凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
陸へと戻っていく千夏を見送ったのは、次の日の午前九時のことだった。本当は家まで送るべきなのだろうが、それ自体を千夏本人が拒絶したために、こうやって地に足を付けて登っていく千夏を見るだけにとどまっている。
・・・が、本当はこれでよかったのかもしれない。
ここ一週間の間で沢山のことがあった。美海と千夏と、それぞれ二人だけの時間を過ごすことで、これから先俺が繰り広げることが出来るであろう未来を想像することが出来た。それは間違いなく、俺が選択をする大きな材料になる。
・・・本当に、楽しい時間だった。ずっと同じ日が続いて、永遠に歳を取らなければいいのにと願った。
だけどそれは出来ない。だからこうして、俺は選ぶことを決めた。
約束の日は、近づいていく。
---
それからまた三日ほど経った。二人に答えを出す期間が残り一週間となったところで、俺は一つ決心した。
最後に千夏が泊りに来た日からも、二人とはちょこちょこあっては色々話した。あんなことやこんなことがあった手前、少し複雑な距離での接し方になったけれど。
二人の気持ちは変わらない。あれだけ膨大な愛を目の前に俺はただ立ち尽くしてるだけだ。
それが嫌で、俺は決心をした。
当分の間、二人とは会わない。誰の干渉もなく、ただ自分の心に向き合うために、俺は残りの期間を過ごすと決めた。手短に連絡を入れて、しばらく分の用意をして俺は街のほうのアパートへと引き返す。
「少なくとも春休み中は、自分の意志でここに帰ってくること、ないと思ってたんだけどなぁ」
荷物をほどいて、ベッドの上でそう呟く。三日ほどこっちに滞在するだけだというのに、謎に空虚は募るばかりだ。
こんなぜいたくな悩みに振り回される俺はさぞ幸せ者なのだろう。けれど幸せは手に入れるだめのものではない。だからこそ今、心が痛んでいるのだ。
紛らわそうと勉学に励んでも、あちらこちらに出かけてみてもその空虚は埋まらない。一日、二日と時間だけが過ぎていく。その頭の片隅ではずっと、二人と描く未来の創造が行われていた。
そのどちらもが鮮やかで、麗しくて、選ぶに選べない。
そして迎えた三日目、耐えきれなくなった俺はいつもの喫茶店に逃げ込んだ。この店が開いてからの一時間は基本誰も来ない。その時間を狙ってはいつもマスターに人生相談をしていた。
こんなことで頼るべきではないと分かっていても、弱虫の俺には耐えきれなかった。
鈴のついたドアを鳴らして、俺は喫茶店に入る。マスターは思いつめた俺の表情を見るなり、持ち前の明るさを前面に押し出して接してきた。
「まーた悩み顔。今日は・・・色恋沙汰かな?」
「正解ですよ。・・・どうしても、選べなくて」
この人には二人のことを洗いざらい吐いている。・・・というより、少しだけの情報開示でその全てを読み取ることが出来るみたいで、たちまち全てを言う羽目になってしまったのだ。
それでもこの人は時折茶化しながら、真摯に接してくれた。だから答えを出す最後もこの人に頼ろうと思ったのだ。・・・二人の世界と全くかかわりのない、完全なる第三者のこの人に。
「とりあえず長くなりそうだから、ここは私のおごりで一杯サービス」
「ありがとうございます」
目の前に出される俺好みのコーヒーを一口すする。その温かさに冷静さを取り戻そうとした矢先、躊躇う事なくマスターはそれを言葉にした。
「聞くに、そろそろ答えを出そうとしてるよね、遥君は」
「なんでそう簡単に分かっちゃうんですか」
「だって、開口一番に『選べない』って言っちゃったからね。これまでは回り道をして誤魔化して、その道中でそう言ってたけど、今回はいの一番、ストレートにやって来た。気づかないはずもないよね」
「・・・心読むのどんだけ上手いんすか」
こと心理掌握においても、この人は俺の師みたいな存在だ。地でこれをやるのだから才能の塊としか言いようがない。
俺はため息を吐く。周りに誰もいないのを確認して、丁寧に自分の思いを吐くことにした。
「・・・優劣の決め方が、分かんないんですよ」
「なるほど? 確かにずっと二人の話をしてる時、同じくらい好きって感じで話してたからね。その二人に順番をつけるのは難しいよ。過ごした年月が長ければ長いほど、ちょっとのきっかけだと動かなくなるから」
