凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百九十話β 罪と罰と、その先の

~遥side~

 

 悲惨な状態のまま動かないでいる千夏の両肩を持って、右に左に、前に後ろに揺らしてみる。もちろん、呼吸すらしていない千夏が目覚めるはずもない。分かっていても、俺は手に血を滲ませながら必死に名前を呼んだ。

 

「おい! 返事しろよ!! 千夏!! 千夏!!!」

 

 あとから追いついてきた美海が、酷い有様の千夏を見て声を失う。悲鳴は悲鳴とならず、声はかすれ、その場に崩れる音だけがあたりに響いた。

 

「嫌・・・千夏ちゃん・・・だって・・・そんな・・・!!」

 

 しばらく名前を呼んでみたが、答えることはなかった。だんだんと脳裏に「死」の文字が過って、脈が速くなる。恐怖心が全身を包んで、吐き気も覚える。

 それでも唯一の救いがあるとすれば、まだ体温が失われていないことだった。急いで病院に運べば、なんとか・・・!

 

 その時、また別の方向から足音が近づいてきた。必死の形相をした、俺より少し上の年齢くらいのその男は、どうやら千夏を張本人と見て間違えないようだった。

 冷静さを失っていた俺は、迷わず胸倉を掴み上げる。そうすることに何の意味もないと分かっているのに、声を挙げて目の前の男を責めた。

 

「お前が!! お前が千夏を!!!」

 

「・・・ええ、僕です」

 

 俯き、心苦しそうに男は答える。罪悪感を感じているのは分かったが、だからといって簡単に許せるはずもなかった。

 

「お前の不注意でこうなったのか! ええ!?」

 

「それだけは言い訳させてください! 僕は精一杯止まったんです! けど、その子が車道に倒れこんできて・・・。車内カメラを後で確認してくれれば分かると思うんです!」

 

 必死の弁明は、取り繕った嘘には見えなかった。

 

「・・・もちろん、僕に非があることは分かってます。だから現場から逃げ出したその子を追ってここまで来ました。・・・どんな罰だって受けますよ」

 

 それが苦し紛れの言い訳にはとても思えず、俺は胸倉を掴み上げていた両手を離した。そこでようやく冷静になれて、自分の行動の非を思い知った。

 

「・・・すみませんでした。急に掴みかかって」

 

「いえ、いいんです。・・・それよりあなたは、この子の」

 

「友達です。・・・もう、何年も前から」

 

 友達と言う事にためらいなどなかった。割り切った風なことを言っても、その時が来ると人は自分の心に嘘をつけなくなるみたいだ。

 友達だと聞いて、男はさらに申し訳なさそうに、悲痛な声で言う。

 

「・・・本当に、申し訳ないことを」

 

「もう謝らないでください。・・・それより、やるべきことがあるでしょう」

 

「救急ならもう呼びましたし、じきに到着するはずです。だから、今できるのは・・・」

 

 それまでの救命活動といったところだ。

 そう思って千夏の方を振り返ると、美海が精いっぱいの力で胸骨圧迫を行っていた。ずっと泣きそうな顔で、何度も名前を呼ぶ。

 

「死んじゃダメだから! 千夏ちゃん! 絶対に・・・ダメだからっ!!」

 

 悲痛な叫びだけが、あたりにこだまする。

 サイレンの音がだんだんと近づいてきたのは、それから間もなくのことだった・・・。

 

---

 

 手術中のランプが灯ったまま、かれこれ2時間ほど経過する。ずっと苦しげな表情を浮かべたままだった美海を一度外に追いやり、俺は一人で天井を見上げた。

 今の美海がここにいても出来ることはない。それでいてただ辛くなるだけなら、外の風でも浴びた方が少しはマシになるだろうという話だった。

 

 それに・・・怒りをぶつけられるのは、俺だけでよかったから。

 

 だんだんと二つの足音が近づいてくる。それは紛れもない、千夏の両親のものだった。それはかつて見たことがある、どこまでもひどく暗い感情に飲まれた表情。千夏が冬眠に巻き込まれていた頃も、ずっとこんな表情ばかりだったはずだ。

