凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
式が終わり、水瀬家へと着いたのは夜の九時ごろだった。
あの日海が解放されて以来、俺も実家へ立ち寄れるようになった。そもそもこの家に身を寄せるようになったのは俺の怪我が元だったわけだが、今では怪我の影響など微塵もない。
それでも俺はこの家に帰る。少なくとも今は、自分が身を寄せた居場所だということに変わりがないのだから。
・・・答え次第では、それも失われることになるのだろうけど。
「ただいま戻りました」
「ああ、お帰り」
出迎えてくれたのは保さんだった。・・・あれ、人の気配があまりないな。
「あれ、保さん一人ですか?」
「ああ。夏帆はこれから仕事、千夏は今美海ちゃんのところに行ってるからな。流石にもう高校生になったわけだ。門限も少し緩めた」
「そうですか。・・・そっか、もう高校生ですもんね」
本来は、俺と同い年だったんだけどな。
けれど過ぎ去ったことをグチグチと嘆くことはしない。変わってしまった今を軸にこれからどうするか、それだけ考えればいいから。
「それより、スーツ姿で長い事いるのもなんだろう。入ったらどうだ?」
「そうですね。では」
特に余計な言葉を口にすることなく、俺は俺にあてがわれているいつもの部屋へ戻る。向こうのアパートでの生活もだいぶ板についてきたが、やはりこの場所が今は一番落ち着く。
堅苦しいスーツを脱いでハンガーにまとめ、私服に着替えて俺はリビングへ向かう。ソファでくつろぎ、退屈そうに新聞を読む保さんの姿は家に誰がいようといまいと変わらないらしい。
そして、新聞に目をやりながら俺に声をかけてくるのも、変わらない。
「大学はどうだ? 残すところあと一年だと思うが」
「卒業に必要な単位はあと卒業論文だけなので、当分は就活に専念しますよ。こっちのエリアで就職するつもりなので、当分はまたこちらに身を寄せることになるかと思います」
「実家には、帰らなくていいのか?」
「帰っても楽しくないですから。やっぱり、誰かがいる場所に身を置ける方が、俺は嬉しいんです」
当然、一人でいる時間が欲しくなる日もある。そういう時くらいだ。俺が向こうの家に帰ることになるのは。
ただ・・・これから二人と向き合うためには、俺は長い事この家にいない方がいいのかもしれないと思う時もある。だってそれは、あまりにも不公平すぎるから。
「・・・なんども言うが、俺たちはあくまで遥君自身が望む選択をしてほしいと思ってる。それが俺たちを裏切ることになったとしても、本心からの選択なら何も言わないつもりだ。だから、俺たちの存在を未来の選択の理由にはしないでほしい」
「分かっています」
もちろん、フェアじゃないことは向こうも理解しているようだ。
・・・ただ、二人だってもうちょっと我儘になったっていいだろうに。そんなことを思ってしまう。
それからしばらくの間の無言。・・・あれ、二人しかいない家って、こんなに気まずいものだったかな。前回帰ったのが冬休みのほんの数日だったから、いよいよ感覚が分からなくなってしまっている。
そこに助け船を出したのは、玄関が開く音だった。門限ギリギリ、千夏が帰って来たみたいだ。
「ただいまー」
これ見よがしに俺は出迎えに行く。現れた俺に千夏は驚いた顔をしていた。
「あれ、遥くん。もう帰ってきてたんだ」
「式自体はそんなに長くないしな。あと見知った顔少なすぎたから話すだけ話してすぐ帰ってきたし」
それでも九時くらいまでかかるのだから、式場マジックはつくづく恐ろしい。
千夏は興味なさそうに「ふーん」と答えて、ドタバタと自分の部屋へと戻っていった。
・・・にしても。
あまり声にして言えるものではないが、歳を増すごとに千夏はどんどんと美しくなってきている。美海の成長もさることながら、千夏はまた特段だ。五年間眠っていたのもあって、成長する伸びしろが溜まっているのだろう。
そこについては本人も少し困っているようだ。曰く、昔入ってた服が入らなくなる、だとかが日常茶飯事らしい。
千夏が自分の部屋からリビングの方へ戻ってきたのは五分くらい経った後のことだった。
特に何食わぬ顔をしながら、俺の目をまっすぐ見つめたままいう。
「行こ」
「は?」
「いや、だから散歩。せっかく帰ってきてくれたんだし、話したいこといっぱいあるし」
俺は保さんに判断を仰ぐように視線を逃がす。しかし保さんは小さく頷いた後、また新聞に目を戻した。あれは間違いなくOKのサインだ。
俺は小さくため息をついて、それを了承した。
「分かった。もう時間も遅いしさっさと行くぞ」
「うん」
今日はこれ以上特に何をするつもりでもなかったが、俺は千夏の後ろについて家を後にした。それからいつもの堤防に向かう散歩コースに入る。・・・さっきまで遊んでたって言うのにやっぱ元気だな。
