凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
電灯がついたり消えたりしている先にある公衆電話、俺はついにそこに人影を見つけた。全力で走って、そこへ向かう。
そして名前を呼ぼうとした時、俺の存在に気が付いた千夏が枯れた声で叫んだ。
「来ないで!!!」
「っ!」
ガラス1枚を挟んだ扉越しに俺は止まる。開けてしまえば千夏のそばに行けたが、俺の足は止まった。そうすることで全てがダメになりそうな予感がしていた。
そんな俺に、千夏は消え入りそうな声で問いかけた。
「・・・なんで来たの?」
「そりゃ・・・お前が何も聞いてくれないからだろ。俺が言いたいこと、全部無視しやがって」
「私には、聞く資格がないよ・・・」
千夏は全てを拒絶していた。全部自分が悪いと心から思い込んで、ドアを閉ざしてしまっている。美海との口論がよほど堪えたのだろう。
それでも、美海を悪いとは言えない。だって俺はまだ知らないから。
だからそのためにも、俺はちゃんと千夏の口から真実を、気持ちを聞いておきたかった。
「千夏、お前は美海になんて言われたんだ?」
「・・・私が遥君を何度も殺しかけたって言われた。私のせいで全部がめちゃくちゃになったんだって、面と向かって言われたよ。・・・親友だったはずなのに」
「そんなことが・・・」
「遥くんだってそう思ってるんでしょ?」
千夏の問いかけをすぐに否定することは出来なかった。全ての歯車が狂った日は千夏の告白を受けた日に違いなかったから。
もちろん、そのことで千夏を責めるつもりはない。気持ちから逃げたのは俺もそうなのだから。
それでも、感情を途中に編み込んでも事実は覆らない。少なくとも美海の人生はあの日、もう一度めちゃくちゃになったのだから。
「めちゃくちゃ、とは言わない。千夏だけのせいとも言わない。・・・けど、あの日、美海の人生が大きく変わってしまったのは事実なんだ。すぐに否定は出来ない」
「そう、だよね・・・。やっぱり、わたしのせいだよね」
「・・・多分、それが美海の本心なら、美海は心のどこかでそれを許してないんだと思う。それは、俺たちがどうこうできる話じゃない」
これはもう、俺と千夏だけの問題ではないということを再確認させられる。美海という存在が俺の領域に随分と踏み込んできた今となっては。
「遥くん、私、私は・・・」
千夏は両手で顔を覆い隠し、小刻みに震える。懺悔の心だけが先に先に現れて、言葉を繰り出すことが出来ないのだろう。
けれど、今のでだいたい千夏の本心は伝わった。何に怯え、何に苦しんでいるのか。その発端の人間である俺は歯を食いしばりながら、千夏に語り掛けた。
「千夏、お前はどっちを選ぶ?」
「なに、を・・・?」
「美海とはこれまで長い事親友だったはずだろ。それこそ、俺と出会う前からずっと。・・・それが、お前の人生にポッと出てきた俺のせいで今こうして拗れてる。美海のことがどうでもいいなら、今こうして泣いたりしないはずだろ」
「けど、それってさ・・・」
千夏が言おうとしていることは容易に想像がつく。
これは、取捨選択。俺への恋心をばっさりと断ち切らなければ美海は満足しないだろうし、美海の事を心から憎まなければ自身の恋心に向き合うことが出来ない。
もはや不可能なのだ。・・・大切なものを、全部つなぎとめるなんて。
「・・・私には、選べないよ。選ぶ資格なんてない!」
「資格とか権利とか、そんな話じゃないんだよ! それはただ、逃げてるだけだ・・・!」
「二人の人生をめちゃくちゃにしておいてそんなことを言うような、傲慢な人になんかなりたくないよ!!」
千夏の罪の意識は、俺の想像をはるかに超えていた。
当然だ。禊を終えたと思っていた時に、自分の記憶に存在しない新しい罪が現れたのだから。どこまでも自分が罪に囚われた人間であると思い込んでしまうことだ。
だから、ちゃんと言わなければいけない。
あの日死にかけたことも、美海に助けられたことも、それが千夏にとって罪ではないことを。俺が受け入れ、それでよかったと思っていることを。
「・・・千夏、聞いてくれ」
「やだ・・・もうやだよぉ・・・」
「お前は一つ、大きな勘違いをしているんだよ。・・・あの日、確かに俺は自棄を起こして自ら命を断とうとした。確かにそれに間違いはない」
「・・・」
「けど今、俺はあの日のことを後悔なんてしてない。結果論でもなんでもなく、千夏の記憶から俺の存在が消えてたことを喜んでいる自分がいたんだよ」
最初の内は激しい喪失感だけが俺の身体を苛んでいた。全てを諦めて、命すら断とうとしていた。
けれど、千夏の記憶が消えたことを受け入れるようになってからは、それが新しい道へとつながるのではないかと期待を膨らませていた俺がいた。
結局、記憶を取り戻す道を選んだけれど、あのまま元に戻らない記憶を抱えた人生でもよかったのではないかと思っている俺が今ここにいる。
だから、あの日のことは不幸だけではなかった。それを憎んでいないし、罪だとも思っていない。
