凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
灯りのない部屋で、先ほどよりも深い愛が交わされる。
手にした温もりを表現するのにはキスの一つでは物足りず、俺と美海は一線を越えた。とは言えど、あまりにも不慣れな二人のそれは、凪のように穏やかなものだった。
けれど、その柔らかさが今の俺たちにはちょうどよかった。
狭い一人用の布団の中で、俺たちはなおも体を寄せあう。次第に眠気が襲っては来ているが、まだ眠りたくなかった。
もっと話したいことがたくさんあった。もっと声を聴きたかった。
それは美海も同じようで、体をまた一段と近づけながら呟いた。
「まだ寝ないよね?」
「さすがに眠たいけどなぁ・・・。けど、もうちょっとだけこうしていたい」
「私も」
少しばかり頬を紅潮させながら美海は笑む。その笑みの一つで、たちまち俺の眠気は覚めていくようだった。
ふと、その笑顔の裏にみをりさんの姿を見た。・・・今更になって気が付いたけど、大きくなるにつれて、美海の姿はますますみをりさんに似てきていた。
幼いころに見たあの人は、間違いなく美しかった。どこかおっとりとしていて、けれど凛としていたその姿は間違いなく「美しい」と呼称するにふさわしかった。
目の前の美海も、いずれはそうなるのだろう。それも多分、遠くないうちに。
「どうしたの?」
一人黙り込んでいた俺に美海はつぶらな瞳で問いかける。
「いや・・・。美海さ、みをりさんに似てきたよなって」
「ママに?」
「そう。まだ俺がガキの頃の事だったから全部はしっかりと覚えきれてないけど、こう・・・姿形とか、立ち居振る舞いとか、雰囲気とか、そう言うところが」
「そっか、ママに・・・。それって、綺麗って言ってくれてるんだよね」
俺は首肯して、その後ろ髪を撫でる。それは幼子を褒める兄の立ち振る舞いではなく、一人の女性として愛をぶつける行為。俺と美海の今の関係は「結ばれた二人」なのだから、もう子供のように見ることはしない。
「たぶんもっと綺麗になっていくんだろうな」
「・・・恥ずかしいよ」
少し布団に顔を埋めて、美海はさらに顔を赤らめる。その姿はまだ、年相応の女の子と言っても過言ではなかった。
けど、そんなことも段々と慣れていくのだろう。俺たちはまだまだ大人になっていくのだから。
場が少しの間静まり返る。家壁の外の泡が一つはじけた音が聞こえた時、美海は少し落ち着いた声音で語りだした。
「約束、叶えてくれてありがとね」
「約束?」
「あの日の続きをしようねって約束。・・・あの日以上の思い出を作ろうねって約束したの、覚えてる?」
それは、大雪に見舞われて街で身動きが取れなくなったあの日の事。
抱き合って、キスをして・・・。その先は大人の世界だからと、二人で納得してお終わったあの日のこと。
忘れるはずなどない。それは、俺の最愛の人との思い出なのだから。
美海との思い出は、何一つ忘れてなどいない。
「覚えてる。・・・そうだな、約束したよ。だから俺も嬉しかったんだ。あの日の思い出を越えて、こうして美海と一緒にいれるんだから」
その時、ふと胸が刺されるような思いに見舞われた。幸せの絶頂にいた時は微塵も思い出さなかった今日のことが全部フラッシュバックする。
分かっちゃいたけど・・・幸せだけで相殺するには、あまりにも大切なものを失ってしまったんだ。
千夏はともかく二人に関しては、俺が不満に思うようなことを何一つしなかった。死にたくなるほどにいい人過ぎる二人の思いに、俺は答えなかったんだ。
それでも許してくれるだろう。でも・・・絶対心の内に傷は残っているはずだ。二人は確かに俺を愛してくれていたのだから。それは絶対に、自惚れではない。
だから・・・どうしても・・・思い出してしまう・・・!
