凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百六十八話 かつての傷は

~遥side~

 

 変わってしまった日常に慣れつつある、三月の中旬。この街に帰ってきて随分と経ったような気がする。

 病院でのバイトも紡の量の手伝いもだいぶ生活に染みてきて、だんだんとこの街に帰ってきた実感が湧いてきた。やっぱり俺はこの街が好きだし、この街で生きていきたいと思う。帰ってきたことは間違いではなかったようだ。

 

 そして今日もバイトに向かう。淡々と事務の仕事をこなして時刻は13時。割り当てられた休憩の時間がやって来る。

 大吾先生のところにでも、と思ったが入れ違いで診察が入っているようで、仕方なく俺は屋上へと向かった。そこが一番落ち着ける場所だった。

 

「・・・ふう」

 

 まさか働く立場でこの病院の屋上に来ることになるとは思ってもみなかっただろう。人生というものはなかなか読めないものだ。

 植えられた観葉植物の隣にあるベンチに腰掛け、自作の弁当を広げていると屋上の扉が開いた。ちさきだ。

 

「あれ、ちさきも休憩この時間なのか」

 

「うん。今日昼勤だから。・・・それ、自分で作ったの?」

 

「ああ。冷蔵庫の食材余らせるの嫌だからな。弁当は自分で作るようにしている」

 

「器用だよね、ほんと。私ももっと上達したいなぁ・・・」

 

 とは言うが、陸に上がってから生きるために人一倍努力したちさきの料理の腕というのも大したものだ。それこそ、俺なんかに全然引けを取らないだろう。看護の観点から栄養の勉強もしてるのだから、尚更。

 

「隣、いい?」

 

「嫌って言う方がバカだろ。一人でいるより誰かいてくれた方がいいに決まってる」

 

「そっか。じゃ、遠慮なく」

 

 それからちさきは人1人分の間隔を開けて俺の隣に座る。風呂敷を広げて、両手を合わせ、いただきますと唱えて食事を始めた。

 それから無言が二分くらい。先に口を開いたのはちさきのほうだった。

 

「あれから、どう?」

 

「思い当たる節が多すぎてなんとも・・・。全部答えていく感じか?」

 

「そうしてくれると余計な質問いらなくてすむかな」

 

 俺はため息をついて、一つ一つ心境を語っていくことにした。

 

「仕事だけど、候補は絞ったんだ。この病院のカウンセリング科に行くか、海で働くか。千夏が言うには海の教職人手が足りないらしくてな。向こうで勉強してたのもあるし、全然候補なんだ」

 

「そっか、先生か。説教垂れるの好きだったもんね」

 

「おい、言い方ってもんがあるだろ」

 

 俺の反論に対して、ちさきはクスッと笑う。こういう冗談を随分と上手に言えるようになったもんだ。

 気を取り直して、俺は続ける。

 

「正直、どっちもやりがいはあると思う。俺のやりたいことかと言われれば嘘じゃない。ただ、どっちで働くかによって生活が大きく変わるのは事実だからな。海で働くなら海で、陸で働くなら陸で生きることになると思う」

 

「そうだよね。私だってそのために紡のところに住んでるんだから」

 

 それだけじゃないだろ、という突っ込みは野暮なのでしないことにする。

 

「で、もう一つの問題の方だよな。多分ちさきが聞きたがってたの」

 

「嫌ならいいんだよ? なんかいい噂聞かないし」

 

「どこから漏れたんだよその噂・・・」

 

 でも、怒鳴りあいとかになってしまったのなら気づいた人はそれなりにいるだろう。何も要だけが目撃者ではないはずだ。

 仕方がない、と割り切って、ちさきを信用して現状をちゃんと言葉にする。

 

「結論から言うと、俺たちの関係は完全に壊れてしまってる。・・・特に、二人の仲が最悪なことになってる。俺のせいで」

 

「なるほど・・・。ま、取り合いしている相手と仲良くなんて出来ないよね。私はすぐに諦めたからよかったけど、本当に未練だらけだったら千夏ちゃんと仲良くできなかったかもしれないし」

 

「自分の過去をえらくさっぱり割り切るんだな」

 

「だってもう過去のことだし。というか当事者がそれ言う?」

 

「確かにな」

 

 お互い、今はそれぞれの関係が出来上がっているが、もとはと言えば俺にいの一番に告白をしかけてきたのはちさきだった。随分とみっともない格好で振ってしまった苦い思い出がよみがえる。

 けれどそれをちさきは気にしていないようだった。だからこそ今もこうして「友達」として接していられる。

 

