凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百八十八話β 手遅れになる前に

~千夏side~

 

 あの日から、私は何をして生きていたんだろう。

 私はただ・・・友達に戻りたいと思ってただけだった。二人ともう一度、どこかでかかわりを持てたらいいなって、それだけを思ってた。

 その方が、二人にも、お父さんとお母さんにも迷惑がかからないと思ってた。

 

 ・・・なのに。

 

 拒絶はあの日からの私を瓦解させるのには十分で、たちまち全て世界が歪んで見え始めた。もう自分がどうしてるのか分からない。

 ただ、元気でいなきゃと逸る心だけがそこにある。それ以上は、もう何も考えることが出来ない。

 

 

 ある日から、酷い頭痛が訪れ始めた。

 ある日から、絶え間ない吐き気に苛まれるようになった。

 

 邪魔だと告げられたあの日から、だんだんと全てが壊れていく。それでいながら誰かを恨むことも出来ないで、何をすればいいかも分からないでいる。

 

 そして何も出来ないまま、約束の期日の前日がやってくる。

 

---

 

 海の学校に顔を出して、それから、なんてしていると夜はあっという間にやって来る。正直体はどこもかしこも悲鳴を上げていて、酷い眩暈が続いている。時折吐くことも増えてきた。食欲なんてなくて、胃は空っぽだ。

 

 それでも、笑顔だけは絶えずにやってきた。もうそれが当たり前のようになっていた。

 だから・・・お母さんに尋ねられても、私は変わらない。

 

「千夏、大丈夫なの・・・? ここ最近食事もろくに食べてないでしょ?」

 

「ああ、うん。ちょっと食欲なくて・・・。夏バテなのかな?」

 

「それだけじゃないでしょ?」

 

「分かんない。けど大丈夫だから。とにかく、今日は早めに寝るよ」

 

 ひらひらと手を振って、私は自室にこもる。・・・二人だけには、なんとしても弱みを見せたくなかった。

 ・・・けど。

 

 ふと、頭の中に「逆説」がよぎる。本当にこれでいいのかと問いかける自分が、まだどこかにいた。

 その感情にしばらくの間身を委ねてみて、私は毎日つけていた日記に目を通した。

 

「・・・あれ」

 

 その時ようやく、私は私の異常を知った。

 何もない。ちゃんと書いているはずなのに、言葉は「文字の羅列」のようにしか見えなかった。そこに実感や感情などは刻まれていない。ただ、起こった現実の報告と、周りの人の言動と・・・。

 

 そこに、私はいなかった。

 

「なんで・・・。私、こんな風に書いてたっけ・・・?」

 

 急いで押し入れから使い古した前の日記帳を取り出してみる。ちょうどこの日記のページが終わったのは、遥くんに振られたあの日だったはず。

 開かれたページに刻まれていたのは、等身大の私だった。ひどく不器用で不細工で、だけどちゃんと感情にそった私がそこには描かれていた。

 

 何度も「好き」と書いている。何度も「ごめんね」と書いている。それは今の日記を何度読み返しても見つけられない言葉。

 おそらく私はあの日から、自分の感情を放棄していたんだ。・・・違う、捨てていない。ただ見て見ぬふりをしていただけ。

 

 そう考えると、また酷い吐き気が襲ってきた。急いでトイレに駆け込み、逆流する胃液を流しきる。食べ物もろくに入っていないから、胃はキリキリと痛む。

 

 涙が止まらない。防ごうと腕で堤防を作ってみても、目元を拭ってみても、大粒の雫がただボロボロと流れ続ける。私はただ、声を抑えながら無様に泣き続けた。

 ・・・全てのつじつまが合う。ここ最近の体調不良も、あの日遥くんから拒絶された理由も、二人の表情が一向に晴れなかったのも。

 

 全部、全部、私のせい。おかしくなったのは周りじゃなくて私の方だったんだ。

 遥くんに愛を拒まれたあの日から、色恋沙汰になる前の私に戻らなきゃとずっと思っていた。周りから望まれる私になれば、哀しみなど晴れると思い込んでいた。

 

 けど、違ったんだ。周りが望んでいた私は、自分の感情にありのままである私。・・・そんなことにも気が付けずに、私はこの一年を・・・。

 

「なんで、私は・・・!」

 

 こんなにも、無駄な時間を過ごしてたんだろう。

 その後悔と罪悪感に押しつぶされた時、心臓がキリキリと痛みだした。・・・ダメだ、脈が狂ってる。

 

 頭の中で「冷静」という言葉を唱え続け、何度も深く深呼吸を行う。それでようやく体を落ち着かせることが出来た。

 

 ・・・分かっちゃいたけど・・・体、もう随分ボロボロなんだね、私。

 

 ずっと「大丈夫」と唱え続け我慢していたが、本当は今すぐにでも入院するかしばらくの間安静にした方がいいくらい体に異変が起こっている。鏡に映る自分がやせ細ってしまっていることにも、ようやく気が付いた。

 

 ・・・さすがに、これで大丈夫って言う方が無理あるよね。

 

 このまま大丈夫と言い張って我慢し続けても、かえって二人を心配させるだけ。今なら本当にすべきことが見えるような気がした。

 だから涙をぬぐう。今度こそ雫が零れ落ちてくることはなかった。

 

「・・・ごめんね、お母さん。だけど今日と明日だけは許して」

 

 呟いて、私は部屋に戻り日記帳を開いた。ひどく空虚な時間だけど、今日くらいは、あの頃の私に戻って何か書けそうな気がした。

 

