凪のあすから~ heart is like a sea~【新装版】   作:白羽凪

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第七話 迷わない別れ

~聡side~

 

 明確に目的が出来た生は、心が感じる時間の経過のスピードを高める。

 定期的に保さんと会うことが約束となっていたが、次第にその空間に夏帆さんが混ざるようになった。僕を見定めるためだろう。

 

 だからといって、いい格好をするつもりなど毛頭ない。僕はありのままの僕をこの人たちに受け入れて欲しかった。・・・いつのまにか償いは、僕の生きがいになっていた。

 

 もちろん、それは足枷という意味ではない。償いのつもりで始めたこの行為が、僕の人生の楽しみの一部になっていたという話だ。

 ただ・・・時折、こうやって幸せになることが正しい事なのかと迷ってしまうことがある。それは間違いなく、本来この時間を過ごせたはずの千夏ちゃんがいないからだろう。

 

 それでも歩みは止めない。時計の針は進み、事故から一年経った夏を迎える。

 千夏ちゃんには、まだ会いに行けていない。多分、懇願すれば許してくれるかもしれないが、僕は二人の言葉を待つことにしたのだ。

 

 千夏と関わらないでくれ、と言ったのは向こうだ。ならば、それを解除するのもまた二人の意向だろう。そこに僕が介在する隙は無い。

 忘れない。僕はあくまで、「許しを請う」立場であるということを。

 

 けれど今は、それでいい。

 

---

 

 ドライバーとしての復帰は、今年の春先の事だった。

 この会社にも随分迷惑をかけてしまったが、社長は宣言通り僕のことを見捨てようとはしなかった。その恩義に答えたい一心が、今僕がここに在る理由だろう。

 

 本当に、温かい街だ。成り行きで選んだ街だけど、ここにきて本当によかったと思っている。

 

 満ち足りた感情が表情となって表れていたのか、仕事を終えた伊勢さんに後ろから小突かれる。

 

「なんて顔してんだオメ―はよ」

 

「あ、すみません。腑抜けてましたね」

 

「ま、一時の思いつめたような表情よりはマシだろ。・・・んで、仕事の方は終わりそうか?」

 

「あと今日の運送リストをまとめて社長に出したら今日は上がりです。・・・あ、さては飲みの誘いですか?」

 

 伊勢さんがやや高めのテンションの時は大体飲みの誘いだ。あの日からあれやこれやと遠慮や不都合があったが、もうそうは言ってられないだろう。

 

「そ。お前さえよければどうだって感じだけど」

 

「行きますよ。・・・あと、弁明しておきますけど、僕はこうやって飲みに行くの嫌いじゃないんですよ? ちょっと色々あっただけで」

 

「あー、なんだっけ。相手さんの両親と色々やってるんだっけか。よくやるよな、お前も」

 

 僕の取っている行動は傍から見ればおかしいのだろうか、伊勢さんは呆れたような息を一つ吐く。確かに、謝って終わり、に留めないのはおかしいだろうな。

 けど、僕は僕のこの行動に誇りを持ってる。今更恥じることなど何もない。

 

「んじゃ、先に来るまで待機しとくわ。終わったらさっさと来いよ」

 

 ひらひらと手を振って伊勢さんは事務所を後にする。その入れ替わりで入ってきた社長が、遠ざかっていく伊勢さんの様子を見て声を挙げる。

 

「やけに調子良さそうだが・・・、あいつ、またパチンコで大勝でもしたのか?」

 

「じゃないんですかね。飲みの誘いなんて大概そういう時しかないですし。あと社長、これ今日のチェックリストです」

 

「ああ、受け取ろう。・・・よし、問題ないな」

 

 社長は一度うんと頷いた後、そう言えば、と声を挙げる。

 

「そろそろあの事故から一年か。どうだ、上手くやれてるか?」

 

「ええ。あの日叱ってもらったことで、自分が何をすればいいか見つけることが出来たので。今は大丈夫ですよ」

 

「そうか。・・・お前は若手の有望株だからな、期待しているぞ」

 

 社長の言葉に偽りはないだろう。僕はその期待を一身に受けて立ち上がる。

 

「じゃあ、今日は上がりますね。お疲れ様でした」

 

