凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~遥side~
足元に転がる真っ赤に染まった紅葉を踏みしめて、俺は空を見上げる。今日はどうも木枯らしがよく吹き抜けるみたいだ。
千夏が目を覚まして四カ月が経った。季節は冬に足を踏み入れ、もうじき白い日々が訪れようとしている。そんな初冬の休みの日、俺は美海と共に千夏のもとを訪れた。
もちろん、あれだけ酷い事故を経験して千夏の身体が無事なはずもなく、千夏はまだ病院でリハビリ生活を余儀なくされていた。
それでも順調に回復はしているようで、今年いっぱいでの退院は全然視野にあるみたいだ。後遺症も生活に支障が出るレベルではないらしい。・・・本当に、良かった。
職員として通いなれた通路を客人として歩く。道中で、見慣れた人とすれ違った。言葉を交わすことなく、ただ手を振って俺は松原と別れる。毎日来ているみたいだが、会うのは一週間ぶりくらいだ。
そして病室へ行くと、千夏は手元に広げられている机で淡々と折り紙を折っていた。
「よっ、遊びに来たぞ」
「いらっしゃい。見て見て、奴さん」
「通なもの作るよね、千夏ちゃんって・・・」
千夏は元気そうに完成した作品を俺たちに見せてきた。ただ、本当に見てもらいたいものがそれではないことくらい分かる。
「手、だいぶ器用に動くようになったんだな」
「そうそう。だいぶ前みたいに動かせるようになったの」
それから事故当時は変な方向に曲がっていた腕を前に伸ばして、指を起用に折り曲げては戻し手を繰り返した。目覚めて一か月は動く気配すらなかったのだから、大きな進歩だ。本当に退院が近いのだろうと思わされる。
「足の方も、順調そう?」
「杖を使わなくても歩けるようになったから、あともう少しかな。流石に海に行くのはまだ時間かかっちゃうけど」
「それよりまず、高校の卒業からだな」
「ああ、言ってなかったっけ? なんか向こうが融通利かせてくれて、今年中には卒業できそうなんだよね。休学扱いにしてくれて」
一度経験済みなのもあって、千夏は止まった時間をすんなりと受け入れていた。それよりも自分の夢が勝るのだろう。真に大事にしたいことさえ気づいていれば、後はどうでもいいってことだろう。
「卒業したらどうするの?」
「んー、仕事はそりゃ海の学校のほうでしたいし、話はついてるけど・・・」
「けど?」
「ちょっと人生の休み時間が欲しいんだよね。一年、いや半年? 何もしないで仕事以外の自分のやりたいことを探して、新しい世界を見つけたいの」
窓の外の南へ羽ばたく鳥を見つめて、千夏は遠くをしのびながら呟く。ずっと張りつめた人生を送っていたんだ。そういう時間があってもいいだろう。
なら、俺たちが出来る事は・・・。
「俺たちも出来るだけ手伝うよ」
「・・・」
しかし、俺の提案に対して千夏は穏やかに首を横に振った。千夏には千夏なりの思いがあったようで、目を伏せながらそれを語りだした。
「言ったでしょ? 新しい世界を見つけたいって。そこには、これまで同じ世界にいてくれた二人がいちゃダメなの。二人に依存しない、私だけの世界を見つけたいの。もちろん、嫌いになったわけじゃないの。分かってくれる?」
どこまでも澄んだその瞳は、どこかで見たことがあるような気がした。
そして、全てを納得する。今の千夏には、松原が大きく影響を与えているのだろうと。・・・そりゃそうだ。空いてる時間はリハビリにも付き合ってるみたいだしな。
それが恋かどうかは分からない。けれど、千夏は確かにあの人との世界を作ろうとしている。
俺が尋ねるまでもなく、千夏はそれを口にした。
「・・・松原さんがね、言ってくれたの。退院して、学校も卒業したら、一緒に旅に出てみないかって。贖罪じゃなく、一人の女性として、もっと関わらせてくれって」
「告白?」
「になるのかな。正直そこはどうでもいいんだ。けど、私もそう、あの人のこと、もっと知りたいと思う。というかお父さんもお父さんだよ。あの人のことすごい気に入っちゃって」
そうして、千夏の口から俺と美海の知らない物語が淡々と紡がれる。
だから、もう大丈夫だと思った。千夏にしても、保さん、夏帆さんにしても、そこに俺がこれ以上踏み込む必要はもうないと思えた。
俺はようやく、あの人たちの子供のはずだったという呪縛から解き放たれる。きっとこれからは、ほどよく「他人」になれるだろう。
