凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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α√(千夏編)のアフターエピソードです。


after episode 黄色い光に包まれて

~遥side~

 

 柔らかな風に後押しされながら、俺たちは緩やかな一歩を歩き続けて来た。幸せになるのに近道などなく、だから俺たちはのんびりと進んだ。

 全てに目を逸らさず向き合うことで、結果的に大事なものを何も失なわないでここまで来ることが出来た。もちろん、これからもそうありたいと願いながら。

 

 

 そして気が付けば、歩んできたこれまでの道に、小さな足跡が生まれていた。

 

 

 それは木漏れ日が水面の隙間を縫って差し込んでくる春の日のこと。

 あれから結婚して一年と半分ほど過ぎたころ、俺たちの間に子供が生まれた。幸せの延長線上で子供を設けるのに、俺たちにためらいは何一つなかった。

 

 俺は、父親になった。

 

 あれだけ親になることを怖がっていたというのに、今となっては何を悩んでいたのか分からなくなるくらい、全ては成り行きのままに進んでいった。

 右も左も分からないもんだから、貰いすぎなほど周りの人に助けてもらった。それでも進んでいくのがやっとで、怯えたり後悔する暇なんて全くなかった。

 

 そうしてようやく落ち着けたのがこの春のこと。あれから一年がたって、恵も少し大きくなった。・・・といっても、まだまだ小さい幼子で、これからも大変な日々は続くだろうけど。

 それでも、この木漏れ日の溢れる暇を、こうして穏やかな瞳で見つめている。

 

---

 

 

「お待たせ、遥くん」

 

 家事を終えた千夏がキッチンから帰って来る。

 

「ああ。悪いな、食器洗いしてもらって」

 

「ううん、今日は私の番だからいいの。・・・それで、恵は眠ってる?」

 

「いや、起きてるよ」

 

 ゆりかごを小さく揺らしてみると、嬉しそうな無邪気な笑い声が聞こえてきた。それを受けて、千夏は目を細め、母親の慈愛を孕んで笑んだ。

 

 俺たちは、生まれてきた子供に「(めぐむ)」と名付けた。千夏が提案した、幸せを象徴するその名前に、俺はすぐさま頷いた。これ以上うってつけの名前はないだろうと。

 それこそ、俺や千夏はそれぞれ恵まれない幼少期を送ってきた。自由に生きるための羽を奪われていた千夏と、ただ一人空虚な自由を与えられた俺と。

 

 だけど今、恵の周りにはたくさんのものがある。それをどうか失わずに、大切にして生きて欲しいと願って付けたこの名前だ。

 

「静かな子だよね、恵は。遥くんが子供の時ってこうだったの?」

 

「どうだろうなぁ・・・。前の親から『手は掛からない』とは言われてたけど、頗る大人しかったわけでもないと思うんだよな、あの頃の俺って。それこそ千夏は?」

 

「私? 今の恵と同じくらいの歳の私でしょ? ってことはまだエナがなかった頃かぁ・・・。多分結構泣いたりしてたんじゃないかな。そうするだけの余裕はあったってことだから」

 

「あー、言われてみれば納得だな」

 

 どっちかというと今の千夏よりの性格という事だろう。病気の片鱗が残っていた中学二年のあの夏は、根はもう少し控えめのはずだ。今と同じような態度をとってたのは、虚勢の表れだったんだと思う。

 

「・・・こうしてみると、俺たちも歳をとったよなぁ」

 

「なんていうけど、まだ三十歳にもなってないでしょ。そんな年寄りクサいセリフ言うにはまだ早いよ」

 

「確かにな」

 

 苦笑いを浮かべながら、全てを達観していたあの頃を思う。自分は周りとはズレた人間になってしまったと諦めの気持ちがあったことを今でも思い出す。

 だけど、今は断言できる。俺は間違いなく、皆と同じであると。

 

 そんな物思いに耽ながら恵を見つめていると、家の呼び鈴が鳴った。

 

「出てくるよ」

 

「うん、分かった」

 

 出迎えに向かった俺は扉を開く。そのドアの向こうには、またひとしきり美しくなった美海が立っていた。

 