 伊勢さんが去って三分ほど経って、僕も同じ場所に向かう。

 助手席から顔をのぞかせた僕に気が付いて、伊勢さんはロックを外す。

 

「うし、んじゃ行くか」

 

「ですね」

 

 会社を出て、車は緩やかな海沿いの坂を下っていく。それは、忘れもしない運命の場所だ。

 あの時トラックを取りに来た伊勢さんもここがその場所だという事を覚えているみたいで、話にしようかどうしたもんかと表情を歪ませていた。見かねた僕が先に切り出す。

 

「そろそろ、一年ですね」

 

「お前から言うのかよ・・・。その、なんだ? PTSDとかそういうの、大丈夫なのか?」

 

「ひどかったのは最初の三か月くらいですよ。・・・もちろん、最近でも夢に出てくることはありますけど、いつまでも怯えて逃げ回ってちゃ世話ないでしょう」

 

「ま、お前がいいって言うなら問題ないんだろうな。・・・しかしお前は大した奴だよ、本当に。嫌なことに真正面からぶつかれるなんてな」

 

 その言葉でハッとする。

 本当に僕は嫌なことに真正面からぶつかれる人間だっただろうか。・・・もしそうだとしたら、どうして僕はこの街にいるのか。

 

 少なくとも美浜のいざこざがあったあの日、僕は嫌なことから目を反らしてこの場所に逃げてきた。あの頃は、こうやって目を向けることは出来なかったはずだ。

 

 だから今の僕は、確実にあの頃より前に進んだのだろう。

 

「・・・おい、急にボーっとしてどうしたんだよ」

 

「あ、いえ。・・・僕はこの街に逃げてきたはずなのに、いつの間にか逃げずに立ち向かえるようになってたんだなって思って」

 

「人間は成長する生き物だからな。お前も着実に地に足付けて進んできたって事だろ。もっと胸を張れよ」

 

「それは・・・もうちょっと後にしますね」

 

 僕は、もっと誇れる自分になりたい。その日がいつになるかは皆目見当もつかないが、その日までは奢らず、自惚れずいたい。

 

 窓の向こうの海は穏やかで、そろそろ沈もうとしている太陽を迎え入れようとしている。その景色をただぼんやりと眺めながら、僕は心の隅の方で、かつてのあの日を思った。

 

 

---

 

 

 久しぶりに頭を空っぽにしてアルコールを浴びる。と言っても、自我は保っていたいから、そこだけは留意して。

 幸か不幸か、その行動には意味があった。・・・じゃないと、酔いつぶれた伊勢さんを介抱出来る人がいない。

 

「全く・・・調子乗り過ぎですよ」

 

 店から伊勢さんのアパートが近いのが救いだった。家までなんとか送り届けて、僕はようやく踵を返す。疲れたしタクシーを呼んでもいいところだけど、せっかくだし夜風でも浴びながら歩いて帰ろうか。

 

 そして、駅の前を通り過ぎようとした時、僕はそこにあり得ない人影を見た。どうやってここを嗅ぎ付けたのか分からないが、確かにその人は、美浜は、僕の目の前にいた。

 

「美浜、なんで・・・」

 

「やっと会えた。・・・ごめんね、自分の気持ちに気が付くのが遅くなって」

 

 美浜は最後に見た時より少しやせ細っていた。何があったのかは知らないが、あの頃感じていた余裕はもう見る影もない。

 けれど、人間としては今の方が美しく見えた。言葉の節々に、かつて存在していた妖しさはもはや存在していなかったから。

 

 つまり、この言葉は、本心なのだろう。

 

「今更なことを言うけど、ちゃんと私を愛してくれたの、聡だけだったって、ようやく気付いたの。・・・遅いことは分かってる。謝って許されないことも分かってる。でも、もう一度、・・・もう一度だけ、チャンスを貰えないかな?」

 

 それは、ただ都合のいい駒として人を見る目ではなかった。今の僕なら分かる。人が誰かを愛している時の目が、どのようなものかという事を。この瞳は、本物だ。

 僕はかつて、美浜を愛していた。別れることになってからも、恨んだことは一度もなかった。きっと僕が悪いのだろうと思い込んでいたからだ。

 