もちろん、身を引くことはしない。俺は今自分のいる立ち位置から千夏の物語を応援しよう。そして、望まれたら駆け付ける。きっと、友愛の距離はこれでいい。
だから、俺たちは俺たちの幸せの道を行く。
それを伝えるために、俺は今日美海と一緒にこの場所に来たんだ。
一度美海に目配せをする。そのことを千夏に伝えるのは打ち合わせ済み。頷いた美海に微笑んで、俺は一つ深呼吸をしてはなった。
「なあ、千夏、お前に一つ報告しておかないといけないことがある」
「うん?」
「赤ちゃんがね、出来たの。そろそろ二か月になる」
なんだかんだ、俺たちは千夏が目覚めるまで上手く時計を進めることが出来ていなかったのかもしれない。だから千夏が目覚めて時計が動いてようやく、俺たちは俺たちの幸せに挑むことが出来た。
まあ、過ぎた日々を後悔しても意味はない。だから今は、一歩前に進んだというその事実だけを千夏に伝えた。
千夏は手を合わせて喜んでくれた。どこまでも嬉しそうな顔で、自分ごとのように喜んでくれた。
「ねっ、お腹、触ってもいい?」
「うん」
美海の相槌から間もなく、千夏はおぼつかない左腕を動かして優しく美海のお腹の方に触れた。まだ目に見えての変化はあまりないが、それでも千夏は何かを分かったように頷いた。
目を伏せて、頷く。
そして美海のお腹から腕を離して、美海に向き合った。どこまでも母親のような表情を浮かべて、微笑む。
「元気で過ごせるおまじない、送っておいたからね」
「うん。・・・ありがとう、千夏ちゃん」
そこに涙はなかった。嬉し涙といえども、それぞれの旅立ちを告げた門出の今日にはいらないものだ。
俺たちはこれから、はっきりと別々の道を歩くことになる。それが、俺が生まれてから何度も挫折し、たどり着いた未来の答え。そして、スタートライン。
もちろん、不安だってある。けれどそれ以上に、今を大切にしたいという想いが溢れている。不安さえ押しのけるほどのそれを、俺は心から信じている。
愛することは、信じる事。
信じる事を疑わない今の俺なら、美海なら、きっと望む未来を選んでいけるだろう。そしてまた、千夏も同じように。
そしていつかまた、三人で集まるその日が来たら、同じ世界で笑い合おう。いい旅路だったと交わしながら。
今日は祝福の日。幸せへの旅路の、新たな門出。
やがて来る春が、今はただ待ち遠しい。
それから俺は美海の手を引いた。ほかに言い残したことはないかと確認する。
今の千夏の瞳に移る俺たちは本当に微かな存在だ。友達であっても、時が経てばだんだんと思い出になっていくだけだろう。
だから、これまでの俺たちでいれるのは今日が最後だと思った。明日からだんだんと、俺たちはより「他人」になっていく。
美海は満足そうな表情で首を横に振った。もう何も言うことはないと。「他人」であっても、これで最後ではないだろうと。
その通りだ、と頷いて、俺は千夏に別れを告げる。
「それじゃ、今日はこの辺で帰るな。また仕事の合間とかで顔出すよ」
「ほどほどにね」
「じゃあ、またね」
手を振りながら、俺たちは千夏の居場所から遠ざかる。玄関に出るころには、吹き荒れていた木枯らしもずいぶんと大人しくなっていた。
二人で、色あせた紅葉を踏みしめる。
「・・・ねえ、遥」
「なんだ?」
「負けちゃダメだからね?」
何に、とは聞かずとも分かることだ。
いつか来るかもしれないもっと大きな壁に負けない。これから幸せになろうとする千夏に負けない。そして、昨日までの俺たちに負けない。
「ああ、負けないよ」
「うん」
この言葉に嘘はないことを証明するために、俺は今日を生きていく。どこまでも自信に満ち溢れた俺の言葉に、美海は飾らない笑顔を浮かべた。
「行こう、美海」
そんな美海の手を取って、俺たちは前へ前へと進んでいく。
今日は明日より、明日は今日より強く、そして幸せになる。
・・・俺は、信じている。その隣には、いつまでも同じ痛みと幸せを分かち合える美海がいてくれることを。
俺は信じている。
この世界に溢れる好きの気持ちに間違いなどないことを。
そうして幸せを紡いでいける明日を、俺はずっと、信じている。
『今日の座談会コーナー』
というわけで、本話を持ちまして、『凪のあすから~heart is like a sea~』の方を完結とさせていただきます。思い出話多分めちゃくちゃ長くなりますが、どうぞ最後までお付き合いください。
