凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百八十六話α 最後の雨

~美海side~

 

 時間が経てば、思い出になると思っていた。

 時間が経てば、笑い話にでもなると思っていた。

 

 だから、その時までは顔を合わすことも、声を交わすこともしたくなかった。きっとそれを向こうも分かって、この二年間何も触れずにいた。

 そうして、だんだんと傷が思い出になってきたころだって言うのに。

 

「はる、か・・・?」

 

 目が合ってしまう。名前を呼んでしまう。

 他人のふりをすればそれまでだったはずなのに、私は引き留めてしまった。

 

 出会ってしまう、曾て私の全てだった最愛の人に。

 

---

 

~遥side~

 

 どうして俺は振り返ってしまったのだろう。

 どうして俺は目を合わせてしまったのだろう。

 

 どうして・・・今更になってその名を呼んでしまったのだろう。

 

 もう未練はないはずだ。俺は自分の選んだ道に満足して、そしてこれからさらに幸せになろうとしているはずなのに。

 それなのに、目の前の彼女のことを思ってしまうのは、どうしてだ。

 

 目が合って名前を呼んで、知らなかったふりをしてこの場を離れる事なんてできはしない。苦し紛れに俺は話を続けた。

 

「久し、ぶりだな・・・」

 

「うん。・・・もう二年だっけ」

 

 ちゃんと逃げられないように、美海は自分が捨てられた日からの期間を口にした。どれだけ恨まれているのだろうかと思うと、怖くて仕方がない。

 怯えたような表情を浮かべる俺に、美海は軽いトーンで投げかけた。

 

「いいよ、そんな怯えないで。・・・今更恨むことなんてないよ」

 

「・・・悪い」

 

「ううん、いいの」

 

 どことなく、ぎこちない会話。それからまた静寂。二人の間を冷たい風が抜けていく。昔はこんな感じじゃなかったというのに、今になってあの頃と同じような会話が出来ない。

 好き以前に、大切だった人なのに。

 

 でも、俺がそう思っていても、俺から飄々とした口調で話すことなんて出来ない。そうしてはいけないだけの罪を、俺は背負っているのだから。

 

「聞くまでもないとは思ってるけど、千夏ちゃんとは上手くいってる?」

 

「ああ、おかげさまでな」

 

 もっと具体的に話せることなんていくらでもある。・・・けど、言っていいものなのだろうか。本格的に同棲が始まることを、・・・結婚するつもりでいることを。

 美海に祝ってもらいたい気持ちはある。けど、それを押し付けるのがどれだけ酷なことかを知らない俺ではない。

 

 それが苦しくて、俺は逃げるように会話を反らした。

 

「・・・なあ、美海。俺たち、どんな話してたんだっけ」

 

「遥?」

 

「俺がこんなこと口にする資格なんてないのにさ・・・。けど、もっと楽しい時間だったはずなんだよ。美海と話してる時って。・・・俺、どんな顔してた? こんな暗い顔してなかったよな? もっと・・・」

 

「・・・っ!」

 

 その時、バチンと鈍い音と同時に俺の頬に鋭い痛みが走った。

 

「なんで・・・今更そんなこと言うの!?」

 

「美海・・・」

 

「いい!? 私はもう何も気にしてない! ちゃんと前だってむいてる! ・・・だから遠慮なんてしないでいいの!」

 

 その言葉に気づかされる。俺の、美海に対する時間はあの日止まったままだった。許されていないと高をくくって、罪は拭われないとあきらめて、ただ申し訳なさを抱いたまま今日この日まで生きてきていたんだ。

 

「自分がどれだけ幸せになってるか話してよ。・・・選ばれなかったら、後は私が好きだった人のことを応援することしか、私には出来ないんだから!!」

 

 強い覚悟が美海から伝わってくる。紛れもない怒り、失望、それから微かな期待。心の奥底の激情を、美海はすべて言葉にしていた。

 

 ・・・そうか、前向いていてくれてたんだな。

 

 なら俺は、美海にとって「他人事」として自分の恋慕を話していいんだ。それが美海を傷つけることになったとしても、美海はそれを望んでいる。

 

 もう戻れはしないけど、かつてそうしたように、俺はまた自分のことを何食わぬ顔で美海に話す。友達に相談する、その心持ちで。

 

「・・・四月から、同棲するんだ」

 

「千夏ちゃんと?」

 

「ああ。あいつ、仕事が海だろ? だから契機にするにはちょうどいいって思ってたんだ。これまで以上に一緒の時間が過ごせると思うと、待ちきれない」

 

「そっか。随分順調そうだね」

 

 美海は先ほどまでの怒りを全部しまい込み、複雑そうな笑顔を浮かべた。俺は気にせず、自分の幸福ばかりを目の前の卓上に並べる。

 

「しばらく保さんや夏帆さんとギクシャクしてた時期もあったけど、今は元通りになったよ。・・・ま、俺なりの反抗期だったのかもな」

 

