凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百五十四話 優しさに背を向けて

~遥side~

 

 紡の漁の手伝いをして、朝の十時ごろ。俺は例の如く病院にいた。

 といっても、別に何も悪いところはない。至って健康体。足の状態だって特に問題はなかった。

 

 それでも俺がここにいる理由は、俺がここで働くためだった。

 

 バイト先に選んだのは結局ここだった。その他色々当たろうとしたが、さやマートに関しては見知った顔が多すぎて少し堅苦しいし、馴染みがなさすぎるのもそれはそれでいやだ。・・・まあ、この職場も大概見知った顔ばかりなんだけどさ。

 

 また、働くと言っても別に俺は医学に関して何か知恵を持っているわけでもない。カウンセリングをすると言ってもまだ学業を修めきっていない。出来て事務作業が関の山だった。

 それでも病院側は心置きなく受け入れてくれた。・・・それはそれでどうかと思う。世話になり過ぎたツケだろうか。

 

 そんな感じで始まった仕事だが、これもこれで刺激があって面白い。これまでの人生、デスクワークなんてものとはほとんど無縁の関係だったわけだ。新しい何かを知るたびに好奇心が湧いてくる。

 

 そう熱中していると、時間というものはあっと言う間に過ぎていくもので、時計に目をやった時には、針はもう終了時刻を指していた。

 

「マジか・・・もうこんな時間」

 

「お疲れ様でした」

 

「はい、今日一日ありがとうございました。ではまた」

 

 職場の先輩に頭を下げて、俺は事務所を後にする。勢いそのままに玄関の方へ向かおうとすると、後ろからトントンと肩をたたかれた。

 振り向いた先は見知った顔。今年から晴れてこの職場で働くことになった奴がいた。

 

「ちさきか」

 

「お疲れ様、遥。これから帰り?」

 

「ああ。お前も?」

 

「うん。今日はちょっと早番だったから。ここ数日向こうの家に顔出せてなかったから、そっち帰ろうかなって思ってる」

 

 あれから二年。ちさきは専門学校の過程を終えてこの病院に就職することになった。・・・馴染みある顔が、また一人。

 もうこの病院に患者として来たくないものだな、ホント。

 

「遥はどう? こっち帰ってきて汐鹿生には戻ったの?」

 

「いや、まだだな・・・。四日前に帰ってきて一昨日は大吾先生の結婚式、昨日はバイトの手続きとその他諸々で動けなくて今日に至るからな」

 

「せっかくだし、一緒にどう?」

 

「そうだな。たまには一人でぼんやり考える時間とかも欲しいし、向こうの家の掃除もしておかないとやばいしな。行くか」

 

 今はもう、しがらみのない関係だ。二人でいても、特に都合が悪いなんてこともない。昔のように、純粋な心のままで付き合えることだろう。

 

 そして俺はちさきと一緒に病院を後にした。そのまま真っすぐ、汐鹿生の方へ向かって同じペースで歩く。

 ちさきは呑気に小さく鼻歌なんて歌いながら軽やかな足取りで歩いていた。何か幸せなことがあるのだろう。

 ・・・いや、あるのだろうではなくて、幸せなのか。多分、過去最大に。

 

 それを確かめるように、俺は言葉にした。

 

「紡と上手くいってるみたいだな」

 

「誰からそんなこと聞いたの?」

 

 鼻歌は止まり、少し恥ずかしそうな表情を浮かべてちさきは俺の言葉に食いついた。

 

「紡本人だよ。バイトと別に、あいつの漁を手伝うことにしててさ。だから今朝もあってきたって訳」

 

「そっかぁ・・・。紡、何か言ってた?」

 

「お前が街に遊びに来るようになったこととか言ってたな。おまけに俺に説教まで垂れてたよ。二人きりの時間をちゃんと大切にしたほうがいいってな」

 

「紡がそんなこと・・・。ぷ、はは」

 

