凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百六十七話 扉、開かれて

~遥side~

 

 あれから三日経ち、週末となった。宣言通り水瀬家にも顔を出していないし、美海もうちに遊びに来ていない。退屈で寂しい、物足りない日々が続いた。

 昔は一人でいることがなんら苦でもなかったのに、今となってはこの時間がたまらなく心苦しい。

 

 漁の手伝いに行っても、バイトをしていても、満たされない心がある。それはどうやって埋めることが出来るのか、俺はもう答えを知っていた。

 だからこそ、今は待つしかない。そうして俺は意地を張って、また一日を終えた。

 

 そして次の日、その時は来た。

 家で掃除に励んでいる午前十時、俺の家の呼び鈴があった。ドアの前に立っていた存在に、俺は小さく歓喜した。・・・それと同時に、動揺も。

 

「千夏、お前っ・・・!?」

 

「どう? 驚いた?」

 

 千夏は普段と違わぬ風を装い、おどけて笑って見せた。それだけで、自分の傷と向きあい、前に踏み出すことが出来たのだろうと安心する。

 それにしても、こんなに髪をばっさり断ち切るとは思ってもいなかった。美海ほどではないが、千夏も十分長く、そして美しい髪をしていた。それを断ち切ることには、それほどの覚悟があったのだろう。

 

「似合わない、かな・・・? こんなに短くしたし」

 

「ああ、いや・・・。普通に驚いてた。こんなに髪を短くしたお前を見たことなんてなかったから」

 

「もっと小さかった頃は結構短かったんだけどね。この髪を褒められてから、長いこと切ってなかったの」

 

 その一言だけで、千夏の美しい髪を褒めていたのが誰なのか理解する。その人への思いを断ち切るために、意を決して髪を切ったのだろう。

 

 ただ・・・そんな背景を抜きにしても。

 

「似合ってるよ。正直すごい新鮮で言葉が出なかったけど、そう思う」

 

「そっか。・・・えへへ、そっか」

 

 千夏は口元を緩めて、心からそれを喜んでいた。その無邪気な様子に、たちまち俺の心は思いもよらぬ高揚を見せていた。

 ずっと同じ屋根の下で過ごしていた。もう、ときめく事なんてないと思っていたのにな。

 

 けれど、そんな与太話ばかりしているわけにはいかない。千夏がここに来たという事は、ちゃんと約束を果たさないと筋が通らないから。

 そのためには立ち話もなんだろう、と俺は部屋に通した。千夏が椅子に座ったところで、俺は一度頭を下げる。

 

「色々言って、悪かった」

 

「ん? 何が?」

 

「何って・・・。傷ついてるお前に追い打ち掛けるようなこと沢山言っただろ。挙句の果てには最後に突き放して。あれは俺の非だろ、どうみても」

 

「んー・・・、けど言ってることは正しかったし、なんだかんだこうやって帰る場所を残してくれてたし、謝られるようなことは何一つないよ。だからさ、もうこの話、やめよ?」

 

 切り替えが早いのはいい事か悪いことか・・・。

 けれど、今の千夏の様子を見るに、特別心配することはなさそうだった。そこに安堵して、俺はこれまで通りの口調で会話を続ける。

 

「まあ、それならいいんだけどさ・・・。今日は何か目的でもあって来たのか?」

 

「ううん? 特に何も。ただ、会いたかったから来たの。今の私を見て欲しかったから来た。だから、用事という用事は終わってるよ」

 

「そうか」

 

「でも、帰らない。帰ってあげない」

 

 いたずらっぽく千夏は笑う。

 ここまですぐに本調子に復帰するとは思ってなかったな・・・。

 

 そんなことを思っていると、浮かべていたいたずらっぽい笑みはすぐに消えた。それからこの間のような神妙な顔つきで、意を語る。

 

「・・・あのね、遥くん。さんざんはぐらかしてきたけど、聞いてほしいことがあるの」

 

「ああ、ちゃんと聞くよ」

 

「うん。・・・やっぱりね、私はもう美海ちゃんとは友達でいられない。・・・もちろん、大好きだったよ。大切な人。だけどそれ以上に私は遥くんのことが好きだから。諦めないために、思いをちゃんと断ち切った」

 

「ああ、分かってるよ。長かった髪を褒めてくれてたのも美海だったんだろ?」

 

 問いかけに千夏は頷く。

 

「だから、嬉しかった。短くした髪を真っ先に褒めてくれたこと。それだけで、今の私は報われるから」

 