 

 淡々と、保さんは俺に事実確認だけを行う。

 

「状況は?」

 

「・・・予断を許さない、とは言われました。救急車の中で心臓がまた動き出したんですが、意識はないままで・・・」

 

「怪我の方は?」

 

「臓器の方は分かりません。・・・ただ、右腕が折れてます。それとおそらく、足の方も」

 

「・・・・・・そうか」

 

 どこまでも深く、悲しいため息が一つ。平静を装うとしていながらも、それが崩れかねないくらいには、保さんは酷く落ち込んでいた。

 それはまた、夏帆さんも同様。保さんの言葉が無くなると同時に、夏帆さんは俺の胸を叩いて唇を震わせた。

 

「どうしてあの子ばっかりなの!?」

 

「夏帆さん・・・」

 

「そりゃ、ちょっとおかしいなって思うこともあったよ! だけど、ちゃんとそれを自覚して、帰ってきたらちゃんと休むからって言ってくれたの! なのに・・・なんであの子が・・・あの子ばかりが・・・!!」

 

 そしてそのまま崩れ落ちて、わあわあと声を挙げて泣き出す。俺はただその様子を冷めた瞳で見る事しか出来なかった。

 同情の言葉をかける資格すら、俺にはない。ここ数日の千夏を作り上げたのは、間違いなく俺の言葉なのだから。だから・・・俺も、業を負う必要がある。

 

 佇む俺に、保さんは目を伏せて声を掛けた。

 

「・・・夏帆を、責めんでやってくれ」

 

「責めるなんて・・・俺には出来ないですよ。むしろ逆じゃないですか?」

 

「・・・」

 

「二人に信じてもらってこの結果に導いたのは、俺もそうなんですから」

 

 二人からの信頼などなくなっても仕方がないと俺は割り切っていた。それは酷く悲しい事ではあるが、現実であることには変わりない。期待に応えられなかった俺に、二人に優しくしてもらえる権利なんてないのだ。

 

 殴られようと、罵られようと・・・全てを受け入れる覚悟は出来ている。

 

 それでも。

 それなのに、こんな状況になってでも、保さんは保さんだった。

 

「遥くんは、千夏に気づかせようとしてくれたんだろう?」

 

「はい。・・・ただ、そのためなら、と俺は千夏を突き放しました。自分がおかしくなっていることに気が付いてないなら、もう関わらないでくれと」

 

「・・・そうか」

 

 二人の間に重苦しい雰囲気が流れる。会話が途絶えたその時、手術中のランプが消えた。扉が開いて、中から先生が現れる。

 

「手術が終わりました」

 

「千夏は・・・どうなんですか」

 

 先生は一度うんと頷いて、良いニュースから述べた。

 

「一命は取り留めました。怪我の処置も行いましたし、そこは問題ありません。・・・ただ」

 

「ただ・・・?」

 

「深い昏睡状態に陥っています。事故を起こしたドライバーから『倒れこんできた』という証言を受けてたのですが、調べたところひどく体調不良を起こしてたみたいです。・・・親御さんから見て、自覚はありますか?」

 

 保さんは一度しっかりと頷いた。

 

「過度の食欲不振と、頭痛、嘔吐・・・。見て取れる症状はこんなところだと思う。それと、精神的に危うい状況が続いていたようにも」

 

「そうですか。・・・実際、精神疾患の症状が見て取れてます。間違いないでしょう」

 

 先生が笑みを浮かべることはない。ただ苦しそうな表情で、淡々と現実を述べた。陥ってしまった最悪の状況に、俺は絶望する暇もなかった。

 

「昏睡、って言いましたよね。目覚める目処はあるんですか?」

 

「・・・分かりません。一年になるか、二年になるか、・・・それ以上の時間になることも考えられます。手は尽くしたのですが・・・答えられず、申し訳ございません」

 

 また、どこまでも深い絶望がのしかかる。

 生を引き留めたところで、目覚めるかどうかすらも分からない。そんな状態に、千夏は陥ってしまった。

 俺のことよりも、目の前の二人への罪悪感と心配が勝る。これからなんて顔で会えばいい? なんて声を掛ければいい?

