凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
掲示板に表示された文字を確認するなり、俺はすぐに知覚の公衆電話に立ち寄った。アパートに帰って電話をする余裕など今はない。すぐにでも安否をちゃんと知らせる必要があった。
そして電話に手を賭けようとした瞬間、公衆電話のドアが開いた。美海が無理やりにでも、と入ってきたみたいだ。
「おい、狭いだろ」
「私だってお母さんに連絡する義務あるよ」
「ったく、仕方がないか」
こういう時の美海は引かせようとするだけ無駄だ。身体と身体が密接しているこの状況を仕方ないと割り切って、俺はカードを入れ、馴染んだ番号に電話を掛ける。
『もしもし、こちら潮留』
「ああ、あかりさんですか?」
『あれ、遥君。どしたの? まだ美海帰ってきてないしデート中だと思ったんだけど』
「いや、まあ、そうなんですけど・・・。それより今電車止まってるの知ってますか?」
『え、嘘? それホントなの?』
あかりさんも流石に予想外の出来事だったみたいで、少し動揺している様子が電話の向こうからでも読み取れた。
『まいったなー・・・。至さん、今日漁協の飲みに付き合わされちゃって車出せないんだよ。あたしも免許持ってないし。・・・あれ? 雪降ってる』
「なんかその雪で道中のレールが使えなくなったみたいです。異常気象を抜きにしたら二十年ぶりくらいらしいですよ、ここら辺でたくさん雪が降るの」
『まさかそれがこんな日に起こるなんてね・・・。で、どうしたいの? 美海』
突如、あかりさんは俺の隣にいる少女の名前を呼んだ。吐息が二人分だった、とでも言うのだろうか。美海の存在には気が付いていたみたいだ。
「遥、変わって」
「え? ああ」
「ついでに・・・ちょっと二人きりにしてもらえると、助かる」
美海の表情に気おされ、俺は電話ボックスの外へと追い出されてしまう。ああいうという事は、この電話の中身を美海は聞かれたくないのだろう。それを汲み取って、俺は電話ボックスから離れることにした。
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~美海side~
「変わったよ」
『ああ、美海。ひとつ確認だけど、ひょっとして今日そもそも帰ってくる気なかった?』
「え?」
なんで、バレて・・・?
沈黙は肯定。お母さんは一つ大きなため息を吐いて話し始めた。
『やっぱりかー。洗濯物の中の美海の服ちょっと消えてたから、リュックにでも詰めたんじゃないかなって思ってたの。一泊分くらいの服は平気で入るしね』
「・・・そういう言い方するの、すごい意地悪」
『あはは、ごめんって』
その言葉に謝ろうとする気は微塵も感じられなかった。・・・というよりむしろ、どこかその状況を喜んでいるような。
『・・・ま、結果オーライの大チャンス。至さんと晃には私が上手く言っておくから、今日は思いっきり楽しんできな。無理に帰ってこなくても大丈夫だから』
「楽しむって・・・もう夜だよ?」
『分かってないなー。・・・夜だからこそ得られる経験ってのがこの世にはあるんだよ。普段出歩かない時間、場所。それだけで今の美海には新鮮だと思うけど?』
「確かに、そうだけど・・・」
体裁上はそう言っているけど、お母さんが言っている言葉の意味には裏があると思っている。
けど、今の私にはまだそれは出来ない。・・・遥と肉体関係を持つなんて。
それでも純粋に、一緒にいる時間が増えるのはたまらなく嬉しい。今日の所はそれでいい。
『まあ、好きにしてくれたらいいよ。今日のことは何もおとがめなし。遥君にも伝えておいてね』
「分かった。・・・カードもったいないし、そろそろ切るね」
『それじゃ、ごゆっくり』
軽い挑発を続けるお母さんの声を聴き終わる前に私は受話器を下ろす。その余計なお世話に大きなため息を吐きながらも、認められたことがどこか嬉しかった。
そしてこれからどうするかを伝えるために、私は遥のもとに戻る。
・・・今日は、帰らないよ。
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~遥side~
電話を終えた美海はカードを俺に手渡した。肌寒さからか、その指先は紅く染まっている。
そしてその頬もまた、普段より紅潮していた。やはり寒いのだろうか。
「美海、これからどうする?」
「・・・」
「美海?」
「・・・行って、いいかな?」
俯いたまま、ポツリと何か呟いたと思ったら、美海は俺の予想していなかったお願いを口にした。
「遥の家、行ってもいいかな? どうせ今日は帰れそうにないんだし」
