凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】 作:白羽凪
~聡side~
あの日以降、僕は保さんと一つ約束を交えた。
それは、二週間に一回、同じようにして時間を過ごす事。別に釣りとは言わずとも、お互いを知る機会としてそれくらいは設けようという保さんとの約束だ。
もちろん、僕はそれを了承した。この人の、もっと奥底を僕は知らない。だからそれを知りえることが、今の僕の一番やりたいことだと思ったからだ。
それほどまでに、この人には人を惹きつける力があった。
そして、一回、また一回と回数が増えていく。
もはや僕たちがどうして知り合ったのかを忘れてしまう位に、距離は縮まっていった。それは紛れもなく、僕がこの純粋で潔白な時間を好きでいたからだろう。
そうして、事故の日から半年が経つ。
雪が体に当たっては溶けるような、そんな二月の頭の方。街が静まり返っているようなそんなある日、僕の家に一本の電話がかかってきた。保さんからだ。
「もしもし・・・」
「ああ、松原君か。今、ちょっといいか?」
「ええ。今日は仕事お休みですし、時間は空いています。それが、どうかされましたか?」
尋ね返すが、保さんはしばらく無言のままだった。何かを長考しているのだろうというのが、電話越しに分かる。
そして帰ってきた言葉は、僕がかつて一番欲しかった言葉で、そして、僕の今後を決めるといっても過言ではないような、そんな言葉だった。
「・・・今から家に来れるか? 改めて、話がしたい」
「水瀬家に、ですか。・・・でも、それって」
「ああ。・・・今日は、夏帆もいる」
それがどういうことか知らない僕ではない。
これまで保さんと過ごしてきた時間は、現実のものであって、非現実的なものそのものだった。・・・けれどこれは、どこまでも現実的で、残酷なもの。
お互い馴染んできていた事故の傷というものを、掘り起こす行為。
けれど、その提案に答えるのにためらいはない。僕が一番やりたいと思っていることは「償い」であって、僕自身だけが幸せになる行動ではないのだから。
「ぜひ、行かせてください」
「ああ。・・・だが、いいのか? 説得こそしたが、夏帆が君にどんな言葉を投げかけるのか俺には予測できんぞ。それは、行き過ぎた逆恨みにすらなるかもしれない。それでも君は、いいのか?」
「良いも悪いもないですよ。・・・初めて水瀬家に向かった日から、僕はずっとその覚悟は出来ていましたから」
少なくとも、明確な答えを持っていなかっただけで、あの日の謝罪は惰性によるものではない。だからいざこうしてその現実に直面しても、僕は平然といれた。
「なら、よろしく頼む。・・・俺たちも、そろそろ進みださないといけないんだ」
「分かっています。・・・ありがとうございます」
それは、これまでの時間、配慮全てに対する礼。
この人は、長い時間をかけて今日のこの時間を作ってくれた。僕が立ち直るきっかけをくれたのも、この人だといっても過言ではない。
だから僕は、その恩義に答えたい。それだけが、ただ胸中を支配していた。
---
~保side~
電話を切り、夏帆の方を向く。
あの日から時間が止まったままの夏帆は、今日もまた俯き、感情の薄れた表情を浮かべている。それを叱ることも、激励することも出来ないのが、俺の弱さだろう。
「夏帆、これでいいか?」
「・・・私には、分からないです。どうすればいいか、あの人とどう向き合えばいいか。・・・あの人を、許せるかどうかだって」
「許せないなら、許さなくていいんじゃないか。・・・多分あの子は、その覚悟は出来ていると思う」
「・・・だと、いいんですけど」
俺たちの娘に、事故とは言え危害を加えられたことを、夏帆はまだ恨み、悔やんでいるだろう。自分自身にも、その感情が流れていたことを覚えている。
けれど、それだけに支配されないのが夏帆の優しさだろう。負の感情だけが夏帆を支配しているのであれば、この話にはとっくにケリがついているはずなのだから。
「・・・半年、か。あっという間だったな。今日まで」
「ひどく寂しい時間ばかりですよ。・・・何が楽しかったのか、思い出せません」
「・・・ああ、そうだな」