「・・・なあ、ちさき。今から少し酷いことを言っていいか?」

 

「うん、いいよ。聞いてダメなら叱ってあげる」

 

「ああ。・・・美海と千夏が疎遠になった分もあって、接するの少し気が楽になったんだよ。どっちかと接してるとき、ずっともう片方の気持ちが気になってたんだ。どう思ってるのか、妬んでいるのか。・・・けど二人はそれを形にした」

 

「だから、傷つけることに遠慮しなくてよくなった、って言いたいの?」

 

「有体に言えばそうなる。・・・どうせ傷つけることになるなら躊躇はしたくないんだよ。躊躇すれば、傷はもっとでかくなってしまう」

 

 中途半端に接されることで向こうも傷つくだろう。そして常に二人の関係のことを思い続けないといけない分、多分俺も摩耗してしまう。

 だから今は、目の前にいるどちらかとの時間に注力できる。それだけ抜き取ればメリットでしかなかった。

 

「最低なこと言ってるのは分かってるんだよ。結局それはどちらかを誑かしていることになるんだから。その罪は多分一生かけても償えないと思う。人生を歪めてしまうことになるんだからな」

 

「でも、その道を選んだ。そして進む気でいるんでしょ?」

 

「進むよ。今の俺にはそれしか出来ない」

 

 二人を拒絶し遠ざけたら傷つく人間は山ほどいるだろう。なあなあの関係をずっと続けていても二人を、ゆくゆくは周囲の人を傷つけてしまう。明確に誰かを傷つけることになる方が犠牲が少ないというのはなんとも皮肉な話だ。

 けれどそれは義務ではない。二人から愛を向けられているからではない。俺もそうしたいと望んでいるからだ。・・・義務ならとっくに全て拒絶している。

 

 目を逸らさず前を向き、理解し、歩き出そうとしている。あとは決断するだけなんだ。

 

「・・・まあ、仕方がないよね。こういう状況になってしまった以上、そう思うのが普通だと思う。多分私なら逃げ回っちゃうだろうけど」

 

「ああ、逃げ出したいと思うことは結構あったよ。また『愛』の感情に振り回されているんだって思ってる。しかも選択の最中は答えが分からない。難しいもんだよ」

 

「でも、成長したよね」

 

「ああ、そう思うよ」

 

 ここまで来たのは確かな進歩だ。全てに向き合って、痛みを知り、克服し、歩き続けて来た。だから今、昔感じたような鋭い痛みが胸を刺すことはない。痛みを受け入れる術をもう知っているから。

 

「・・・じゃあ、全てを聞いた私の感想、いいかな?」

 

「覚悟して聞きます」

 

「・・・後悔だけはしないでね。もちろん、どっちかを選ぶことで、あり得たはずのもう片方との幸せが無くなっちゃうわけだから、後悔はするだろうけど・・・。その後悔を超えるだけの幸せを手に入れてね。・・・友達として、幼馴染として、私はそれだけ願ってる」

 

「ああ。しかと受け止めるよ」

 

「あと、選んだ道にちゃんと責任を持つこと。選んだあとは絶対に迷っちゃダメ。私がもし選ばれなかった立場の人間だとしたら、迷われるのは嫌だから。未練だけは見せちゃだめだよ」

 

「分かった。そこは強がってでもやり通すよ」

 

 やっぱり、渦中にいない女子の意見は為になる。忖度なく、自分がそうだったらどう思うかを教えてくれる。・・・それが昔、俺に好意を抱いていた人間だったら尚更。

 

 だからこそ、その言葉は自然と放たれる。

 

「・・・ありがとな、ちさき」

 

「ううん、いいの。言葉はいらないから、ちゃんと行動で証明してね。それが私が好きだった遥って存在だから」

 

「もちろん」

 

 それがかつての思いに報いることになるなら、俺は迷わずそうする。

 かつてはすれ違いそうになった仲。今は互いの幸せを願える仲。

 

 壊れかけてもいつかは癒え、もとに戻るものだってあると教えてくれている。

 

 

 

 二人にもそうなって欲しいと願うのは・・・やっぱり傲慢だろうか。

 




『今日の座談会コーナー』

 閑話休題。本日はちさきとの一コマでした。といっても恋愛事情に関しては第一部の方で一枚噛んでいたので無関係の立場ではないですけどね、ちさき。
 さて本編の話ですが、傷つける相手をちゃんと決める、ということが一番マシってケースはよくあることではないかなって思います。煮え切らない態度を続けることで幸せになるケースってなんか少ないような気がするんですよね。二者択一、シュレディンガーの猫・・・。世の中の二択は常にハードモードです。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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