凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
そこは、俺の知らない未踏の地。街からさらに別の方面に電車を乗り継いで、駅に降り立ったのは夕方の四時ごろだった。
海が近いのは分かる。潮風は微かに感じているからだ。けれど同じように海が近い街として挙げられる鷲大師とはまた違う、そんな独特な風が肌に触れる。
もちろん、街と呼べるような街でもない。ただ家が何軒かぽつんと並んでいるだけで、人の気配もあまりしない。・・・美海はどうして、こんなところに用があると言ったのだろうか。
「おい、美海。本当にここで・・・」
「合ってる。・・・うん、合ってるよ。私の行きたい場所はここからもうちょっと歩くことになるけど」
「もうちょっとって・・・どれくらいだ?」
「三十分くらいだと思う。雑誌にはそう書いてあったよ」
もう結構身体も疲れてきているが、どうやらそんな甘えたことは許されないらしい。付き合うと言った責任を取るべく、俺は歩き出す決意をする。
「とりあえず、行こうぜ。ダラダラしてると日が暮れちまうかもしれないし」
「そうだね」
それからまた何も言わずに手は繋がれる。もはや無意識のうちで、そうしたいと俺が、美海が願っているのだろう。
道はだんだんと細くなっていった。アスファルトの舗装が消え、道幅が狭くなって、ついには街灯すら消える。・・・本当に、こんなところになにがあるんだよ。
そして辺りを包むオレンジがより色濃くなったころ、美海は足を止めた。少し目線を下にやっていた俺は、目線を戻すよりも先に美海に問いかける。
「こんなところに何が・・・。・・・って」
顔を上げた時、ようやく目の前の光景が視界に入って来る。
そこにあった景色は・・・。
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~美海side~
私は、私と遥知らない景色と思い出を増やしたいと思った。きっかけこそ光だけど、その心は間違いなく私のもの。
変わらない日常だって素晴らしい。一生かけて謳歌したいとも思う。・・・でも、それに勝る思い出が、今は欲しかった。
だから光が帰った次の日、私はパパに尋ねた。
「ねえ、パパ」
「ん? どうしたんだい、美海」
「パパとママの思い出の中でさ、一番印象深い事って、何?」
急に問われる質問に、パパはうーんと唸って頭を掻いた。でもその表情は幸せそうで、「一番を決めきれない」という感情を書きだしているように思えた。
それから、「そうだ」と呟いて、それを語り始める。
「みをりとの思い出で一番記憶に焼き付いてるのは、プロポーズの時かな」
「プロポーズ?」
「うん。・・・汐生鹿でも、鷲大師でも、それこそ隣の街でもない、誰も知らない場所。そこで僕はみをりにプロポーズをしたんだよ」
「なんでそんな遠いところに?」
「・・・みをり、海から逃げていた最中だったからね。どこか知らない場所に連れてって欲しいってお願いされて、僕はそれに頷いた。電車を何本も乗り換えてさ、当てのない場所まで行った。・・・そこの景色が、僕には忘れられなくてさ」
その場所に、今私は立っている。
パパがあの時ママにプロポーズした季節、時間、全て同じに。
「どこまでも続く花畑があってさ、丘の向こうから海が見えるんだよ。・・・そこに夕日が沈んでいってさ。・・・とても綺麗だった。こんな美しい瞬間を一緒に見ることが出来たんだって思った。・・・そして、そんな二人なら大丈夫だと思って、みをりに思いを告げたんだよ」
それと同じ景色が、今、私の目の前に・・・・・・。
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~遥side~
「嘘だろ・・・こんな場所があるなんて」
目の前の景色は、絶景という言葉では置きかえられないほどの美しさだった。これから春を迎えるであろう花々はこれでもかというほどに彩を放ち、丘の向こうに見える海には太陽が差し掛かっている。揺らめく水面で、ギラギラと太陽が燃えている。
その光景は俺の目にしっかりと焼き付いて、離れようともしない。・・・これが、美海が俺に見せたかった景色なのだろう。
・・・こんな景色を、見せてくれるなんて。
「すごすぎるだろ・・・。なあ、美海」
「・・・」
「美海・・・?」
美海の方を向こうとした瞬間、繋がれている二人の手の間に雫が跳ねた。
ただぼんやりと遠くの太陽を見つめたまま、体を橙色に染めながら美海は涙を流していた。拭うこともなく、ただ大粒の涙は頬を流れるままだった。
「こんなに・・・綺麗だったんだ」
「美海・・・」
「・・・すごいよ、遥。・・・世界には、こんなに綺麗な場所があったんだ」
「信じてなかったのか?」
