凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~美海side~
傘を差しだしてくれたのは、一度だけ遥と訪れた喫茶店のマスターだった。何の目的があってこの場所に来ていたのかは知らない。だけどその人は、確かに私のことを覚えてくれていた。
「美海ちゃん、だよね?」
「・・・お姉さんは、喫茶店の」
「あはは、お姉さん、か。・・・もうそんな年じゃないんだけどなぁ」
お姉さんはたはは、と苦笑いを浮かべて空を仰いだ。雨雲は分厚く空を覆っていて、多分今日一日中止むことはないだろう。
なら早く帰らないと。そう思っているのに体は動かない。泣き疲れて雨に打たれて、体力は根こそぎ持っていかれていたみたいだ。
それをお姉さんも分かっているようで、私の頭をポンと撫でて提案した。
「とりあえず、嫌じゃないならうち来なよ。門限までには帰れるようにするからさ」
「・・・いいんですか?」
「今日の営業時間は終わってるけど、私からの提案だしそこは大丈夫。・・・それに、貸し切りのほうがゆっくり話せるでしょ?」
「・・・なら、お願いします」
一度会った時に気が付いていた。この人は多分、とんでもなく話を聞くのが上手い。だから遥が惹かれて、憧れたはずなんだ。
はっきり言って、今の私にはほとんど味方がいなかった。さゆやお母さん、みんながいてくれたけど、遥から遠ざかろうとするあまりこれまで結んでいた縁がだんだんと遠くなっていくような気がしていた。どこか、私のことを憐れんでいるんじゃないかって、そんな疑心暗鬼を抱くようになった。
そんな悩みもまとめて、この人には打ち明けられるような気がしていた。
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真っ暗な喫茶店に明かりをつけて、二人掛けのテーブル席にお姉さんは座って、トントンと指で机を鳴らす。どうぞ座れの合図だろう。
私が反対側に腰掛けると、入れ替わりでお姉さんはカウンターの向こうへ消えていった。しばらくして湯気だつコーヒー片手に帰ってくる。
「とりあえず、飲みな? 身体冷えてるし、温かいものは飲んでおいたほうがいいよ?」
「・・・いただきます」
自分好みの量のミルクと砂糖を入れて、一口コーヒーをすする。涙のあとで味は曖昧になっていたが、温もりだけは身に染みて伝わってきた。
その温かさに落ち着いて息を吐くと、お姉さんは頬杖をついて窓の外の雨を睨みながらポツリと呟いた。
「それにしても、まさかこんなことになるとはねぇ」
「あの、・・・ご迷惑をおかけしました」
「いいのいいの! 別に迷惑でもなんでもないし! ・・・それにね、あんまりいい話じゃないけど、私、この話に関われてよかったって思ってるの」
「え?」
言っている意味が分からなくて、私は素っ頓狂な声を挙げる。尋ねる前にお姉さんは説明を始めた。
「この店が遥君のいきつけだってこと、美海ちゃんは知ってるんだよね?」
「はい・・・。一度、一緒に来ましたから」
「美海ちゃんも知ってると思うけど、あの子結構ナーバスでね。いっつも誰もいない時間に来ては、ここで私に相談事してたんだよ。それも四年間」
「だから私のこと、何も言わずとも知ってたんですね」
この人と会うのは二回目だって言うのに、お姉さんは私のことをしっかり認知していた。・・・多分これは、ずっと遥が私のことを口にしていたからなのだろう。
「そういうこと。遥君があなたのことどう思っているかもずっと聞いていたし、振ったことも全部知ってる。でもそれは第三者としてにすぎない。・・・だから私は、遥君以外の口から、この話のことを聞きたかったんだ」
「・・・別に、大したことはないですよ?」
「いいや、ある」
「なんでそれが分かるんですか?」
ムッとして聞き返すと、お姉さんは髪をくるりと巻いてきっぱりと答えた。
「あなた、私と一緒なんだもの」
「え?」
「だから、そのままの意味よ。今のあなたは、昔の私。一人の男を追っかけて、友達と取り合って、負けた哀れな存在。・・・白状するとね、私、ずっとあなたに会いたかったの。美海ちゃん」
残酷な現実を羅列したうえで、お姉さんは私に会いたかったと口にした。もう何がなんだか分からないが、お姉さんの瞳を見ればそれは本当だという事が分かった。
私と一緒。・・・つまり、私の先駆者。
それが本能的に分かっていたから、私はこの人に打ち明けたかったのかもしれない。
意固地になるのをやめて、私は痛む胸中を解いて一つずつ言葉にした。
「・・・どうすればいいか、分からないんです」