その視界に映る世界は、さぞ灰色に満ちているのだろう。光もなく、色もない、ただ無機質な毎日の中で、夏帆は彷徨っている。
あの日から、俺に出来ることをずっと探した。味方して一緒に恨むことがいいのか、距離を置いて立ち直らせるべきか、ずっと考えていた。
考え、悩みされど答えは出ない。その中で一つ分かった答えがあるとすれば、ここまで意見が対立しても、俺はどこまでも夏帆が好きだということくらいだ。
だから、もう一度一緒に進みたい。だから今日の時間を設けた。
電話からニ十分もしない頃、家のインターホンが鳴る。
「俺が出るぞ」
「・・・」
夏帆からの返事はないが、俺は扉を開ける。それが新しい明日への可能性と信じて。
---
~聡side~
「お疲れ様です。・・・わざわざこんな時間を設けて貰って、本当になんて言えばいいか」
「いや、気にするな。・・・それに、この時間が必要なのはひょっとしたら君より俺たちのほうだからな。早速だが、入ってくれ」
案内されて、家の奥の方まで行く。なんだかんだこの家に入るのは、保さんと初めて面と向かって話したあの日以来だろう。
リビングの方に行くと、一人女性が椅子に腰かけていた。夏帆さんだろう。
ただ・・・半年前、一度見た時より確実にやせ細っていた。見ただけで軽く5~10kgくらいは体重が落ちていることが分かる。それは僕が生んでしまった光景なのだと思うと、少し歯がゆい。
それでも臆さず、僕は一度頭を下げる。
「・・・お久しぶりです。松原聡と言います」
「・・・そう、あなたが」
暗く沈んだ声が心の奥底に響いてくる。この人がずっとあの日に囚われてしまっているということを理解するには、その一言で十分だった。
それからどうやって話そうかと悩んでいると、夏帆さんの方が先に声を挙げた。
「保さん。・・・一度、二人きりにしてくれませんか」
「えっ? ・・・いいのか? 夏帆」
「はい。私なりに色々考えたんです。けど、こうやって向き合っている以上、何のためらいもなく話したい。そして、そんな醜い光景を、保さんには見て欲しくないんです」
「・・・そうか。分かった。見ないでおくし聞かないでおく。それでいいな?」
夏帆さんはうんと頷く。それを後目に、保さんは一度家から出ていった。本当に何も聞くつもりがないのだろう。
自分が二人きりで僕と話していたように、夏帆さんにもそうしてもらおうということだろう。
覚悟を決めて、僕は夏帆さんの向かいに座る。それからすぐ、深々と頭を下げようとする。
「この度は、本当に」
「ねえ、あなたは」
その時、声がそれを遮った。
「あなたは・・・何なんですか?」
僕は顔を上げて、夏帆さんのほうに向き直った。その表情に、怨嗟と後悔と、寂寥の感情が見て取れる。
「なんで・・・こうやって謝ろうとするんですか? なんで、全部自分のせいにしようとしているんですか? なんで・・・私たちに・・・付きまとうんですか・・・!?」
だんだんと言葉がぐちゃぐちゃになっていく。ただ心の奥底の方から湧いてくる言葉が繋がれただけのそれを、僕は真正面から受け止める。
目線の先の夏帆さんは、大粒の涙を零していた。それを拭うことも止めることもせず、ただ延々と自分の心の奥底にある想いを表に出し続けていた。
「私はっ・・・あなたみたいな・・・、行き過ぎた善意と優しさで出来た人間が・・・嫌いなんですよっ・・・!!」
「っ・・・!」
思いがけない言葉の刃に、僕も硬直する。何を言われてもいい覚悟はしてきたが、いざこうして言われてみるとナイフで突き刺されたような痛みが襲ってくる。
「関わらないでって・・・言ったじゃないですか・・・!」
掠れた声で叫びきる。それから両手で顔を覆いながら、ただ延々と自分の痛みを垂れ流し始めた。
「あなたがもっと最悪で・・・性根の腐ったような人間だったら・・・。なのに、あなたはまるで・・・あの子みたいで・・・。あなたがいると・・・嫌なこと、全部思い出して・・・!」
抱えていた思いは、きっと、僕が想像するより遥かに深いものだったのだろう。きっとこの事故以外にも、心にストレスを抱えるような何かがこの人にはあったのだろう。
そんな夏帆さんに、僕が出来ることは。
償いの、方法は。
ギリッ、と奥歯を噛みしめる。けれどそれは、己の無力さを呪うものではなく、目の前の痛みを受け入れるためのものだった。