痛みに耐えかねている表情を浮かべていたのだろう。美海は布団に隠れていた自らの腕を差し出して、俺の頭をポンポンと撫でた。
「・・・遥は、本当に強いね」
「え?」
「遥が千夏ちゃんの両親のこと大切に思ってたの、私は知ってるんだよ? あの人たちはとってもいい人で、遥も同じくらい優しくて。・・・最後の最後まで悩んでくれてたんだって、私は分かる」
目の前に自分がいるのに他の人のことを思うな、と言われるかもしれないと思っていた俺がバカだった。
美海もまた、心の底から優しいのだ。自分の恋を成就するために千夏にだけ当たりが強くなっていたが、本当は誰よりも相手の痛みを理解することが出来る子なのだ。
神経が鋭くなっていた心は、全てを疑うようになってしまっていた。それが情けなくて、苦笑いすら浮かべられない。
そんなみっともない俺を、美海はちゃんと理解してくれていた。
「・・・沢山嫌な気持ち抱え込んでるんだよね、遥は」
「嫌な訳じゃないんだ。・・・ただ、苦しいだけで」
「苦しいのは多分、自分が悪いって思い込んでるからだよね。違う?」
優しく諭す声音ではあるものの、確実に芯を突いた一言が美海から放たれる。
・・・また、罪悪感に押しつぶされていた。昔からの悪い癖が再発していたみたいだ。
「もう、ここまでくると病気みたいなものだよね、それは」
「・・・悪い」
「ううん、悪くない。誰だって治さないといけないことの一つや二つ抱えてるんだもん。・・・だから、ゆっくり治していこう?」
「どうやったら治ったって言えるんだろうな」
「んー。客観的に見てな話だけどさ、もうちょっと遥は我儘になっていいんだよ。自分のことなんてどうでもよくて、すぐに誰かの世話をして。それでいつからか周りの期待が膨らんじゃって、それに応える選択しか取れなくなる。裏切ったと思われるのが怖いんだよ」
言葉の一つ一つが正解で、たちまち俺は首をすくめる。
いい方向に変化していると思っていた自分自身の立ち振る舞いもまだまだ問題だらけ。進んだと思っていたら元の位置に戻っていた。
「遥は思ったことない? 『この人、もうちょっと我儘になってもいいのに』って」
「・・・あ」
その感情を、俺はつい今日抱いたはずだ。保さんに、夏帆さんに。
表情の変化で俺の答えを見て取れたらしく、美海は苦笑いを浮かべた。
「あるんだね」
「あるよ。・・・そして、俺はその人たちに育てられた」
「そっか、千夏ちゃんの。・・・全部繋がっちゃったかぁ」
流石にこればかりは困ったようで、美海はどうしたものか・・・というような表情を浮かべた。そして覚悟を決めると同時に、もう片方の腕を抜き出して両手で俺の頬に手をやった。
「美海?」
「・・・ねえ、遥。これからは私のことだけ見て。私にだけ遠慮して。私にだけ底抜けの明るさをぶつけて。私を第一優先で考えて」
「それって・・・」
「結局は順番なんだよ。遥が自分の順位を低くするのは治しようがないだろうから、一番最初に私を持ってきて。私中心に考えてよ」
なかなか強い言葉で宣言を行ってはいるが、美海は笑っていた。いたずらっぽい、悪魔のような笑み。たちまち俺は息を飲んで頷く。
だって俺も、心からそうしたいと思っているのだから。
「私が一番好きなら、出来るよね?」
「出来る。・・・いや、俺もそうしたい。だからこれからは真っ先に会いに行く。一番最初に声を掛けるし、誰よりも傍にいることを誓うよ。二人にも、千夏にも、その他の奴らにも遠慮はしない。・・・するとしても、美海より後にする」
「言ったね?」
「言ったよ。それで、ダメだと思ったら慰めるんじゃなくて叱ってくれ。そうしてくれた方が多分、俺も自分の間違いに気づけるから」
多くの人に優しくすることが信条だった。
自分のことなどどうでもいいから、とにかく幸せになってくれと願ってここまで歩いてきた。それは、かつて俺自身が取っていた、幸せを諦めて誰かの幸せに自分の思いを重ねるという行為の結晶だった。
でも今、幸せになりたいのは俺だ。もう誰かの幸せに自分の幸せを託すことはしない。その例外と言えば、目の前の美海ただ一人だ。
そのためなら・・・優しくしないことだってやってみせる。それで俺と美海が幸せになるのなら、俺はそうしていいのだと思い込むことにする。
愛することには覚悟が伴う。その覚悟をようやく俺は掴むことが出来た。
大丈夫だ。歩いて行ける。
過去の思い出は当分心を抉るだろうけど、そんなもの、これから生み出して打ち消していけばいい。
そして・・・。
「そしてさ、その悪い病気が治った時・・・その時は、俺と結婚してくれ」
「気が早くない? それは治ってからのお楽しみだよ?」
「お楽しみがある方が頑張れるだろ? それに、これは誰にも遠慮しない俺だけの願いなんだから」
「・・・うん、考えとく。その時は、もっとかっこよくなってね」
それから最後にもう一度だけ触れるだけのキス。そこで二人とも体力が果てたみたいだった。瞼は次第に重たくなっていく。閉じてしまえば次開くまで相当時間がかかってしまうだろう。
だから、その前に口にしておきたい言葉があった。
「美海」
「何?」
「おやすみ」
「・・・うん。おやすみ」
それは、素晴らしい明日が来ることを願うおまじない。明日が今日より輝くことを、明日の俺が、今日よりもまた前にいることを願って、俺は目を閉じる。
そう。門出は、月明かりが差し込む穏やかな夜の事だった。
『今日の座談会コーナー』
ここまでの展開で多少分かってると思うんですけど、美海ルートの方が若干依存色が強いんですよね。遥、美海両者とも。それが明らかに千夏ルートとの明確な違いであり、今後を分ける分岐点になってくると思います。結構話の展開からも陰と陽のオーラが出ているのではないでしょうかね。さて、そんな「陰」の光のお話です。ぜひ今後の展開をお楽しみに。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。
また会おうね(定期)