凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百八十四話β 鏡写しの貴方は

~遥side~

 

 美海と歩んだ大学生活最後の一年はあっという間に過ぎ去った。時間が過ぎ去るのは自分の充実度と比例するというのなら、それはもう充実も充実の毎日だったのだろう。

 

 そして俺は晴れて病院に勤務することになる。それと同時に、一つ決めたことがあった。

 それは、住居の移転。陸で仕事をするとなった以上、毎回海の実家から通うには少々骨が折れてしまう。朝早くからの業務ではないバイトならともかく、いつでも出向かなければならない可能性がある通常業務となると、陸から出勤せざるを得ないというものだ。

 

 ・・・とはよく言ったものの、結局は美海に会いやすくなる口実というのが現状だった。毎度毎度海と陸を行き来するのはくたびれてしまう。

 それに、海に入り浸る千夏との距離を置く名目も、少なからず存在していた。

 

 もちろん、当面の間あの家を売っぱらうつもりはない。そうはいっても、あそこは俺が生まれ、幼少期を過ごした場所だ。それ相応の思い出もあるし、簡単に手放したくなどない。

 

 そうしてまた、1LDKのアパートに朝が訪れる。

 

---

 

 病院へ出向いたのは午前九時のこと。

 最初のほうは業務に慣れるためか随分と暇を持て余してしまうタイムスケジュールをこなしていた。リハビリ患者のメンタルケアなどが中心と言ったところだ。もちろん、それも大切な仕事。俺もリハビリ中はよくお世話になっていたんだ。その大切さを知らない俺ではない。

 

 けれど最近、この病院にカウンセリングだけを受けに来る少年がいた。それも、毎度俺を指名してのこと。

 名を三星樹と呼ぶその少年は、今日も俺の所へやってきていた。

 

「失礼します」

 

「ああ、樹か。今日も話をしに来てくれた感じ?」

 

 俺が呼びかけると、扉の前で立ち尽くしていた樹は少し頷いて、患者用の椅子に腰かけた。

 ・・・はっきり言うと、樹は俺とそっくりと言っても過言ではなかった。

 

 海村出身で、住まいは陸。両親の不仲で離婚した後、母親に引き取られてはいたものの家庭内暴力に耐えかねて逃亡。施設で一時過ごした後、上手く言いくるめて母親から当面の金を引き出したらしい。そうして今は一人暮らしを行っているということだ。

 

 だから、似ている。表では取り繕っていながらも人生に絶望してる目とか、小賢しく狡猾なところとか。それはまるで、かつての俺を映していると言ってもいいだろう。

 

「で、今日は何の話をしてくれるんだ?」

 

 俺が改めて尋ねると、樹は心のない乾いた笑いを浮かべて、乾ききった残酷な真実を口にした。

 

「親父が死んだそうです」

 

「・・・おい、なんだって?」

 

「だから、親父が死んだんですよ。街のほうの病院からそういう連絡が来たんです。一週間くらい前に。どうやって死んだと思います? 急性アルコール中毒らしいですよ? ホント、バカみたいですよね」

 

 淡々と無感情で語る樹は、人のものとは思えないほどおぞましい感情を抱えていた。それが分かっているから、俺はバンと机を叩いた。

 音で、樹は言葉を止める。

 

「・・・死人を侮辱するなよ。それがたとえ嫌いな相手でも、それだけは医者として許さねえぞ」

 

「・・・じゃあ俺は、どういう顔をすればいいんですか・・・!?」

 

 そこで初めて、樹は取り繕った乾いた笑みを引いて、何かに怯えたような表情を浮かべた。そこに本心があることを俺は確信する。

 

「好きでしたよ、親父のことは。けど、離婚した時俺のことを連れてってくれなかった。あの地獄に突き落としたのも親父ですよ? ・・・俺は、どんな表情を浮かべて、親父の死を思えばいいんですか?」

 

 樹は頭を抱えてクシャクシャと髪をかき乱す。

 

「笑う事しか出来ないんですよ、俺には・・・!」

 

 表面上の感情と、心の奥深くの声が相反して、樹の情緒はぐちゃぐちゃになっている。その深刻さはおそらく、当時の俺なんかとは比較にならないだろう。

 