「本当なら少しの喧嘩で歪んだりするんでしょうね、人間関係って」
「けど、遥君が今抱えている関係はそんな小さなきっかけじゃ歪んだりしない。好きを嫌いに変えるスイッチってのはなかなかないからね」
どちらかを選ばないことになっても、俺はそいつのことをずっと好きでいることになるだろう。それほどまでに、大切な・・・。
・・・いや、待てよ。
そこで俺はようやく、大きな思い違いに気が付く。
片方を愛そうと、選ぼうと悩んでいるのに、選んだあとで選ばなかった方への思いを断ち切らないというのは最低最悪の行為だ。
そいつが大切な人間であることには変わりない。だけど、選ばないという事は、恋愛の対象ではないと突き放す事。
そんな相手に感情を抱き続けるのは、自分の愛を結び付けると決めた相手を裏切る行為だ。・・・少なくともなあなあな心のままでいることはしたくない。
嫌わずとも、切り離すことはしなければならない。
そう考えると、胸はまた苦しくなった。苦い顔がマスターにも伝わる。
「選択って難しい行為だよね~」
「そんな簡単に言えるものじゃないですよ。・・・そいつの思いを全て拒絶しないといけないんですから」
「・・・ずっと思ってたんだけどさ、遥君、ちょっとくどいよ」
マスターはいつの間にか浮かべていた小さな笑みを消して、細めた目で俺を牽制した。聞くはずもないと思っていた言葉の羅列に、俺は萎縮する。
「・・・いい? 今から私がいい事を教えてあげる」
「なんですか・・・?」
「世界はね、自分が考えるよりほんの少しだけ優しいの。遥君はずっと誰かを傷つけることを嫌ってる。それは立派な考えだよ。優しさに満ち溢れてる。・・・けど、傷っていつかは癒えるんだよ。そうしたら後は素直に、その先の人生を応援してあげられる」
「なんで、そんなことが」
「私がそうだったからね」
小さく残念そうなため息を吐いて、マスターは残念そうな表情をしたまま苦笑した。
「私も、友達と一人の男を取り合ってた。それこそ、遥君の言う二人よりはもっとぶつかりあってたかな。最後の方なんか『殺してやる』くらいの心持ちでいたよ。・・・それで、最後は負けた。好きだった男持ってかれて、死ぬことすら考えた」
「・・・」
「けど、こうして今は楽しくやってるよ。あの子ともまた遊ぶようになった。・・・そんなもんなんだよ、人生って。傷つけられたことを憎いとか悲しいとか思うのは最初だけ。・・・最後は思い出になって、アルバムのどこかに仕舞われるの」
それから小さく息を吐いて、今度は苦笑ではなくいつもの笑みを浮かべた。
「まっ、そんな感じだから。だから遥君、君は自分が一番欲しいものを、欲しい人だけを考えていいの。傷の事なんて後から考えればいい。それが選ぶ側の特権」
「俺が一番、欲しいもの・・・」
傷つけることを躊躇わないと言いながら、心を鉄にすると言いながら、心の奥底では取り残された奴の未来しか考えていなかったのだろう。そこから導かれる答えは妥協でしかない。
それを取り除いた、俺が一番心の底から望むもの。それが答えみたいだ。
「さて、そろそろお客さんくる頃だと思うけど、他に何か注文ある?」
「・・・じゃあとりあえず、いつもので」
「朝の十時半だってのにもう昼ごはん?」
「これから考え事をするんで、先に頭空っぽにして飯食べておいたほうがいいですからね」
俺が誰との未来を選ぶか。失うものを数えるのではなく、描いた未来のどちらが好きだったかを選ぶ。それはまた骨の折れるようなことだろうけれど、今ならちゃんとその答えが見えそうな気がする。
せめてその時情けなく倒れないように、今はただ我が身を労わることにする。
『今日の座談会コーナー』
最後に遥の思いを聞くキャラクターはまさかの前回ポッと出しただけの喫茶店のマスターでした。まあ、理由は作中でも明言しているように、「二人の背景事情を全く知らない、どちらにも肩入れすることのない第三者」だからですね。ちなみに二人の出会いのきっかけは二年前のオリジナルパート、日野家編の事件からです。このキャラクターは簡単に言うと「選ばれなかったヒロイン」の完成形といったところですね。だから伝えられることがあるということです。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)