凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第二章最終回です。


第百四十九話 心は海のように

~遥side~

 

 両親の日記を読み終え、その全てを受け入れた今の俺に、もう恐れるものはなかった。

 かつて見失っていた「愛」の感情は、今ちゃんと胸のなかにある。それをもう失うことはないだろうと、今は自信を持ってそう言える。

 

 あとは答えを出すまで、俺はこの胸の気持ちを大切に育てよう。それが何か月、何年の話になるかは分からないけれど、焦る必要はない。

 

 夕方の街に、一つ涼しい風が吹き抜ける。

 

---

 

 夕食を食べ終わった後、俺はリビングで読書に勤しんでいた。といっても、周りの音に耳を立てているのもあって、中身は全く入ってこない。読書、というよりは、この「誰かがいる空間」そのものを俺は楽しんでいた。・・・向こうに帰れば、もう当分味わうことが出来ないからな。

 

 そんな俺に、声をかける奴がいた。

 

「遥くん、ちょっといい?」

 

「ん、なんだ?」

 

「明日帰るんでしょ? ・・・折角だから、散歩、どうかなって」

 

 それはどこまでも純粋で真っすぐなお願い。当然無下にすることなど出来ない俺は、首肯して笑って答えた。

 

「そうだな。また当分時間が空くんだ。それくらいのことは、しておきたい」

 

「じゃ、行こうか」

 

 それ以上の会話は、俺たちには必要なかった。

 一度保さんの方を見て小さく会釈して、すぐに玄関に向かって千夏を待つ。一分ほどして支度を終えた千夏と合流して、俺は夜の鷲大師へ飛び出した。

 

 ただ一つ、変わらない目的地を目指して俺たちは歩く。その中で、千夏は風で靡く髪をほどきながら呟いた。

 

「ほんと、ずいぶん温かくなったよね、陸も」

 

「ああ。海も水温がかなり上昇しててびっくりしたよ」

 

「そっか。実家、戻ったんだね。・・・美海ちゃんと?」

 

「ああ。・・・はい?」

 

 急に美海の名前が出てきて俺は情けない声を挙げてしまう。美海の名前を出した理由を問おうとしたが、その答え合わせは千夏の方が先に行った。

 

「なーんかおかしいと思ってたんだよね。私が先に帰ってって言った時にはもう浮足立ってたし、何か企んでた気はしてたんだよ」

 

「別に、何もやましいことはしてない。・・・美海がな、みをりさんの墓を建てたいって言ってたんだよ。それに合わせて、俺も実家に戻っただけ」

 

「そっか。美海ちゃんのお母さんのね。・・・私も昔、よくお世話になってたなぁ」

 

 千夏は遠い昔を懐かしみながら思いをはせる。・・・というより、俺がみをりさんを知るより早く、千夏は美海と友達だったんだ。思うところはあるだろう。

 

「海にも墓を立てたのなら、尚更海までいって手を合わせないとね」

 

「そうしてくれた方が、向こうもきっと喜ぶと思うよ。・・・と、それより」

 

「着いたね」

 

 ダラダラと話していると、当初の目的地に辿り着いた。

 それは、俺が初めて千夏と真正面から言葉を交わした堤防。全てはここから始まった。この場所には、本当にたくさんの思い出がある。

 

「って、俺今日の昼間にもここに来てたわ。忘れてた」

 

「何してたの?」

 

「別に。ただ暇だなーって思って散歩してただけだよ。当分帰れなくなるから、回れるところは回っておこうかなと思って」

 

「ふーん。暇なんだね」

 

「暇だったんだよ」

 

 実際に暇だったのだから苦笑するしかない。どこまでも生産性のない会話が続いて、それにもまた笑った。

 ひとしきり笑って、場に沈黙が訪れる。その間に千夏はいつものように堤防に腰掛けて、足を海の方へぶらぶらと振った。

 

 それからしばらくして、ようやく口を開く。

 

「・・・ここで初めて会った時、私にはまだ病気があったんだよね」

 

「そういえば、な。お前が記憶を忘れたのと同時に病気もなくなったって話だったと思うんだけど」

 

「そのことなんだけどね。色々考えて思ったんだけど、多分私の記憶を昔のおじょしさまにもっていかれたとき、あの病気も一緒に持っていってくれたんだと思う」

 

「で、両方なくなった後で、記憶だけ上手く拾い集めてこじ開けたと」

 

「私はそう思ってるよ。・・・まあ、この際そんなことはどうでもいいんだけどね」

 

 確かにな、と言って俺も頷く。

 病気に関しては完全に過去の話。今それはもう目の前にないし、「どうして」と問いかける意味もないだろう。人は過去には戻れないのだから。

 

「ただ、そんな奇跡もあっていいよねって、私は思うよ」

 

「ああ。これは紛れもない奇跡だろうな」

 

 その奇跡を、俺はかつて信じていなかった。逃げたくなるような現実ばかりに直面して、どうせ現実は何もうまくいかないものだと決めつけて、奇跡を信じなくなっていた。

 

 だからこそ、目の前にある奇跡の連続は、とても輝いて見える。その輝きを映す瞳もまた、奇跡の産物なのだ。

 

 それからまた数秒の無言。俺たちの静寂を見透かした海の揺れが小さくなった時、千夏は俺の名前を呼んだ。

 

「・・・ねえ、遥くん」

 

「なんだ?」

 

「好きだよ」

 

「なっ・・・!?」

 