 俺と樹の唯一の違いと言えば、周りの味方の数だ。

 あの頃の俺の周りにはたくさんの人がいた。それに気づかず、あるいは目を反らして一人だと思い込んでいただけの話。

 だけど樹は違う。本当に味方と呼べる奴がいないのだろう。いたとしても、ごくわずか。その存在に気が付くまでにさぞ時間がかかってしまうことだろう。

 だからそれに伴う恋や愛の感情など、多分歪んでしまっている。

 

 けれど、だからといって闇雲に味方を増やせ、とは言えない。

 そうして優しさに甘え、抱え込んでしまったら、いつかは抱えきれずに破滅してしまう。それも俺がかつて経験したことだ。

 

 ・・・それでも、確かめないといけないことがある。

 

「樹、お前、好きな人はいるか?」

 

「え?」

 

「あと、もう一つ質問。お前のことを好きだって言ってくれた子はいるのか?」

 

「・・・」

 

 答えを欲しがっていたというのに別の質問で返されてしまった樹はしばらくの間呆気に取られてしまう。それでも、最後にはぽつりぽつりと俺の質問に答えてくれた。

 

「・・・好きだって言ってくれた奴はいます。けど、答えは返せてないです」

 

「それは、『自分に愛される資格はない』って思ってるからか?」

 

「・・・」

 

 返事こそなかったが、その態度は図星そのものだった。「なんで分かるんだ」、という視線が俺に送られる。

 そんなもの、理由は一つだけ。俺がかつてそうだったから。

 

 ・・・今日は、これを樹に話してみるか。

 

「なあ樹、ちょいと俺の話を聞いてくれ」

 

「遥先生の?」

 

「ああ。俺の両親がいない話・・・は前回したよな。だから今日は、そんな俺がどうして今この仕事に就いたか、それを端折ってお前に教えるよ」

 

 それから淡々と語りだす、俺の過去の話。

 樹と似たような悲しみと絶望を抱えていたこと。愛を拒否し、逃げ回っていたこと。愛に重圧を感じ、逃げ出せなかったこと。

 かつて俺は、失うことが怖いと言いながら、いつの間にか自分のことを卑下し、生きる価値すらないと思い込んでいた。そのどん底にいるのが、今の樹なのだろう。

 

 けれど、ずっと周りに存在していた愛に答えようとすることで、その世界は晴れることを俺は知った。

 もちろん、全ては手に入らない。自分の意志で切り捨てなければならないし、神のサイコロで失ってしまうこともある。

 

 それでも、向き合うことが出来れば、それを乗り越えられることも知った。

 

 その全てを一言一句漏らさず、俺は樹に伝える。

 樹は呆然としながら、時折頷いて俺の話に耳を傾けた。俺の言葉が全てなくなったところで、樹はポツリと呟く。

 

「・・・だから遥先生は、俺の面倒なんか見てくれるんですね」

 

「ま、そういうことだな。言っちゃなんだけど、樹、お前は昔の俺そっくりなんだよ。あと、俺の面倒『なんか』なんて言うな。今俺がこうしてるのは俺の意志。俺の責務であって、本気でお前のためになりたいと思ってるんだよ」

 

「・・・すみません。けど、迷惑じゃないかなって」

 

「お前が本当に申し訳ないと思ってるなら俺は身を引くぞ? 俺がそうしてもいいなら、頷け」

 

 樹は、頷かなかった。

 大丈夫、それも分かっている。・・・心のどこかで救われたいと思っているんだ。

 

 けど、ただ樹を導くつもりなどない。俺は樹と歩幅を合わせて、樹の問題を解決していきたい。それが俺のプライド、ポリシーだ。

 

「なあ樹、どこまで力になれるか自信はないけどな、俺はお前の味方になるって決めたんだよ。だから遠慮なくぶつかってこい。言いたいこと言って、全部晴らせばいい。今日何を思ったとか、思いを伝えてくれた子がどんな仕草をした、だとか、そんな細かいことでもいい。全部受け止めるから」

 

「・・・はい」

 

 どこかまだ迷いのある瞳。だけど頷いたからにはまた次も俺のもとに来るだろう。今はそれでいい。前に進もうという意志がそこにあるなら、俺は全力でそれを支えるだけだ。

 