「へぇ・・・?」
「遥に振られて、負けを認めて二年経って。・・・どうにか、遥は他人だって割り切って生きてきたのに、今日会ってしまって、ああなって。私がこの二年で癒そうとしていた傷、全部開いて・・・」
「なるほどねぇ・・・。・・・うん、やっぱり私とそっくりだ」
私の心境を聞いたお姉さんは一度うんと頷いて、パンと手を鳴らしてトーンを変えて語り始めた。
「さて、じゃあ順を追って考えていこうか。美海ちゃんが、本心は今何を思っているか」
「本心って・・・私、嘘なんてついてないですよ?」
少なくとも、本当のことを語ってるのに・・・。
けどお姉さんは、それでは全く満足していないようだった。
「うん、嘘はついてないね。だけど心の奥底の声が眠ったまま。今の言葉は、本当のことだけど、本心じゃない。だから、それをゆっくり紐解いていこう」
「はぁ・・・」
「ああ、でもちょっと辛い話もするよ? 嫌なこと、いっぱい言っちゃうかもしれない。慰めて欲しいだけだったらそっちに切り替えるけど、どうする?」
お姉さんは顔の前で手をぶんぶんと横に振った。つまり、あれが最後通牒という事だろう。頷いてしまったら、後には引き返せない。
だけど今の私は、慰めてもらうだけでは前に進めない気がした。だから、傷つく道を選ぶ。遥が昔、ずっとそうしていたように。
「慰めは・・・いらないです」
「そっか」
そう呟くと、お姉さんは表情から一切の笑みを消した。そしてそのまま、一番重大なところを突く。
「じゃあまず質問。・・・今の美海ちゃんにとって、遥君って何?」
「え・・・?」
改めて聞かれると、すぐに答えることは出来なかった。
ただ、言えることがあるとすれば・・・。
「他人、です。今はもう、ただの他人。・・・この二年間、ずっとそうやって生きてきましたから」
「ぶっぶー、外れ。・・・残念だけど、美海ちゃんにとって遥君は『ただの他人』じゃないよ」
「どうしてですか・・・!?」
「だって、ただの他人ならすれ違っても冷たくあしらってはい終わりだもん。ただの他人と話すだけで涙を流す子なんてこの世にはいないよ」
そうだ。その覚悟が出来てなかったから、私はさっき振り向いてしまったんだ。
自己反省を行う暇もなく、お姉さんは続ける。
「じゃあ次の質問。美海ちゃんはなんで、さっき泣いたんだと思う?」
「それは・・・遥が結婚しようとしているってこと、受け入れられなくて。なんか、怖くなっちゃって・・・」
「うーん・・・、50点かな。間違いじゃないんだけど、これね、さっきの質問に繋がるんだよ。美海ちゃんにとっての遥君がどういう存在か、っていう質問にね」
話がだんだんと難しくなってくる。自分の心の事なのに、何一つ分かる気がしなかった。頭を抱えそうになる。
そんな私に、お姉さんは最も残酷な真実を口にした。
「最初の質問の正解、教えてあげる。・・・今の美海ちゃんにとっての遥君は、忘れられない存在。振られた今でも、美海ちゃんは遥君に好きでいて貰える夢を見ているの」
「・・・っ!!」
否定したかった。それは違うって大声を上げて、机を叩いて。
なのに・・・体は動かない。つまり、この回答が正解だという事だった。
「まだ愛してもらえると願っているから、目の前の幸福を受け入れられなかったの。自分の手が届かないところで幸福になってしまうことで、その夢は覚めちゃうからね」
「言わないでください・・・!」
「いや、言うよ。全て紐解くことを望んだのは、美海ちゃんだからね」
一切笑みを浮かべることなく、お姉さんは淡々と現実だけをつらつらと言葉にした。
「はっきり言うよ。今の美海ちゃんは、遥君の何者にもなれないよ。・・・そして何者にもなれないまま、本当に忘れられてく。ま、そうしたらようやく、ただの他人になれるけど」
「っ!!」
握り拳をキュッと締めて、目の前のお姉さんを睨みつける。目の端にはまた涙が溜まりだしている。
悔しかった。ぺらぺらと自分の心が語られることが、・・・その全てに、間違いがないことが。
「悔しいよね。私も悔しかったよ。自分のこと見つめ直して、あいつのことどう思っていたかをまとめてた時。全然割り切れてなかったんだって痛感させられた。その時の私だもん、気持ちは分かるよ。・・・だからこそ、私に言えることがあるの」
お姉さんは私の視線に屈することなく、自分の主張を続けた。
「・・・現実見なよ。美海ちゃんはもう絶対に、遥君に選ばれることはないの」
「・・・」
歯を食いしばっても、涙は溢れてしまう。誰かに言われることで、より一層自分の立場を理解することが出来た。
悔しいな・・・。やっぱり、悔しいよ・・・!