「ああ。何回でも言ってやるよ。それほどまでに似合ってるんだから」

 

「ありがと」

 

 それからまた小さく千夏は笑って、俺にしっかりと目を合わせた。

 俺の視線を釘付けにしながら、思いを語り続ける。

 

「・・・これからもっと、私は遥くんのことを困らせると思う。遠慮したくない。言いたいことは全部いいたい。いいよね?」

 

「ああ。それに応えられるかどうかは分からないけど、それで嫌いにはならない」

 

 ここまで言われると、何を言われるか怖くなる。

 きっとこれまでも、千夏は遠慮して何も言わないなんてことはしょっちゅうあったことだろう。それが全部垂れ流しになるという訳だ。予測なんてできはしない。

 

 けど絶対に、そっちのほうがいいに決まっている。

 

「ありがと。・・・まあでも、さっそく全開でいくわけにはいかないからね。せっかくいい雰囲気なんだから台無しにはしたくないし」

 

「そっか。・・・で、今日、これからどうするんだ?」

 

「あー・・・折角だし、昼食を頂きたいのですが」

 

「了解。冷蔵庫の中にあるものでしか作れないけどいいか?」

 

「あ、それなら私作っていい? 無計画に作るの結構好きだから」

 

 俺が頷くと、千夏は躊躇うことなくキッチンのほうに向かっていた。それから冷蔵庫に棚に物色を始める。

 何か思うところがあったのか、「はー」と息を吐いて独り言をぼやいた。

 

「独り暮らしの冷蔵庫ってこんな感じなんだね。ずっと実家の冷蔵庫しか見てこなかったから、なんか違和感」

 

「昔はもっと大きい冷蔵庫もあったけどな。流石に年季入ってたし、今は俺しか使ってないしで去年くらいに買い替えたんだよ。海への搬入、あんなに大変だったなんて思わなかったぞ」

 

 そんなことを海の大人連中は平然とやってのけているという訳だ。改めて海村はすごいものだと感心させられる。

 そして千夏は一通り巡ったのか、俺の方に戻ってきて献立を宣言した。

 

「チキンライスでいかがでしょうか?」

 

「いいけど・・・鶏肉なんてあったっけ?」

 

「ないからツナ缶で代用です」

 

「なるほど、賢い」

 

 あったらあったで便利ではあるが、料理に使うとなるとツナ缶は使用用途が限られやすい。俺にはない発想で千夏は厨房に立った。

 

 ・・・これだよ。ここ最近の物足りなさを埋める術は。

 

 別に料理に限った話ではない。ただ、誰かと一緒にいるだけで、同じ時間を過ごすだけで俺の中になかった考えと言葉をくれる。その刺激が、人生の物足りなさを埋めてくれるんだ。

 だから愛に、恋に飢えているのだと再確認する。

 

 この家であっても、千夏の家であっても二人の距離感は変わらない。・・・いや、今の方が少しだけ近いのかもしれないな。

 そんなこの距離がずっと続けばいいのにと願う。それが、契りを交わしても変わらないものであってほしいと願う。

 

 

 トントン、カンカンとフライパンの音が響く。俺は机に伏せて目を閉じ、ただその音と鼻腔をつく香り、どこまでも居心地のいい空間を楽しんだ。

 

---

 

~千夏side~

 

 本当はなんて言われるか分からなくて怖かった。精一杯虚勢で繕って、これまで通りの私でいようと踏ん張ろうとしていた。

 でも、その氷は次第に溶けていく。私以上にこれまで通りだったのは遥くんのほうだったから。

 

 そして、決意を込めたこの髪を褒めてくれた。それがまたたまらなく嬉しくて、飛び上がりそうになる。

 改めて、遥くんは私の罪を否定した。私の中の意識があとどれくらいして変わるかは分からないけど、遥くんがそう思っているなら、いいってことに今はしよう。

 

 

 

 償うことが、報いることが私の幸せ。・・・それだけでいいの。それがいいの。




『今日の座談会コーナー』

 ここからまた当分の間日常会が展開されていくことになると思います。毎回シリアスなシーンばっかり書いてたら作品の雰囲気暗くなってしまうので。・・・まあ、定期的に暗雲ってくらい雰囲気暗くなっていますが。はてさて、この新章は二百話までに終わるのでしょうか。とっくに前作の二倍の文量書いていますがまだ終わる気配がないですからね。どうしたものか・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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