してくれなかったら、きっと気づくより早く全てが壊れてただろうしな」

 

「そっか。・・・遥、幸せそう」

 

「そうか?」

 

「これまで見た中で、一番幸せそうな顔してるよ。どんな瞬間、どんな場面より」

 

 美海にも分かるくらい、今の俺の表情は緩んでいるのだろう。

 けれど、そうなるのも無理はない。だって今、俺は幸せなのだから。

 

 この幸せがいつまで続くかは分からない。いつか失う日はどこかで来るだろう。

 それでも、失う日のことを知っていれば、なおのことこの毎日を愛せるだろう。もうその日は目を反らしたくなるほど怖いものではない。

 

「幸せだよ。じゃなきゃそんな顔しないからさ」

 

「そっか。・・・幸せって、こういうことを言うんだね」

 

「これまで美海は幸せじゃなかったか?」

 

「そんなことはないよ」

 

 美海は首を横に振って一度それを否定して、言葉を持ってそれを証明する。

 

「パパはずっといてくれたし、晃も生まれてきてくれた。五年間、遥と一緒に歩けたし、皆が起きてきた最近は賑やかで楽しかった。これは間違いなく私の幸せ。・・・だけどね、その分辛いことも沢山あったでしょ?」

 

「まあ、な」

 

 千夏の記憶のこと。あの出来事が俺たち二人に与えたダメージは大きなものだった。五年前、崩れることなく続いていた関係は、あの日を持って終焉を迎えたのだから。・・・といっても、千夏のあの日の告白で、全ては変わっていたか。

 

 けど、あの告白は忘れて欲しいと言われた。俺も気にしないようにしている。好意があると分かっていても、それを「恋」と定義しないようにしているのが現状だ。

 

 それと、俺の心労もそうなのだろう。

 さんざん心配をかけてしまった。美海が自分自身の幸せを喜べる余裕も奪っていたのかもしれない。

 

 それが無くなった今、心から幸せだと言えるのだろう。

 もっと先の、自分の掴みたい未来を一度見ないふりをして。

 

 だから、一つだけ美海に、千夏に言わないといけないことがある。

 

「なあ、美海」

 

「なに?」

 

「まだ待ってくれ、って言ったら・・・美海は待ってくれるか?」

 

 特に何を、とは言わない。けれど美海は何の話をしているか分かったようで、うんと一度頷いてすぐに返答を口にした。

 

「待つよ、私は。多分千夏ちゃんもそう答えるんじゃないかな。だって・・・きっとまだ、私たちには早すぎるから」

 

「そっか。・・・やっぱり、そうなんだよな」

 

 美海は分かっていた。

 今の三人が、「恋」を語るにはまだ早すぎるのだと。

 

 未来など全く見えないけれど、二人のどちらかと「恋」を結んでしまえば、俺はその最後まで歩いて行ける自信があった。でも、だからこそこんな早く、若いうちからそれを結ぶことはしたくない。

 

 結び目は、固いほうがいいに決まってる。

 

「でも、ちゃんと言っておく。・・・私は、遥が好きだよ」

 

 かつて「好き」を嫌い、遠ざけた少女は、はっきりとその言葉を口にした。

 だから、かつて「好き」を怖がり、遠ざけた俺も、それに答える。

 

「ああ、俺も美海のことが好きだ。・・・それと同じくらいに、千夏のことも、好きなんだ」

 

「そっか。・・・今はその言葉が聞けただけでいいかな」

 

 悲観することなく、呆れることもなく、本当に満足そうに美海は呟いた。

 いつでも結ぶことが出来る「愛」は、今各々の心に浮かんでいる。それを理解しあえているのであれば、急いで結ぶ必要なんてないということだ。

 

 美海は俺が好きで、千夏も好きだと言ってくれて、俺も二人のことを好きだと言っている。

 いつでも結ぶことが出来る状態が今目の前にあるということを、俺はこの言葉を持って確信に変えた。

 

「・・・うん」

 

 美海は何かに納得したような顔つきで大きく頷く。その仕草をおかしく思った俺は美海に問いかけた。

 

「どうしたんだ?」

 

「この言葉を言っても、これまで通りの関係でいられると思ったから。きっと、言葉にしただけで心が変わるような関係じゃないんだよね、私たちは」

 

「ああ、そう思うよ」

 

 好きと言ったら、相手の意識が変わると思っていた。

 しかし今、目の前でそんな変化は起こる気配もない。美海はそれに安心しているようだった。

 そして、その変わらない関係を、俺もまた望んでいる。

 

 

「さてと、私そろそろ帰ろうかなって思うんだけど、遥はどうする?」

 

「別にいいけど・・・。急いで帰る用事でもあるのか?」

 

「どこで光たちに見つかるか分からないからね。今日のことは秘密にしておきたいし」

 

「そっか、あいつこっち帰ってきてんのか」

 

 街を歩いている時は幸いにもすれ違わなかっただけだろう。何かの拍子にあいつらがこの家に来ないとも限らない。

 俺は美海の言葉に納得して、それを承諾した。

 

「んじゃ、帰るか。美海は秘密にしたいらしいしな」

 

「うん」

 

 それから二人で陸を目指して泳いでいく。

 好きの感情をそれぞれ言葉にしても、海へと向かう時に出来ていた距離感は何一つ変わることなどなかった。

 

 きっと今は、これでいい。これがいい。




『今日の座談会コーナー』

 前話から度々「愛」と「恋」に関する理論を記述していますが、改めて筆者における今作の「愛」と「恋」の定義を明記しておきます。
 「愛」という感情は、何も恋愛に留まるものではなく、全人類の心に備わっているものであるとまず考えています(友愛、親愛なども愛であるという考え)。その上で、互いの愛を結び付ける行為を、本作は「恋」としています。
 つまり、「好き」という感情そのものは「愛」であり「恋」ではありません。ただ、その互いの「好き」の感情を互いが理解し、お互い一番近い距離で歩むことを誓うことで二つの「愛」が結びつき「恋」になるものだと本作では定義しているという訳です。

また、これは本作のみに適応する定義のつもりでいます。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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