「信じてたよ。だってここは、パパにとって、ママにとって、・・・そして私にとって大事な場所なんだから。・・・でも、そうじゃなくて」
大事な言葉は途中で止まる。もはや語るものでもないと美海は判断したのだろう。バッと顔を上げて、涙を払い落とす。
それから美海は繋いでいた手をパッと放して、花々の方へ駆けだした。周りには誰もいない、二人だけの鮮やかな世界。その中心で美海は足取り軽く舞った。
涙の次に笑顔を浮かべて、さっきとは打って変わって遠くから声を張り上げて、感情を爆発させる。
「ねえ! 綺麗だね、遥!」
「ああ! すごいところに来たもんだよ!」
「ここには誰もいないよ! 私と遥だけ!」
「んなもん見れば分かるだろ! 二人だけの世界だ、ここは!」
それから俺も駆け出して、美海の隣に並ぶ。立ち位置を変えると、より目の前の太陽が荘厳なものに見えた。
元気よく舞っていた美海は足を止めて、慈愛のような笑みを浮かべて俺に語る。
「・・・ここで、私は私になったんだよ」
「というと?」
「ここはパパとママが結ばれた場所。・・・結婚っていう契りを交わした場所。ずっと昔、同じ時期、同じ場所、同じ時間にそれは結ばれたの」
「だからここに来たかったのか」
「うん。・・・パパは、この場所が一番好きだったって言ってた。だから私も遥と一緒に同じ気分を、同じ気持ちを味わいたかった。・・・幸せだよ、おかげさまで」
心から満足してそうな笑みを浮かべて、美海は誰かの思い出を語る。そして今、自分の思い出としてそれを焼き付けているのだろう。
その横顔に、たまらなく惹かれてしまう。胸を貫かれるような感情を覚えたのは、いつ以来だろうか。
・・・ダメだ、益々好きになってしまう。
今、この瞬間の衝動だけで愛を口走ってしまいたいくらいに心は暴れている。けれど、心の奥の方にある最後の砦がそれを邪魔する。
・・・ああ、クソ。なんて最低なヤツだよ、俺は・・・!
気持ちを伝えることが出来ないもどかしさから、俺の笑みが消えかける。しかし美海はそれを引き留めた。
「・・・いいよ、自分を責めないで。それにこんなきれいな場所にいるの。しかめっ面なんて似合わない」
「美海・・・」
「私はそれでいいの。・・・今は、これでいい。ずっとこうしてたい」
それから美海はその場に腰を下ろして、ぼんやりと海を眺め始めた。俺がその隣に座ると、息を吐く間もなく美海は俺の左肩に頭を預けた。
「私は遠慮しない子だから・・・今から遥を苦しめる言葉を言うね」
「ああ、聞くよ」
「・・・私を選んでね、遥。・・・そしていつか、この場所でプロポーズして」
これはまたずいぶんと俺を苦しめる言葉だ。
・・・本当なら、今すぐにでも「うん」と言ってやりたい。こんな曖昧な関係じゃなくて、もっと近づいた二人で歩いていきたい。
でも今はこれが限界なんだ。・・・全ての思いを受け止め、決断を下すまで、俺はそこに立てない。
・・・けれどもう、迷うのも潮時なのかもな。
それから言葉もなく、ただ時間が過ぎていく。
俺たちが立ち上がったのは、夕日が完全に海の向こうに消えたころだった。あたりはもうじき真っ暗になるだろう。
「そろそろ帰らないとまずいんじゃないか?」
「うん、そうだね。この周辺何もなさそうだし、少なくとも街までは帰っておかないと・・・」
頷きあって、俺たちは駅へと踵を返した。行きはあんなに長いと思っていた道が、帰りになるとひどく短く感じて少しの寂しさを覚える。
そして電車に揺られて街まで戻る。よほど疲れたのか眠ってしまった美海の頭が俺の肩に何度もぶつかる。それに苦笑いを浮かべながら、俺もそっと目を閉じた。
・・・。
・・・・・・。
そして街まで帰って来る。時計の指す時間は八時。
この時間ならまだ鷲大師に帰る電車の便が残っているはずだ。・・・が。
「・・・あれ?」
電車が一向に来る気配がない。他の街に行く便はまだそれなりに残っているが、鷲大師とこの街を繋ぐ電車は全く動きを見せていない。それどころか、あたりから「困ったなぁ」なんて声が聞こえてくる。
・・・まさか。
「遥?」
「ちょーっと、まずいことになってるかもな、これ」
そして、その嫌な予感は確信に変わる。
見上げた先の行先案内。鷲大師行きの隣には、堂々と「運転見合わせ」と書いてあった・・・。
『今日の座談会コーナー』
ようやく本調子ですかね・・・。これまでのシリアスとは打って変わって、がっちりとした普通のシーンが書けたように思えます。しかしここまで書きすぎるとヒロイン決まってるんじゃないかって思ってしまうんですよね。大丈夫です。マルチエンディングは今作も継続していますよ。
話は変わるんですけど、やっぱりサウンドトラックは大事ですよね。この作品を書く時にも流しながら雰囲気を作っているので。いい文章はいい雰囲気から。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)