凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
泣きはらした瞼をどうにか落ち着かせて、俺は呼吸を整える。二人に思いを告げたんだ。二人に別れを告げたんだ。もう後戻りなんてできはしない。
だから、俺は今日のうちに全部を清算しなければならない。・・・このままの心で、千夏の思いの全部を否定する。
それが俺が美海と歩くためのスタートラインに立つ最低条件。この地獄のような思いに耐えないと、俺は幸せにはなれない。
だから美海への思いは、俺の命と、あり得たかもしれないもう一つの幸せと引き換えだ。両頬を何度もたたいて、俺はいつもの堤防へ向かう。今日も千夏は、そこからやってくるだろうと思ったから。
「・・・あ」
雪が降って来る。もう三月も終わりごろだというのに、雪はまだ降ってしまうみたいだ。昔荒れてしまった天気はそう簡単に戻らないらしい。
その雪を肩に、頭にかぶりながら俺は千夏を待ち続ける。十分、ニ十分と時間が過ぎていく。
そして三十分が経った頃、海面に人影が由来だ。
「うー、寒い・・・。雪降るなんて聞いてないよぉ」
それから陸に上がってこちらを見て、千夏はようやく俺の存在に気が付いたみたいだった。
「あれ、遥くん? どうしたのそんなところで。肩に雪なんか被っちゃって」
「・・・お前を待ってたんだよ」
「そう、ありがとう。それじゃせっかくだし一緒に、・・・って、遥くん?」
「・・・」
俺はその場に立ち尽くしたまま、微動だにしようとしない。足が動くはずなんてなかった。・・・だって、その行く先に俺の居場所はないのだから。
それから、千夏の表情が歪む。唇を震わせ、信じられないものを見る目で俺の方を見つめてくる。無言が答えだ。
千夏は深く深呼吸をしたかと思うと、聞いたことないような薄い声で呟いた。
「そっか・・・。それが答えなんだ」
「ああ。・・・俺は、美海と一緒に歩いていきたい。・・・だから、ゴメン。お前の気持ちには、答えられない」
「そっか。・・・そっかそっか。私、負けちゃったんだ」
千夏はなんども「そっか」と呟いた。自分の中に現実を落とし込めようとしていたのだろう。その仕草にどこか空元気のようなもの感じて、そのたびに心が痛くなる。先ほどの傷が一斉に開いて、血を噴き出す。
それでも千夏は涙を見せなかった。それどころか無理やりに笑って、俺に話の続きを求めてきた。
「私、何がダメだったかな? ・・・やっぱり、こんな女の子じゃ、ダメだった?」
「そんなこと言うなっ! こんな、なんてこと、絶対に言うな・・・!」
「じゃあ何がダメだったの!?」
そしてついに千夏は声を荒げた。・・・が、それは一瞬。すぐに我に返って、小さく「ゴメン」と呟いた。
「俺はお前を負かしたかったんじゃないんだよ・・・。ただ、美海を選びたかったんだ。・・・いい悪いの問題じゃない」
「じゃあ、美海ちゃんが遥にとって『より良い』存在だったって訳だ」
核心を突くその発言に、俺は苦い顔をして首肯した。
「あはは・・・。こうも残酷に、あなたは敗者ですって告げられるの、結構辛いね」
「・・・」
「いいよ、認めてあげる。私は負けたよ。遥くんの一番にはなれない。・・・だからせめて、私の質問に答えてくれるかな? ・・・当面の間、お別れになるだろうから」
言葉は出ないが、頷くことは出来た。千夏が望んでいるんだ。せめてそれくらいのことはしてやりたい。・・・しないといけない。
「ありがと」と千夏は呟いて、震える声で尋ねてきた。
「いつから、私は敗者だった?」
「・・・決断したのは昨日のことだ。・・・けど、美海への思いが強まったのは、お前がいなかった五年間のことだよ」
「そっか。・・・じゃあ少なくとも冬眠する前のあの時に、まだ美海ちゃんへの思いはなかったわけだ」
その時はまだ、年の離れた妹のような存在だった。友達でありたいと思っていただけだった。それは、「異性」と呼ぶには程遠かった。
そんなときに告白したうえで選ばれなかったのだ。さぞ千夏は納得していないだろう。
「ねえ遥くん。・・・本当はあの日の告白の時、どうするつもりだった?」
「・・・っ!」
言っていいのだろうか。あの日、確かに千夏に「好き」を伝えようとしていたことを。
千夏はおそらくその真実を知らない。ずっと秘匿していた俺の真実なのだから。
でも今、目の前で「恋」の感情を否定しているというのに、それを伝える意味がどこにあるのだろうか。義理だとしても、相手のことを思ってない行動極まりない。
それでも、嘘を吐くことは俺には出来なかった。
「本当は、お前に・・・」
「そっか。あーあ、あの時ちゃんと最期まで答えを待ってたら私、今こうしてフラれてなかったんだ」
それは究極の「たられば」の話。
その未来ではきっと、俺は千夏と結ばれていただろう。記憶を失うことになることもなかっただろうし、千夏と時間がずれることもなかった。
けれど、もうそれは全て後の祭り。今の俺の視界には美海しかいない。同じ痛みを分け合って、同じ痛みを乗り越えてここまで来たのは美海だ。
「行動ひとつで人生は変わる、か・・・。こうしてみるとよく分かるね」
空元気のまま千夏はうんと頷く。そして最後の質問を俺に投げかけた。
「お父さんとお母さんには、言ったの?」
「・・・ああ」
「そっか。そりゃそうだよね。こんな話をした後で行けないだろうし」
そうすればそれはもう無様に泣き出すだろう。ひょっとしたら決意が揺らいでしまうかもしれない。・・・だから、この手順は正しかった。何一つ間違いなどなかったんだ。
「・・・じゃあ、質問はこれで終わり。そろそろ帰るね。二人も待ってるだろうし」
「引き留めて悪かったな」
「うん。・・・あ、そうだ。一つ遥くんに礼をしなきゃいけないことがあるね、私」
動き出そうとしていた足を止めて、千夏はこちらの方をくるりと振り向く。そこにあった笑みだけは、空元気から生まれたものではなかった。
「私がいなかった五年間の間、お父さんとお母さんを支えてくれてありがとうね。二人のこと、少しでも悲しませないようにしてくれたこと、本当に嬉しかったよ」
「・・・馬鹿野郎、礼なんて言うなよ。言わなきゃいけないの、俺のほうだろ・・・!」
「うん。・・・それでも私は言うよ。少しでも二人の子供でいてくれようとしてくれてありがとう」
それ以上言うな・・・!
