凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第百九十二話β 凪を抜け出して

~遥side~

 

 そして冬を越えて、春を迎えて、美海の門出と同時に、俺たちは結婚した。

 といっても、式は本当に小さなものだった。

 

 友達の一人も誘うことなく、家族だけでの小さな結婚式。もちろん困惑もあったが、二人はそれを快く承諾してくれた。

 そして晴れて結ばれた俺たちは、それぞれのやるべきことに勤しんだ。嘆いていても毎日は過ぎていく。仕事だって減りはしない。

 

 だから、精一杯足掻いて、現実に立ち向かう。最初の方は所々で聞こえていた噂話も今では聞こえなくなった。

 そして、結婚から一年が過ぎた。それでも、千夏の時間はまだ止まったまま。

 

 約束こそすれど、何度か迷う事はあった。千夏に合わせて、俺たちも時を止めた方がいいのではないかと、そう美海から提案された。誓っても傷跡は消えない。疼けば自然と言葉になる。そういうことだ。

 

 それでも、歯を食いしばって、俺たちは俺たちの幸せを謳歌した。頭の片隅に千夏を思いながら、という消えない罰を抱えて。

 

 そして、事故から二年たった夏がやってくる。

 

---

 

「で、樹。話って?」

 

「ああ、はい。来年から街への大学に進学しようって思ってるって話をしようと思って。俺も心理学の勉強したいなって思って」

 

「ほー、そりゃ誰かさんのおかげだ」

 

「ホント、誰かさんのおかげです。・・・ありがとうございました。ここまで連れてきてくれて」

 

「バカ言え、ここまで歩いてきたのはお前自身の力だよ。俺はせいぜいきっかけを与えただけ」

 

 二年間面倒を見てきた樹も、ずいぶんと逞しくなった。献身的に向き合ったのもあって、樹は自分の感情を殺さずにここまで育つことが出来たようだ。ちゃんと自分の中で答えを道しるべを見つけて、頑張って生きようとしている。

 カウンセラーとして、これ以上誇らしいことはない。

 

「けどな、樹。一つだけ言っておくことがある」

 

「なんです?」

 

「そこはスタートラインだからな。俺たちは今、スタートラインから逆戻りしてたのがスタートラインに戻っただけだ。だから、幸せになるのはこれから。ちゃんと道筋立てて、叶えたいことを叶えろよ。お前の味方になら、いつでもなってやるからな」

 

「はい!」

 

 どこまでも威勢の良い返事。そんな樹なら、この先どこで立ち止まっても必ず前に進んでいけるだろう。

 しゃんとした背中で歩いていく樹を見送ったタイミングで、時計が12時を知らせる。休憩時間だ。

 

「・・・さて、と」

 

 休憩時間となれば、決まって向かうところがある。俺はエレベーターに乗り、屋上に一番近い個室の病室を訪れた。

 そこには今も変わらず千夏が眠っている。随分とやせ細り、体は機械に繋がれていながらも、ちゃんと、生きている。

 

 ひょっとしたら目覚めてくれないかと願いながら、今日もドアを開けてみる。すると、思いがけない人物が立っていた。

 

「あなたは・・・」

 

「お久しぶりです」

 

 そこにいたのは、事故を起こしたドライバー本人だった。名前は確か、松原聡と言ったような・・・。

 

「松原さん、でしたよね」

 

「覚えていてくれたんですね、島波先生」

 

「よしてください。ここにいる間は、俺はただの島波遥です」

 

「そうですね、失礼しました。島波さん」

 

 松原はそう言ってふっと笑う。その澄んだ笑みが、どうも俺には不思議に思えた。

 この人もまた、自分の行いを咎に思っていたはずだ。それを乗り越えたとでもいうのだろうか。・・・俺よりも深い罪の意識があったはずなのに、どうやって?

