凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
宣言通り、土曜を迎えた俺は八時ごろの電車に乗って街へ向かった。最後に行ったのが冬休みのデートだから、かれこれ三か月ぶりくらいか。
開いてすぐのいつもの喫茶店に入り、マスターとおしゃべり。
久しぶりに見た俺の顔に、マスターは嬉しそうな声音で語った。
「あら、久しぶりじゃない。もう来ないと思ってた」
「そんな薄情な人間に見えますか? 俺」
「嘘嘘、冗談だって。それにしても、ホントに久しぶりだね。半年? 一年?」
「半年くらいですかね。大学を出てから一回くらいしか来れなかったですから。一週間に一回は来ていたあの頃と比べると、そりゃ久しぶりに思いますよね」
この場所から離れるのは名残惜しかったが、俺が選びたかったのはあの街だ。後悔はしていない。
それにこうやってまた話し合える時間がある。それだけでいいのだと思えているこの気持ちに間違いはないはずだ。
「さて、長話になりそうだから注文・・・、ま、聞かなくてもいいか。アメリカンのホットでしょ?」
「そうですね。お願いします」
カウンターの席に腰を据えて、マスターは俺の目の前にアメリカンのホットを差し出してくれた。一口すすって、マスターの方を見る。何やら嬉しそうに目元を細めているみたいだ。
「また雰囲気よくなったね。彼女とは順調?」
「ええ。おかげさまでもうそろそろ二年です。・・・それでもって」
「なるほど。それがこの街に来た理由」
そう。俺が千夏に内緒でここに来たかったのは指輪を買うためだった。サイズなんかはそれとなく聞いているし、今日買うだけの準備は出来ている。そこら辺は抜かりない。
「指輪かー。いいなー。私も欲しかったなぁ」
机に肘をついて手を頬に沿えて、嫌味でもなく独り言をつぶやく。一瞬美海が脳裏を過ってしまったが、どうにか忘れ去るように熱いコーヒーを流し込んだ。
それから場を悪くしないように、得意の軽口でマスターに接してみる。
「まだいい出会いありますよ」
「えー? こんな四十路に?」
酔っ払いみたいなダル絡みにも、俺は動じずにきっぱりと答えた。
「少なくとも見た目だけなら全然三十路って言ってもバレないですよ。それに話術も得意ですし、戦いようでは全然」
「じゃあなんでこれまで彼氏出来なかったと思う?」
「作ろうとしなかったからですね」
「あはは、正解」
物寂しそうな笑顔でマスターは笑って、一息ついて正解に補足を付け加えた。
「こんなこと言ってるけどさ、あの日目の前でフラれた瞬間、全ての熱が冷めちゃったんだよね。こうやって私のこと大切に思ってくれる人とダラダラ話してる方が私的には幸せでさ。・・・指輪だって欲しいけど、あいつからじゃないと、嫌だし」
「意外とマスターって乙女ですよね」
「そうだぞー? 遥君より年齢は一回り上だけど、私もちゃんと女なの。いまだに忘れられないことだって、ちゃんとある」
マスターの心に残っている過去の傷は、多分一生消えることはないのだろう。
そしてまた、美海に与えてしまった同じくらいの傷も。
けれど、傷つけてしまった以上俺に関与できることはない。自分の世界から遠ざかってしまった以上、どうにか自分で傷を癒すか立ち直るしかないからだ。そう言う選択を、俺はしたんだ。
だから後ろを振り向くつもりはない。それが報いるという事だ。
その思いに呼応するように、マスターは俺に酷なことを尋ねる。
「で、遥君。振った側としての心情ってどんなもん?」
「惨い事聞きますね。こっちも傷つけたくてそうしたわけじゃないですよ」
「分かってるってそんなこと。けど、ことが起こって二年経って色々思うところってあるでしょ? それくらい教えてくれてもいいじゃん」
珍しくマスターは引こうとしていない。その頑なさを認め、俺は吐露することを決めた。
「・・・正直、選んだ方との毎日で精いっぱいで、後ろ振り返る暇がないです。もちろん、時々思い出しては胸を痛めることもありますけど、選んでしまった以上、選んだ方に真摯に向き合わないと誰も幸せにならないので」
俺は、ちゃんとこの二年間で「割り切る」という事と覚悟を手に入れていたみたいだ。決断になよなよしていたあの頃の俺はもういない。
「じゃあ、振ってしまった以上、後はどうでもいいって事?」
「極端な言い方ですね・・・。少なくとも完全な赤の他人とは思ってないですよ。ただ、フッてしまった側は選ぶ側じゃないんです。許されるかどうかの判断を待つだけの存在。自分から干渉することは、しないです」
二年経った今でも、どんな顔をして美海に逢えばいいか分からない。さゆのガード云々以前に、俺が美海に近寄ることをやめてしまった。逢っても今は、互いに辛いだけだからと。
「・・・ま、確かにあいつも私が言い寄るまで何も話してくれなかったっけ。多分そういうことなんだろうね」
