凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百八十三話β 守る覚悟

~遥side~

 

 美海と契りを交わしてから二週間が過ぎた。学校も再開し、俺も元々行っていた生活に戻ることになる。

 しかしそれでも日常の一部に組み込まれていた大切な時間がごっそりと無くなったのは俺に大きな影響を与えた。仕事が早く終わろうと、休日が来ようと、俺があの場所へ帰ることはもうない。分かってはいたけど、空虚さはある。

 

 そんなある日、珍しい誘いが俺のもとに訪れる。

 ちゃんと美海に承諾を得て、俺はそれに向かうことにした。

 

---

 

 日が落ちた夜八時のこと。俺は鷲大師にある小さな居酒屋に身を寄せていた。そこが、大吾先生が俺を呼び寄せた場所だったからだ。

 別に酒に興味があるわけではない。ただ、仕事場でも会えるはずの大吾先生がこうして自分の時間に俺を呼んだんだ。それには必ず意味がある。

 

 グラスを持った大吾先生が俺に尋ねる。

 

「・・・乾杯の音頭、どうする?」

 

「いや知りませんよ・・・。大体こういう時めでたいことに引っかけてやるのが普通なんでしょうけど」

 

 かといって、俺が美海と結ばれたことを乾杯の肴にされても困る。手放しで喜べるものでもないし、スタートラインにすら立っていないこの道の何を祝福するというのだろうか。・・・それはもっと、後の話でいい。

 

 そう思っていると、大吾先生が小さくこほんと咳き込んで真面目そうな表情で俺に告げた。

 

「あー・・・んじゃ先に報告になっちまうけど、いいか?」

 

「聞きますよ」

 

「鈴夏にな、子供が出来たんだ。もう二か月らしい」

 

「めちゃくちゃめでたい事じゃないですか。なんで黙ってたんですか?」

 

「いや、あんまり言いふらすもんでもないかと思ってよ。それに、お前に言うならちゃんとした時間を取って言いたかったからな。だから今日呼んだのもある」

 

 鼻を搔きながら、大吾先生は少し恥ずかしそうに自分の幸福を語った。もちろん俺からしてもそれはめでたいこと。心のそこから喜ぶことが出来た。

 

「んじゃ、大吾先生のお子さんの健康を願いまして、乾杯」

 

「おいっ・・・! ・・・ああ、乾杯」

 

 不意を突かれた大吾先生は焦りながら、先ほど手放したグラスを俺のグラスに当てた。ガラスとガラスがぶつかる音が、小さくあたりに響く。

 グラスに注がれたビールを一口飲んで、その苦味に顔をゆがめた。とはいえど最近はこれも楽しめるようになってきた。口もまた大人になっているのだろうか。

 

「それにしても、大吾先生が父親ですか」

 

「正直自信はない。・・・けど、なるからには覚悟を持たないとダメなんだよな。だからせめて、自分が見てきた親の背中は越えたい」

 

「自分の親、ですか・・・」

 

 そうはいっても、傍から見れば俺はあの二人に捨てられた立場だ。越えるべき親、として見ていいのだろうかと思ってしまう。

 ・・・いや、形はどうあれ、俺はあの二人のことを確かに愛していた。そして二人もまた、俺のことを愛してくれていたんだ。間違いなく、俺たちは親子だ。

 

 ・・・反面教師、って言っちゃ悪いけど、越えるべき背中ではあるか。

 

「カッコよくなりたいですよね」

 

「ああ。親ってのはかっこいい存在であってほしいだろうからな、子供からすれば。・・・まあ、かっこいいってのは言い過ぎかもしれないけど、胸を張れる存在ではありたいよな」

 

「・・・そう、ですね」

 

 どうしても自分の両親が脳裏を過ってしまって、俺は言葉の端を萎めた。

 分かっていても、胸は張れない。二人も、「こうはなるな」と俺に書置きをしていたくらいなのだから。

 

「・・・なあ、島波。今日俺がなんでお前を呼んだか分かるか?」

 

 俺が険しい表情で黙り込んでいると、グラスを机に置いた大吾先生が俺の名前を呼んだ。怒っているわけではないが、どこか厳かなその態度に、俺の意識は冴える。

 

「お子さんの報告、ってさっき言ってましたよね?」

 

「それもあるけど、あれはあくまでついでのついで。・・・俺はな、今日お前に大事な話をしに来たんだ。・・・今のお前には、言わなきゃいけないことがあるからな」

 

「だったら酒の席なんて選ばなくても」

 

「バーカ、酒の席じゃないとお互い硬直しちまうじゃねえか。別に俺は説教垂れたいわけじゃないんだよ。ただ、素面のお前は大事な話だと全部自分の説教のように感じてしまうだろ? だから、緩くでいいんだ」

 

 大吾先生なりの酒の使い方、ということだろう。

 確かに、少し頭が軽くなった今の方が、目の前の言葉を素直な意味で受け取れるだろう。理屈めいたものでなく、本能的なものとして俺の中に落とし込めるはずだ。

 

 そう言って大吾先生は肴を一つつまんだ後、ついでのような軽々しさで俺が今抱えている本質に触れた。

 

「守る覚悟を、履き違えるなよ?」

 

「・・・! どうしてそんなことを?」

 

「最近またお前の目が変わったなって思ってたんだよ」

 

「また、悪化してましたか?」

 

 問いかけに対し首をフルフルと横に動かして、大吾先生はグラスの残りのビールを一気に流し込む。

 

「悪化でも良化でもない。ただ、覚悟の据わった目をするようになったな。お前が潮留の嬢ちゃんを選んだって俺に伝えてくれたあの日から、そう思うようになった」

 

