凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~千夏side~
気が付けば私は家に帰っていた。あれだけ無気力でいたというのに生存本能というものはすごいもので、いるべき場所へと身体が勝手に動いていた。
家には二人ともいた。当然、泣きはらして酷い顔をしている私を心配しない二人ではない。何度も「何があったか」と問われた。
けど私は、何も言えなかった。今の二人にこれを話したところで何になるというのだろう。そんなことばかり思って、小さく「何でもない」と呟くしかなかった。
それから一日が過ぎる。
また一日が過ぎる。
明らかに気力を失くした私を見る周りの視線が痛かった。誰が何を言い出すのか不安で仕方がなかった。あの話はどこまで広がっているのだろう。そう思うだけで、今生きていることがたまらなく嫌だった。
そうしてあの日から三日が過ぎた。周りの視線が怖くなっている中で週末を迎えたのは不幸中の幸いだった。
部屋の隅で、膝を抱えてボーっとする。本来ならこの日は遥くんが来てくれるというのに、例の宣言の手前、お母さんに見送りの連絡が入っていたみたいだ。それほどまでに、向こうが本気だってことを知る。
「だからって・・・会いに行けないよ・・・」
あの日から、遥くんも心の底では私に恨みがあるんじゃないかと疑って仕方がない。本人が否定していても、私が傷つけた事実が変わらないせいで、永遠にその疑いは続く。
その時、私の部屋の扉をノックする音が響いた。遅れて声もやって来る。
「千夏、ちょっといいかな?」
「・・・お母さん」
私は反射で戸を開けてしまった。けど、それが本心という事だろう。どこまで言えるか分からないけど、ちゃんと話してみることにする。
せめて二人だけは、私の味方であってほしかったから。
「最近、大変なことがあったんでしょ?」
「うん。・・・美海ちゃんと酷い言い合いになった」
「やっぱりね・・・。伝えきれる範囲でいいから、教えてくれる?」
私は一度うんと頷いて、途切れ途切れの小さな言葉でお母さんに説明を始めた。
私が美海ちゃんに酷いくらい嫉妬していたこと、それがエスカレートしたせいで言い合いになったこと。トドメと言わんばかりに私の罪を追及されたこと。
全部が正しいせいで、何も言い返せなかったこと。
その全てをお母さんは何も言わずにただ頷いて最後まで聞いてくれた。そして私が言い終えたところで、ようやく話し始める。
「殺しかけた、ね・・・。確かにあの時の遥君は相当やつれていたと思う。一週間くらい潮留さんの家にお世話になっててこっちに帰ってきたんだけど、その時ですらまだ苦しそうな表情をしてたよ」
「やっぱり、そうなんだね・・・」
「でもさ、それって千夏の罪なの?」
「だってそうなったのは、私が昔、中途半端に遥くんに思いを伝えて、揺さぶってしまったからなんだよ? そのせいで冬眠することにもなった。記憶も無くすことになった。原点は結局私に帰ってくるの」
言えば、全ての歯車を狂わせてしまったことが私の罪。それでいて好きでいようなんて言えた話じゃない。
けど、お母さんはそれを認めなかった。
「どうしていいか分からないで犯してしまった、たった一度のミス。・・・千夏はそれで、残りの人生の全てを諦めるの?」
「それは・・・」
「それは違うよ。小さなミスを罪とするなら、誰だって罪を抱えて生きてる。私だって海を捨ててこの街へ来たんだもの。それだって、立派な罪になるの。一生消えない、一生かけて償わないといけない罪。・・・でも、幸せになることは諦めたくなかった。だからあなたが生まれたのよ、千夏」
お母さんは、私の基準に合わせて自分の生きてきた道を罪だといった。
海を捨てる行為。それでお母さんが失ったものはたくさんあっただろう。それこそ、一つの人間関係どころじゃない。
「お母さんが言いたいのはね、千夏が罪だと思っていることは罪じゃないし、それを罪だって捉えるならみんな抱えているってこと。どっちに捉えて貰ってもいい。ただ、千夏がこれまで生きてきたことは間違いじゃないって私は信じてる。・・・そして千夏にも、信じて欲しいの」
「お母さん・・・私は・・・」
ふらふらと肩に顔を預ける。涙は流れないけど、体は震えた。
「・・・やっぱり、何も諦めたくないよ」
「ちゃんと言えるじゃない。・・・それで? 何を諦めたくないの?」
「遥くんが好きだから・・・ちゃんと思いの丈を全部ぶつけたい。もう美海ちゃんに許されなくてもいいから・・・せめて好きな人にだけは、好きでいて貰いたいよ」
「うん。・・・とってもいいと思う」
罪を乗り越えられる自信はない。だけどようやく、今の自分がどうしたいかを言葉にすることが出来た。
「きっと遥君だって、私と同じことを言ったんじゃないかな?」
「・・・あ」
そうだ。ずっと言ってた。「俺は何も罪だと思っていない」と。