「美海! 久しぶりだな。半年ぶりくらいか?」

 

「うん。久しぶり。ごめんね、なかなか会いに来れなくて」

 

「そりゃ街にいるんだから仕方ないよなぁ・・・。嬉しいよ、来てくれて」

 

「上がってもいい?」

 

 俺は一度頷いて、家の奥の方へと通した。千夏も美海が来たことに気が付いたようで、とてとてとこっちのほうに歩いてきていた。

 

「美海ちゃん久しぶり! 元気してた?」

 

「うん。千夏ちゃんこそ、体のほうは大丈夫?」

 

「もうそろそろ恵が生まれて一年くらいだからねー、だいぶ回復したよ。最初の方はちょっと大変だったけど」

 

 他愛ない話を繰り広げて、千夏と美海は笑いあう。確かに一度崩れてしまったあの日の関係は、今こうやって目の前で結び直されつつある。

 あの日全てを信じてよかったと心から思える。

 

 

 などと思っていると、どこか雲行きが怪しくなってきた。恵がぐずってるみたいだ。

 

「あ、ちょっとゴメン。恵が・・・」

 

「いいよ、千夏ちゃん。・・・たまにはさ、私に任せて欲しいかな」

 

 美海は千夏を制して、俺に視線を合わせた。恵のことを任せてくれという事なのだろう。俺は何も言わずうんと頷いた。今の美海になら信じて託せる。

 それから美海は声掛けと共に恵を抱きかかえた。それからゆりかごよりも穏やかな揺れで恵をあやし始める。何度も、何度も、心地の良い波を作り出して恵を包む。

 

「よーしよし、いい子いい子・・・」

 

 それから間もなく、恵は穏やかな吐息を取り戻した。どころか、眠ってしまったみたいだ。それほどまでにだかれ心地がよかったということだろう。

 美海は恵をゆりかごにそっと降ろして、ふうと一息ついた。

 

「すごいな。俺とか千夏だともうちょいてこずるのに」

 

「昔、晃がこうだったからね。というか恵ほど穏やかじゃないから大変だったし。・・・そう考えるとあの時の経験、無駄じゃなかったんだなって思うよ」

 

「ありがとね、美海ちゃん」

 

「ううん。可愛い寝顔も見られたし、私の方こそ」

 

 そこに棘や尖りは見当たらない。お互いの本心だけがこの場に滞在している。

 それから美海は二、三度ほどリビングをうろうろしたかと思うと、小さく呟いた。

 

「恵寝ちゃったし、私、帰った方がいいかな?」

 

「気を使ってくれなくても大丈夫だぞ。眠った恵は簡単には起きないからな」

 

「それに、今度は私が面倒見ておくから」

 

「そっか、じゃあもうちょっとだけ」

 

 千夏が恵が眠っているゆりかごの近くの壁に寄りかかるのと同時に、美海は食卓の余った椅子に腰かけた。昔から思っていたんだけど、お気に入りなのか? そこ。

 などと野暮なことを考えるより先に会話が始まる。

 

「マスターとは上手くいってるか?」

 

「うん。あの人の考えてることだいぶ分かるようになってきたし、あの人みたいに店を回せるようになったよ。最近だと私一人で店を開けることもあるし」

 

「飲み込み早いよな、美海は。そうはいってもあの人、自分の手札はなかなか見せてくれない質だぞ?」

 

「女は別腹、って言って結構色々教えてくれたよ」

 

 あの人らしい回答だ。それに、あの人の眼中にもはや俺はもういないだろう。俺みたいな一方的に世話になっていた人間とは違い、美海は完全に師弟と呼べる存在なのだから。

 俺は上手くやっている。・・・だからあの人にはどうか、美海の行く末を見届けて欲しい。そうすればきっと、全てが上手くいくだろうから。

 

 そんな当人は、どこか嬉しそうに話を続けた。

 

「・・・それでさ、売れ行きがまあまあいい感じだから、そろそろ二号店を出そうと考えてるんだって」

 

「へー。・・・あれ、ってことは?」

 