「あの日からですか。・・・・・・そうですね。美海を選ぶために俺は、大切だった場所と人を裏切りました。もちろん昔みたいに、それを罪だと思うことはしません。むしろ逆で、ちゃんとこの選択を大事にしようと思っているというか」

 

「なーんか、極端だよなお前って。毎回毎回」

 

 ため息を一つついて、大吾先生は俺の後頭部を小突く。

 

「潮留の嬢ちゃんへの思いを大切にしようとするのは立派な心掛けだ。好きな人を一番に思う、大いに結構。・・・けどな、そのためにただ闇雲に周りを攻撃して、愛する人を守ろうとするのは絶対に違うぞ」

 

「・・・攻撃してたように見えましたか?」

 

「いや? ただ、今のお前ならいつかそうなってもおかしくないと思ったんだよ。好きな人の為なら、周りに斜に構える事だって厭わないだろ?」

 

「そう、ですね」

 

 逃げるように俺はグラスに手を付ける。味など感じなくなっていた。

 

「大丈夫。お前が裏切ってしまったと思ってる大切な場所はこんな理由で敵になったりしねえよ」

 

「だから、これまで通り優しい俺でいろってことですか?」

 

「半分正解だけど半分不正解。お前だって、怒って当たっていいんだよ。自分が本当に正しいと思った時だけそいつを怒れ。攻撃しろ。そうするだけの権利は誰にだってあるだろ?」

 

 つまり、敵はその時その時で違う、ということだろう。

 大吾先生が言うには、今の俺は美海への思いにとらわれるあまり、周りを段々と敵視する傾向にあったということだ。 

 

 愛する人を守るためなら、周りは全部敵でも構わない、という心理に至る人間はよくいると大吾先生は言う。自分も時々その感情に駆られるとおまけ付きで告げた。

 

 その時に立ち止まって、よく考えろ。

 

 大吾先生が伝えたいメッセージは、ただそれだけだった。

 

「今は誰も悪くないだろうしな。だから島波、時間の限りたっぷり潮留の嬢ちゃんを愛してやれ。それでもし何かが障害になるなら、その時にまた考えろ。もちろん、俺に言ってくれてもいいんだぜ?」

 

「そうですね。多分俺一人の頭だとすぐ極端に走っちゃうんで」

 

「よくわかってるじゃねえか。・・・まあでも、俺がお前の敵になったらその時はちゃんと別の誰かに相談しろよ? そこまで面倒見切れないからな」

 

「大丈夫ですよ。俺は先生を敵に回したりなんてしないですから。医者を敵にまわしちゃうと、いざという時ろくなことにならないでしょ」

 

「はっは、賢明だな」

 

 そんな冗談を織り交ぜて、俺は話を自分の中に落とし込めた。確かに大吾先生の言うように、酒があったからこそこうやって笑い話に出来たのだろう。

 けれど、本質はちゃんと伝わっている。これからの俺のなるべき姿がゆっくりと浮かんできた。

 

 美海を守る。美海と一緒に歩いていく。それはこれまでもこれからも変わらない。

 ただ、どうしても譲れない局面に立ったら、その時俺は俺たちの欲望のために傲慢になろう。そうなるだけの資格があると、大吾先生は言ってくれた。

 

 それだけでいいのだ。守る覚悟を謳うのは。

 

 もちろん、その非常時以外はずっと自分を抑える、という訳じゃない。誓った通り、俺は美海と俺のために全てを考えることにする。敵のいない、フラットな世界で。

 だからやりたいことだって、仕事だって妥協するつもりはない。それを伝えるために、俺は今日この場所に来た。

 

「大吾先生。俺からも一つ、言っておきたいことが」

 

「なんだ? 聞くぜ?」

 

「病院のカウンセリング科の話、受けさせてもらっていいですか?」

 

「・・・本当に、いいんだな?」

 

「ええ。今話しててようやく決心がつきました。・・・カウンセリングをするのに俺は未熟で、まだまだ精神的に不安定なところも一杯あると思います。けど、だからこそ一緒に乗り越えようとすることが出来ると思うんです」

 

 その答えは、美海と再会を果たしたあの日にとっくに出ていた。

 「好きになる」という感情と向き合う事。俺は美海を導くわけではなく、一緒に克服してきた。そういう向き合い方が、未熟な俺なりに出来るはずだ。

 

「他人事じゃなく自分事として考えられるお前の強みって訳だな。・・・分かった。院長には話を通しておくよ。けどいいんだな? 自分ごとに考えることは、お前にとっちゃ大きな負担になるぞ?」

 

「大丈夫です。・・・その負担を分け合ってくれる人が、俺の周りにはいるでしょう?」

 

 今の俺には美海がいる。職場には大吾先生もいるしちさきだっている。あの場所を失おうと、俺は一人じゃない。一人じゃないなら立ち向かえるはずだ。

 

「・・・んじゃ、これからもよろしくな」

 

 大吾先生は無邪気に笑って、握りこぶしを作った左腕を上げた。俺はその拳に自分の右手をこつんと当てる。

 ひとつ大事なものを失ってなお、俺にはまだ沢山の大切なものが残っている。俺はただそれに応えたい。俺の夢と、未来のために。 

 

 

 そうやって俺は、この手のひらにあるものを抱えて進んでいくんだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 人間はその時の気分によって敵にも味方にもなる。Aの事象に直面すれば敵になるが、Bの事象では味方になるかもしれない。そういった気まぐれさというのを人間は抱えていると思います。まあ、生涯不俱戴天の仇になる相手はいると思いますが。
 つまりこの話は、「焦るあまり敵を間違うなよ」という話ですね。気分によって敵にも味方にもなる人間ですが、先入観が生まれてしまうと味方であるはずの人間すら敵に見えることがありますから。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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