 

 その答えは、俺が尋ねるよりも早く訪れた。

 

「千夏ちゃんの両親は、本当にいい人ですね」

 

「・・・へ?」

 

「あの日から、ずっと謝りに出向いていたんです。最初の方はお母さんの方から拒絶されて門前払いを喰らっていましたが、半年して、ようやく通してもらえて」

 

「そんなことが・・・」

 

 分かっちゃいたが、夏帆さんは大分憔悴していた。俺もつい半年前、久しく会話が出来たくらいだ。・・・それほどまでに、あの人の抱えた傷は大きかった。

 そんな人に、千夏をこんな目に合わせた張本人が会いに行こうとしていたのだ。拒絶されて当然だっただろう。

 

「許してくれてからは、本当によくしてもらいました。・・・保さん、ですか。お父さんは、何度も僕に慰めの言葉をくれましたよ。あの事故は誰も悪くないんだって。・・・本当は、憎くてしょうがない相手のはずなのに」

 

「それが、あの人の優しさですから」

 

「知ってるんですか?」

 

「事情があって、俺も昔あの人たちのお世話になっていましたから」

 

 詳しい背景こそ語らないが、その思いに共感は出来ると俺は苦笑した。

 ただ、それより、聞いておきたいことがある。

 

「どうして、今になって?」

 

「一番最初会いに行ったときにですね、門前払いでしたけど言われたんです。千夏ちゃんに近づかないでくれって。・・・それで、千夏ちゃんに逢いに来る許可をもらえたのが、昨日だったんです」

 

「だから、今日」

 

「はい。真っ先に飛んできました。だってそれは、僕が一番会って謝るべき相手だったんですから」

 

 そしてまた澄んだ笑みを浮かべる。あの日は気が動転していて気が付かなったが、この人はどうやらどこまでも筋の通った、真っすぐとした人間みたいだ。

 そんな松原だったが、少し唇を噛みしめる。さっきまで浮かべていた笑みはどこかに消えて、悔しそうに震えている。

 

「・・・どうやったら、千夏ちゃんに償えますかね」

 

「どうって言われても・・・」

 

「二人には許してもらえましたけど、千夏ちゃんに許してもらうことは、また別ですから」

 

 そう簡単に行くものではないと思い、この人はきっと悩んでいるのだろう。千夏に何を言われるのか、多分予想も出来ていないはずだ。

 

「金って言われたらいくらでも払います。死ねと言われたら死にますよ。・・・だけど、自分じゃそれが本当に償うことだと思えなくて」

 

 この人は、贖罪の仕方を知らなかった。罪の意識だけ抱えて、どうにか償わなければと思っていながらも、その先の自分の行動を見据えることが出来ていなかった。

 そんなかつての俺に、今の俺が贈れる言葉は・・・。

 

「忘れてやらないでいてください」

 

「・・・え?」

 

「あなたの世界から千夏を消してやらないでください。そして、千夏の世界にいてやってください。多分俺もあなたも、千夏が目覚めても罪は消えないんです。だから、一生向き合っていくために、千夏のこと、ずっと忘れてやらないでください」

 

「つまり、一生をかけて償うと?」

 

 単刀直入な聞き返しに、俺はしっかりと頷いた。

 

「そうです。俺も一生をかけますよ。・・・けど、それは自分が幸せになることと引き換えじゃない。幸せの片隅で罪を償う。本人がそれを望んでいるなら、それでいいんです」

 

「・・・なら、千夏ちゃんが起きるのを待たないとですね」

 

 どこまでも儚げに微笑んで、松原は手に抱えていた花束を千夏の眠るベットの脇に沿えた。

 

 

「また明日も来ます」

 

「毎日来る気ですよね?」

 

「ええ。仕事で都合がつかない日以外は、絶対に」

 

 その芯の通った行動に、俺はただ脱帽する。言い方は悪いが、千夏を轢いてしまった人間がこの人で良かったと心から思う。

 松原の姿が見えなくなるまで、俺は手を振った。

 ドアが閉まって五秒後ほどだろうか。遠くから足音が近づいてきた。節操なくドアが開く。息を切らした美海がやってきた。

 

「ごめん、遅れちゃった」

 

「いいよ、時間はまだある。・・・そうだ、さっき松原さん来てたぞ」

 

「千夏ちゃんを轢いた人、だったよね?」

 