 今、目の前にして、かつての愛情が湧かないという訳でもない。楽しかった日々は鮮明に記憶に焼き付いているのだ。

 

  

 けれど、それでも。

 僕はもう、鷲大師の人間の松原聡だ。あの街で、美浜と生涯を誓おうとした人間ではない。

 

 だからちゃんと、僕は僕の思いを伝える。

 

「ダメだよ、チャンスは与えられない」

 

「そんな・・・。せめて、理由を聞かせてよ・・・!?」

 

「目標が見つかったんだ。やりたいことがあるんだ、この街で。だから、僕はもうあの街には帰らない。そう決めたんだ」

 

「だったら、私がこっちに来るって言うのは」

 

 理屈の問題じゃない。

 かつての記憶こそあるけれど、今僕が愛したいものは美浜という存在ではなく、この街と、職場の皆と、あの人たち。

 それは、過去の思いを全て断ち切らないと手に入らない。

 

「そういう問題じゃない。・・・はっきり言うと、僕は今でも美浜のことは好きなんだと思う。だけど、それ以上に好きな存在が、この街にはたくさんあるんだよ。全てを抱えることは出来ないし、どちらを選ぶと問われたら、僕は間違いなくこの街を選ぶよ」

 

「・・・」

 

「美浜が本気で僕を求めてくれているのは分かっているし、疑うつもりはない。けど、美浜は言ったよね。もっと我儘になって欲しかったって。だから僕は我儘になるよ。我儘になって、美浜を捨てる」

 

 面と向かって別れを切り出す。好きな存在のはずなのに、心が痛むことはなかった。この別れに、後悔など一つもないのだから。

 俯き、悔しそうな表情で美浜は語る。

 

「・・・皮肉だよね。私、過去の私の言葉で切り捨てられるんだ」

 

「うん、そうだよ。けど、今の僕を作り出すきっかけをくれたのも美浜だから、そこは感謝してる。ありがとう」

 

「やめてよ、礼なんて」

 

 僕は、傷つけることをやめない。それは、僕が進みだすために必要なことなのだから。

 願わくば、僕の世界の外で、知らないところで幸せになって欲しい。今更交わっても、お互いにいい事なんてないだろうから。

 

「ずっと美浜を見てきた僕だから言うね。・・・今の美浜なら、好きになってくれる人は多分どこかにいる。それがあの街じゃなかったとしても、今の美浜なら、真正面から人の気持ちに答えられるはずだよ。だから、もうここには帰ってこないで」

 

「・・・聡、変わっちゃったんだね」

 

「そう。変わったんだよ。そして、みんな同じように何かをきっかけで変われるはずだから。もう、これまでの全てを断ち切った方がいい。僕がそうしたように、美浜も」

 

「・・・やれるかな?」

 

「やれるよ。僕が信じてる」

 

 これがせめてもの慈悲、優しさ。美浜に最後にかけてやれる言葉だ。

 それを受け取った美浜は立ち上がって、目元を拭った。多分今の行動で僕への未練は断ち切ってくれたのだろう。

 

「ありがとね。逢えると思っても、話してくれるとは思ってなかったから」

 

「うん。僕も、ちゃんと話せてよかったと思ってる」

 

「ちゃんと私、帰るから」

 

「うん。・・・さよなら」

 

 手を振って互いに別れる。どちらかが後をついていく、なんてことはしない。確かに今日、僕たちは、逃げない別れを行った。

 その姿が見えなくなるまで手を振って、僕は真反対の方向、僕の家へと向かいだす。

 刹那、口先が動く。それは音を持たなかったが、確かに言葉として耳に残った。

 

 

 ・・・ありがとう、美浜。

 今の僕を、作り上げてくれた、かつて愛した人。

 




『今日の座談会コーナー』

 聡の過去回想はそろそろ終わりです。しかしまあ、この美浜という女もどこから着想を得たのかはた疑問に思っちゃいますね。というか、婚約破棄までした女とかつてと同じくらいの声音で話せるってこの男やっぱり優しすぎますね。後から鷲大師に来た設定にこそしてますけど、前の街だとどんな人間だったのかと思うと・・・。島波遥よりも愛着湧きそうな人物です。

といったところで、今回はこの辺で。
感想、評価等お待ちしております。

また会おうね(定期)
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