 紡が慣れない言葉を使った光景を想像してか、ちさきは小さく笑った。・・・確かに冷静になって考えてみると笑える話だよな。あの不愛想だったあいつからそんな言葉が飛んでくるんだから。

 

「その様子を見る限り、上手くいってるみたいだな」

 

「うん、まあ、ね。私がちゃんと紡の為になれてるか、まだちょっと自信ないけど・・・。けど、今が楽しい。それだけでいいんじゃないかなって思ってる」

 

「そうか」

 

「結局、二人でいるときに二人が楽しくあるのが一番なんじゃないかな。私は、そういう時間を紡にあげたいし、そういう時間を紡に与えて欲しいと思ってるの」

 

 今過ごしている時間は、どこまでも純粋なものであるとちさきは語る。そこに使命感や責任などは介在せず、ただ自分の思うままに時間を過ごせていると口にした。

 

 俺はどうだろうか。二人との付き合いが義務になっていないだろうか。惰性になっていないだろうか。

 昔は・・・七年前は少なくとも、俺個人の「そうしたい」という意志のもとで二人といた。それが大きくなるにつれて芽生えてきた責任感に阻害されていないだろうか。

 

 もしそうだとしたら、まず俺にはやらないといけないことがある。・・・でもそれを選択するにはあまりにも急で、恩知らずにもほどがある。

 夏帆さん、保さん。二人のもとを離れるなんて。

 

「遥はさ、今、楽しい?」

 

「・・・どうだろうな。海の事で思い悩むことがなくなってからというもの、なんか冴えない日々が続いてるのは確かなんだよ。だからこそやりたいことを探しては頑張ってみたし、色々考えてみたんだけど」

 

「あんまり、上手くいってない?」

 

「もちろん、楽しくないわけじゃないんだ。勉強は好きでやってるし、この街に帰ってくるのもワクワクしてた。・・・だけど、なんか違うって言うか、言葉にしづらいって言うか」

 

 

 物足りなさに似ているような気はするけど、それとはまた違う。少なくとも、俺の人生は満たされている。この悩みだって幸せな悩みであることには間違いないし、物足りなさなんて感じない。

 多分きっと、二人の事で思い悩むようになってから、心から楽しめなくなっているのだろう。とするとやはり俺は、二人のうちどちらかを選ばなければならないという義務に駆り立てられているのだろう。

 

 ・・・昔は、どうやって接してたんだろうな、俺。器用に出来てたことが、だんだんと出来なくなっているような気がして仕方がない。

 

 そんな情けない俺に、ちさきは穏やかな波のような笑みを見せた。

 

「何かおかしいことあったか?」

 

「ううん。・・・七年前じゃ、こんな風に私に本音を語ってくれる遥、想像できなかったなって思い出に浸ってただけ」

 

「一人で抱え込むことばっかりだったしな。自分のせいで不幸になってほしくないと、突き飛ばしたこともあったっけ」

 

「そんな風に思ってたんだ、初めて聞いた」

 

 もう時効だろうと思い、俺はあの時の心境を語る。

 しかしちさきは動揺の色一つ見せずに、ただ心に思ったことを呟いていた。周りの目線ばかり気にして、取り繕うとしていたちさきの姿は、もうそこにはない。

 

 

「だからね、今こうやって話してくれるの、すごく嬉しいの。ちゃんと心から向き合えてる気がして」

 

「そうか。・・・なんか、すごい迷惑かけてたみたいだな、俺」

 

「ううん、迷惑とかじゃないの。むしろ、迷惑をかけて欲しかったわけだし」

 

「やめとけ。迷惑が厄介事になったら神経擦り減るどころじゃないんだから」

 

 なんてことを言っても、今の俺は人に迷惑をかけてしまうことを躊躇わないだろう。もちろん、故意に邪魔をするような迷惑をかけるつもりはない。ただ、頼りにさせてもらうというだけの話だ。

 

 ちさきは一つ呼吸を整えて、笑みを引っ込めて俺のほうに顔を向けた。俺はただ、少し艶めいた唇が動くのを注視する。

 