卓上に投げ出された私のこぶしに、ふとお姉さんの優しい手が重なる。それから慈愛のような目をして、お姉さんは笑った。
「でも大丈夫。ただの他人になることはない。私がさせないよ」
「え・・・?」
「といっても、私が直接干渉するわけじゃない。・・・ただ、これから美海ちゃんがどうすればいいか、そのヒントだけ教えてあげる。実行するのは美海ちゃんだから、これを鵜呑みにしないでね」
それから一つ呼吸を置いて、お姉さんはまた現状の整理を始めた。
「好きな人に振られました。振られてもずっと好きなままだけど、その好きな人は今結婚しようとしています。・・・この状況の最適解って、なんだと思う?」
「そんなこと、言われても・・・」
「分かるはずだよ。ヒントは、その人のライバルにある」
ライバル・・・千夏ちゃんに?
私と千夏ちゃん。・・・あ。
答えに気が付く。けれどそれはどうしても実現できる気がしなくて、尋ねてしまう。
「そんなこと、出来るんですか? ・・・もう一度、友達に戻るなんて」
「出来るはずだよ。だって、遥君にとっての美海ちゃんは、今も『大切』のままなんだから」
遥にとっての、大切・・・。
・・・ずっと会わなかったけど、ずっと言葉も交わさなかったけど、遥は私のこと、まだ大切に思ってくれていたんだね。・・・一人の、「友達」として。
「結論は最初から出ていたの。美海ちゃんが、遥君への認識を改めるだけで全部が変わる。けど、なんでそれが出来なかったか、分かる?」
「私が、負けたことを認めてなかったから・・・?」
「エクセレント。100点の回答だね。・・・そう、振られた側は潔く負けを認めるしかない。ただの他人に戻りたいなら、無理にでも遠ざかればいいけど、負けた側が愛した男の傍にいるためには、友達になるしかないんだよ」
それは残酷な二択。
逃げてしまえば、自分が愛した人が目の前で幸せになる所を見なくて済む。だけどもう二度と会うことは叶わないだろう。
負けを認めて、友達としてもう一度世界に入れてもらうことを選んだら、私は遥が私じゃない人と一緒に幸せになるところを見届けなければいけない。
・・・ただ、遥どころか、千夏ちゃんと友達に戻れるなんて確証はない。それだけが不安で。
それに応えるように、お姉さんは言った。
「・・・大丈夫。美海ちゃんとライバルの子、千夏ちゃんだっけ? ちゃんと友達だったんでしょ? 戻れるよ。それは全部、時間が解決してくれる」
「時間が・・・」
自信はない。だけど・・・私には、どちらかマシな方を選ぶことしか出来ない。それが負けた人間の宿命。
なら、私が選ぶのは・・・。
「まあ、今すぐに決断は無理だから、この話はここで終わりだね。与えるのはヒントまでって約束だし。といっても出血大サービスのヒントばかりだから、もう分かるよね? あとは美海ちゃんが、どうしたいか」
「・・・ありがとうございました。多分一人だったら、ずっとあんな感じだったんですね、私」
「んー、どうだろ。私は自分で気づけたからなぁ。それに美海ちゃん、賢そうだしね。いつかは分かっていたことだと思うよ」
「そんな、買いかぶらないでください」
「ううん、ちゃんとすごいよ。・・・だから、胸張って生きなよ。そうすれば思ってるより世界って輝くもんだから。私がそうだったように、美海ちゃんにもきっとそれが訪れる。負けんな? 世界にさ」
「・・・はい!」
ずっと降りやむことはないと思っていた雨はいつの間にか止んでいた。厚い雲の隙間から、一本の太い光の柱が地面に突き刺さる。時間が経てば光は広がって、雲は次第に無くなっていくのだろう。
「・・・あ、今はもう少しここにいていいですか?」
「いいよ。好きなタイミングで帰りな。コーヒーも奢りでいい」
私は雲がちゃんと無くなるのを待つことにした。
そうすればもう二度と、雨は降らないだろうから。
『今日の座談会コーナー』
・・・長い! この小説内で多分両手で収まるくらいしかない5000文字over回ですよ。正直ビビりました。・・・といっても、この回は分割しては意味が薄れるような気がしたので、これで正解だと思ってます。負けヒロインの心得、って奴なんですかね。結局負けた以上、友達として戻るしかないですから。アニメとかでは勝手に友達に戻ってますけど、こういう葛藤だってあっていいと思うんです。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)