「ああ。千夏の両親に許しをもらって、今日から面会が許されたらしい。・・・すげー人だよ。自分がやらなきゃいけないこと、あの人は最初から分かってたんだ」

 

 ふさぎ込むことも、逃げ出すこともせず、ただ淡々と自分の罪に向き合っていた。その過程で、どう贖罪を行えば良いか分からないと嘆いていたが、自分に出来る誠意を全て尽くしている上なら、それを咎められることはないだろう。

 

「・・・やっぱり誰も、悪くないんだね」

 

「ああ。正確には、各々に罪があって、それを相殺してる形だな。だから自分は関係ないだなんて無責任なことは言わないし、俺はちゃんと向き合ってくよ」

 

 そうしてお互いの罪を相殺しあって、残った片手にある幸せを握りしめる。それが最適解だと信じて疑わないし、実際そうだとこの二年間ずっと思っていた。

 美海もそう信じているようで、眠ったままの千夏の髪を撫でた。

 

「・・・今日は、気持ちよさそう」

 

「昨日はそうでもなかったのか?」

 

「ちょっと呼吸が短かったというか・・・、うん。よくなかったのかもね。だからやっぱり不安にもなるし、早く起きて欲しいなって思うよ。だって、まだまだこれから、一緒の時間を過ごしたいから」

 

 そう言って美海は少しだけ口元を緩めた。それから白くか細い手を握って、目を瞑る。何かを念じるように、願うように。

 

 もう何十回、何百回と行われた行為。

 けれどそれは、決して形だけのものではなかった。俺たちはいつ何時も、千夏が目を覚ますことを信じて疑わなかった。

 

 

 そして、祈りは届く。幾百回の試みを経て、愛はもう一度結ばれ合う。

 

 

 千夏は・・・ゆっくりと目を開いた。

 

「・・・・・・あ」

 

「千夏、ちゃん・・・!?」

 

 美海はその場で小刻みに震える。その瞳にあるものは・・・もはや語るまでもない。

 だけど、俺には涙を流すよりも先に、やるべきことがある。

  

 あの日伝えたかった言葉を、交わしたかった約束を叶えるために。

 千夏から受け取りたかった言葉を受け取るために。

 

 俺は、閉ざされた世界が開けたことを千夏に伝えよう。

 

「・・・おはよう、千夏」

 

「・・・うん、おはよう。遥くん、美海ちゃん」

 

 それから目線を少しだけ下に動かし、並ぶ俺たちの手元を見つめた。それから鈍い速度で色白の腕を動かし、俺と美海の薬指を撫でて、目を細めた。

 

 そして一番欲しかった言葉が、千夏の口から零れる。

 

 

 

「結婚、おめでと」

 

 

 

 その一言を鍵に、今日も俺たちの世界は動いていく。新しいスタートラインに立って、新しい未来を目指していく。

 例え元に戻らない時間だとしても、俺たちは今日も歩き続けていける。

 

 

 突き落とされた底からでも、道にはぐれて立ち止まっても、俺たちはいつだって、愛を疑うことはない。

 

 

 俺たちは凪を抜けて、幸福の海を進んでいく。

 

 

 

 




『今日の座談会コーナー』

 失うものを嘆かず、拒まず、残ったものを抱えて前を向く。この√もとい、この作品のコンセプトはただそれだけを思っていました。「喪失」は自然の摂理、故意の者ではない限り、そこに罪はない。分かってはいても、誰かが不幸になったことを自分のせいだと思ってしまうことは人間あると思いますし、作者である私がそうです。
 後は、自分の人生は自分のもの、ということですかね。我儘になることで誰かが不利益を被る、というのはもはや人間にとって仕方のないことです。だからといって、それを嫌がり、自分を抑える人生に、何の意味があるのでしょうか。自己犠牲の精神はそりゃ素晴らしいですけど、それを自分の幸福にするには、諦めないといけないものが多すぎるので。
 
 本当に人間って中途半端な生き物なんですね。だからこそ美しいですし、それに対する答えを見つけることが素敵なんだと思います。

 次回、最終回。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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