 美海は俺と二人が接点を持っていることをズルいと言っていた。その上で俺は躊躇わずにそれを口にする。・・・もうお前に未練などないと突きつけるために。

 ただの友達だからと、告げるために。

 

「そんな感じで、元気にやってるよ」

 

「・・・ねえ、遥。その紙袋」

 

 ふと、美海は俺が片手に持っていた紙袋を指さして呟く。かつてあかりさんへのプレゼントを探す時に回った店の一つだったということもあり覚えていたのだろう。

 そして、その店が何を取り扱っていたのかも。

 

 俺は躊躇わず箱を袋から取り出す。

 

「ああ。・・・今度、プロポーズしようと思ってるんだ」

 

「結婚、するの?」

 

「俺はそうしたいと思ってる。・・・これからのことは、流石にこれから決めるけど。けど、もう二人そうしてもいい時期だと思ってるんだ」

 

「・・・そう」

 

 美海は俯いて、小さく笑む。そこに織り込まれた感情を俺は見て見ぬふりをする。

 

「それで、美海・・・」

 

「・・・ゴメン」

 

 そして次の言葉を発そうとした時、それは遮られた。それから美海は小刻みに震えて、いつかと同じセリフを口にする。

 

「・・・千夏ちゃんと、幸せにね」

 

 それから宛先もなく美海は走り出した。それが「逃げる」という行為だという事に気が付かない俺ではなかった。

 けれど、追いかけない。・・・今更追いかけて何になる? 何を伝える?

 

 俺が述べようとした言葉。それを美海が望まなかっただけの話。追いかけてその望まない話の続きをするほど、俺は利己的で空気の読めない人間じゃないはずだ。

 

 反省はしない。俺が悪いと言ったら美海はまた怒るはずだ。だから、誰も悪くない。これは仕方のないことなんだ。

 

 ・・・けど、やっぱり。

 

「・・・元には戻れないんだな、やっぱり」

 

 大切だったからこそ拗れたこの距離は、もう二度と戻らないのかもしれない。

 

---

 

~美海side~

 

 全て受け入れたはずだった。

 遥の眼中に自分がもういないことを。遥の幸せに、私が介在できないことを。

 

 それを理解して、新しい自分を模索しては前に進んでいたつもりだった。

 

 なのに・・・。

 

 見せられた小さな箱は、私を絶望させるのに十分なものだった。遥は千夏ちゃんと結婚し、幸せになろうとしている。

 私はその祝福を・・・拒んでしまったんだ。

 

「・・・っ」

 

 息が苦しい。あの日感じた痛みを覚えている心が、同じ痛みを訴えかけている。

 忘れたはずなのに、諦めたはずなのに、私はそれでも・・・期待してたんだ。

 

「馬鹿だなぁ・・・。そんなこと、あるはずないのに」

 

 雨が降り出す。雪のように凍てつく雨。降るなんて思ってもみなかったから、傘なんて持っていない。

 けど、今はこうやって濡れて良いと思っていた。別の場所で痛みを覚えれば、心の痛みなど打ち消せると思っていた。

 

 だから今、私の頬を流れていく雫だって全部雨なんだ。・・・泣いてなんていない。

 心が苦しいけど、叫びたくて仕方ないくらいだけど、全部雨に違いない。止む頃にはきっと乾いてくれる。

 

 ・・・でも、私はやっぱり、遥と幸せになりたかったんだ。

 

 両手で口を押えて、震えながらしゃがみ込む。溢れだした心が、体を制御している細胞を一つ一つ壊して回っている。

 

 声にならない、掠れた叫び声。止まらない嗚咽。

 治っていたわけでもない、ただ止まっていただけの傷が開いて血を流している。

 

 治ってないのに、誰かの幸せなんて祝福出来ないに決まっていたんだ。

 

「・・・ぁ、ああぁ・・・!」

 

 打ち付ける雨が身体を弾いて痛い。気を解いてしまった今、その痛みが心臓の方まで入り込んでくる。

 

 

 その雨は、急に塞がれた。

 

「・・・これも何かの縁、か」

 

 一度だけ聞いたことがある、懐かしい声。

 けど今はそのぬくもりですら嬉しくて、私はその人に抱き着いた。

 

「おっと・・・。・・・あーあ、遥君も悪い子だよねぇ。こんな素直な子、泣かせちゃうなんて」

 

 身体の後ろに回された手が私の頭を撫で始める。柔らかくて、温かい。

 今はただ、その温もりの中で止まっていたかった。

 

 

 ・・・次、もう二度と、悲しさで涙を流さないために。




『今日の座談会コーナー』

 こういうシーンを書く時ほど、バックで流す音楽が大事なように思うんですよね。普段はサウンドトラックばかり流すわけですが、時々ゲームの挿入歌など流してみるのも風流でいい感じになります。・・・というか、本当にこれ200話で終わるんですかね。αだけで200話いきそうな気がして仕方がないです。負けヒロイン・・・、書いてみるとやっぱり必要ですね。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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