もともとこの作品を始めたきっかけは、前作のリベンジというところが最初でした。前作『凪のあすから~心は海のように~』は自分の中でも何度も読み返すくらい思い入れがありましたが、長いこと小説を書くにつれて、当時の語彙力の至らなさや展開の描写不足に苛立ちを覚えるようになってきたんですよね。張った伏線すら回収してないこととか多かったですし。かといって、修正すればどうにかなるようなものでもない・・・。そこで思い立ったのが、一からの書き直しでした。
見返してみると、二年間ってのは大きな違いがあって、当時とは全然文体も言葉回しも変わっていました。正直、これに関しては当時実力不足だったんだろうなという想いしかありません。だからこそ、リメイクという方法で着手したのはよかったと思います。相変わらずモチベーションでクオリティの差はありましたが。
とはいえ、作品のほとんどは前回の焼き直しだったので、文章を丁寧にして、描写をきめ細やかにする、以外のことは特にありませんでした。空白の五年編などオリジナル要素は増やしましたが、序~中盤に関しては本当にただの焼き直しでしたね。だからこそ終盤のオリジナルパートは、自分の持てる全てを出せたような気がします。本当に展開には悩みました。そのために7~8カ月にわたる放置もありましたし、正直もうほったらかしでもいいかなとか思ったりはしていました。
が、いざ書いてみるとやっぱり面白い。もうどうせ原本ないんだし、自分色の小説にしようと思って書いたのがあれです。なんかもうすごいキメラ。当時のあとがきで何度も触れましたが、執筆期間中に触れた「WHITE ALBUM2」から受けた影響は本当にすごかったです。前作では拒否して逃げた「三角関係」を割と切実な描写で書けるようになったのは、本当にこの作品のお陰だと思っています。・・・まあ、浮気だけは絶対に嫌だったので触れませんでしたが。
そんなこんなでリメイクを行いましたが、最初はこの作品が終了し次第前作は削除しようと思っていました。そのためのリメイクだと思っていましたし、実質上位互換だと思っていたので、自分が読む分にはこちらを優先すると思うので。ただ、展開が違うとなると話は別、あの作品は過去の自分として残そうと思っています。興味が湧いたら読んでみてくださいね。
さて、ここまで思い出話を長々と続けてきましたが、この作品で私が結局何を言いたかったのか、というところについて語らせてください。
この作品で私が言いたかったのは、ざっくり言うと人間賛歌です。絶望に瀕して、全てを諦めようとしても諦めきれない醜さと、立ち上がることの美しさ、まずこれが念頭に来ています。その上で、他者の幸福のために自分の幸福を諦める意味はないという事、人間は、自分の欲望に正直になっていいということです。過度な自己犠牲の否定、というのもだいぶ主題として取り上げました。
もちろん、それ以外にもありますよ? 家族の美しさ、だとか、「罪」の定義、だとか。けど細かいところまで上げたらきりがないのでテーマに関しては大雑把な紹介だけにしておきます。あとは原作との関連部分で言いますと「好きの気持ちは間違いじゃない」というメッセージは強く意識しました。
お気づきかもしれませんが(あとがきでも書いていたので)、島波遥という人物には、ずいぶんと自己投影を行っていました。過度な自己犠牲にしても、後ろ向きな見方も、他者に迷惑をかけることを罪と捉えるのも、全部作者である私の癖なように思っています。自己投影をしているわけだから当然愛着も湧きますが、手放しで喜べるような幸せは与えたくなかったですし、そういう展開にしました。それは多分作者である私が、苦難と向き合う人生にこそ美があると思っているからなんでしょうね。
さて、終わりになりましたが、初めはほんの思い付きだったリメイクがここまで続くとは本当に思っていませんでした。そうなるだけの転機はおそらく、あの放置期間ですかね。前作と似たような展開にするのか、それとも展開を新しくして完全に別物にするか、その選択の末にここに辿り着いたように思います。もちろん、満足の行く話が書けましたし、あの時しっかり悩んでよかったと思います。
全208話、総文字数約68万、長丁場の小説にここまで付き合っていただき本当にありがとうございました。
次ハーメルンで小説を書くのがいつになるのか分かりませんが、その時はまた是非読んでいただけたらと思います。もしかしたらそれが、この作品のスピンオフかもしれません。ただ、今はしばらくの間休憩に入ろうかなと思います。
ではまたいつか、このサイトのどこかで会いましょう。
また会おうね(定期)