凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
ちさきと話してから数日。俺は着々と生活拠点を海の方へ戻す手配を進め始めた。もちろん、二人には、千夏にはまだ何も話していない。俺はただ秘密裏に作業を進めていた。
言い出さなかったのには理由がある。それは、俺が帰ると決めた時、すぐ戻れるようにしたかったからだ。この家に置かせてもらっている俺の私物は一日二日できれいさっぱりに出来るものではない。「帰る」と伝えて移送作業を始めるのは向こうにとって迷惑に違いないだろうし、何より相手の心境を思うと気が引ける。
そして片付けが佳境に差し迫ったのは週末のこと。千夏がいつものように海に出かけているのをいいことに、俺は先に二人に言い出すことにした。
「二人とも、ちょっといいですか?」
心は痛いが、ここまで来て逃げるわけにはいかない。かしこまった俺に呼び出された時点で、二人はある程度覚悟を決めたようだった。
それでも、二人は何も言いださない。俺の口から、俺の言葉でそれを語るのを待っているのだろう。だから俺は躊躇わずそれを言葉にした。
「・・・急な話ですが、しばらくの間、生活拠点を海に移させてください」
「それは、もうしばらくはこっちに来ない、ということか?」
「いえ、全く二人に会いに行かないなんてことはしません。したくないので。・・・でも、おそらく行っても週に一回くらいだと思ってます。そうしないと、生活拠点を海に戻す意味がなくなるので」
覚悟はしていたと言えど、本当に急な話に二人は苦しそうな、あるいは困惑しているような表情を見せた。本当はゆっくり話を進めて、徐々に慣らしていくものなはずだが、そうするだけの猶予と余裕が今の俺にはなかった。
そんな中で、保さんは俺にその理由を問う。
「・・・どうして、今なんだ?」
「理由はいくつかありますけど・・・。一番は、二人の優しさにいつまでも甘えてはいけないということを思い知ったからです。例え二人がそれに何の抵抗がなかったとしても、甘えたままの雛は飛び立てないんです」
「それは、街の方で一人暮らししていることとは違ってくるのか?」
「はい。・・・そうしたいと思えばいつでも会えるこの距離だからこそ、一人になることに意味があると俺は思うんです。ここからは、俺一人で強くならないといけないんです。・・・だって俺は、『島波遥』ですから」
二人の前で、二人を突き放す言葉を言ってしまう。言葉に後悔こそないが、言い放った胸はナイフで無数に刺されたような痛みをずっと抱いていた。本当はこんなことを言いたくなかったと喚いている。
保さんはともかく、夏帆さんの方は酷く寂しそうな表情を浮かべてた。それがまた、痛い。
「私たちは、親になれなかったってこと、だよね?」
「いいえ・・・。二人は俺にとって間違いなく親でした。ずっと長い事面倒見てもらって、優しさを与えてもらって、そのことには感謝しています。いや、しきれるものじゃありません。・・・でも、保さんに言われた言葉の一つが、こう思わせてくれたんです」
「・・・ああ、そうだな。俺は言った。遥君が未来を選択する理由の中に、俺たちがあってほしくないと。つまり、そう言う事なんだろ?」
自分の発言をしっかり覚えていたようで、保さんはそれを口にした。そうして、自分の言葉の重みを再確認する。この人から逃げる意志は微塵も感じない。
俺は頷いて、その言葉に答えた。
「俺なりに、いっぱい考えました。このまま二人のもとで住み続ける未来も悪くない。それは十分に理解してます。・・・だからこそ今一度、ゆっくり考えるだけの時間と場所が欲しいんです。それは、かつての俺の住処しか出来ないことで・・・」
「そうか。・・・なあ、遥君、一つ確認させてくれ」
「はい」
「今が、『その時』なのか?」
保さんの言う「その時」というのは、この家との関係をきっぱりと断ち切る瞬間のことだ。俺も、度々口にしてきた。
色々な思いが脳内を逡巡する。そして俺が選んだ答えはこれだった。
「いや・・・。多分今は、本当にその時を迎えるべきかどうかの再考期間だと思っています。・・・だって、嫌じゃないですか。こんなあっさりお別れなんて」
胸の奥の方で留めていた思いが、ついに爆発してしまう。
覚悟していたはずなのに、俺はまた泣きそうになっていた。二人との思いが、そんな簡単に切れるはずなどなかったからだ。
「本当は・・・いつまでもここにいたいですよ。でも、でもそれじゃ前に進めないって気が付いたんです。・・・無条件で、未来を決める理由にこの場所を選んでしまう。それじゃダメだって、知ったから」
それを理由にしてしまうと、美海の気持ちを無下にしてしまうことになる。あれだけ俺のことを思い、俺のために動いてくれた子に何も出来ずに終わるのは、あまりにも虚しすぎる。
「そうか、分かった」
