凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百七十四話 慣れの果て、残るもの

~遥side~

 

 美海に宣言をしてから二日後。今日も今日とて自宅で新しい新書の読破に勤しむ俺に電話がかかってきた。確か陸の方では昨日が終業式だったんだっけ。

 とするとそのうちの誰かかもしれない。その予想は当たりみたいだった。

 

「あ、もしもし遥くん?」

 

「千夏か。今日から春休みらしいな」

 

「うん。・・・といっても、結構やることいっぱいだけどね。・・・そこで、早速お願いなんだけどさ」

 

 少し申し訳なさそうな声で千夏は何かを俺に頼み込もうとしている。当然それを拒むはずもなく、俺は二つ返事で了承した。

 

「ああ、言ってくれ」

 

「そっちの学校なんだけどさ、担当の人が今日から二日くらいいなくて。明日はなんとかなるんだけど、どうしても今日人手が足りなくて。だから、手伝ってくれるかな?」

 

「それはいいんだけど、汐生鹿、まだ学校やってるのか?」

 

「どっちかというと学校後の事務作業とか残ってる子の面倒をみたりかな。親が帰ってきてないのに一人で家で留守番することが嫌いな子、結構いてさ。友達と遊ぶにしても学校でいいじゃんってみんな言ってるし」

 

「すっかり昔に戻った感じだな。懐かしいよ」

 

 俺も昔、両親が陸で仕事をしているときはそうやってよく学校に残ってた気がする。歪んでしまったあの日までは、俺も一人の悪ガキだったんだろう。それこそ光みたいな。

 そうしてでも学校に残りたいという子が今もいるという事だ。良くも悪くも歴史は繰り返す。

 

「で、その子たちの面倒を見るのにひとりじゃちょっと足りないかなって感じなんだけど・・・どうかな?」

 

「分かった、手伝うよ。毎日はちょっときついけど、たかだか一日くらいならどうってことないし。たまにはあっちの方行ってみるのも悪くないしな」

 

 俺の家は少し汐生鹿の街から離れてるのもあって、街へ行くことが少ない気がする。二年経ってわだかまりも消えたが、どうも少し距離があるのは変わってないみたいだ。

 

「じゃあ、その前に遥くんの家寄っていいかな。始まるの昼の三時くらいからだから」

 

「とすると後二時間か。分かった。準備しておく」

 

 それから電話を切って、急いで恰好なり身支度を整える。・・・そうか、千夏がこっち来る可能性もあるなら、家も片付けておかないとな。

 そうと決まればやることは多く、本をせっせか棚に戻して作業に取り掛かる。それから30分くらい経った頃、家の呼び鈴が鳴った。千夏が来たみたいだ。

 

「邪魔するね」

 

「ご自由に。つってもあと一時間と少しくらいしかないけど」

 

「いいの。これから体動かすんだから、今は休んでおかないと」

 

「さいですか」

 

 そう言うなり、千夏は俺の家に置いてあるソファに身を投げた。それからテーブルの上に置いたままの本に目がいったのか、それを手に取り広げた。

 

「教育学の本じゃんこれ。遥くん先生にでもなるの?」

 

「特別思い入れがあるわけじゃないけど、可能性は狭めたくなかったから向こうで勉強はしてたんだよ。おかげで遊ぶ暇なかったけどな」

 

「勉強してもしなくてもあんまり遊ばないでしょ遥くんは」

 

「正解」

 

 といっても友達がいないわけではない。向こうで新しく出来た縁だってある。ただそれは、こっちに比べるとあまりに希薄なだけで。

 まあ、残り一年だ。これ以上何かが起こるなんてことはないだろう。ましてやこの街から向こうに帰る方が少ないのだから。

 

 千夏は本に目をやったまま、独り言をつぶやく。

 

「大学かー」

 

「千夏はどうするんだ?」

 

「実のところあんまり勉強は好きじゃなくてさ。一人暮らしってのも、正直しんどい。だから前向きには考えてないかも」

 

「それでいいのか?」

 

「話聞いた感じ、別にこっちの学校手伝うのに学歴いらないっぽいしねー。それだったら早いとこ卒業してすぐ就職する方が、私的にはありかも」

 

 前々から思っていたが、千夏はどうにも実践的な性分みたいだ。理屈がどうこうじゃなくて、自分の中で正しいと思ったことをただ愚直に実行しようとしている。俺とは真反対の生き方だけど、それもまた美しく見える。