手を取る。
同じ視線に立つ。
素直に言うことを受け入れる。
そんなことで、本当にこの傷は癒えるのだろうか。・・・絶対に、そんなことはないはずだ。
だから僕は、真っ向から向かい合う。この人が言った、善意と優しさだけで出来た人間であることを否定する。
僕が今からこの人に向ける言葉は、「優しさ」ではない。
「・・・それでも僕は、関り続けますよ」
「え?」
「償い。それが今の僕が生きる理由です。けれど、ただ優しさに任せて、全てを受け入れることが償いじゃない。少なくとも僕は、あなた方の前から消えることが償いになるとは思いませんから」
「じゃあ、どうするっていうの・・・!?」
「それはこれから時間をかけて考えます。ただ、少なくとも、僕はこの事故のことを一瞬たりとも忘れはしないです。千夏ちゃんが起きても、元の生活に戻っても。そうやってずっと関わり続けたい。それが僕の考える、僕だけの償いです。・・・これって、さっき言った善意と優しさの塊ですか?」
そんなはずはないだろう。
どちらかと言えばこれはエゴの塊だ。僕は、僕の描きたい未来を信じて動く。その未来で、この人たちにも幸せになってもらいたいだけだ。
「・・・優しくないんですね、あなたは」
「ええ。・・・だから僕は、あなたが心の奥で描いている誰かとは違います。烏滸がましいことを言いますけど・・・信じてもらえませんか?」
「・・・簡単に、信じれると思いますか?」
拒否の意が飛んできたのは、僕の発言からすぐ後の事だった。分かってはいたが、そう簡単にことは運んでくれないみたいだ。
それでもいい。それで投げ出すようなことはしない。僕は「優しくない」のだから。
そんな覚悟は、向こうにも伝わっていたのだろう。涙混じりにため息を吐いて、夏帆さんは続けた。
「だから、信じさせてください」
「え?」
「これからの行動と、時間で、私に、あなたがあの子と違うと信じさせてください。あなたという人間が、私たちに償いを行えるということを、信じさせてください。・・・そのための時間を設けることを、私は、許します」
「夏帆さん・・・。ありがとうございます」
それは全ての許しではない。罪を乗り越え、そして前に進むための時間を許してくれただけのそれは、全てのスタートラインと言っても過言ではないだろう。
けれど、そのチャンスさえあれば、後はどうとでもなるような気がした。こうして地に足をつけて進むことを、僕は誰よりも望んでいたのだから。
「礼はいらないです。・・・代わりに、あなたがどういう人間かを、私に教えてくれませんか?」
少しぎこちなく表情は動いて、やがてそれは小さな笑みになる。
この人が初めて見せてくれた優しさを僕はみすみす見逃さなかった。
「長い話になりますが、聞いてくれますか?」
「はい。・・・だからどうかゆっくり、丁寧に、お願いしますね」
時計の針が、着実に、また一歩進んでいく。
その音が、耳から、胸の方へとこだまして、僕は少しずつ歩を進めた。
『今日の座談会コーナー』
ようやく大事なシーンを一つ書けたような気がしますね。この二年間における夏帆さんというのは、本外伝の重要なキーマンになってきますから。
お気づきだと思いますが、「あの子」というのは島波遥のことです。保さんは最初から全てを覚悟していたため、別れを真正面から受け入れることが出来てしましたが、夏帆さんに関してはもう一人の子供という感情を遥に抱いていたのもあって、かなり心身的ダメージを受けていたということになっています。β√の別れのシーンで夏帆さんに未練がましい描写を設けたのは、ここへの伏線でもあります。それだけならともかく、その後自分の娘が乱れた原因になっていることもあって、愛憎の念がどんどん増したということですね。冷静に考えてみても、そう簡単に許せるはずないと思うんですよね。
『私はっ・・・あなたみたいな・・・、行き過ぎた善意と優しさで出来た人間が・・・嫌いなんですよっ・・・!!』というセリフ、書いていてめちゃくちゃ辛かったです。
といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等よろしくお願いいたします。
また会おうね(定期)