凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第五話 日差しの暇にて

~聡side~

 

 週末、約束通り僕は朝の七時に港へと向かった。夏ではあるが、真正面から浴びる潮風のお陰もあってか、そこまで暑さを感じない。

 海の方まで寄って、僕は当たりを見回す。するとそこにポツンと一人、帽子をかぶって釣り糸を垂らしている人がいた。体格から見て、保さんと見て街がないだろう。

 

 歩み寄って、声を掛ける。

 

「おはようございます」

 

「ああ、来たか。・・・どうだ? 釣りでもしてみるか?」

 

 前回会った時とは大きく違うその態度に、僕は少々呆気に取られた。しかしそれが「前回のことは忘れろ」というサインということに気づくのに、そう時間はかからない。

 

「釣りですか・・・。僕、竿なんか持ってきてないですよ?」

 

「俺の左にもう一本スペアがある。そいつを使うといい。釣りは経験したことあるか?」

 

「何度か。子供の頃、何度か父親に連れて行ってもらったので」

 

「そうか」

 

 それは特に当たり障りのない会話。思ったよりも言葉は自然と出てくるものらしい。

 保さんの隣に座り込み、竿をセッティングして少し遠くへ投げ飛ばす。

 

「いい腕だ」

 

「プロにそう言ってもらえて光栄です」

 

 この人はこの漁協の重役と聞く。とすれば漁業の腕も確かなのだろう。

 しかし、そうではなかった。保さんは、ははは、と苦笑いを浮かべて答える。

 

「プロ、か。・・・そうだったら、どれだけよかったか」

 

「どういうことですか?」

 

「俺が漁協で働いているのは、君も知っているよな?」

 

 最初の書類での連絡交換で、この人と千夏ちゃんのお母さんの職場は分かっている。その情報を思い出して、僕は頷いた。

 

「本来、漁協はほとんど船持ってるやつばかりだ。・・・が、俺にはない」

 

「それは・・・、どうしてなんですか?」

 

「捨てたんだよ、昔にな」

 

 揺らめく海面をただじっと眺めながら、保さんは呟く。

 それからこっちを向いた時、僕の表情がおかしかったのか取り繕うように続けた。

 

「ああ、もちろん捨てたって言ってもそのままの意味じゃない。漁業をしたがってる若いのに譲渡したんだ」

 

「なるほど。・・・でも、どうしてそんなことに?」

 

 しばらく保さんは黙り込む。けれど僕を信用したのか、重々しく口を開いた。

 

「俺の昔話、聞いてくれるか?」

 

「え? ・・・はい。聞かせてください」

 

「そうか。・・・まあ、大した話じゃない。昔船を持っていたころの話なんだがな」

 

 そこで一度言葉が止まって、保さんは衝撃の過去を口にした。

 

「俺は一度、人を死なせてしまったことがある」

 

「死なせたって・・・この海で、ですか?」

 

「ああ。この海でだ」

 

 そうだな・・・、と呟いて、保さんはまだ日が昇り始めてすぐの空を見上げる。今日は雲一つない青が空を覆っていた。

 

「俺がまだ高校を卒業してすぐくらいのことだな。特にやることもなかった俺は、親父の船の手伝いをしてたんだ。どうせ継ぐことになるものだと思っていたしな。・・・けど、心からそうしたいわけじゃなかった」

 

「惰性だったと?」

 

「そうなるな。・・・で、そんなある日だ。その日はなかなか海が荒れててな、正直俺は漁を行いたくなかったが、どうしても譲れないと親父に連れていかれて船に乗ることになったんだよ。・・・ここまで言えば、想像は付くだろう?」

 

「その日、お父さんは亡くなられたと・・・」

 

 保さんは目を伏せ頷いた。もう遠く昔の話のことだろう。それでも心に残る傷というものは深いもので、その表情には残念がる感情がにじみ出ていた。

 

「俺の不注意だった。やる気がなかったからなんだろうな、周辺の監視が甘かった中で、後ろから大きな波を喰らったんだ。身を乗り出して魚と格闘していた親父は、煽られた拍子にそのまま海に落ちた。・・・帰ってきたときには、腕が一本しかなかったよ。スクリューに巻き込まれたんだろうな」

 

 それは・・・とても容易に想像したくない光景だった。

 この人に取っては思い出話。だけど僕はそれを痛いほど共感してしまう。まるで自分のことのように思って、だからこそ、痛かった。

 

 そんな風に心を痛める僕と裏腹に、保さんは自分の竿を一度引き上げ、微調整を行いながら話し続けた。

 

「自棄を起こした。自分の不注意で人を死なせたんだ。もうろくな人生を送る資格はないと思ってた。さっき言ったように船も安く売っぱらって、しばらく何もしなかった。・・・けど、人生って変わってしまうもんでな。俺は出会ってしまったんだよ」

 

 奥さんの事だろう。あの人は海村の出身だと聞いた。

 

「奥さんと出会ったんですよね。・・・でも、そこからどうやって今みたいになったんですか?」

 

「どうやって、か。思えば勝手にスイッチが入って、がむしゃらに動いてただけなんだよな。あの頃の俺は」

 

「がむしゃらに、ですか」

 

「ああ。・・・最初は夏帆からの猛アタックだったんだが、次第に俺もそれに応えたいと思っていたんだ。けれど、あの日発症した海上恐怖症を俺は治せなくてな。代わりに、漁協で出来る事をなんでもやったんだ。だから、今の俺になった」

 

 思い出し、懐かしみながら、保さんはただ語る。 

 それはきっと苦難の日々だったはずだ。けれど、物語るその顔があまりにも清々しいものだったために、僕は戸惑ってしまう。

 