「うん。二号店は鷲大師。・・・それで、店は私に任せてくれるって」

 

 つまりそれは、美海がこの街に帰ってくるという事。

 離れ離れになっていた距離はさらに縮まる。今度こそほどけることが無いように。

 それが嬉しくて、俺は少しだけ大きな声を挙げた。

 

「それ、本当か!」

 

「声でかいよ・・・。うん、本当の事。だからそろそろこっちに戻るよ。あと一年くらいはかかっちゃうかもしれないけど、その間には絶対帰ってくる」

 

「そっか。・・・よかったな、千夏。・・・千夏?」

 

 千夏の方を向いて声を挙げるが、空気はしーんと静まったままだった。

 さっきから気になっていたが、千夏のほうから全く物音がしなくなっていた。名前を呼んでも返事が返ってこない。

 

 覗いてみると、千夏もまた、穏やかな寝息を立ててすぅすぅと眠っていた。目を閉じて小さく口を開いたその顔は、恵とそっくりだった。やっぱり母子なのだと思わされる。

 それを見て、美海は苦笑いに似た微笑を浮かべる。

 

「似てるね」

 

「ほんとだな」

 

 美海は恵の、そして俺は千夏の頬に少しだけ人差し指を伸ばして触れてみる。小さく反応する姿も、やっぱりそっくりだ。

 それから美海は荷物を抱えて、今度こそ帰る意志を示した。

 

「・・・さすがに二人も寝たんじゃ起こしちゃうの悪いし、そろそろ帰るね。また遊びに来るから」

 

「ああ。・・・店、開いたら真っ先に行くよ。二人を連れて」

 

「うん、お願い」

 

「それじゃあ、また」

 

 玄関まで行って、手を振って美海が視界から遠ざかっていくのを見送る。春の黄色い光は水面で揺れて立ち尽くす俺を照らした。

 

 ふと、光を閉ざし、淀んだ空をしていた昔の海を思い出す。あの時の俺は何を思い、どう生きようとしていたんだったけ。

 

 ・・・なんてこと、もうどうでもいいよな。

 

 過去は思い出して、それまで。そりゃ教訓とかはあるだろうけれど、そんなことをいちいち気にしていたら体がもたない。思い出すべき時に、思い出さなければいけないことだけ。過去はそれだけでいい。

 

 それより視線は未来に向ける。明日のことを考えてみる。

 それは何を食べるか、何をして恵と遊ぶか、どうやって仕事を進めるか。そんなことでいい。

 そんな些細で当たり前のことが、「生きる」ということだ。俺はそうやって、三人・・・いや、この先何人になるか分からないけど、抱えた大切なものすべてと一緒に歩いていくんだ。

 

「・・・っと、そう言えば今日は父さんと母さんの所に泊まりに行くって話だったよな。あれが六時くらいの話だから・・・。あと四時間はあるな」

 

 俺はくるりと踵を返して、リビングへと戻る。

 穏やかな寝息を立てて眠りにつく二人の髪をそっと撫でて、小さく笑む。

 

「・・・守るよ、絶対」

 

 呟いて、千夏が眠っている隣の壁にもたれかかる。昼食が終わって眠気もやってきたのだろう。家族三人で昼寝なんてのもいいものだろうな。

 だんだんと瞼が重たくなってくる。俺も少しだけ眠るとしよう。

 

「それじゃ、おやすみ」

 

 

 

 願わくば目覚めた時、昨日よりも素晴らしい日がありますように・・・。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 はい、前書きに書いてありますが、千夏ルートの最終回です。ようやくここに辿り着いたかと思うと、もう思うところでいっぱいいっぱいですね。前作のアフターとはだいぶ話が変わっちゃいましたが、そもそものメッセージ性が違うのでこの終わり方で間違いないです。このルートで重きを置いていたのはあくまで「三人の関係がもう一度結ばれる事」と、「罪や恐怖に向き合い、緩やかに進んでいくこと」ですから。
 さて、もう片方のヒロインとの話、最後までお付き合いください。ちょいと苦しい話になるかもしれませんが・・・。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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