ちゃんと答えを提示したにも関わらず、マスターは心底つまらなそうな表情でグラスの外側を指で詰った。俺に一体どんな答えを求めていたというのだろう。
「ただ、決めた後、少しでも悩んでくれた方が、フラれた側としては嬉しいんだよねー。『ああ、まだ自分のことを思って揺れ動いてくれている』ってなるからね」
「だとしても俺は、それを選ばないですよ」
美海にもその心はあったのかもしれないけれど、選んだ以上千夏を大切にしないと多分美海はもっと怒るだろう。そう信じて俺はここまで歩いてきた。
・・・でも、願わくば。
どこかで許しを欲しがっている俺がいる。俺が言うには烏滸がましいことを知っているが、幸せになることを祝福して欲しい。・・・やっぱり、傲慢な願いか。
「あーあ、遥君変わっちゃった」
茶化したようにマスターが呟く。そんなに俺は変わってしまったのだろうか。
・・・ま、確かに変わったのかもな。決断する強さを知ってからだろうけど。
「昔みたいに立ち止まって悩んでばかりいても、時間は解決してくれないんで。だからその分進むって決めたんですよ。昔の俺の弱いところばかり見てきたマスターからすればつまらないかもしれないですが」
「つまんなくないけど、我が子が旅だっちゃった気分だねー。かれこれ四年間ずっと通ってくれてたわけだし。その寂しさは少しあるかな。ま、いいことなんだけどね」
そういう出会いと別れを繰り返してきたマスターは、儚げに笑んだ。仕事の都合上似たような経験は何度もあっただろうけど、それでもやはり辛いものは辛い、という訳だろうか。
「・・・結婚式、私も呼んでよ?」
「それはもう全然かまわないですけど・・・知人とかいらっしゃるんですか?」
「あれ、言ってなかったっけ。遥君と懇意な関係の日野・・・鈴夏ちゃんだっけ? 嫁いで鷲大師行っちゃったけど、こっちで働いていた時は同じ個人営業のよしみで時々遊んでたよ。仕事ない時にはこの店にも来てくれてたし」
「いや、初耳ですよ。・・・それに」
もしそうだとしたら、なんであの人とこの店で一度も会ったことがないのだろう。そうはいっても、かなりの頻度で俺はここに来てたはずだ。
「ああ、私が遥君がここに来る情報伝えてから、その時間避けるようにしてたからね。曰く、『なんか嫌だ』って」
「本当に自由気ままですよね、あの人・・・」
本当に理由がない中での「なんか」なのだろう。そういう奔放さに、俺も惹かれたはずだと苦笑いを浮かべる。
「ま、別に友達がいようといなかろうと私は呼ばれれば行くタイプの人間だから、その時はよろしく」
「分かりました。・・・っと、もう十一時ですか」
「もう行くの?」
「夕方までには帰りたいんで、色々見て回る時間を考えるとそろそろ出ないと」
少し冷めたコーヒーを飲み干して、俺は財布を取りだす。百円玉四つテーブルに置いて、マスターに小さく手を振った。
「じゃ、すみません。今日はこれで。まだいつか来ますから」
「待ってるよー」
ドアが閉まり、その姿が見えなくなるまで俺は手を振って、もう一度鈴が鳴った時前を向いた。うかうかはしてられない。
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指輪を見て回り、自分で納得するものを探すのは予想通りなかなかの時間を要した。こうした高級品の買い物に全く知識がなかっただけに、選別や見定め、自分の中で満足できるかどうかを判断するのに随分と時間を費やしてしまった。
そのお陰もあって、ちゃんと納得できるものと巡り合えた。あとはこれをしかるべき時に、飾らない言葉で分かるだけだ。
日が沈む前に帰ろうと、俺は駅の方に足を進める。今日もちゃんと鷲大師行きの電車は動いているみたいだ。
20分後に出る電車に乗り込まんと改札へ向かおうとするその時、ふと懐かしい匂いとすれ違ったような気がした。思わず振り向いてしまう。
振り向いて、目が合って、しまった。
「・・・あ」
「はる、か・・・?」
忘れるはずもない。それはかつて、俺が愛をぶつけた存在。
ずっと避けては、言葉を交わすこともなかった、かつて大切だった存在。
けれど名前は、不意に口から零れる。
「美海・・・」
『今日の座談会コーナー』
ストラトブールではないです、断じて。なんのこっちゃ分からん人はホワイトアルバム2をチェックしてください。んでもって、ストラトブールではないです。
アフター、と思って書き始めたこの個別ルートですが、意外にもしっかりと個別ルートやってるのでびっくりです。ここまでが盛大な共通ルート、ここからが個別ルートって考えると、ずいぶんと尺がおかしなことになっていますが。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)