 私がずっと、自分の心に蓋をしていたこと。そうした方が、周りの皆に迷惑をかけないで済むだろうと思っていたこと。

 そして、その魂胆には拒絶された愛があったこと。選ばれなかったことが悔しくて、心の底から二人のことを祝福出来ていなかったこと。

 

 文字に起こしてみると、いかにここまでの自分が無駄な時間を過ごしてきたかを常々思わされた。だから、これはこれから歩き出すための第一歩。

 

 明日、ちゃんとこの気持ちを遥くんに伝える。美海ちゃんにも伝える。それで友達に戻れても戻れなくてもどっちでもいい。また一から歩きだす。そのことさえ伝え得れたら、今の私は十分なんだ。

 

 ・・・あ、でも。

 やっぱりちゃんと祝福はしたい。どうせ今の私にチャンスなんてないんだ。それなら一人の友達として、昔から知る仲として、今度こそ私は二人のことを祝福したい。

 

 それに、美海ちゃんが相手なんだ。他の誰にとられるよりもずっといいし、その後の未来も応援できる。 

 ・・・なんでこんな簡単な事、もっと早く気づけなかったんだろうね。

 

 はぁ、とため息を吐く私は、多分苦笑いを浮かべていたような気がする。

 

 日記を書き終わるころ、また頭痛。心はすっきりしても、体の方はすぐには回復してくれないみたいだ。

 だから明日ちゃんと二人の所に行って、そのあと帰ってきたら、真っ先にお父さんとお母さんに謝ろう。

 思い立った私は、もう一度日記を開いて「追伸」、と付け足す。

 

「・・・さて、それじゃ」

 

 明日会いに行くんだ。その連絡をしておかないと。

 ふらふらと立ち上がって、私は電話を取る。遥くんが教えてくれたアパートの番号を打ち込み、受話器を取る。

 

「あ、もしもし?」

 

---

 

 

 朝の陽ざしが部屋に差し込んでくる。その光で私は目を覚ました。

 瞼は重たい。胃がキリキリして、体は怠い。分かっちゃいたけど、一晩じゃこの体は回復してくれないみたいだ。

 

 でも、行くって決めたからね。

 

 時計を見る。約束の時間まではあと一時間くらい。だけど遅れていくんじゃバツが悪いから、ちょっと早めに出ないと。

 洗面所に向かい、顔を整える。昔に比べてやせこけた自分の姿には、もう苦笑いを浮かべるほか出来なかった。

 

 そして部屋に戻って最後の準備を、と思ったその時、背中の方から声がかかった。

 

「出かけるの? 今日、学校のお手伝いはないでしょう?」

 

「あ、お母さん。・・・うん、ちょっと外せない用事があるの」

 

「それは、そんなに調子が悪くてもしなくちゃいけないこと?」

 

 諫めるお母さんの表情はいつになく曇っている。本当ならもっと叱って引き留めてもいいはずなのに、そう言い切れないお母さんはやっぱり優しい。

 だけど分かってるよ、ちゃんと。我儘はこれで最後にする。

 

「うん。しなくちゃいけないこと。・・・だけど、これが最後。今日帰ってきたら、お父さんに頼み込んで病院に連れてってもらおうと思うんだ。やっぱり調子、悪いままだし」

 

「千夏・・・?」

 

「だからお母さん。最後の我儘、許して」

 

 瑞々しい笑顔でVサインを作る。お母さんはそんな私に思うところがあったのか、ふっと息を吐いて頷いた。

 

「分かった。約束ね。帰ってきたらちゃんと病院に行く。それからしばらくの間休む。いい?」

 

「うん。いいよ。・・・ありがとう、お母さん」

 

 

 それから私は部屋へと戻り、身支度を済ました。少し浮足立つ足で、家の外へ飛び出す。照り付ける日差しは酷く強くて、神経が敏感になっている私にはかなり辛いものだった。

 

 踏み出す一歩一歩が重たくなる。熱さから来る眩暈も、今日は一段と酷い。

 だんだんと身体がふらふらとしてきた。身体が右へ左へ揺れて、時折道路沿いの縁石にぶつかる。

 

「ダメ・・・今日だけは頑張るの。・・・今日だけは、言いたいこと言わなきゃいけないんだから」

 

 食いしばると、体は少しだけ元気を取り戻した。痛みと格闘していて気が付かなかったが、だいぶ遥くんのアパートの方まで近づいたみたいだ。遠くにだけど、その影が見える。

 

 えっ・・・?

 

 それは一瞬の事だった。

 

 心臓が止まったような感覚。一瞬意識を失ったのか、私の身体は右にふらつく。縁石に躓いて、体が投げ出されて・・・。

 

 何かが強くぶつかる感覚が訪れたのは、それからすぐの事。

 

 

 身体は、高く宙を舞った。

 

 

 

・・・

 

 

・・・・・・

 

 

「行か・・・なきゃ・・・」

 

 

 いかなきゃ・・・まだ・・・言えてないよ・・・。

 

 

「行か・・・なきゃ・・・。言わないと・・・」

 

 

 

 ・・・・・・遥、く・・・ん・・・。

 

 ・・・・・・幸せに、なっ・・・て・・・

 




『今日の座談会コーナー』

 明確に診断はしていませんが、このルートにおける千夏は精神病(というより統合失調症)の初期段階を発し、調子を大きく崩している状態です。正直書くのにはいろんな意味で苦心しました。最後どうなったのかは・・・よく読んで、考えてください。それにしてもβ√重たいですね・・・。少なくとも前作afterのことを考えると、こんな展開にはならなかったと思うんですが。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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