 

 自分の行いひとつで全てが崩れていくのを見て、俺も壊れそうだった。

 

 伝えることだけ伝えて、先生は千夏を別の場所へと連れて行った。再び三人だけの空間が残る。

 夏帆さんはもはや放心状態と言わんばかりの状態でその場に佇んでいた。保さんは、震える腕を何度も殴りつけて平静を保とうとしている。

 

 その絶望を生んだきっかけの俺は・・・ただ、前だけを向いていた。

 嘆いて変わらないことは知っている。けれど、自分は罪な存在で、消えなければならないと思っても誰も幸せにならないのも知っている。

 

 そんな俺は・・・どうしたらいい・・・!?

 

「遥君」

 

 ふと、保さんが俺の名前を呼ぶ。振り向いた先の保さんは、片手に日記帳を抱えていた。見なくても分かる。千夏ものだろう。

 

「・・・千夏の日記帳だ。君が持っていてくれないか?」

 

「俺が・・・? なんで俺に」

 

「一ページ目を読んでみてくれ」

 

 促されて、日記帳の一ページ目を読んでみる。そこにはただ一文、こう書いてあった。

 

『※この日記帳はシークレットなので遥くん以外には見せないこと』

 

 逆に俺になら見られてもよかったのか、と思ったが、それほど千夏は俺のことを思ってくれていたのだろう。・・・自分の家族以上に。

 

「とはいっても、俺たちは読んでしまった。最後の一ページ、昨日千夏が何を思っていたのか、それだけを知りたかった」

 

「・・・」

 

「聞いてくれ、遥君」

 

 俺の両肩に手を置いて、保さんはまっすぐ俺の方を見た。その視線から逃げないように俺も向き直し、ただ言葉を待った。

 

「俺は・・・少なくとも俺は、君を許す。例えこの現状を招いたきっかけに遥君がいたとしても、信じて頼んだのは俺だ」

 

「でも・・・」

 

「ただ、遥君に罪がないとも言わない。本当はどこか、罰せられることを君は望んでいるのだろう?」

 

「・・・」

 

 俺を育ててくれた人間が、俺の内情を知らないはずなどなかった。

 だから保さんは、考えうる限り最大であろう罰を俺に与えた。

 

「だから、その日記は君が持っていてくれ。千夏のことを忘れるのは、俺が許さん。・・・その上で、君がこの日記を読んでたどり着いた答えを為してくれ。それが、俺が君に与える罰だ」

 

「たどり着いた答え・・・ですか」

 

「その答えが、『君自身が幸せになること』でも、ちゃんと悩んだうえでの答えというのなら、俺は君を責めたりはしない」

 

「保さん、あなたは・・・」

 

「いいんだ。・・・俺も背負わないといけないからな」

 

 そしてちらりと夏帆さんの方を一瞥した。

 ここまでの保さんの言葉の全ては、二人の総意ではなく、自分自身だけのものだった。この意見を二人の総意にするのには、それなりの覚悟と時間がいるだろう。

 少なくとも、そこに干渉する権利は俺にはない。二人だけの問題だ。

 

 

 

 だから俺は、俺の抱える問題を解決するしかないだろう。それが二人に対する最大の償いで、今の俺に出来る最大の贖罪なのだ。

 

 




『今日の座談会コーナー』

 えーっと・・・何を書けばいいんですかね。もう最終回近いとだけ言っておきましょうか(こんな展開で? となると思いますが、こんな展開だからこそです)。数話前に書きましたが、これは遥が乗り越えるべき最後の試練です。失うことの怖さから克服してきた遥が、千夏という存在の消失危機に際してどう生きるのか、というのを最後まで見届けてやってください。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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