「俺んち、か・・・。手狭だし、向こうの家より全然片付いてないぞ?」
「うん、構わない。・・・というかそれがいいの。変に私のために用意なんてしてくれなくていい。素の状態で接してくれている方が、私は好きだから」
それから美海は少し強引に俺の手を握る。先ほどよりも温度を失くした手のひらを伝う脈が、美海の心の高揚を俺に伝えている。
覚悟して言ってくれたのだろう。ならこれ以上、余計な逃げ言葉なんていらない。
「分かった。じゃあさっさと行こうか。今日は冷えるしな」
「うん」
ちゃんと手を握ったまま、俺は二年と少しの付き合いのアパートへと戻っていく。・・・ここに誰かを呼ぶことになるなんて思ってもみなかったけど。
駅から歩いて十分ほど。歓楽街から少し離れたところにある俺のアパートは屋根を白く染めていた。今こそ何もないが、ちょっと前までここら辺でも雪が降っていたのだろう。
鞄の奥底から鍵を取り出して部屋の中へ入る。誰も呼ぶつもりなどなかったから、大学の勉強のために買っていた本が山積みになっている。・・・それ以外は、綺麗なんだけどな。
「・・・すごい量の本。これ、全部読んだの?」
「一通りはな。俺、こっちでは遊びもバイトもろくにしてなかったし。紡が時折顔をのぞかせに来たくらいで、後はずっと一人の時間。そしたら本を読むか散歩に出るかくらいしかやることが無くてな」
「堅苦しい生活してるんだね」
「返す言葉もねえよ」
ただ、俺が鷲大師に恋心を残していなければ、こっちでの生活にもう少し遊びという華があっただろう。けれど今更そんな「あり得た話」を語るつもりはない。これでいいと思っているのだから。
「・・・さて、こっちに帰ってきたのはいいんだけど、予想外過ぎて冷蔵庫の中身が何もないんだよな」
「買いに行く? ・・・もし何か作るなら、今日は一緒に作りたい」
「分かった。んじゃスーパーが閉まらないうちに行ってしまおうか」
荷物を放り投げて、俺はすぐにまたアパートを後にする。
近くのスーパーで二人で買い物。千夏とは散々やったような気がするけど、美海とこんなことをするのは初めてだったりするかもしれない。
それが証拠に、美海はずっと幸せそうな表情をしてくれた。その全てが自分の中にない経験だったのだろう。
家に帰るなり料理が始まる。慣れた手つきの俺と、少しスピードが遅れ気味の美海。最大限に歩調を合わせて、二人で一つ一つ目の前のタスクをクリアしていく。出来上がった料理は、ここ最近では一番美味しかったかもしれない。
同じ空間の中、二人一緒に何かに取り組む。ただそれだけの行為が、今は心の奥底から愛おしく思えた。それはまるで、新婚の夫婦と言ってもいいような。
もちろん、そんな風に舞い上がっているわけではない。ただ似たようなものに思えるだけで、これは偽物だ。まだ本物となるには不格好で不揃いすぎる。
けれど、たとえ偽物だとしても、それに抱くこの幸せの感情だけは本物だ。
食器洗いと歯磨きを終え、俺は先にシャワーを浴びる。小十分と少しほどの行水を終え部屋に戻ると、ちょこんと部屋の端の方にすわっていた美海が白状した。
「・・・遥、今日私ね、本当は最初から帰るつもりなんてなかったんだ」
「そう、なのか」
「だから電車が止まった時、嬉しかったの。これで遥に迷惑かけることなく、遥と一緒にいる口実が出来るって」
「馬鹿だな、ホント。最初からそうしたいって言ってくれれば俺はいつでも許可するのに」
「言ったでしょ? 素のままでいて欲しいの。そっちの方が思い出になるから」
それから美海は床に転がってるクッションに顔を埋めて、言葉を籠らせながら呟いた。
「・・・だから、今すごい幸せなんだよ、私」
「そうか。・・・満足してくれたなら、俺も嬉しい」
「遥は、どう思ってるの?」
「決まってんだろ。・・・あんなすごい景色見て、こんなハプニングに出くわして。多分今日のことは忘れることは出来ない。素晴らしい日だったよ」
「・・・そう」
幸せだけに溢れた体験を、俺はこれまでの人生で経験したことがあっただろうか。
まあ、あるにはあっただろう。けれど今日のそれはまたどこか格別に違う。・・・美海といたから、楽しかったんだ。
「・・・私、お風呂借りるね」
美海は声細く呟いて、風呂場の方へと逃げていった。あの様子はこれまでもなんどか見てきた。感情が爆発寸前になっているのだろう。
そういったところは多分いつまでも子供なんだろうな。
・・・。
・・・・・・。
風呂場に美海が逃げ込んで二十分ほどが経つ。俺は足元に転がっている本に手を伸ばしてパラパラとめくってはぼんやりと天井を見つめていた。