保さんはそれ以上何も言うことはなかった。俺の意見に筋が通っているかどうかを見極めたのだろう。それに満足して、一度首を縦に振った。
代わりに話し出すのは夏帆さんだった。
「この場所を嫌いになった、ってことじゃないんだよね?」
「もちろんです。・・・大好きだから、こうやって話してるんですよ。嫌いなら荷物をまとめてとっくに出ていってますし、二人に心の内を曝け出すこともありませんから。・・・大切だから、今、伝えようと思ったんです」
「そう。・・・なら、これからもこの場所を好きでいてくれる、ってことだよね?」
「もちろん。・・・回数は減っちゃいますけど、俺が来たいときに来れる場所であってくれたら、なんて傲慢な事も願ってます」
「そんなの全然、うちは大丈夫だよ。休みたいなら休みたいだけ休んでいけばいい。まだここが遥君の止まり木なら、私たちはそれを受け入れるよ」
「ありがとうございます」
随分と強情なことを言っているはずなのに、二人は何一つ嫌そうな顔をしなかった。この二人の底知れない優しさは、たちまち俺の心を引き留める。
でも・・・決めたことだ。逃げはしない。
話は終わりを迎える。その最後にもう一度だけ保さんは口を開いた。
「千夏には、伝えているのか?」
「いいえ、まだ。けど、向こうに帰るまでには絶対に伝えますよ」
ここで逃げるような義理の欠片もない。あいつがどういう反応をするか考えただけでも恐ろしいが、ここで誓う事でさらに逃げれないようにした。
保さんはそうか、とだけ言って庭の方へと向かっていった。俺も合わせるように自分にあてがわれた部屋へと戻っていく。
二人にはまた迷惑をかけてしまうことになるけど、どうかこの我儘を赦してほしいと、俺は目を伏せ、時が過ぎるのを待った。
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千夏が帰ってきたのは夜の八時ごろ。夕食を食べるころにはすっかり二人とも落ち着いていたようで、特に重苦しい空気を醸し出すことはなかった。流石は大人と言ったところだろう。
そしていつものように千夏に連れ出され、俺は夜の散歩へと向かう。・・・この時間も、もう当分はお預けなのかもしれないけど。
堤防について足が止まった時、覚悟を決めた俺は千夏にそれを伝えた。
「なあ、千夏」
「ん、何?」
「俺さ・・・汐鹿生に帰るよ」
その時千夏が俺に見せたリアクションは、俺が全く想像していなかったようなものだった。
「・・・ふーん、そっか」
「え?」
そのため、間抜けな声を出してしまう。けれど、同じ空間でそれなりの時間を過ごした人間としては、あまりにも拍子抜けなリアクションだった。
「いつかこういう日が来るだろうなーってのは予想してたし、今更驚かないよって話。もちろん、寂しくはあるんだけどね。遥くんが遠ざかっちゃうの。でも結局いつでも会えることには変わりない。心の距離が変わってないなら、ね」
「確かに、そうか・・・」
「それに、その道をえらんでくれてよかったって思ってるよ。だって、そうしてくれないと私、ズルい子のままじゃん」
何を、とは言わなくても千夏が誰に遠慮してその言葉を言っているのかはすぐに分かった。だから俺も、「ああ」と短い返事を返すほかなかった。
「で、こっちには帰って来るの?」
「週とか月に何度かは。もし帰れなくても、陸に顔を出しに行くことには変わりないよ。バイトも漁の手伝いもあるし」
「なら、重く考える必要なんてないよね」
思っている十倍、千夏は現実を割り切っていた。俺は何を悩んでいたんだと馬鹿らしくなってくる。
けれど・・・嘆かれ、悲しまれるよりもこっちのほうがいいよな。
俺の心から、キリが晴れていく。
「話、これだけ?」
「ああ。それより、今日の海はどうだった?」
「それがさぁ・・・」
そうして、千夏との会話は続いてく。
今、この時を持って思わされた。人と人が結ばれるのに、距離など必要ないということを。
互いが互いを思い合っていれば、その結び目がほどけることはない。当たり前のことだろうけれど、身をもって理解するのには時間がかかった。
俺は多分、これからも水瀬家のことを思うだろう。二人もまだ、俺のことを思ってくれる。きっと、それだけいい。
そうして繋がっているんだ。俺が選ぶ未来を、二人はきっと受け入れてくれるはずだ。
『今日の座談会コーナー』
前回とあまり書く内容は変わらないんですが、現在の遥の状態を言葉で言い表すと、「家族ごっこ」なんですよね。もちろん、それが有意義であるということは本作にて明言していますが、結局形だけの行為だと傍から見たら思われますからね。それを意味のあるものにするにはもう一歩踏み出す必要がありますが、踏み出すということは何かを失うということにもなるので、難しいところですよね。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)