「簡単に言うとな・・・。俺は今日まで生きてきた人生のこと、後悔してないんだよ。全部これでよかったと思っている。千夏が冬眠してしまったことも、記憶を一度失ってしまったことも、全部、これでよかったと思っている。『あの時、そうならなかったら』って今はもう思うこともない」
「そんなの・・・嘘」
「確かに昔の俺なら誰かを励ますために平気で嘘をついてただろうよ。・・・けど、今はもうそんなことはしない。これまで俺を支えてくれた人に、誓ってるんだよ」
自分がダメになりそうな時、誰かに頼る。そんな簡単なことが出来るようになったのもつい二年前の話だ。
けど、俺が視力を失うことになったあの日以降、俺はより周りにいる皆が愛おしく見えた。そんな人たちを裏切りたくない。
だから、自分が、誰かが傷つくことだと分かっていても、ちゃんと思っていることは口にしようと決めた。躓くたびに助けて欲しいと願うようになった。
だから今だって、嘘は吐かない。
「・・・好きだよ」
「千夏・・・」
「大好きなの・・・。だから、私が記憶を失くしている後ろで遥くんがそんなことになってしまってたことを許せなかったの・・・。遥くんが許しても、私が大好きな人を傷つけた事実は消えないの。・・・それでよかったって言われても、私はやっぱり、受け入れられない」
首をフルフルと振りながら、千夏はまた小さく震える。俺が千夏の罪は罪ではないと口にしても、千夏は頑なにそれを認めようとしなかった。
その頑固な卑屈さに、いよいよ俺は怒りそうになった。だってそれは、過去の俺を見ているようだったから。
自分自身を許していいと教えてくれたのはお前なんだぞ、千夏。
そのお前が・・・自分の言葉に矛盾することをしないでくれ。でないと、あの日の言葉に含まれていた価値が全部なくなってしまう。
だから俺は、声を荒げた。
「そんなに自分が嫌で嫌で仕方がないなら、諦めてしまえよ」
「・・・え?」
「俺だってこれまで何度も諦めようとした。お前が冬眠に巻き込まれてしまった日も、帰ってきたお前の記憶から俺がいなくなっていた日も、自分自身の咎で視力を失くしてしまったあの日も、何度も何度も諦めようとした。幸せになることから、生きる事から」
それでも、俺は諦めきることが出来なかった。心のどこかに「生きたい」という気持ちが残っていた。
「・・・でも、諦めきれなかった。だから這いつくばって今ここに立ってるんだよ。足も自分のものじゃなくなって、視界も俺のものじゃなくなって、そうやって散々惨めな思いをしながらここまで来たんだよ」
「・・・」
千夏は何か考えているのか黙り込む。肯定も否定もしない。
その間に、もう一つ言っておかなければいけないことがあった。それを相手の返答より先に俺は口走る。
「俺は諦めきれなかったこの人生に後悔してないって言った。けど、諦めることを否定するわけじゃない。自分の罪に苛まれて逃げ出したくなって、幸せになることと生きることを諦めるなら、それだって一つの完成された人生になる。だから、そんなに自分の罪が許せないって言うなら、・・・全部、諦めてしまえ」
そして最後は千夏を突き放す言葉を口にする。
こんな精神状態の今の千夏がこの言葉を聞いてどう行動するかは予想できない。本当に諦めて、最悪死んでしまうかもしれない。
それでも俺は、この感情に妥協したくなかった。諦めなかった先にある景色を知っているからだ。例えそれが保さんを、夏帆さんを悲しませることになったとしても、俺はこの言葉から逃げない。
もう、今の千夏にいう事は何一つない。自分が罪と感じている過去を乗り越えることを諦めるも、乗り越えて進むも千夏次第だ。そこに俺が、美海が介在する余地は何一つない。
けれど、信じる信じないは別だ。
・・・俺は、千夏が乗り越えてくれると信じたい。
だからこそ、俺は乗り越えた先の景色を千夏に提示する。
「・・・もう当分、水瀬家には顔を出さない。お前が罪に感じてるものから抜け出そうとしない限りは、俺も心を鬼にする。・・・でももし、前を向くことが出来たなら、その時は俺の家に来てくれ。その時、今日言ったことの全てを謝らせてくれ」
「・・・」
「じゃあ、帰るからな」
結局、二人を隔てるガラスの壁が貫かれることはなかった。
これが今の俺と千夏の距離。言葉すら正しく届かない無慈悲な距離。
それでも分かる。俺が放った言葉の節々にある俺自身の気持ち。千夏への、度を越えた『愛』。
ただ、今はそれを口にする資格はない。そうして俺は口をつぐんで、凍てつくような海へと引き返していった。
『今日の座談会コーナー』
これ書いてて思うんですけど、キャッキャウフフな日常会存在しないんじゃないかって思うんですよね・・・。そういうパートももちろん必要なんですけど、それ以前にこれまでの清算が全然終わってないという事が直近の話を書いてて思いました。ダイジェストにするにはもったいないくらい設定が残ってると思うので。
折角時間があるので、そこだけは丁寧に書こうと思います。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)