「・・・二人のこと、悩んでいるんだよね?」

 

「ああ、そうだよ。・・・最近調子が狂ってるのは、これまで以上にそれを意識しているからだと思う」

 

「そっか。・・・なら、私から一つだけ、いいかな?」

 

「聞くよ。一人分の頭で考えれるのにも限界があるしな」

 

 俺は頷いたが、今の返答のどこかに気に食わない部分があったのかちさきは少し表情を歪めた。その理由を問う前に、ちさきは何を思ったのかを口にする。

 

「一人分の頭で、考えないといけないよ」

 

「は?」

 

「遥はちゃんと、自分の未来を、『自分のために』考えないといけない。そしてさ、自分のために考えるのに、誰かの頭を借りちゃいけないんだよ。だって、最後に答えを出すのは自分なんだから」

 

「と、言われてもな・・・」

 

 今の俺には、帰る場所がある。出来てしまっている。

 それを無下にして、一人で、となると、だいぶ気が引けてしまう。今の俺はそこまで強い人間じゃない。

 俺は困ったように頭を掻く。とても俺のためになる助言だというのに、先を聞くのが怖かった。

 

 しかしちさきは意見を変えるつもりはないようだった。

 

「遥は今、千夏ちゃんの両親にお世話になってるよね。頼ろうと思えばいつでも頼れる距離にある。でもさ、それが悩みの渦中の子の親ってなると、また話は別になると思うの。・・・もちろん、二人が遥にとって親のような存在であることも知ってる。でもそれ以前に、遥は遥なの。『島波』遥なんだよ?」

 

 そしてちさきは、確信に迫る言葉を口にした。

 俺が「島波遥」であることを認める。それは即ち、水瀬家の二人を親とすることは出来ないということだ。血の繋がり以外で家族になるには、養子縁組か婚姻かの二択しかない。

 養子縁組という選択肢のない今、婚姻でも結ばない限り俺は二人の子ではない。分かっていた現実だが、口にされると堪えるものがあった。

 

 それを口にしたちさきに怒るなんてことは出来ない。なぜなら、それが全くもって間違いのない現実だったからだ。

 

「だから今の遥には、自分自身のことを考えられるだけの時間と、場所がいると私は思ってる。それはきっと、この街にあるはずだよ?」

 

「・・・そっか。そうだよな」

 

 二人だって、ずっと言ってくれている。俺が未来を選ぶ理由に、自分たちを使ってほしくないと。それはつまり、俺が一度帰るべき場所へ帰ることを躊躇っていないということだ。

 誰にも肩入れしない、俺自身の「本当」の気持ちに向き合うために。

 

 今一度、俺は一人にならないといけない。

 

「今度保さんに言って、生活拠点を汐鹿生に戻すことにするよ。あの場所だけだからな。俺が紛れもない『島波』でいれるのは」

 

「そっか。・・・もし、生活やら何やらで困ってることがあったら、その時は言ってね? そういう時は多分、頭数は多いほうがいいから」

 

「ああ、頼む」

 

 ずっと二人の優しさに甘えていた。二人も多分、それを拒んでいなかった。

 けれど、拒んでいないからと言って甘え続けることも、きっと間違いだ。

 

 だから、まだ約束は叶えていないけれど、俺は二人のもとから身を置くことにする。その理由を、意味を、二人はちゃんと、理解してくれるはずだ。

 

 

 

 それでももし、悩んだ末の答えが二人のもとに戻ることなら、その時はいつもの温かさで迎えて欲しい。そんな儚い願いを、俺は一度胸に仕舞った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 思うんですよ。この作品を書くにあたって、一度ちゃんと水瀬家で生活している遥が「島波遥」であることを思わされるシーンが必要だということを。結局「家族のようなもの」なだけであって、実際の家族ではない。その関係には一度終止符を打たなければいけないということを改めて遥が思い直すシーンとなっています。それこそ、いつまでもズルズルと遥が水瀬家で過ごすことは「フェア」ではないですからね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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