私は、それを信じきることが出来なかった。
それに、信じたとしても私が自分で自分を許せないと意地を張っていた。・・・また、意地張って失望させてしまったんだ。
「・・・ずっと、逃げてたんだ」
「そうだね。ずっと逃げてた。でも、まだ間に合うでしょ? 遥君はきっと、千夏に居場所を与えてくれている。そうでしょ?」
これもその通り。
私が前を向くことが出来たなら、俺の家に来てほしいと言ってくれた。居場所を提示してくれた。
だから後は・・・私が私をどう許すかだけ、なんだ。
もちろん、すぐには許せないだろう。二回も遥くんの命を危険にさらしたことは事実として未来永劫残り続ける。
けど、美海ちゃんへの遠慮の思いさえ断ち切れば、私は持てる残りの人生の全てをその償いに充てることが出来る。そうすることが私の幸せにもなる。
どちらか捨てないといけないのは苦しいけど・・・私は、「一番好きな人」へ償うことを優先したい。
だから・・・ごめんね、美海ちゃん。
私はもう、昔の私じゃいられないの。
どこまでも嫌ってくれていい。罵ってくれていい。
それでも私は、美海ちゃんの定義した罪を、自分なりに償う。そうするだけのチャンスをくれた彼に、精一杯の気持ちで答える。
遥くんのために、私は「選ぶ」、傲慢な女の子になるよ。
それで沢山のものを失ったとしても、それが私の罪だとしても。
罪を抱えて幸せになれることを証明してくれた人が私の周りにはいる。だから私もそうなるの。そうなりたいの。
前向きになると同時に、心が乾いていく。
自分がどんどんエゴに体を支配されている感覚が訪れてくる。けど、それを私は今それを望んでいる。
・・・いい子であることだけが、幸せになれる条件じゃないから。
「・・・お母さん、ごめんなさい」
「どうしたの?」
「私は多分、これまでのような『いい子』じゃなくなってしまうかもしれない。エゴのために生きて、それをどうにか叶えようとする悪い子になるかもしれない。だから、先に謝っておくね」
「謝る必要なんてないわよ。・・・だってあなたは、昔の私そのものなんだから」
「え・・・?」
「・・・私も、好きな男のために海を捨てた女だしね。十分にエゴに生きてきたよ。千夏にお母さんとしてだらしないところは見せたくなかったから頑張ってきた。けど、結局私も愛のためにエゴのために生きてきた一人の女。あなたはそんな私の娘なの。・・・これまでいい子であろうとしたのはきっと、お父さんの影響なのかもね」
「お母さん・・・」
母親という存在はこんなにも逞しく、自分の理解者であってくれる。血の繋がりというものはつくづく恐ろしい。
だから私は、全部を打ち明けられた。自分の中に流れている血に感謝する。
大きく息を吸い込んで、両手で頬を叩き、音を鳴らす。
決めた。私は過去と決別する。今度こそ、もう間違えない。
私は愛に生きた水瀬夏帆の娘。同じことだって出来るはず。
それを刻むために、一つだけやっておきたいことがある。
「ありがと、お母さん。・・・早速だけど、ちょっと行きたいところがあるの。今から出かけていいかな?」
「遥くんのところ?」
「ううん、まだあそこにはいかない。その前に、ちゃんと片付けておくべきことがあるから」
「そう。暗くならないうちにね」
「そんなかからないよ」
お母さんはそれ以上深く尋ねずに、私の行動をただ見守ってくれた。
準備を颯爽と終えて、冬が終わりかけている街へ繰り出す。
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私が向かったのは、行き馴染んだ床屋。
最後に髪を切ったのはいつだろう。ここ最近はずっと伸ばす事に専念してたから、髪を切るなんてことはほとんどしなかった。
私のこの髪を最初に褒めてくれたのは美海ちゃんだった。小さい時から「長いほうが似合ってる」、「可愛い」って何度も言ってくれた。
だから私は今日の今日までこの姿でいた。
・・・けど、それも今日で終わり。もう後戻りが出来ないように、思いを断ち切るために、私は形見であったこの長い髪を捨てる。
これが、私の覚悟だから。
店内に、チャキリ、という音が響き始める。
その一太刀一太刀で、私は長年の思いと決別する。もう二度と振り向く事をしないために。
『今日の座談会コーナー』
痴話げんかから始まった修羅場もようやく一旦終わりですかね・・・。これ二三話で終わるはずないでしょうに。と思ったりしちゃいますね。
前作と比較して思うところが、夏帆さんの人間らしい部分を強調しているように思うんですよね、今作。前作はまさに「聖母」みたいな感じだったのが、今作では、エゴに生きた一人の人間、のように描いているので。でないと、海出身という設定の意味がなくなっちゃいますから。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)