その時、ふと思い出す現実が一つ。
・・・あれ。
そういえばこの家、客用の布団、なかったような・・・。
それと同時に風呂場の戸が開く音が聞こえる。なんて最悪なタイミングだ。こっちが意識してしまってる最中に・・・。
「タオルありがと。ここの籠でいいんだっけ?」
「ああ、それでいいんだけど・・・」
「?」
明らかに動揺している俺を見て、美海は不思議そうな表情をしばらくの間浮かべていた。けれど察しがついたのか、今度は硬直する。
「あ・・・、そういうこと」
「どう、しようか? 全然床で寝る覚悟は・・・」
「何言ってるの? ・・・ここまで来たら、最後まで一緒にいようよ」
顔を真っ赤に染めながら、美海はそう言い切る。美海の覚悟は決まっていたみたいだった。
俺は必死に理性で感情を抑え続けた。ただでさえ気が高揚してしまっているというのに、同じ布団の中、なんてやってしまうといよいよ歯止めが効かなくなってしまう。
だから必死で殴りつける。目の前の宝物を壊さない覚悟を胸に打ち込む。
そして三度くらい大きく呼吸をしたとき、俺の覚悟は整った。
「・・・先に言っとくけど、絶対に手は出さないからな」
「うん。それでいいよ。私だって困るし」
美海のその言葉を聞いたとたん、急に胸が軽くなったような気がした。やっぱりこれが今の二人の距離ということなのだろう。
一線を越えることはないだろう。そう思うと安心できた。
「じゃ、先に布団使っててくれよ。電気消さないといけないし」
「うん」
美海はさささっと俺のベッドの布団に潜り込む。それを確認して電気を消し、俺は美海の隣に寝ころんだ。しっかり布団をかぶらなければいけないくらいには、今日は寒い。
だから自然と身体は寄っていた。肌と肌が触れあって、こっちを向く美海の吐息が肩にかかる。それは心地いいだけで、それまでだった。美海の腕がこっちに回って来る。それもまた、それまでだ。
いつか、こうやって抱きしめられた記憶がある。同じように並んで眠った記憶がある。けれど片方は俺の意識がもうろうとしてたし、片方が布団ひとつ分離れた距離だった。
だからこうしてお互いの意志でゼロ距離になるのは初めてだった。
ドギマギしている俺の表情が情けなかったのか、美海は笑んだ。
「やっぱり、遥も慣れてないことには動揺するんだね」
「そりゃそうだろ・・・。けど、悪い気分なんて一つもないからな」
「分かってるよ」
クスッと美海は微笑んで、なおも甘い吐息に言葉を乗せた。
「・・・ねえ、遥。すごく幸せだよ」
「ああ」
「だけどね、あとちょっとだけ・・・背伸びしていい?」
「背伸び、って・・・。・・・!」
戸惑う俺の唇がふと塞がれる。それは二年ぶり、美海とは二度目の接吻だった。
あの日からまた大人になった美海の唇は、あの日感じていた絶望や失望とは全く無縁のものだった。触れている皮膚からは、ただ愛の感情しか流れてこない。
その心地のよい時間は、五秒と少しで幕を閉じた。
屈託のない笑み。俺なんかよりどこまでも幸せそうな表情をして美海は呟いた。
「ここからの続きは、大人の世界だから。・・・だから、遥が私のこと好きだって、一番だって言ってくれないとしてあげない」
「美海・・・」
「その日は、今日以上の思い出を作ろうね、遥。・・・それじゃ、おやすみ」
俺に有無を言わさずに美海は寝返りを打った。これ以上俺に表情を見せるつもりはないという事だろう。
・・・ほんと、どこまで狡猾なんだよ。
美海の等身大以上の愛を受け取って俺はただ茫然としていただけだった。
・・・けど、ずっと上手を取られっぱなしなのはカッコ悪いよな。だからせめて、少しだけ反撃してみることにする。
離された手をもう一度繋いで、がら空きの首元に小さく口づけをする。
言葉はなかったが、美海の身体が小さく震えたのが分かった。それに俺はいたずらっぽく笑んで、目を閉じる。ここから先は無し。今日という日はおしまい。
だからせめて今だけは、最高の魔法の中で眠ろう。
・・・おやすみ、美海。
『今日の座談会コーナー』
・・・えー。ほんとうにこういうの久しぶりすぎて何を書いてるのかさっぱりになったりしてました。というか長い、長すぎます。今作最大文量は多分ここですね。誤解されないように言っておきますが、この作品をR-18にするつもりだけはありません。大好きな作品を汚しすぎるのはポリシーに反しちゃうので。多分これが、持てる恋愛描写のギリギリでしょうか。
といったところで、今回はこの辺で。
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また会おうね(定期)