「こんなところで、俺の昔話は終わりだ」

 

「そうだったんですね・・・」

 

「今度は君のものを聞かせてくれないか? そう言う約束だっただろう?」

 

 先ほどまでの穏やかな表情を少しだけ引き下げて、保さんは僕の目をじっと見つめてくる。語るに足らないような平凡な人生だが、それでも「あの事」は言っておきたいと、そう思った。

 

「分かりました。・・・大した話はないですけど、聞いてください」

 

「ああ」

 

 保さんがそうしたように、僕はちゃんと自分の傷を抉る。

 

「僕の昔話・・・、そうですね。僕は、半年ごろ前にこの街に来たんです。それまでは、ここからずっと西の方の街で過ごしてました」

 

「外部からの移転者か。随分と珍しいんだな」

 

「とはいっても、もともとこの街に来るつもりはなかったんです。親と仲が悪いこともなかったですし、前の職場も気に入ってました。言っちゃなんですけど、僕がこの街に来る理由は何一つなかったんです」

 

「それが・・・どうしてこうなった?」

 

 怪訝な表情で尋ねる保さんに、僕は懇切丁寧に語った。

 

「きっかけは、たった一つの小さなすれ違いでした。・・・僕には、結婚を約束していた彼女がいたんです。けれど、婚約直前に分かってしまったんです。彼女の浮気が」

 

 その一言で、保さんはピクリと眉を動かす。そこからの僕がどう行動したのか気が付いたのだろうか。

 気にせず僕は続ける。

 

「その瞬間、全部がバカらしくなって僕はこの街に逃げてきたんです。結婚も、親も、全部がバカらしくなって」

 

「自棄を起こしたときの俺みたいなことを言うんだな、君は」

 

「たぶん誰だって自棄を起こしたらこう言うでしょうね」

 

 苦笑を浮かべるが、心は何一つ笑えていない。何せ半年前のことなのだから。

 二十年も経てば笑い話に出来るだろうが、そこまでの道のりが果てしなく遠い。・・・さらに、事故の件だってあるというのに。

 

 僕のこの話に何かを思ってか、確かめるように保さんは問う。

 

「浮気の理由は、なんて言われたんだ?」

 

「もっと我儘になって欲しかったって、優しすぎるだけでつまらないからって、そう言ってましたね」

 

「・・・なるほど、思った通りだ」

 

 保さんはその答えに納得したのか、二、三度ほどうんうんと頷いて、懐かしむように人名を呟いた。

 

「似てるんだな・・・遥くんに」

 

「え?」

 

「なんでもない。ただ、君に似た子がいたという話だ」

 

「僕に、似た・・・」

 

「ああ。自分のことは後回しにして、誰かを思いやる優しさが一番最初に来るような子だ。そのくせ自分の非を罪と言って自分を苦しめようとするところが、君に似ている」

 

「それは・・・まあ」

 

 言われれば、自分でも自覚のあるところばかりだ。とすると本当にその人と僕は似ているのだろう。

 そして、そんな僕に保さんは告げた。

 

「・・・だったら、俺から君に言えることがあるな」

 

「それは、なんですか?」

 

「君は、ちゃんと君のやりたいことを探した方がいい。頼むから、惰性で生きて欲しくない。君がちゃんと自分のために人生を使えるようになったら、向かうところ敵なんてないはずだ」

 

 それは、前に社長に言われたことにそっくりだった。

 やりたいと思ったこと、ただそれを為せ。・・・それがこうも何人に言われるのなら、僕の目指すものはそこにあるのだろう。

 

 だから僕は、今こうして僕がこの場所にいることが、僕のやりたいことであることを告げよう。ちゃんとその道を歩き出していることを、この人には知って欲しかった。

 

「僕は、今日、保さんに会いたくてここに来ました。・・・あの事故の贖罪なんて関係ない。僕がやりたいと思ったから来たんです」

 

「無理は・・・してないみたいだな」

 

「はい。だから、今、楽しいんです。こうやって話していることが。一緒に釣り糸を垂らして、のんびりとしていることが」

 

 合間合間で話していたことは、重く苦しい事ばかりだっただろう。それでも僕は今日、この場所に来てよかったと思っている。それは僕が、また一歩成長できたような気がしたからだ。

 

 それを分かってくれたのだろう。保さんはそこでようやく、苦笑意外の笑みを浮かべてくれた。

 

「楽しんでくれてるなら何よりだ。・・・おっと、竿、引っ掛かってるぞ」

 

「え、あっ、ホントだ。ちょっと待ってください・・・!」

 

 保さんの指さす先がカーブを描いている。釣り竿に来る手ごたえも中々だ。

 それは先ほどまでの鬱屈とした会話を忘れさせてくれるほどの力を有していた。気が付けば、僕は熱中して釣りに挑んでいた。

 

 

 そして、これでいいのだと気づく。

 これが、「やりたいこと」に素直になることだと、僕は気づく。

 

 

 我儘に生きることは、こんなことでよかったのだと、僕は気づく・・・。

 




『今日の座談会コーナー』

 我儘に生きる、ということの一つの答えとして、「何も考えず、目の前のことに熱中する」ということがあると作者は思っています。我儘、という行為を「自分を一番に考えて動く」と定義した場合、何も考えず目の前のことに熱中するという行為はその定義に当てはまると思います。もちろん、我儘の定義はこれだけではないでしょうが、少なくともこれが前身のきっかけになることはあるんじゃないかと、僕は思っています。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

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