 

「たぶんお父さんもお母さんもそれで納得してると思うからさ」

 

「ああ、間違いないだろうな。何も遊んで暮らすって宣言してるわけじゃないんだ。二人は真正面から応援してくれるだろうな」

 

 自分と『唯一』血の繋がっている子供だ。応援しないはずがないだろう。

 ・・・俺が美海と将来を歩むことを選んでも、二人はそれを応援してくれるのだろうか。ふと、そんな嫌な感情が脳裏を過る。

 

 それを心の奥の方に仕舞って、俺は一つ息を吐く。

 

「あと一年で社会人か、俺も」

 

「嫌?」

 

「体を動かすことも誰かのためになるのも好きだけどさ、一応仕事ってなるとそれが義務になっちまう。それはちょっと嫌でもあるかな。縛られずに好きなことを出来ている今の状況がいかに幸せか、この頃そう思わされるよ」

 

 まあもっとも、それがまかり通るなら人間もっと堕落した生き物になるだろう。誰もが誰も意欲的に毎日を生きているわけではないのだから。

 

「義務、かぁ・・・。そう考えると好きを仕事にしようとするのは難しいよね」

 

「全くだ」

 

 苦笑して、俺はダイニングの椅子に腰かける。そのタイミングでソファの方でゴソゴソと音が聞こえた。

 

「ちょっと寝るね。1時間したら起こして」

 

「ん? ああ」

 

 それから物音は無くなる。・・・さすがに無防備すぎるだろ。

 俺よりも俺の家で上手にくつろぐ千夏に困惑しつつも、その「らしさ」に俺は小さく笑った。遠慮も何もないこの付き合いこそ、俺と千夏の間にしかないものだったはずだと。

 

「さて、と」

 

 思いたった俺は客間の押し入れから毛布を取り出した。春が近づいているとはいえ、まだまだ寒いは続く。こんなところで風邪ひかれても困るしな。

 取り出した毛布を千夏に掛けて、その近くに腰を下ろす。先ほどまで千夏が呼んでいた本を、今度は俺が開いた。

 

 ・・・先生、か。

 

 

---

 

 千夏を叩き起こして学校に向かったのは三時前のこと。徹底したスケジュール管理はお手のものだ。

 小学校に着くなり、千夏は校庭に顔を出した。その存在に気づいた子供たちが一斉に「千夏おねーちゃん」と声を挙げる。その瑞々しいほどの笑みに困惑するのは俺だった。

 

「随分と慕われてるんだな」

 

「そう? そうなら嬉しいな」

 

「というか、ほら。呼ばれてるんだし行って来いよ」

 

 俺は千夏の背中をトンと押す。千夏は一度うんと頷いて、そのまま真っすぐ校庭のほうへ駆けていった。それを見送って、俺は懐かしの母校の職員室に目をやる。

 流石にもう十年近く前の話だ。俺のことを知ってる人はそういないだろう。

 実際、底に俺の見知った人間はほとんどいなかった。

 

 それでも中に懐かしい顔を見て、俺の身体は引き寄せられる。

 

 職員室の扉を開けると、その人は俺をちょいちょいと手招きした。この人は、俺たちのクラスを受け持ってくれていた人だ。まさかまだ残ってたとは。

 

「お久しぶりです、真先生」

 

「久しぶり、遥君。・・・この場所で君を見るのはもう結構前の話になるね」

 

 最後に会った時から随分と老けてしまった真先生は皺を増やして笑う。この人の温厚さはどうやら変わっていないみたいだ。

 

「あの頃は本当にお世話になりました」

 

「ほんと、手の焼ける子供ばかりだったからね、君たちの代は。みんなみんな素直な子ばっかりなのに、全員不器用で」

 

「返す言葉もないです」

 

「特に遥君。六年間の間で一番環境の変化が凄かったのは君だからねぇ」

 

 懐かしそうにかつてを追憶して、真先生はしみじみと話す。あの頃の俺を懐かしんでいるのだろう。

 両親がいなくなって、居候して、みをりさんが死んで、この家に帰ってきて・・・。今思えば全く大変なことばかりだ。

 

 

「元気してるかい?」

 

「ええ、おかげさまでここまで大きくなりましたよ。そりゃ大変なこといっぱいありましたけど、全部乗り越えてここまで来ましたから」

 