苦しくて頭に手をやる。情けない自分が嫌になって、醜い表情を引っ掻いて壊してしまいたかった。
それが二人の気持ちの代弁であり、千夏の復讐であることに気が付くのはそれからすぐのことだった。
「じゃあ、またね遥くん。・・・大丈夫、美海ちゃんとならきっと上手くいくから」
ひらひらと手を振って、今度こそ千夏は消え去っていった。最後まで一粒の涙を見せることもなく。
一人になって、俺の全身から一気に力が抜けた。崩れ落ちて、地面に膝をつく。それは俺を支えていた骨組みがごっそりとなくなったことを表すかのようだった。
けど、これでいい。全部終わったんだ。
あとは、美海に・・・。
一瞬、頭の方で何かがプツリと切れたような感覚に見舞われた。身体が限界のサイレンを示しているみたいだ。
会いたがっている。俺が大切なものを捨てでも手に入れたかった最愛の人に。
逸る気持ちは駆け出していく。最後の力を振り絞って、体は雪風を切り裂いた。
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~千夏side~
振り返らない。今は、あの顔を見てはいけない。
私は負けたんだ。罪なんて関係ない、一人の女として、ライバルだった美海に完膚なきまでに叩きのめされた。
それでも、最後の強がりだけは貫き通せたかな。遥くんの前で泣くことはなかったし。・・・それに、こんな未来を、どこかで予想していた私がいたから。
なんて、そんなこと思ってたから負けっちゃったのかも、なんてね。
「・・・雪、強いなぁ」
しんしんと降り続ける雪は、このままだと積もってしまうだろう。そうなる前にさっさと私は家に帰ろう。遥くんがずっと守ってくれていた私の世界に。
そう思っていたのに、ふと足が止まった。雪に混じった雨がぽつぽつと降りだす。
感情をせき止めるのに限界が来ていたみたいだった。
「・・・嫌、嫌だよ・・・私・・・!」
諦めたくなんてない。だけど、明確に意中の人は私じゃないって言われたんだ。今更私の方を見てなんて言えない。そんなみっともない人間、彼は好きになってくれない。
だけど、友達と呼ぶには、あまりにも好きだから・・・。
「選んでよ・・・私の事・・・。幸せにしてよ・・・ねぇ・・・!!」
我儘な心が何か言ってる。叶わない夢をほざいている。
嗚咽、慟哭、それら全てをなんとかこらえながら、私は歯を食いしばった。
堪えなきゃダメだ。こんな顔して、二人の所には帰れないよ。
・・・ならいっそ、全部忘れる? そうだよ、全部忘れよう。
これまで遥くんが支えてくれていたんだ。でも、もうあの場所に彼が帰ってくることはない。二人の子供は私だけ。そんな私にしか出来ないことはたくさんあるから。
忘れよう。忘れて、砕いて、なかったことにして、全部清算して・・・。そしたら私は、また二人と友達に戻れる。お父さんとお母さん、それと二人を傷つけないようにするためには、私が泣いてるわけにはいかないんだ。
・・・?
その時、どこかで糸が一本プツリと切れたような気がした。
けれどそんなこといちいち気にしている場合でもない。目元を拭って涙をなかったことにして、私は底抜けた明るさで私の世界への扉を開いた。
「ただいまー!」
『今日の座談会コーナー』
何話のあとがきか忘れましたが、「対比」の話したじゃないですか。今回、まさに百七十九話αと対比になっているのでぜひこの後読んでみてください。というかやっぱり辛いですね、こういうの。ただ・・・。まあ、ここから先はお楽しみという事で。
話は変わりますがこの作品、現時点で62万文字を数えているみたいです。ざっと単行本4~5巻くらいですか。中途半端なところで打ち切りになったライトノベルと同じくらいの長さですね。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)