 全く予想していなかったタイミングで、全く予想していなかった言葉が飛んでくる。読みもクソもないのだから、たちまち俺は情けない声を挙げて驚くしか出来なかった。

 そのリアクションを見て、千夏は「あはは」と小さく笑った。それから少しだけ目を伏せて、口惜しそうに呟く。

 

「・・・五年前も、こんなリアクションが欲しかったんだろうなぁ」

 

「お前なぁ・・・」

 

「ごめんごめん。・・・でもね、言葉に嘘はないんだよ。五年前にこんなリアクションが欲しかったことも、・・・好きだって言った、さっきの言葉も」

 

「・・・ああ」

 

 その言葉を否定することはしない。俺もまた、同じ感情を千夏に、美海に対して抱いているのだから。

 

「あ、告白じゃないからね。・・・ただ、今の気持ちを伝えたかっただけ。遥くんが向こうに帰っちゃうの、どうしても寂しくて、言っておかなきゃって思ったの」

 

 そうだ。

 千夏は俺がこの街を離れた時にそこにいなかった。ずっと海の中で眠っていたんだ。

 だから今、こうやって一時の別れを寂しがってる。これで終わりではないと分かっていながらも、それを寂しがるのは無理のない話だ。・・・そうはいっても、千夏もまだ中学二年生のままなのだから。

 

 だから俺も、ちゃんと今の、ありのままの言葉を千夏に返す。・・・五年前よりは、かっこついてるといいな。

 

 

「言われたからには俺もちゃんと返さないとな。・・・俺も、お前のことが好きだよ」

 

「それは、美海ちゃんにも同じ感情を抱いている、っていう前提付きで?」

 

「ああ、そうだ」

 

 誤解のないように断言する。千夏の表情は変わらなかった。

 

「俺は二人のことが同じくらい好きだ。・・・そして、今この瞬間に一番を決めることなんて出来ない。だから・・・答えはまだ先の話になる」

 

「うん、分かってる。・・・私もね、そう返してくれるのを待ってたの。・・・もし万が一、遥くんの心の奥底が据わってたらどうしようって思ってた。だから、ちょっと安心」

 

「そうか」

 

 今は何も心配することは何もないだろう。

 千夏とはこれからもおそらく同じような距離が続くだろう。それを時折近づけたり遠ざけたりして、そうして未来を考えていけばいい。もちろん、美海にしてもそうだ。

 

 ・・・さて、俺の愛の答えは、あとどれくらい先の未来の話になるんだろうな。

 せめてそれが、あくびが出そうなほど退屈な時間の先でないことを、俺は胸の奥の方で願う。

 

 生ぬるい風を浴びた俺は、一度体をグッと伸ばした。一つ眠たそうなあくびをして、俺は千夏の方を向く。

 

「んじゃ、帰るか」

 

「そうだね」

 

 そうして二人隣歩いて帰るべき場所へ帰る。その間、これといった会話の一つもなかったけれど、それはまた心地の良い空間だった。

 

 俺はこの空間を、距離を、街を愛している。そして、それを生み出してくれる、俺の知る無数の人たちのことも、愛している。

 

 

 いつかは失われると知っていながら、それでも、愛している・・・。

 

 

---

 

 

 朝八時、電車の着メロが駅に流れる。どうやら迎えの時間が来たようだ。

 

「それじゃそろそろ行くよ。また空いた時間見つけて帰って来るから」

 

「うん、楽しみにしてる」

 

「こっちの事ばかり気にして勉強疎かにしたらダメだよ?」

 

「分かってるっての。そうはいっても特待生で鳴り物入りだぞ? 勉学には全力で当たるつもりだよ」

 

 見送りには、美海に千夏、それから俺の愛すべき人がちらほらと来てくれていた。この間は保さんと夏帆さんだけだったって言うのに、こんな短い間で随分と変わったものだと感心する。

 それは、俺がこの街で紡いだ「愛」の形。俺がこの街に生きてきた答えだ。

 

 その答えが今目の前にある。それに少しだけ涙ぐみそうになった。

 けど、今日は門出の日でもある。そんな日に涙は似合わないと、俺は感情を振り払って全力で笑んだ。

 

「それじゃ、行ってくるよ。みんな、元気でな」

 

「遥もね」

 

「分かってる。『健康一番』、この街での教訓だ」

 

「何それ?」

 

「色々あったからな。当面はこれを座右の銘にしようと思ってるって話。・・・んなこと言ってる暇ねえや! もう電車出そうじゃねえか! んじゃ、またな!」

 

 なんともまあ締まりの悪い別れだが、そんな不格好ですら俺は愛したい。

 もう蓋をした心の上から色を塗る必要はない。着飾って演じる必要もない。

 どれだけみっともなくて頼りなくても、それが俺だと信じて進もう。

 

 

 それが父さんと母さんを失ったあの日に生まれた「島波遥」の人生の答え。

 小さく大きく波を作っては時折凪ぐ、そんな穏やかな海のような心で俺は生きていくんだ。

 

 

 

 そして黒鉄の箱は動き出す。俺を未来へと連れていくように。




『今日の座談会コーナー』

 昨年8月の失踪から7カ月の月日を経て久方ぶりに動き出した物語も、ようやく第二章の最終話という節目を迎えることができました。モチベーションと更新頻度は比例するとはよく言ったものですね・・・。
 さて、前作では最終話の次回から告白シーン、afterと続いていきましたが、今作はもう少し長くやってみようと思います。もっとキャラを大切に扱いたいんです。
 ということで次回より第三章(新章?)を開始します。もうしばらくのお付き合い、よろしくお願いします。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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