 ・・・こうしてみると、俺も同じように大吾先生に求めていたんだな。専門職って訳でもないのに十分すぎるくらい尽くしてくれたあの人は、やっぱりすごいな。

 

 そんな風に感心していると、少しだけ晴れた瞳をして樹は俺に問いかけてきた。

 

「それなら遥先生。俺がさっきの話を聞いて率直に思ったことを打ち明けてもいいってことですよね?」

 

「ああ、聞くよ」

 

「さっき遥先生は、愛に向き合ったからここまで来たって言ってましたよね。・・・愛のゴールって、どこだと思います?」

 

「難しい事聞くんだな」

 

 俺は言いよどんでしまう。

 なぜならその問いは、まだ自分の中でも導き出せていないのだ。

 

「大体一般的に人は『結婚』を一区切りにしてると思うけど・・・。多分ゴールってのは死ぬその時まで見つからないんじゃないかって思う」

 

「じゃあ遥先生は、まだスタートラインにも立ってないと?」

 

「厳しい事言ってくれるよな、樹は・・・」

 

「そりゃ、あれだけ説教垂れたんですから、それ相応の責任は取ってもらわないと」

 

 こう・・・ズバズバと正論ばかりをぶちまけてくるところも、本当にそっくりだ。小賢しいというかなんというか・・・年相応の拗れ方なのかもな、これって。

 ため息を一つついて、俺は現状を語った。

 

「その気になれば、結婚に辿り着くのにそう時間はかからないと思ってる。俺が彼女を思う気持ちはそれくらいのものだし、向こうも多分、同じように思ってくれているからな。・・・けど今は、まだ出来ない。してはいけないんだ」

 

「結婚に踏み切れないだけの理由があるってことですか?」

 

 苦虫を嚙み潰したような表情で、俺は首肯する。

 

 

 ・・・あれから一年と少しが経って、俺たちは順風満帆な日々を送っていたと思っていた。

 美海との絆は深まるばかりで、尖りかけていた視点も解かれ、周りの人のことも許せるようになった。保さんや夏帆さんとだって、親密な知人としての付き合いを行えるようになった。

 

 けれど、千夏だけは例外だ。

 

 あれから半年たって、千夏は俺たちのもとに戻ってきた。できれば友達に戻りたいと言っていた美海は喜んでいたし、千夏も普段と何一つ変わらない様子で俺たちの世界に帰ってきた。

 だけど、俺だけが気づいてしまう。明らかに千夏の様子がおかしくなっていることに。

 

 ほんの一瞬の仕草、ほんの一瞬の表情、吐息、声音、そうしたものに違和感を感じてしまう。昔はあれだけ得意にしていた気遣いも、最近では裏目に出てしまうことが時々ある。俺と千夏は、それが分かるだけの年数を一緒に過ごしてきた間柄だ。

 精一杯取り繕っているのだろう。精一杯、何かに蓋をしているのだろう。それでも拭いきることは出来ていないのだ。

 

 そうやっておかしくなってしまっている千夏を残して、結婚などできはしない。

 

「・・・先生も不完全なんですね」

 

「当たり前だ。完全な人間なんてこの世にはいねえよ」

 

 俺が美海と幸せになるための最後の壁が目の前にある。

 その壁はどうやって乗り越えればいい? 解は簡単に出そうもない。

 

 

 けれど、美海との道を選ぶのに千夏が邪魔になることがあるのであれば、その時は・・・。

 

 そうならないことだけを願って、俺は白い天井を仰いだ。




『今日の座談会コーナー』

 さて、ここからが本番と言っても過言ではないこの√。どういった展開になっていくのか最後までぜひ見ていただきたいというところが本音です。なんて、毎回似たようなことばかり言っているのでたまには趣向を変えて別の話でもしましょうか。
 「小説とは自己反映」、とはよく言ったもので、結構自分が思っていることとか人間性とか反射してしまうことがあるんですよね。遠慮しがちなところとか、理屈めいた所とか、内心では信じきれていないこととか。だからこそこのサブタイトル、『鏡写しの貴方は』なんだと思います。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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