「・・・聞くだけ野暮だったね。あの頃に比べて生き生きしてる君を見て、そんなこと分からないはずもないわけだし」

 

 真先生は言葉にして俺の人生が彩を取り戻していることを形にしてくれた。他者からそれを認められるのは、やっぱり嬉しい部分がある。

 

 それから一つ息を吐いて、真先生はゆっくりと話を変えた。

 

「千夏ちゃん、あの子はいい子だね」

 

「会うたびにこっちの学校でのことを楽しそうに話してくれますよ。本当に、昔からこの場所に来ることが夢だったんでしょう」

 

「あんな子がもっと昔からいてくれたらって、今でもそう思うよ」

 

 思えば真先生は暗に追放を反対していた人物だった。それだけに千夏が海に来ることができなかったこれまでの時間を残念がっているのだろう。どこまでも善意と優しさに溢れた人だ。

 

「遥君は、あの子のことが好きなのかい?」

 

「はい、・・・え?」

 

 適当に返事をしてしまったが、問われた内容はそれなりに大きなものだった。否定するではないとしても、言い直す。

 

「・・・いや、そりゃまあ・・・好き、ですよ。あいつは俺にとって大切な人ですから。多分、好きって言葉で簡単に片づけることは出来ないと思います」

 

「でも、交際してる、って訳でもなさそうだね」

 

「・・・色々事情がありまして」

 

 情けないことに、今の俺にはそう返すことしか出来なかった。

 真先生はそんな俺を笑いながら、ぽつぽつと呟いた。

 

「あの子は、隙さえあれば私に遥君のことを聞いてくるからね。子供頃どうでしたか、とか、学校ではどんな子でしたか、とか。・・・それほどまでに頭がいっぱいなんだろうね」

 

「理解してるつもりではいましたけど・・・」

 

「それでも決めきれないってことは、あの子と同じくらいの思いを持った子がいるってことだろうね」

 

 鋭い慧眼で真先生は真理を突いてくる。伊達に長生きはしていないのだろう。

 

「・・・私も昔、そんな経験をしたからねぇ」

 

「真先生が、ですか?」

 

「ああ。それこそ君のような感じだよ。・・・けど私の場合、決めきれなかった。二人の気持ちを傷つけたくなかった。・・・その結果は、言わなくても分かるね?」

 

 昔からこの人は独身を散々話のネタにしては、光なんかに茶化されてきた。昔はモテていた、なんてことを言っては嘘だとちさきに言われていた。

 けど、多分これは本当の話。全部自分の過去の傷の話をしていただけだった。

 

「だから遥君。・・・傷つけることを恐れてはダメだよ」

 

「ええ、分かってます。答えを出すことも優しさだってこと、知っていますから」

 

 それこそ昔そうやってちさきの思いを拒絶したんだ。・・・ああいう風に、出来るはずだ。

 握りこぶしが震える。

 

「・・・強がってるね、ずいぶん」

 

「バレましたか。・・・やっぱり、怖いですから」

 

「でも、取捨選択は絶対に人生で訪れる。・・・だから私は、エールを送るよ」

 

 真先生はそう言って、俺の手を取った。皺だらけの力のない手からは、これまで積み重ねてきた情熱と後悔が伝わってくる。

 暗にこの人は「こうなるな」と伝えてくれているのだろう。・・・自分だって辛いはずなのにそう言えるのは、やっぱりこの人の強さに相違ない。

 

 だから俺は、それに応える。「こうならないように」生きる。

 

 

「さて、事務作業ちょちょいと終わらせて、遥君はあの子のもとに行ってあげて」

 

「分かりました。じゃ、早速仕事に入りましょうか」

 

 

 誰かを自分の間違いの先の姿と見立てて生きていく。

 それはあまり喜ばしい事ではないかもしれないが、その道標だけは無駄にしたくない。

 

 

 

 間違えたくないと、心は叫ぶ。




『今日の座談会コーナー』

 新章二人目の新キャラ。こっちは名前を出しましたね。設定にはないですが、遥世代の小学生時代の教諭ってことにしてます。サブタイトルにあるように、選択しなかった人間の慣れの果て、優しさという毒にやられた人間という背景を持っています。遥の慣れの果てシリーズとしても二人目ですね(1人目は父親)。
 表面だけの優しさが優しさではないんでしょうね。傷つけないことが優しさなら、人は成長できませんから。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)
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