「千夏お前さ、結構グイグイ誘うようになったよな」
「嫌だった?」
「うーん、どうだろうな。ただ少なくともずっと申し訳なさそうにされるよりは何倍もいいと思ってるよ。多分、そっちの方が断りづらいし」
それに、もう遠慮をするような間柄ではないということだ。互いの後ろめたさが足を引っ張って少しだけぎこちないような距離だった二年前とは違う。
だからこそ、今、千夏を見る目が変わってしまっているように思えた。ただの「かけがえない人」ではない。俺は明らかに千夏を「異性」として見ている。おそらく、同じ感情を美海に対しても抱くだろう。
これまでのような関係でいれば思い悩むこともないだろう。けれど、進みたいと願っているのは俺だ。このどうしようもない違和感とはちゃんと向き合わないといけないだろう。
「ところで千夏。なんか最近変わったこととかあったか?」
「うわー、雑な導入」
「うるせ。話を切り出すの得意じゃないんだよ」
いや、多分ぎこちなくなってるだけだ。昔はもっと息を吐くようにコミュニケーションが出来ていたはずだ。・・・なんだろうな、この違和感は。
嫌な気持ちになっているわけじゃないのだけが救いだけど。
千夏は少し黙ったあと、最初の質問に答えた。
「最近ね、海の学校の手伝いに行ってるんだ」
「あっちに?」
「うん。ほら、波中も小学校も復活してるでしょ? けど人手が足りないから手伝いが欲しいって状態になってたの。今じゃ汐鹿生もずいぶんと人の出入りが増えたし」
千夏も今では海の馴染んだ顔になったみたいだ。あれだけ外からの干渉を拒んだ海がこうも変わるとは、少なくとも七年前には思わなかっただろう。そこはやはり、嬉しく思う。
一年くらい前に、夏帆さんも父親の墓参りに行けたみたいだしな。
「先生にでもなりたいのか?」
「んー、こだわりはないかな。でも、誰かの力になれるのは楽しいよ。ましてやそれが私の好きな海なら、尚更ね」
「あれだけ行きたがってたもんな、汐鹿生」
「うん。だから今、とっても充実してるんだ」
千夏は着々と「夢」を叶えようとしている。それが充実していないはずなどないだろう。
「遥君はどうするの? 就職するとやっぱり海に帰るの?」
「何にも決まってないんだよな。働くなら海かここかってのは決まってるんだけど、そこから先はまだ全然。・・・それに」
「それに?」
言いかけたところで、俺は後悔する。
俺のこれからは、多分二人のどちらかに由来してしまう。その未来が見えてしまっていた。でもそんなことを、今自分の想いだけで夢をかなえようとしている千夏の前で言えるはずがない。
「いや、なんでもない」
「そっか。・・・まあ、言いたくないならいいよ」
千夏は見透かしたように俺の言葉に答えを出した。何か言いよどんでいるのが伝わってしまったのが少し残念だが、考慮してくれたことには感謝したい。
そういう気の回し方も、上手になったんだな。
「ところで、こっちにはいつまでいるの?」
「当分は向こうに帰らないよ。またしばらく水瀬家にお世話になるかな。多分、時々実家に帰るかもしれないけど」
「実家は第一の遥くんの居場所だからね」
「そうはいっても手入れしなきゃ、また埃っぽくなっちまうからな、あの家も。あれと日記だけなんだよ、俺と両親を繋ぐものって。だからせめてそれは大切にしたい」
「うん、いいと思う」
千夏は涼しい顔で頷く。それから海の方に目をやって、自分の両手に「はーっ」と息を吹きかけた。
「やっぱり寒いねー、冬だと」
「ぬくみ雪関係なしにな。・・・んじゃ、帰るか?」
「うん、今日は長居するつもりもないしね」
千夏は両腕を広げて、くるりと反対方向を向く。それから瑞々しい笑顔を俺に向けて「帰ろっか」と告げた。俺も曇りない表情で頷いた。
・・・ほんとに、綺麗になったな。
これまで抱いたこともないような感情が胸を襲ってくる。各々が持っている「愛」を「恋」へ結び付けるには、この感情とずっと向き合わなければいけないのだろう。新しい壁が立ちはだかったものだと痛感する。
でも、だからこそ歩みはゆっくりと。
この先ずっと続いて行く歩幅は、波のように穏やかでいい。
『今日の座談会コーナー』
新章は色恋沙汰がメインの話になっているので、「異性」としてのヒロイン像を描かなければいけないのが難しいですよね・・・。ましてや成長した千夏については前作ほぼノータッチなので描写が薄すぎるんですよ。中学の頃の姿そのまま、というわけにもいかないですし。
余談ですが最近ホワイトアルバム2読破したんですけど・・・やばいっすねあれ。三角関係の頂点ですよあれ。
といったところで、今回はこの辺で
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)